身元不明
「やあジョニー。昨日のヤンキース戦は見たかい?」
最悪だった。9回裏でレッドソックスの猛攻を抑え投手が抑えきれなかった。思い出すだけではらわたが煮えくりかえりそうでラジオを別のチャンネルに回す。
「昨晩のレッドソックス戦でサヨナラツーベースを放った…」
コブは悪態をついてからラジオの電源を落とすとダッシュボードにあるタバコに手を伸ばした。
「おいコブ。大変だ。ホワイトハウスが吹き飛んだぞ!」
警察無線からいつもの笑えないジョークが飛んで来る。ダイハード4は賛否両論あるが悪い映画じゃない。
「ジョンマクレーンでも呼んでおけよ。こちらコブ警部補。お前レッドソックスファンだよな」
ざまあみろと歓喜の煽りが無線の向こうから聞こえてくる。
「いやー。悪いね。歴史に残る名試合だったな!」
何が名試合だ。途中までボロクソだったくせに。ふと窓の外に眼を向けるとマンハッタンが見えて来た。ブルックリン側から見るマンハッタンのビル街は毎朝見ても見飽きることはなく、スリルと希望が漂ったなんとも言えないオーラを発している。
「今日はポートアフェアの巡回か」
ベンはポートアフェアの巡回が嫌いで、なんで金曜は幸せな気分になるはずなのに朝から面倒な仕事をしなくちゃいけないんだ。と毎週悪態を吐くのが決まりごとだった。
「全く嫌な予感がするぜ。なんかこう危険が差し迫ってる匂いがする」
今までこの予想が当たったことはない。強いて言えば、誰でも目が合えば求婚してくると有名な駅の掃除係のレディに求婚された日は最悪だった。
「そうかい。オビワン先生はダースモールがやってくると不安か」
ブルックリン大橋に通りかかった。橋を渡っているとフルハウスを思い出してオープニングを思わず口ずさんでしまう。いつかサンフランシスコに妻と一緒に引越ししたい。それがコブの夢だった。
「その場合死ぬのはお前だけど大丈夫なのか?」
俺は死なない。ファントム・メナスは100回は観たし、ダースモールの動きはだいたい把握している。
「もうすぐ俺は駅に着くぞ。気を引き閉めろよ」
はいよ。と気の抜けた返事を聞いてから車を停め駅に向かう。途中でコーヒーを買おうと売店によるが、まいったな。この店員は太陽系外惑星出身っぽいなと思いながら恐る恐るコーヒーを注文する。
「1ドリュ25チェントでっせ。おわまりさん」
やっぱりだ。彼らに悪い偏見は全くないが事実として発音が酷い。全く聞き取れない。
「ああ。1ドル25セントかな?」
店員は笑顔で頷きコーヒーを手渡して来た。
コーヒーなんてだいたい1ドルちょっとだし困ることはないが彼らの母国語が一体どんな発音をするのか気になった。
バス停にはマンハッタンの職場へ向かうために世界中から人が集まってくる。ここは惑星間移動用高速バスターミナル:ポートアフェア。世界一混み合うバス停だ。テロリストだってここの喧騒には恐れおののき近寄らない。
「コブ!こっちだ!」
ベンだ。サブウェイのサンドイッチを片手に手を振っている。
「サブウェイの新しい子見たか?ゾーガン星から来たんだってよ。胸が3つあるんだぜ?」
コブにはベンがそれをセクシーだと思ったのか面白いと思ったのかわからなかった。おそらく前者だろう。
その時無線が何かを叫んだ。
「全部隊へ!ポートアフェアで爆弾のようなものが見つかった。現地にいる部隊は現場へ向かうように。付近にいる部隊は周辺の封鎖と整備だ」
大変なことになった。地球産の爆弾ならいいのだが未知の技術が使われた爆弾だと我々にはどうすることもできない。
現場に到着すると二人が一番乗りだったようで爆弾の周りには駅員と野次馬がいた。すぐに野次馬を爆弾から離すと駅員が声をかけて来た。
「我々もリストを確認して見たんですがね。どうもこれは地球のものじゃなさそうですよ」
