『嵐の前の静けさのようなもの』
翌日。朝食を摂りに出てきたシルヴィアは、昨日の酒を残している様子もなく、元気な様子で「おはようございます」と挨拶をした。
レイナルドも少々遅れてやってきたのだが、昨夜の名残は一切見られず、涼しい顔をしている。もしや相手の女性が気に入らず、早々に帰したのかと思い、ギルベルトが食事の後にこっそり「何か粗相でも?」と訊いてみた。
「いーや。イイ女だったぜ。何でだ?」
「いや、品のない話になるが、名残がどこにも見当たらないもので」
「そんなものをうちの団長に見せたくないもんでね。その辺は気を付けている」
「まあそれは女性に見せるものではないだろうが」
「……シルヴィアには特にな。あいつも俺が女遊びをしているのは知っているが、恐らく実感として分かってはいない。俺も実感させないように軽く話しているしな」
「クリストフ王もそうだが、貴公も相当あの方を大事にされているようだな。にしても少々過保護ではないか?」
「あいつは恋愛経験もないし、あまり刺激の強い話を避けるのは、過保護でなくとも当然だろ」
「恋愛経験がない?貴公やクリストフ王が傍にいる為、言い寄りたくても言い寄れない男も数多いのではないか?」
軽く笑いながら言う。
二人揃って威圧感が尋常ではない上に、少し見ただけでも溺愛していると分かるほどに仲が良いのだ。誰であろうと、おいそれと言い寄れたものではないだろう。
「それは否定しない。が、何よりシルヴィア自身が恋愛に興味がないんだ。城に入る前の事は話に聞いただけで、実際には恋人がいた可能性もあるが、本人がいなかったと言っているんだからそうなんだろう。騎士を志してからは……あいつは、あいつの目指す騎士に近付く為に、可能な限りの時間を全て鍛錬に費やしてきたから、他の事など目に入っていなかったしな」
「今まで全く遊ばなかったという事か?」
「全くとまではいかなくても、ほぼそうだな。今日から訓練があるんだろ?その時になりゃ分かる」
レイナルドの言い方から察するに、起きている間のほとんどの時間を鍛錬に費やしてきたという事か。いくらなんでも大げさな、とギルベルトは思ったが、その証拠は訓練の時間を待たずして目にする事になる。
レイナルドが出立の時間になってもシルヴィアが姿を見せなかったもので、部屋に呼びに行こうとすると、レイナルドは首を横に振って止めた。
「あいつなら、もう訓練場にいるだろ。見送りはしなくてもいいと言ってあるから、放っておいてやれ」
「訓練が始まるまでは、まだ時間があるが」
「言っただろ。あいつにとって空き時間なんてものはないんだよ」
そう言って、本当にシルヴィアを待たずに馬の背に乗った。
「じゃ、また折をみて様子を見に来る。……あいつを頼む」
『頼む』と言った時の表情が、この男に似合わず真剣そのもので、何か深い意味が込められているような気がした。
そうして一緒に見送りに出ていたエーレンフリートに丁寧な挨拶をし、レイナルドは去って行った。それを見送ってからエーレンフリートは
「どうやらマジで責任重大らしいな」
と呟いた。他人の機微に敏感なエーレンフリートのこと。恐らく何か感じ取ったのだろう。
見送りを済ませ、訓練の準備をするためにギルベルトは一度部屋へ戻ろうとしたが、「シルヴィアはもう訓練場にいる」とのレイナルドの言葉を思い出し、まさかと思いつつも、そちらへ向かってみる事にした。エーレンフリートは政務があるので先に戻るよう言ったのだが、王はあっさり拒否した。
「今日の訓練は俺も立ち会う。昨日の今日だからな。ロニーの謹慎をあいつの責任だと言いがかりをつける奴もいるかもしれない」
「お仕事がたまりますよ」
「構うか。後でまとめてやる」
そうして二人で訓練場に向かうと、入口から惚けたような表情で中を眺めているビアンカがいた。一体何事かと近付いて声をかけようとすると、人差し指を口元に立てて「静かに」と無言のまま注意される。それから中を指し示されそちらを見てみると、シルヴィアが一人で剣を振るっていた。
