別れ
茜の蹴りが吉津の側頭部に向け放たれるが、吉津自身の人型の影がそれを受け止める。
直ぐに茜はもう片方の足で人型の影の頭を踏み台にし、宙返りする。
視界の上に跳んでいく茜の後方から氷の槍が突き出される。
茜の後ろから出てきた為人型の影の動きは間に合わず、吉津の側頭部を貫こうとするが、吉津はスウェーでそれをかわす。
槍を外し、走った勢いがついたまま近づいてくる氷室に、人型の影は拳を振る。
氷室は吹き飛び、後方で着地したばかりの茜にぶつかりもつれるようにして倒れた。
茜に上に乗られ、仰向けになった氷室の視界に入った太陽を影で造られた球体が隠した。
その瞬間、
「離れろ!」
茜を横に突き飛ばし、氷室は茜とは反対の方向に強引に横っ飛びして避ける。 球体が地面に振り下ろされた風を顔で感じながら氷室は立ち上がった。
茜と氷室が駆け出そうとした瞬間、黒い球体の両側から黒い紐が飛び出した。
氷室は即座に氷の槍で払い出したが、茜は電気を体に走らせすぐに黒い紐を避けきると吉津に方へ駆け出す。
茜は低い体勢のまま吉津に距離を縮めていく。
茜が殴りかかるモーションをした時、人型の影が吉津と茜の間に入ったが、電気を流し、超反応をして一瞬で吉津の背後に回り込み、振り返った吉津の顔面を殴りつけた。
吉津は吹き飛ぶがすぐ後ろには自らの影があり、距離が離れることはなかった。
茜は少し口元を緩ませると、また吉津を殴りつけた。しかし、吉津は影が後ろにある為動けないでいる。そんな吉津の体に茜は拳を叩き込んでいく。
が、人型の影が吉津にラッシュをかけていた茜の両手を掴んだ。
吉津は口元の血を手の甲で拭うと怒りで顔を歪ましながら、何とか腕を振りほどこうとしている茜を
「こっのっ……クソアマがー!!」
殴り始めた。
だが、横から槍が突き出され、吉津の両腕を貫いた。
「影の操作が疎かになっていたぞ」
槍を突き出した氷室の後ろでは、黒い紐が宙に浮いたまま静止している。
槍に吉津を刺したまま氷室は駆け、ビルの壁に槍を刺した。
「茜、アレをやれ」
氷の槍に覆われている手の部分だけ水に戻すと、氷室は吉津を壁に張り付けたまま離れていく。
茜が槍投げの選手のようなフォームから電気の棒を投げつけた。
「俺の勝ちだ」
氷室の呟きとともに大きな音が響いた。
「大丈夫か?」
「はい、何とか。氷室さんは?」
「俺も何とかな。さっさとここから離れるぞ」
「はい」
氷室に肩をかされて、茜は消し炭のようになった吉津を後にし、歩きだした。 その時、歩く氷室と茜の後ろで吉津の手先が動いた。
「……死んで……たまるか」
真っ黒になってしまった唇から言葉を紡ぐ。「……俺たちの……PEACE7の……ためだけの……世界を造るんだ……死んで……死んでたまるか」
吉津自身にしか聞こえない小さな声だが、どこにそんな力があるのか分からないほど、迫力のある声だった。
吉津が最後の力を振り絞り、黒い球体を造り出した。
吉津は最初に氷室と茜に出会った時と同じように言った。
「死ね」
黒い球体が振り下ろされ、吉津は息絶えた。
下を向いて歩いていた氷室と茜は自分達を大きな影が覆ったのに気付いた。
振り返ると黒い球体が目の前まで来ていた。
まさか、まだこれだけの力があるなんて氷室は少しも分からなかった。それに比べ、自分達はもう反応して避ける体力も時間もない。
――終わったな
心の中でため息とともに吐き出す。
黒い球体は氷室がこんなに思考を巡らしているのにも関わらず、ゆっくりと命を奪わんと迫ってくる。
これが走馬灯って奴かと氷室は思った。
「油断した罰か?」
誰に問いかけるでもなく呟いた氷室の言葉を皮切りに、黒い球体は一気にスピードが戻った。
その時、茜と氷室の視界が横に揺れた。
突き飛ばされた氷室と茜は黒い球体の下に自分達の代わりに死ぬだろう青年の顔を見た。青年の顔と言うには童顔な中学生にも見えるその青年、吉備 尊は二人を見て微笑んだ。