それが本当なら我々に今すぐ処理することはできない。爆弾解除班を待つしかないわけだが一体どの範囲を立ち入り禁止にすればいいのか。もしこれがテロなんかじゃなくて敵対惑星からの宣戦布告でマンハッタンごと消し飛ばそうとしているのであれば何もできない。マンハッタンをソコヴィアよろしく天高く飛ばすなんて今では簡単にできる。
「敵対惑星による攻撃の可能性あり。現場だけでは処理できない。増援と命令を求む」
無線を入れるが返事がない。
「こちらコブ。返事がないぞ。どうかしたか?」
無線はホワイトノイズを鳴らすのみで返事がない。
「やられたか」
ベンは悪態をつき無線をしまうとコブに寄って来た。
「どうするよ相棒。こりゃ下手に動くと爆弾より先に事故が起こるぜ」
ベンの言う通りだ。この量の人間がパニックを起こせば駅のみならず街全体がパニックを起こしかねない。だからといって何もしなければ多くの命を失うことになる。
「とりあえず耐爆シートを被せるか?」
ベンが荷物の中を探りながら聞いたきた。
「おい。爆弾の基礎的な原理を忘れたのか?」
なおもカバンの中を探りながら答えた
「強い力で押さえつけるほど崩壊した時の威力が増す。だろ?わかってるさ。でも何かしないと。もしかしたらこいつで抑えきれるかもしれない。そうじゃないときは何しても無駄さ」
ベンはカバンの中の耐爆シートを見つけたようで人混みを避けるように広げた。穴がないかをチェックし留め具を拾い上げ爆弾に近づいて行く。
「おいベン。よしとけよ」
爆弾に取り付けられたランプの色が変わるのがコブから見えた。緑から赤に変わった。明らかに何か良くないことが起こる色の変化だ。
「ベン!ダメだ!」
ベンが何だと振り返ったその時、爆発は起きた。
「目が覚めたか?」
ベンの声だ。
「ようベン…前から言ってるだろ?俺らは死なないしダースモールも倒すって」
ベンは大きく息を飲み込みそして笑った。まさに抱腹絶倒でコブの腹を平手で叩きながら笑った。
「こりゃタイムパラドックスだな!クワイガンジンは死ななきゃダメなんだぜ?」
叩かれた痛みで徐々に意識がはっきりとしてくると見慣れない天井に見慣れないベッドシーツ。着心地の悪い服に気がついた。
「ベン。ここはどこだ?」
コブはベンの顔を覗き込みながらわからないのか?と言った表情で答えた。
「病院だよ。俺らのお陰でお前以外にけが人も死者もゼロだ!」
コブは思わずなんだって?と答えた。あれだけ混み合っていた駅内であの規模の爆発。自分より近くにいた人間が無事とは思えなかった。特にコブが無傷なことに違和感を覚えた。
「どういうことなんだ?何で俺が怪我をしてお前が無傷なんだ」
ベンは椅子から立ち上がるとカーテンを開き朝日を部屋に入れた。
「まあつまり。なんだろうな。俺は無傷なんだよ。死者もゼロだ。それ以上の説明はない」
その時部屋の扉が勢いよく開いた。あまりの勢いに開いた扉がそのまま閉じてしまい来訪者は扉の向こうへと再び姿を消した。少し間をおいてゆっくりと扉が開かれた。
「やあコブ君。調子はどうかね?」
署長だった。若い頃からお世話になっている恩人で親のようなものだ。
「まずまずです。ホフマン署長。ところでけが人も死者もゼロというのは本当なんですか?」
署長はおやおやと優しい笑みを浮かべベンの隣に腰を下ろした。
「今は休め。心配することは何もない。先ほど一体だけ死体が発見されたがすぐに身元が割れるだろう」
何かがおかしい。ホフマン署長は被害者のペットの犬の怪我すら記録に残すような男のはずだ。死体が一体見つかったって?そんなことがあれば彼なら怒り悲しみ調査に乗り出すはずだ。それ以前の問題として、あの規模の爆発で被害者が二人であることに誰も疑問を抱かないのか?