戦場で見た時のように髪を結い、訓練用の服を着て一人静かに剣を振る姿は、息をのむほど美しかった。全ての動作に無駄がなく、特に足の運びが、どうやって動いているのかと思うほど淀みがない。
「‥‥‥‥‥‥‥‥キレイ‥‥‥‥‥‥‥‥」
思わずビアンカが呟いた。その言葉に全てが集約されている。一つの物事に集中し、それを極めんとする姿のなんと美しい事か。この姿を見て、まだ恨みがどうこうなどと言う愚か者がいたら、その者は正に騎士失格だ。
そうして三人で口も開かず訓練風景に見入っていると、ふとシルヴィアが動きを止め、呼吸を整えて入口の方へと視線を向けた。
「すみません。勝手に使わせて頂いています」
「……ああ。それは構わないが、今からそのように動いていて、この後の訓練は大丈夫か?」
「それは大丈夫です。これが私のペースですから」
と、余裕で笑う。確かに汗をかいている様子もない。この程度は軽い準備運動なのだろう。それにしても、なんと生き生きとしているのか。昨日の晩餐会での彼女とは大違いだ。
「ところで、あなたはどうしてここへ?」
三人がいる所へと歩み寄りビアンカの頭を撫でる。するとビアンカが「きゃっ」と小さく首をすくめて嬉しそうに笑った。何やらとても親しそうだ。
「次の仕事まで時間があるので、シルヴィア様の訓練を見てみたいと思って」
「あなたがこういった場所に興味を持つとは意外だな」
「騎士の方が訓練する姿は素敵です。その……戦場は恐ろしいのですけど」
「それでいい。あなたのような人々が戦場を見なくて済むようにするのが騎士の務めなのだから」
「シルヴィア様‥‥‥‥」
まるっきり二人の世界である。昨日の今日で何故ここまで親しくなったのかは分からないが、ビアンカのシルヴィアを見る目は、明らかに憧憬と呼べるものだ。
話に入るタイミングがつかめず、ギルベルトは一つ咳ばらいをした。
「えらく親しそうだが、何かキッカケがあったのか?」
「昨夜、あれから私の部屋で話していたのです。ビアンカがあまりに心配していたもので」
「だって、もしお風邪を召されていたらと心配で……」
「私は寒さには強いから大丈夫だと言ったのに。でも、お陰でノイエンドルフの様々な話が聞けて楽しかった」
「私も。他国の事は知らないので、アルヴァナのお話はとても勉強になりました」
「お、ビアンカいいなあ。俺にもアルヴァナの話、聞かせてくれよ」
「はい。エーレンフリート陛下がお望みでしたら、いつでも」
笑顔でそう答え、シルヴィアはビアンカの肩に手を置いた。
「さあ。あなたはそろそろ持ち場に戻った方がいい」
そう言われると、ビアンカの表情は一気に曇った。両手を胸の前で合わせてうつむくと、小さな声で「でも」と言う。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。先の内乱で善政を敷く王家の味方をした、そしてエーレンフリート陛下を支え、ギルバート卿に育てられている騎士たちだ。私に対する恨みはあっても、決して卑怯なマネはしない。とはいえ優しいあなたにこの後の事は見せたくない。だから」
「‥‥‥‥はい」
「ビアンカ。今日はエーレンフリート様も立ち会われる。そもそも私が見ている所でシルヴィア殿に下手な真似はさせない。だから心配しなくてもいい」
「分かりました」
「ではシルヴィア殿。私も準備をしてくる。少し待っていてくれ」
「はい」
「俺は特に準備も必要ないし、ここで、こいつと待ってる」
エーレンフリートがこう言ったのは、先に他の騎士たちがここへ来て、シルヴィアに食ってかからないよう牽制をする為だ。ギルベルトもそれを理解し、「すぐに戻って参ります」と告げた。
部屋に戻る途中、ギルベルトはビアンカにこんな話を聞いた。
