041 魂の眠る井戸の底より
上の層の氷結が完了した。
黒夢とタケトノが監視するため上に残り、桜童子とシモクレン、イクスと山丹が下に駆けつけた。
山丹の背には椅子を再び取り付けてある。黒夢の本体も連れてきている。何かあるときは<ソウルポゼッション>か<キャスリング>も可能だ。
「何ぃー、このふわふわ! 最っ高に可愛いんですけど!」
桜童子を初めて見たフルオリンが喜びの声をあげる。船上ではどうやら桜童子の姿を見逃していたらしい。
「おいらはその椅子にまたがってた桜童子だよー」
「あー! 声だけの人! じゃあいいところに来た! 滑り台作って! 滑り台」
「盾ロケットするから、少し飛び上がるための氷のジャンプ台がほしいにゃりね」
回復したヨードがゴホゴホと咳をしながら言った。
「あいつ、膝が少しだけ防御力低いから、そこにロケット打ち込むの」
せっかくの<口伝>も本人が名前を覚えないせいで、みんな<ロケット>と認識している。でも、そのおかげで桜童子も作るべき氷の台が分かった。
「<ウンディーネ>」
空中ではあざみとヨサクが、曲芸でもするかのように息の合った連携を見せていた。
<ワイバーンキック>直後の無防備になったヨサクの身体を踏み台にあざみが舞い上がる。ヨサクの体に加速がついて左の拳の攻撃を下方に免れる。
飛び上がったあざみはそのまま斬撃につなげる。狙うのは龍眼の指示により左の肩口だ。
背後に回り込んだディルウィードとてるるが背中から攻撃を食らわせる。それでもHPの減りは微量だ。
大事なのは頭部の攻撃で意識を散らすことだ。これは他のメンバーが息をつく間もなく継続している。ハトジュウも目を狙って飛び回る。
最前線で構えるイタドリの横をとたとたとたと走ってきたヤクモが手に持つ何かを敵の膝に貼り付けた。
「させるか」
敵が金棒を両手で持とうとしたので、クロラインは抜刀して敵の耳のあたりを激しく切りつける。
「ハギパパー危ないお使いさせちゃダメー。ダメパパ、ダメパパー!」
イタドリが叫ぶと同時にタウンティングを行う。
フルオリンが両手を合わせ上下の盾を突き出す。
「最、硬、ロック、オン!」
そんな機能はないが、命中しそうな気分だけは高まる。実際には龍眼が<トゥルーガイド>で照準を合わせ命中精度を高めていた。
金色の弾丸となってフルオリンが射出される。ウンディーネに張らせた氷の滑走路を滑って宙に舞い上がる。膝に貼った札に命中し爆発する。
札を貼った対象がピンポイントで攻撃を食らうとダメージを倍加することができるとっておきの霊符だ。しかもクリティカルヒットだったらしい。これには<羽坂の狂戦士>も膝を屈した。
「行け! 火力、左肩に集中させろ」
一斉に肩周りに攻撃を加える。しかし、近接攻撃組が攻撃に移ろうとした瞬間、腕をじたばたと振り回し始めた。貫通攻撃なので迂闊に近寄れない。しかもヘイト無視で近くに寄ったものを叩き落とそうとしている。
「斬るぞ! インフェルノ・・・・・・」
アリサネが消えた。
同時に<羽坂の狂戦士>の頭上に現れる。アリサネの周囲の空間が歪んで見える。
「ストラ・・・ごふっ!」
振り払った左手に吹き飛ばされる。肩の切り口は浅く、多少炎の継続ダメージが残ったくらいだ。
すかさず、あすたちんがヒールに回るが、ダメージは大きい。
「あっはーん、あんたバカ? 今蘇生したばっかりで陽動もなしに突撃とか。胸ばっか見てないで何か言いなさいよぅ」
「ハハハ。<シンギュラリティ>同時発動だったから、いけると思ったんだ。ほら、貫通ダメージじゃないから、装備も砕けてる」
「ああ、だから死んでないのね! ってやっぱりバカでしょ、この人。その技、魔法封じじゃない。物理ダメージまで消せないから、一歩間違えてれば死んでたよ」
桜童子は、今の一撃で勝機を見出した。
「いや、今のは間が悪かっただけで、狙いは良かった。貫通攻撃から物理攻撃に切り替わる瞬間、<ルークィンジェ・ドロップス>の位置が分かったからな。落とすのは左腕全体じゃなくていい。薬指の付け根だ」
言った桜童子の首元に<死神鎌>がかかる。
「おい、時間切れだ。もうすぐ氷が砕かれる。戻れ」
黒夢が本体に戻ったようだ。
「いや、黒夢くん。そっちは任せる。龍眼さん、みんなを率いて先に上がってもらえるかい。それからドロップ品は期待しないでくれ」
「それは想定済みだ。欲張ることはない。誰を残す」
「フルオリンさん。さっきのロケットもう一度撃てるかい」
「まかせなさぁぁい」
「おいらが<ルークィンジェ・ドロップス>を切り離す。あとはHP削るだけだ。たんぽぽ! レン! ハギ! ディル! ドリィ! 行けるか」
みんな当たり前、といった様子だ。
「オレも残るぞ! あんちゃん! リア姉ちゃんと残るぞ!」
「ユイ、リア。無理はするなよ」
「了解」
サクラリアもユイも嬉しそうだ。
「あー、じゃあみんながんばってくれー。オレ様はこれで」
