僕と私
恋愛をした記憶のない僕は抱きしめた鈴をどうしてあげれば正解なのか分からなかった。しばらくすると外の雨は弱くなり鈴は少し泣くのをやめ僕に
『また泣いてる』
と言ってきた。また無意識に涙が出ていた。ただどこの誰だかわからない僕の彼女と抱き合っただけなのに。
しばらくしてお互いが落ち着いたタイミングで話をすることにした。この世界の事について。鈴はポケットからとても女の子が持つとは思わない渋いデザインでボロボロの手帳を取り出し見せてきた。なぜかどこかでこの手帳を見たことがある気がしたが今は気にしないことにする。鈴は
『驚かないでね。』
と言ってきた。今さら何を言われても僕は驚かない。鈴が僕の彼女という衝撃を超えることはないと思っている。
『私は時間が経つと記憶をどんどん失っていく、時系列は関係なく私の記憶がランダムに消去されていってるの』
ほとんど予想していた通りだ。
『ここに書いてあるのは私が記憶を無くさないように思い出を書いてあるの』
そう言って鈴は僕に手帳を見せた。
なるほど、意外と賢いなと少し悔しいが認めてしまった。手帳にはよく分からないことから聞いたことあることまでびっしり書かれていた。
根暗な男が来る、私の彼氏、料理が上手、掃除もできる、頼りない、優しい、私と同じ、大好き。おそらく僕の事だろう。僕は鈴に対してまだ好きという感情がない、いや思い出せないからだろうか、そのようなことが書いていても何とも思わなかった。しかしなぜか僕の名前だけは書いてなかった。
僕の事以外にもこの森の地図が書いていた。
風呂、畑、湖、見覚えのあるものばかり書いてあった。ただ地図の中に『声』と書いた場所があった。もちろん僕はわからないが書いた鈴もこの事はわからないらしい。
なんで君はそんなに悩んでるの?君が泣かないでよ、泣きたいのは私だよ?なんで私のこと覚えてないの?恋人だよ?このメモ帳もあなたが...私は心の奥底で叫んだ。私の事を思い出してくれない君がムカつく。君が嫌い。だけど君が好き。わけわかんないや。
私が考えて黙っていると君は急に口を開きいつものようにぼそっと言った。
『僕は鈴の事を好きって思い出せない。』
散々黙ってたのにそんなはっきり言わなくても、と思っていたが君は続けた。
『全然思い出せない。けど鈴が僕のことを好きなら僕は鈴をまた好きになるように努力したい』
少し上から目線なのが気になるが素直に嬉しかった。忘れていてもまた好きになってくれればいい。簡単な答えだけどとても難しい。
『努力したいじゃなくて努力するでしょ?』
上から目線されたから言い返してやった。なんて言うんだろ。私はドキドキしながら返事を待った。
『はいはい』
と呆れた返事をしてきた。
『私は忘れないからね。君のこと。』
聞こえるか聞こえないかくらいの声で言った。君は聞き返してきたけどわざと無視して
小屋の外に出て思いっきり叫んでやった。自分でも何を叫んだかわからない。とにかくいてもたってもいられなかったから叫んだ。
さっきまで雨音だけがしていた森の中は私の叫び声と君の笑い声だけが響いている。