「昨日晩餐会の前にシルヴィア様のお着替えを手伝ったのですけど、その時に戦死者の慰霊碑はあるかと聞かれたんです。それで場所をお教えしたので、昨夜、庭にいらっしゃったのは、恐らく慰霊碑の所へ行かれていたのではないかと」
「‥‥‥‥‥‥‥‥なるほど」
「他の方々に知られると不愉快な思いをさせるだろうからと、こっそり行かれたのだと思います。昨夜、お話をしていて確信しました。晩餐会の席で斬りかかられて、ひどい言葉を浴びせられたのだと、その場にいた方から伺っていたので、腹は立たないのか、辛くはないのかとお聞きしたら、笑いながら腹など立つはずがないと仰るのです。陛下もギルベルト様も、共に内乱を戦いぬいた仲間を殺されて、何とも思わないはずはないのに、自分のワガママを、他の騎士の方たちに不快な思いを強いると分かっていながら受け入れて下さった。その恩に報いるには、自身の努力で理解を得る事だと……」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「お優しい方です。そして心がとても強い方です。ギルベルト様……どうかシルヴィア様が騎士団の方々にひどい事をされないよう‥‥‥どうか‥‥‥‥」
「分かっている。私もエーレンフリート様も、シルヴィア殿を預かると決めた以上、責任は果たすつもりだ。あの方が無事アルヴァナへ戻られる日まで、私の全てをかけて守ろう」
ギルベルトの力強い言葉にビアンカの顔が安堵に満ちる。まるで以前からシルヴィアの付き人でもあったかのような思い入れように、ギルベルトは思わず苦笑する。
「随分シルヴィア殿に惚れ込んだものだな。出逢ったばかりだというのに」
「あの……私はこのような性格ですから。私がお世話をするのは陛下と戦われた方だとお聞きして、同じ女なのにすごいなと思っていたんです。怖い方なのかなと。でも実際にお会いしてみたら驚くくらいお綺麗な方で。背も高くてスラッとしていて、一目で憧れてしまいました。その上お話ししてみたら、とても笑顔が素敵で優しくて……それにお料理も得意だそうです」
「料理?シルヴィア殿が?」
「はい。騎士になる前は家のお手伝いをされていて、食事もよく作られていたそうです。アルヴァナの料理とはどのようなものですかとお聞きしたら、国交を持つのだから休暇が取れたら国に遊びに来ればいい、そうしたら私が作ってあげようと言って下さったんです」
ビアンカはおとなしく仕事熱心な分、あまり人付き合いは上手くない。だからシルヴィアのように騎士団を率いていたり、一人で他国へ長期滞在しに来たりといった積極的な行動をとれる人間に憧れるのだろう。その上、小柄なビアンカと違い、女性としてはそこそこ身長があり、手足の長いシルヴィアはドレスもよく似合っていた。自分にないものに人は憧れなり嫉妬なりの感情を抱く。ビアンカはその全てが憧れの気持ちへと傾いたらしい。普段は口数の少ない彼女が、シルヴィアの事となるとこれほどに饒舌になる。それが証拠だ。
(まあ確かに。ビアンカでなくともシルヴィア殿には一目で惹きつけられるか)
昨夜の晩餐会での騒動で、艶やかなドレス姿でいながら、剣を持ったロニーと向かい合った瞬間に騎士の顔になったのは、非常に印象的だった。動きにくいはずの服装でもあのスピードを保てるのかと、止めなければいけない立場であるはずなのに、それも忘れて見惚れた。
先刻の一人での訓練の様子も、凛とした佇まいに目が釘付けになり、そこだけ時間の流れが緩やかになったように感じたほど。
まだ打ち合う所を見たわけではないので、真の実力がどれほどのものか分からないが、恐らくビアンカが心配するように、訓練で手合わせをする状況でシルヴィアが危ない目に遭う事はないだろう。何より集中力が違う。
とりあえず間違いないのは、今日の訓練は殺伐とした雰囲気になるだろうということ。うんざりした気持ちにもなるが、矢面に立たされるシルヴィアの事を思えば、その程度で感情的になってもいられなかった。




