道化師
俺の絵が下手くそなだけ。そう思い込んだ。絵を書いて昼寝をしているといつの間にか夕方は過ぎていて夜だった。鈴より先に目を覚ました僕は大きく息を吸った。よし。複雑な気持ちだったが仮にも僕は男。少しは頼れる存在でいなくちゃ。あれ、これじゃまるで恋人じゃないか。
僕は一人でそんなことを考えながら鈴を起こし、
『野菜取りに行くよ』
と伝えると鈴は眠い目を擦りながら
『んー、どこに?』
寝ぼけてるだけ寝ぼけてるだけ。そう言い聞かせた。
『どこって前取りに行ったじゃないか、忘れたの?』
『え、わかんない』
畑の記憶を失った。僕はなんとなく悟った。
『あ、そうだ手帳見せて』
そうだ、忘れても大丈夫だ。大丈夫なように鈴は手帳を書いてたんだ。
『え、私手帳なんてもってないよ』
思い出を忘れないために書いてた手帳じゃないのかよ。それを忘れたらどうもこうもないじゃないか。僕は鈴が嫌いだ。
『あ、僕の勘違いだった。ちょっと散歩したいから準備して』
そう言った僕は鈴が準備している間に小屋のどこかにある手帳をくまなく探した。探したが一向に出てこない。
『準備できたよー、じゃーん』
鈴は昨日も着ていた緑色のニットを着て笑顔でポーズをとった。その瞳は汚れが一つもなかったことが僕は嫌だった。だがその綺麗な瞳を僕は覗き込んでみた。そこには終点はなくどんどん吸い込まれていく。急に頭が割れるような感覚に襲われた。痛い。なんで。しばらくするとすぐ収まったが、気づいた時には僕は鈴の手を強く握っていた。こんなタイミングかよ。鈴は忘れたけど僕は思い出した。僕は痛みと鈴の記憶を代償に一つ大きなことを思い出した。僕は鈴が好きだ。僕は鈴の手を握ったまま勢いよく小屋を出た。
『ちょっと、早いよ待って?』
今振り返って顔を見られたら記憶を失った鈴でも笑うに違いない。だから僕は振り返らない。前しか向かない。僕達は少しスピードを上げ森の中に入った。風が吹いたせいか少し森は騒ぎ始めた。
僕は鈴を引っ張り森を駆け巡った。しばらく経つと今日行った畑が見えてきた。わざとスピードを落としてみたが鈴は顔色一つ変えない。
『ちょっと、どこ行ってるのよ』
鈴は僕の手を振り払い息を切らしながら怒った。
『ご、ごめん』
何をしてるんだろう僕は。何も考えず膝に手をついた。すると下から鈴は僕の顔を覗き込んで顔を近づけてきた。
『顔赤いよ?熱でもあるの?』
鈴は昨日してくれたようにお互いのでこを当てて熱があるのか確かめた。どうすればいい。ちょっと前まで嫌いだった好きな人の顔が目の前にある。僕は一歩下がり言った。
『僕が誰だかわかる?』
鈴は少し寂しく微笑み
『私もしかして何か忘れちゃった?』
そう言った。僕の様子をみて本人も自覚していたらしい。
『ごめんね、でもちゃんと覚えてる。私は君が好き。君が恋人。これだけは絶対忘れない。』
昨日会ったばかりのずっと前から知ってる女は僕にそう言った。
『大丈夫だよ、鈴は畑の場所を忘れただけだからね。』
何を言ってるんだ。もっと男らしい、恋人らしいセリフを言えよ。僕は僕に言った。
『そっか!ならよかった!ねぇでも温泉の場所は何となく覚えてるよ!今日はちゃんと二人で入るよー?いいね!』
なんで鈴が気を使ってるんだよ。僕は何をしてる。それでも男か。
『そうだね、大丈夫、行こっか』
なんでお前が甘えてる。せめて謝れよ。
鈴はそんなことを考えている僕の手を優しくもって風呂へ案内した。僕を笑わせようと鈴は必死で話しかけてくる。やめてくれ。なんで鈴が、悪いのは僕なのに。風呂についてからも体どころか顔も見れない。すると目の前に肌色の景色が広がった。鈴が目の前にきた。裸のまま抱きついてきた。僕は何も抵抗しなかった。鈴は僕の唇を奪った。
『なんで泣いてるのよ?そんなに嬉しかった?』
鈴は再び僕の唇を奪った。やめてくれ。一番辛いのは、一番辛いのは鈴だろ。なのになんで僕が泣いている。なんでだ。何をしている。
神様がもしいるなら教えてください。今の僕は僕じゃないと言ってください。
僕はこの森に操られている道化師と言ってください。