005 託宣 ~ユーエッセイの美しき歌姫~
<大地人>たちが住まう、神殿を中心とした村、<ユーエッセイ>。
この村には静かな祈りが満ちているようだ。
そんな中にあって、只管に素振りを続ける女性がいる。金色の髪を揺らしながら一心に剣を振るう姿は、祈りそのものにも見える。
「一万!!」
ふー、と息を吐き、腰から取った手拭いで額を拭う。
それまでの凛とした表情は霧のように消え、ふらふらと歩いたかと思うと大岩によじ登り、日だまりに寝転ぶ猫のように身を横たえた。
狐尾族の耳や尻尾は見えなくすることも可能だが、彼女はそれを隠そうともせずぱたりぱたりと振った。
「つめたくってきもちいいーん」
どれだけそうしていただろうか。大岩のもとに落ちる木の影も随分と伸びていた。
「寒っ、さむさむさむ」
尻尾を股下から胸元へ回し、抱き枕のようにして胸元に抱えながら彼女は立ち上がった。
<冒険者>の皮膚感覚からすれば、五月の風など寒くもなんともないだろうが、気分的な問題なのだろう。それとも、黙って立ち上がるような起き方は彼女の信条にそぐわないだろうか。
「なあなあなあなあ、クエスト早くくれよーう。巫女様ー」
大岩から大跳躍して、彼方にある人の背ほどの朱い柵を、いともたやすく、そして華麗に飛び越えた。
朱い柵の内側は<エインシェントクインの古神宮>と呼ばれるゾーンになっている。白い玉砂利を音を鳴らして駆けていく。すると、前方に老婆が立ちふさがった。
「何遍言ったら分かるんじゃ、この狐娘が!」
「うへえ。モンスターかと思ったじゃないか」
名高い<エイスオ>のカルファーニャ家の古エルフと同じくらい年をとっているのではないだろうかと疑いたくなる。
「ここはご神域。<冒険者>といえども狼藉は許さんえ! 静かに脇を歩けぃ」
「へいへーい。なあなあ、お葉婆はクエスト知らねえ?」
お葉婆は、<大地人>である。<エルダーテイル>時代からこの場所にいたのだが、その当時は誰も彼女に名前があるなど知らなかったことである。
クエストが起こる条件を満たした時には、プレイヤーの名を呼び「こんな話を聞いたことがあるかえ?」と語り始めるので<判定バアさん>の通称はあった。
「そんなもんは知らんわ」
「へーい」
諦めて立ち去ろうとした瞬間。
「ああ、お主、<たんぽぽあざみ>と言うたか」
ぴくりと狐娘の耳が動いた。
「<シバ荒神の代替わり>という噂は聞いたことがあるかえ?」
あざみは心の中で快哉した。ゲーム時代なら「クエストキタ━(゜∀゜)━!」と叫んでいたところだろう。
あざみはまた無礼を叱られるのをものともせず、乱暴に境内を駆けた。こちらは「じっとしておけば美人なのに」といわれるタイプのがさつさだ。
拝殿に入ると<ユーエッセイ>の歌姫の神々しい姿があった。
さすがのあざみも静かに背後に立つと、腰を下ろして振り返るのを待った。
姫は振り返ると鈴の音のように清涼な声が響かせた。
「そなた、名はなんと」
「たんぽぽあざみ」
「そなたの夢を見ました。そなたが強き友を連れ<カグラデンの大岩戸>に向かい、狂える柱を戒める夢をみたのです。
今、この世は、奇しき魔法により天地転変の時を迎え、森羅万象より出でし荒ぶる神々は新たな代へと成り代わろうとしております。
なかでも<ハイザントイアー>の<柴挽荒鬼>は新しき群れをなし、人里に下りては人畜を襲うようになりました。
そなたが柱を戒め、<柴挽荒鬼>の荒ぶる魂を鎮めることが私の夢であり、民の願いでもあります。どうぞご武運を」
あざみは静かに頭を下げて、託宣を受けた。
これが<ユーエッセイの託宣>である。姫の歌声を頭上に受け、煌くエフェクトに包まれると、あざみは力がみなぎるのを感じた。
あざみはプレイヤー歴で言えば、ギルドマスターの桜童子に比べれば遥かに短い。しかし、高二の夏を不眠不休でこの<エルダーテイル>に費やしたほどのプレイヤーである。託宣の内容が「パーティを組んで、<ナインテイル>中央に赴き、モンスターを討伐して鎮定せよ」というクエストであることが容易に聞き取れていた。