一週間が経ち怪我も癒えた。出張に出ていた妻のゾーイはまだ帰ってこられないらしい。署長は退院して一日経ってから職場に復帰せよとのことだったが居ても立っても居られない。まずは見つかった死体の調査を始めることにした。
死体についていくつかわかったことがある。地球人で身元不明、中肉中背で年齢はコブと同じくらいの働き盛りの年齢。DNA判定で大体の顔は判明しているが警察のデータに一致する顔が存在しない。左の薬指には指輪がはめられていることから既婚者である可能性が高い。爆発の高熱で溶けてしまっているが金の指輪だったらしい。私の指輪は爆発の衝撃を受けたにもかかわらず左の薬指にキチンとはまっていた。遺体保管室は地下にあり空調が効いているせいか遺体と2人きりでいるにはなんとも不気味な空気が漂っていた。
「全く困ったもんですよ」
検死官のDr.イームスがどこからともなく現れながら言った。コブは今まで他の警官と比べ死者の出る事件に出くわしたことが多くはないが、すぐにイームス先生だとわかった。その風貌は一度見たら忘れることはない。元医者だったものの先の大戦時に軍医として参戦し顔の左半分を失う事故に遭った。現場復帰を諦めていた頃警察が拾ったという経緯だ。
「君も爆死しかけたんだって?ここに並ばなくてよかったね。それか俺みたいに…」
悪気はないようで話を続けた。
「今の時代、警察のデータに顔が載ってないなんて産まれてないか貧困層育ちかだ。貧困層育ちがポートオーソリティにいるとは思えないし、貧困層から成り上がったのだとしたら絶対に警察に登録しているはずだ」
イームス先生は回転椅子に勢いよく座り遺体を見つめた。
「先生はおかしいと思いませんか?被害者が一人なんて」
イームス先生は豆鉄砲をくらったような顔をした。
「何を言ってるんだ?君だけが生き残ったんだぞ?早くこっちに帰ってこい。ゾーイを一人にするな」
その時窓の外で大きな雷が鳴った。ついさっきまでは綺麗な青を輝かせていた空はあっという間に曇天へと変貌していた。
「何を言ってるって、先生こそ何をおっしゃってるんです?」
再び大きな雷鳴が轟いた。
「おかしいとは思わないか?ここは地下だ。なんで雷鳴が聞こえる?」
イームス先生はついに気が狂ったしまったのか?そんな考えがコブの頭をよぎるが先生は何も間違えたことを言っていない。事件のことに関すること以外は。
「その前に俺だけが生き残ったってどういうことです?」
イームス先生は椅子から立ち上がりコブの方へ歩み寄った。
「いいかコブ。君はこのままでは死ぬ。君には見えていないかもしれないが、このままではそこに横たわる遺体同じことになる。いいか。そこに横たわる遺体は君の1つの可能性だ」
またもや激しい雷鳴が轟きコブは思わず窓に目をやった。見たこともないような厚い雲と止まることのない稲光が空を支配していた。
「私から目を背けるな」
イームス先生はコブの目の前に顔を近づけ息を荒げた。コブは驚かされ先生の方へ顔を戻すがそこに先生の姿は見当たらなかった。そのかわり先ほどまで遺体保管室だった地下室はどこかの病室になっていた。
「覚えてるかしら。私たちが初めてあった時」
ゾーイだ。そこにゾーイがいる。駆け寄るが何か透明な壁に阻害された。ゾーイは誰かが横たわっているのを見つめているがコブからはよく見えない。
「ねえコブ。目を覚まして。どんなに辛い道が待っていても私は一緒についていくわ。だからお願い。目を覚まして」
そこにいるのは俺なのか?俺はここだ。ゾーイ。俺はこっちだ。そこにいる俺は誰なんだ。
「あっちが君だよ。無論君も君だがね。実体はない。これも君の潜在意識か何かが見せている夢のようなものさ。耳は死にかけても機能することがあるから外の世界の投影だろう。君はあの爆発の唯一の生き残り。新型の爆弾でね。半径数メートルの範囲を完全に爆風もなく消しとばす。君はその半径ギリギリに立っていたんだよ」
イームス先生だ。
「なんであなたがここに?」
イームス先生は両手を広げ答えた。
「私は医者だ。助からない人を助ける仕事をしている。覚えておくといいぞ。常識だからな」
つまり俺は死にかけているのか?夢だと?ちくしょう。何が何だかわからない。
「まあ落ち着け。除細動器による蘇生はひとまず成功した。あとは君次第だ」
イームス先生はコブの後ろを指差して続けた。
「あの光を目指せ」
振り返ると遠くに優しくおぼろげに光る点が見えた。
「イームス先生。でも」
すでにイームス先生はどこかに消えており、ただ声だけが聞こえた。
「急がないと手遅れになるぞ。君は蘇生されたが、死んでいるわけでも生きているわけではない。時間はそんなにないからな」
「先日のヤンキース戦でサヨナラツーベースを打たれたレッドソックスは今季の優勝は厳しいでしょうね」
またこのニュースだ。いい加減にしてくれ。一度負けたくらいでなんだって言うんだ。ラジオを止めようと手を伸ばすが体が思うように動かない。
「コブ…?コブ!」
ゾーイの声がした。
「私よ。わかる?」
わかるとも。君の声は忘れない。
「ラジオのチャンネルを変えてくれ」
やっと声をひねり出した。それでも思うように声は出ずゾンビのうなり声のような声色だった。
「チャンネルを変えて欲しいのね?」
ゾーイは辛うじて聞き取れたようで慌ててラジオのチャンネルをひねった。
「ポートアフェアの爆破テロによる死者は現時点で300人を超えています。朝の通勤ラッシュ中の出来事で行方不明者の数は増えていくばかり。唯一の生存者とされているニューヨーク市警のコブ氏は現在も意識不明。目撃者によると、もう一人の警官と勇敢にも爆弾解除に乗り出していたとのことです」