大きな音ともに吉備は黒い球体の下に消えた。
黒い球体は地面にぶつかり土煙を立てると地面に溶け込んで行く。
黒い球体が消え去った後には、クレーターができていて、その真ん中に吉備は横たわっていた。
「吉備さん!」
「吉備」
茜と氷室は同時に叫ぶと吉備の下に駆けよった。
両手も両足も奇妙に歪んでいるが、吉備は辛うじて生きている。
しかし、もう死ぬのも時間の問題だと、吉備を見た茜と氷室、そして吉備自身もそれを感じとった。「俺の顔……カッコイイままっすか?」
吉備は力なく笑いながら氷室の方を向く。
「ああ。元の通りだ。だからもう喋るな」
「もう……いいんすよ……氷室さん……死ぬのは分かってますから」
そう氷室に言うと、吉備は茜の方を向いた。
「俺の予言……やっぱり百発百中だわ」
茜は涙を流しながら、吉備が何か言うたびにコクコクと頷く。
「泣くなよ……お前が泣くなんて……気持ち悪いぞ」
「あなたの気持ち何て知りません! 私が泣こうが勝手です!」
茜は泣きながら吉備を睨む。
「そうだよ……その方がお前らしいよ……茜」
吉備は茜の頬にそっと手を添える。
「名前で呼ばないで下さい」
茜はその手を両手で握る。
「ヴが言いにくいんだよ」 吉備は目を閉じる。周りで二人が叫ぶのが段々遠くなっていく。
気付いたら吉備は無傷で立っていた。
周りを見渡すと人っ子一人いず、殺風景なビル街であった。
何処からか、新聞紙が風に運ばれ飛んできて、吉備の足元に舞い降りた。
その新聞紙の一面はこう飾られていた。
『東京で何が起こるのか!? 犯人は東京から市民の撤退を要求! 逆らう者は殺すと断言! 一体何が目的か!?』
その記事の日付を見ようとしたが、爆発音がした。
爆発音のした一際大きなビルを見つけ、吉備が見上げるとビルの上の方がもう一度爆発した。
窓ガラスから炎が吹き出す。
その炎の中から二人の人影が飛び出し、落ちていった。
そこで吉備の目の前は真っ暗になり、周りの叫び声が戻ってきた。
目を開けるとそこには茜と氷室が居た。
「最後の予知です……8月のいつか……東京の大きなビルで……何かが起こり……ま……す」
茜の両手から吉備の手が力なく滑り落ちた。
「吉備さん! 起きてください! 何やってるんですか!?」
茜が吉備を揺さぶるが、吉備は糸の切れた人形のように、されるがままになっている。
「茜、行くぞ! 黒犬が来る!」
氷室が茜を強引引っ張って行こうとする。
「氷室さんは! 吉備さんをこのままにするんですか!?」
茜が真っ赤に目を腫らせて氷室を睨む。
「吉備が自分のせいで俺達まで死んだらどう思う!? 吉備が最後の予知を俺達に託した意味を理解しろ!」
茜は唇を噛みながら、コクリと頷いた。 それを合図に二人は走りだした。
吉備は走り去る音を聞きながら、自分の体温が冷たくなっていくのを感じる。
――もう、一ミリも動かせねぇや
もう吉備の視界は真っ暗で、考えることしか出来ない。
――生きて逃げてくれたらいいな
吉備は朝、二つの人影が何か黒い大きなものに襲われる夢を見た時から、人影は茜と氷室だと断定していた。
二人が外に出た後、吉備はずっと二人をつけていた。――もし、予知が俺が飛び込んでるところを見せても、飛び込んでただろうな
――でも、死ぬって分かってたら
――ガキみたいに茜に憎まれ口なんて叩かず
――言いたかったなぁ
――一目見た時から
――どうしよもなく
――好きだったって
吉備はそこでククッと笑う。
――だからか
――だから飛び込んだんだ――初めての俺に臆せず話して来て、初めて好きになった人
――初めての理解者で、初めて尊敬できる人
――二人を守るために
――不思議と全然怖くないな、死ぬのって
――何でだろう?
――……分かった
吉備は幸せそうに微笑む。
――簡単だ。バカな俺でも分かる
――大切な人を守る為に
――死ぬからだ
吉備の意識は闇に落ちていった。