問題はパーティだ。この街ではなぜか念話をしようとするとエラーマークが脳裏に表示される。施設の何かに妨害されているようだ。
託宣の内容によっては、極秘裡に進行すべきものもあるからなのだろう。そんなゲーム的配慮が街にも機能しているのかもしれないが、とにかく、街を出るために欲しい道連れも見つけられない状況である。
意外に難題かもしれなかった。
街は静かだ。<エルフ>の質素な家々を<ヒューマン>の家が守るように建っている。<セルデシア>の歴史からすると、実におかしな町並みだが、そのようなことをあざみは知る由もない。外を駆ける子どもの姿も、商いを行う大人の姿も見られない。
夕暮れなのに、ひっそりと寝静まっているようだ。あざみは町の外れまで来た。
向こうから男が歩いてくる。軽装備だが、盛り上がった筋肉がいかにも屈強な<冒険者>だと感じさせる。かなり離れた位置にいるが、夜目の効くあざみには、その姿がよく見える。
あざみは腰の刀に思わず手が伸ばした。そのくらい男は危険な空気をまとっていた。
「おい」
男の胴間声が届く。これが<レギオンレイド>の最中ならとてもありがたいが、ただでさえ静かな町にはいらぬ声量だ。耳元で叫ばれたかのように聞こえる。
「そこの狐女! ここは<ススキノ>か!」
苛立っているのは間違いない。ここが<ススキノ>から遠くかけ離れていることは、景色を見るだけでよくわかるだろうということも間違いない。
「いいや。アンタ何者よ」
「ち、またか」
ステータスには<ヨサク>/<種族 人間>/<武闘家Lv.86>などの情報が並ぶ。切り替えると<ブリガンティア>など所属ギルドや、<採掘師>といったサブ職業などの情報が読み取れる。
「ここらにゃ、食い物屋はねえのか。酒があったらそれでもいいぞ」
あざみは尻尾をふわりと揺すって「知らないね」と答える。
「というより、味のあるものなんてここらじゃ見かけないね」
「おい、狐女。強そうだな」
「アンタの筋肉も見掛け倒しじゃあないんだろ」
十メートルほどの距離で顔を見合わせる。
「なあ、俺と一緒に<エッゾ>に行かねえか」
「アタシは<ハイザントイアー>に行きたい」
「どこだそれ」
「<エッゾ>ではないね」
「そもそもここどこだよ」
「<ユーエッセイ>。<ナインテイル自治領>の小さな村さ」
ヨサクは頭をかいて笑った。
「かっ! 全然前進してねえな。あれだな、サイコロの旅みてえなもんか」
「はあ?」
「いや、こっちの話だ。なあおい、腕試しをしねえか。オレが勝ったらオレの家来になれよ。負けたらオレがついてってやるよ」
「ナンパにしちゃ下手だねえ。っていうかアタシに負けるようなヤツなら付いてきてもらっても困る」
あざみは身構えたが、ヨサクは身構える様子はなかった。
「慌てなさんな。戦闘行為禁止区域らしいぜ。それに、アンタは魅力的だから傷つけるのは惜しいな」
「自信家だね。そんな人を膾に下ろすのが、アタシ大好きなんだけど」
「くかか、怖いねえ。気に入った! フレンドリストに入れときな。なんかあったら助けてやんよ」
呵呵大笑するとヨサクは踵を返して夕闇に消えていった。
あざみは緊張を解いたが、右手がぷるぷると震えていた。
実世界でも剣の覚えのあるあざみであるが、真剣を帯刀しての戦いは当然ながらこちらに来てからが初めてである。
だらだらしているのが好きな割に、何かにハマると驚くべき集中力でのめり込むあざみであるから、すでにここ数日で百体近くのエネミーを討伐している。その中でようやく、サブ職業である<武侠>としての本領を掴みかけたところだが、まだプレイヤーと戦った経験はない。
ヨサクを相手にするには少々荷が重い。
やはりヨサクを旅に連れて行こうと思ったが、もうどこにも姿は見えなくなっていた。
竹林の中に、野蛮なのにどこか惹かれる香りがまだ残っているような気がした。