『裏切者』
城塞への避難は滞りなく進んでいた。突然の事で皆一様に動揺はしていたが、エーレンフリートが励まし続けていたお陰か、パニックになる程ではなかった。
そうして街の人々の避難が終わった頃、副団長のアヒムが焦った様子でエーレンフリートを呼びにきた。
「陛下!団長が火急の用件があるため、急ぎ来ていただきたいとの事です!」
「ギルベルトが?分かった。すぐ行く。アヒムは俺に代わってここを守ってくれ」
「かしこまりました」
「お待ちください、陛下!」
今にも飛び出そうとしているエーレンフリートを、シルヴィアが鋭い声で呼び止めた。
「どうした?」
「少し話したい事があります。ここを出て外で話せませんか?アヒム殿も」
シルヴィアは、ギルベルトが急ぎ呼んでいると聞きながら、大した事情もなく呼び止める人間ではない。何か不穏なものを感じ、エーレンフリートは了承して外に出ようとしたが、アヒムは首を横に振った。
「シルヴィア殿。申し訳ありませんが事態は一刻を争います。話している余裕はありません」
「……攻めてきたのはハルフラントだとお聞きしました。あの国はギルバート殿が手こずる相手ではありません。ここで訓練を通してノイエンドルフ騎士団を見てきましたが、撃退する力は十分に備わっています。……油断させて味方を討つ裏切り者でもいない限りは」
アヒムを睨みつつ言う。その様子から、エーレンフリートはシルヴィアの言う『話』の内容を理解した。まさかと思いつつアヒムを見ると、軽く剣に手をかけている様子が目に入った。その表情も硬く強張っている。
「アヒム。俺はシルヴィアの話を聞く。お前も一緒に出るぞ」
「………………は」
アヒムが妙な動きを見せる前に外に出るよう促す。父王の頃から続けて副団長を務めているアヒムを信じる気持ちは強く、さりとてシルヴィアが根拠もなく警戒を示すとも思えないので、何か誤解が生じているのだろうと、そうであればいいとエーレンフリートは思っていた。なのでアヒムが指示に従うのを見てエーレンフリートは安心した。
話の内容は聞こえていなかったが、シルヴィアの様子がおかしい事を見てとったビアンカは、場を離れていく三人を不安げな表情で見ている。シルヴィアと合流して避難誘導をしていたルディはそんなビアンカに気付き、どうしたのかと声をかけた。
「あ、いえ……気のせいかもしれませんが、シルヴィア様が何か怖い顔をしていらしたので気になって」
「警戒心を高めているせいじゃないかな?でも気になるなら……そうだな。話の邪魔をしてもいけないし、何よりここから出るのは危険だから、君はここで待ってて。俺ができるだけ近くまで行って様子をみてくる」
「すみません。お願いします」
城塞から少し離れた場所に移動しようとしつつ、シルヴィアは何かを警戒するようにエーレンフリートのそばについていた。そうして前を行くアヒムに対して後ろから声をかける。
「申し訳ありませんが、アヒム殿。貴方の行く方向に着いて行くことはできません。それに砦からあまり離れる気もありません」
「先刻からどういうおつもりですか?シルヴィア殿。まさか私を疑っておいでで?いささか失礼ではありませんか。私はずっと前からこの国を、王を守ってきている人間ですぞ。昨日今日この国に大使として来たばかりのようなあなたとは信用が違います」
「それはそうでしょう。言われるまでもない。ですが、その信用を利用して良からぬ事を企まれては、この国の人では防ぎようがない。ギルバート殿のような警戒心の強い方でも。出逢って間もない私をも信頼してくださるエーレンフリート陛下であれば尚更です」
向かい合って睨み合う。もはや敵対している事を隠すつもりもないようだ。が、いつの間にこのように険悪になっていたのか。つい一昨日もエーレンフリ―トとアヒムが同席しての会食が行われたが、その時は不審な様子などどちらにもなかったのに。
「シルヴィア。話があると言っていただろう。それをまず俺に聞かせてくれ。お前が何を警戒しているのか俺には全く分からないんだが」
「陛下!差し出がましいようですが、シルヴィア殿こそ……」
「アヒム。俺はシルヴィアに聞いているんだ」
アヒムは唇を噛み締めつつも一礼し、口をつぐんだ。分からない。変わらずエーレンフリートの命令を聞いているこのアヒムが、本当にシルヴィアの言うように“油断させて味方を討つ裏切り者”などでありえるのか?やはりどちらも何らかの経緯で間違った情報を掴んで、お互いに警戒をしているのではないか?そうエーレンフリートが思いかけた時、後方がにわかに騒がしくなった。思わず振り返ったエーレンフリートが見たものは……。
「……?!……ビアンカ!ルディ!」
砦を出てすぐ所でルディが斬られて倒れていた。そこにはハルフラントの騎士が立っていて、今にも砦に踏み入りそうなところをビアンカが両手を広げて立ち塞がっている。
「そんな……話が違うではないか」
アヒムが呆然と呟く。やはり彼が裏切っていたのかと落胆する気持ちと怒りと。だが今はそんな事を問いただしている場合ではない。このままではビアンカが斬られる。そうしてエーレンフリートが助けに動こうとする前にシルヴィアが駆け出し、その気配に気付いたハルフラントの騎士が咄嗟に振り返った瞬間に斬り捨てた。
「ルディ殿!ビアンカ!大丈夫か?!」
「……シルヴィア……様……」
急いでルディの怪我の様子をみる。重傷ではあるものの致命傷には至っておらず、ひとまず安心する。そうして次にビアンカを見ると、彼女は足を震わせ青い顔をしながらも気丈に立ち続け、シルヴィアに頭を下げた。
「シルヴィア様、ありがとうございます。私……」
「ビアンカ。私が陛下とアヒム殿にここを出て話すよう提案したばかりに危険な目に遭わせて済まなかった」
「そんな!シルヴィア様は何も悪くありません!」
「いや。私は避難誘導および、エーレンフリート陛下と共にここの守備につくという条件で動く事を許された。少なくともこの場で話すよう強く進言していれば、ルディ殿が斬られる可能性は低くなっていただろう。これは私の落ち度だ」
シルヴィアは悔やむような顔をしてルディの手を一度強く握った後、立ち上がる。その表情は険しくも凛々しく、強い決意を感じさせた。
「私はこれ以降ここを離れはしない。必ずあなた方を守り通してみせる」
昇ってきた朝日に顔を照らされながら立つシルヴィアの姿を、ビアンカとルディは一生忘れないだろうと思った。いっそ神々しく、まるで戦いの女神が降臨したかのような、畏敬の念をおぼえずにはいられない姿。それはかつてシルヴィアがクリストフとレイナルドに対して感じたものと同じであった。




