大悪人鳴動して、毒蜂一匹
氷室は月明かりを背に浴びて、窓に寄りかかっている。
窓から吹き込む夏の生暖かい風が、氷室の横顔を撫でる。
氷室は表情が影で隠れて、良く見えないまま呟く。
「……兄貴」
ある喫茶店で、二人の男がテーブルに向かい会って座っている。
一人の男は、耳にピアスをし、髪の毛は銀色で、その日本人的な顔つきから、地毛でなく、染め上げられているのが良く分かる。
ウェイトレスがそのテーブルに、注文されたであろう飲み物を持ってくる。
銀髪の男はにこやかに微笑み、もう一人の男は無表情のまま、飲み物を受け止る。
ごゆっくり、とウェイトレスは言い、去って行く。
その後ろ姿を見ながら、銀髪の男が飲み物に刺さっているストローをくわえる。
一口飲むと、銀髪の男は口を開いた。
「あの子……いいね。ボンッ! キュッ! ボンッ! とはいかなくてもさ、ポンッ! キュッ? ポンッ! ぐらいはあるな」
銀髪の男はやらしい微笑を顔に浮かべる。
そんな銀髪の男を見て、無表情な男は溜め息を付く。
「……ハァ。お前はそんなことを言うために、俺を呼び出したのか? こんな夜遅くに」
「ちげぇよ。何かさ、伊藤ちゃんがそろそろ動くらしいって、後藤ちゃんが言ってたから、報告」
「報告したところで、俺達の作戦に変わりはないだろ? 久崎」
無表情な男の問いかけに、銀髪の男、久崎時雨は笑う。
「ギャハハハハハハハ。いっつも、冷静だよな? 陽ちゃんは。もう少しさ、緊迫感というか、仲間がまた一人死んだんだからよ、ちょっとは緊張してくれよ。こっちが全然面白くない」
全然面白くないと言いながら、久崎は笑い続ける。「死んだ仲間ってのは吉津のことか? 仲間が死んだところで何も変わらない。お前はたった一人になってもやるだろ?」
「ヒーッ、ヒーッ、……ああ、まあな、当たり前だのクラッカー」
久崎は笑い過ぎて出た涙を手で拭う。
「……古い」
一言、無表情な男、氷室陽は発すると、弟の氷室凍吾と瓜二つの顔で微笑んだ。
「まあ、それはいいんだが、俺は一つ聞きたいことがあるんだが」
「何?」
久崎は不思議そうな顔をする。
「神藤の姉、神藤圭子を殺す必要があったのか?」
その言葉に、久崎はストローをくわえたまま、陽の顔をしたから見上げる。
「ん? もしかして、陽ちゃん、一般人殺したから罪悪感、感じた?」
試すような久崎の言葉を、陽はすぐに否定する。
「いや、そうじゃない」
「じゃあ、何?」
「神藤がpeace7に入らないなら、神藤自身を殺せば、手っ取り早いだろ?」
その迷いのない、冷たい目を見て、久崎は口の端を吊り上げる。
「いや〜。やっぱ、陽ちゃんは冷静ってか、冷たいね。まあ、そこが好きなんだけどさ」
久崎は飲み物を飲む。
「ああ、そうそう。神藤ちゃんを舐めない方がいいよ。あの子、強いから。それに、神藤ちゃんを苦しめるにはアレが一番いいんだ」 ストローから口を放し、笑う久崎の顔はまさしく悪魔だった。
「成る程な。まあ、お前がpeace7に入れようとする奴だ。強いに決まってるな。あの、間柱斗努呂みたいにな」
陽は久崎を挑発するように笑う。
久崎は嫌な思い出を思い出し、舌打ちする。
「間柱斗努呂、あの漫画に出てくるみたいな名前の奴、陽ちゃんは戦ったことないだろうけどね。マジ、あいつ強いから。ホントマジ!」
「まあな、お前が殺せなかった奴、初めて見た」
「でしょ!? ホント強かった。赤い悪魔って言われてたぐらいだからな。まだ、生きてんのかな〜?」
久崎は懐かしそうに目を細める。
「生きてたら、来るんじゃないのか? 俺達を殺しに」
「そうだな。来たら来たで、戦お。そんで殺そ」
久崎はただただ楽しそうに笑った。
「もっ、もう一回言ってみろ」
受話器から聞こえる声は、戸惑いを隠しきれずにいる。
「ですから、この国は私が貰います」
伊藤はゆっくりはっきりと、電話相手に伝える。
「お前……裏切るのか!? そんなことをすれば、私は」
「自衛隊でも動かしますか?」
「……ぬ」
伊藤は見透かしたように言うと、電話相手は押し黙る。
「大統領、あなたはたまには家に帰ってもいいんじゃないですか?」
「何!?」
「娘さんを誘拐しました。知らなかったんですか? まあ、家に帰っていないのだから、無理もないでしょう。……娘を殺されたくなかったら、自衛隊を動かすな」
「……そんなこと許されると思ってるのか!」
「これは、お願いでは無く、命令です」
「お前……」
まだ電話相手、大統領が何かを言う前に、伊藤を電話を切る。
「所詮、自衛隊が動いたところでもう止まらない」
机に両肘を置き、顔の前で手を組むと、伊藤はクククッと笑う。
その時、部屋の扉がノックされ、一人の気弱そうな男が入ってくる。
「あのー、決行日はいっいつですか?」
気弱そうな男は、短い髪を掻きながら伊藤に訊ねる。
「来週だ。それと新居橋、君は強いんだから、もう少し自身を持て。」
「はっはい」
畏まった動作で、気弱そうな男、新居橋充は礼をすると、出て行った。
伊藤は新居橋が出て行った扉を見ながら呟く。
「本当に、君には期待してるぞ、馬島の次に、だがな。せいぜい喰い殺してくれ」
一人の漁師は漁船に乗って、今日も漁に出掛けていた。
「今日も、不漁かな?」
自分以外に誰も居ない海の真ん中で漁師は溜め息をつくと、網を引き上げる。
「おっ!」
いつもの網よりずっと重い重量を手に感じ、漁師は一気に顔をほこらばせる。「こりゃ、大物か!?」
嬉しそうにどんどん網を引き上げるが、上げるに連れ、漁師の顔は沈んでいく。
網が完全に引き上げられ、網に掛かった獲物が船上に打ち上げられる。
漁師は呟く。
「何だよこりゃ」
最初、漁師が引き上げている時、金色が見えた。
漁師は新種の魚か!? と思い、元気良く引き上げていくが、その金色の下には、白く輝く八重歯があった。
そして、引き上げて見ると、やはり、少年の死体だった。
「……こいつ、生きてるんのか?」
明らかに死んでるとしか思えない顔色をしている少年の胸に、漁師は屈んで耳を近づける。
「……死んでるな」
胸に当てた耳からは、生きている者の鼓動が聞こえなかい。
念のためにと言わんばかりに、漁師は少年の手首を取り脈を測る。
「……やっぱり、死んでる」
漁師は少年の手首から手を放し、立ち上がると嘆息をつく。
「可哀想に、この年で。しかし、これをどうしたらいいかね〜。取り敢えず、港に戻って警察に電話しよう」
漁師は船の操縦席に座ると、船を港に向け動かす。
「……とんだ大物だ」
漁師は自分の不運を呪うように、大きな溜め息をついた。