バジルは逆に逃げたがっていた。
「ハギ、<現身符>はあるか」
「ありますよ。椅子に貼るんでしょ」
「わかってるじゃないのー」
「と、止めねーのかよ。おーいウサギー」
「バジル! おいらがここに立ってるから、上はきっと大変なことになるはずだ。行ってくれ。頼んだぞー」
てっきり無視かと思えば役目が割り振られてバジルも少し気を引き締める。
「お、おう」
龍眼のあとについてバジルが螺旋に消えていく。他の者も次々と螺旋に消えていく。
「ヨサク!」
「なんだ女狐」
ヨサクは螺旋の入口で振り返った。
「もうちょっと一緒に戦ってよ!」
今のあざみが言える最大限の言葉だった。ヨサクは首を回して音を鳴らす。そして微笑む。
「ああ、いいぜ」
ハトジュウが頭部への攻撃を継続しながら飛び続ける。膝を屈した<羽坂の狂戦士>は金棒に両手をかけようとしたので、ディルウィードが阻止する。
桜童子とシモクレンがいつものように椅子に同時に腰掛け、桜童子が姿を消す。しかし、<現身符>を貼ると再び桜童子は姿を現してしまった。<現身符>は隠蔽状態を解除する性質があるのだ。
フルオリンは<天盾地弾>の準備をする。
障壁を張ったイタドリが先に出る。<キャッスルオブストーン>を放ったイタドリめがけ<羽坂の狂戦士>の拳が幾度も振り下ろされる。
その背後から<紅旋斬>を発動させたあざみがワイヤーで釣られたように現れる。
ヨサクが空中ブランコのようにあざみの足を掴むと体をひねって投げ、振り払う貫通攻撃の手を避けた。宙を舞うあざみは<羽坂の狂戦士>の顔を何度も斬って、再び飛び退る。
今度は地面から垂直に<ワイバーンキック>を放って飛び上がったヨサクの手を握り、<羽坂の狂戦士>の突き出した左腕めがけて放り投げる。重力がなくなったかのようにふわりと左腕に着地したヨサクは、そのまま腕を駆ける。
「オォオオリオンディレイィィ! ブロォオオオオオ!」
無数の拳を繰り出すヨサク。再び飛び上がったあざみが左腕を切り裂く。鉄のような腕にも顔面にもひびが入りだした。
「最! 硬! ロック、オン! 椅子抱っこバージョン!」
「そのままぶつかられたらおいら粉々だけどな。じゃあ、みんな離れろー」
「いっくよぉおおおお! ゴォオオオオオオオオオオオオオ」
放たれたフルオリンが<狂戦士>の左膝を狙って突き進む。いや、少し逸れている。
あざみとヨサクが離脱する。イタドリも離れる。
フルオリンの体が<狂戦士>を貫いたように見えた。だが、すぐ脇をすり抜けただけでどこにもダメージを与えていない。そして桜童子がいない。
なんと、<狂戦士>の足元に椅子ごと置いてきたのだ。
粉々にたたきつぶそうと八メートルの高さから<狂戦士>が左手を振り下ろす。
桜童子は動じない。椅子につけた<現身符>を剥ぎ捨てる。
手が押しつぶす。激しい音。土埃が舞う。
「ソードプリンセス」
椅子の上に立った桜童子と、甲冑姿の戦女神が埃の中から現れる。
貫通攻撃とは即ち肉体以外の物質透過能力なのである。
椅子を叩き潰すように振り下ろした左手は、この能力で桜童子だけにダメージを与えようとしていたのだ。
桜童子は<現身符>を剥ぐことで、瞬間的に「隠蔽状態の解除」を再解除したのだ。
一瞬早く姿を消した桜童子は、椅子と同体と見なされて透過されてしまった。
完全に伸びきった身体ほど斬りやすいものはない。ソードプリンセスの剣は、床ごと<羽坂の狂戦士>の指を三本も切断してしまった。
「<ルークィンジェ・ドロップス>は手に入れた!」
ここからは、物理攻撃のみ。桜童子は指の一本を拾い上げると、<ブリンク>で後方に下がる。狂気に駆られた敵に、椅子は完膚無きまでに叩き壊されてしまった。
桜童子の腕の中で、切られた指は泡となって消え、深い青の宝石だけが残った。その青は、このセルデシアの地底のその下に眠る魔法物質と同じ色をしている。きっとそこから生まれ落ちた雫なのだ、と思えてくる。
<ルークィンジェ・ドロップス>を奪われ物理攻撃しか出せない<狂戦士>は荒れ狂う。
しかし、金棒を振るまでの周期は長くなり、回数も減った。<ルークィンジェ・ドロップス>が怒りを助長し、攻撃回数を増加させ、その頻度を高めていたのは明らかだ。
紙一重で躱す必要がなくなり、攻撃に専念できるようになったため、そこから<狂戦士>のHPが底を付くのはあっという間だった。
最後の一撃は、ユイのかかと落としだった。
「ワレノ恨ミヨ、ノロイトナッテコノ者タチヲオシツブセ。カエルベキ場所ニカエレヌ迷イ子ヨ。ワレトトモニコノ地底ヲサマヨイ、冥府ノ闇ヲ旅スルガヨイ」
<狂戦士>の身体が明滅を繰り返す。その間隔が短くなる。
「自爆する気だ。離脱するぞ!」
<狂戦士>の体は高密度の光となり、爆裂し、光の柱となる。ドーム型の天井を光が突き破ると、恐ろしい地鳴りが聞こえてくる。
そして大量の水が降り注いできた。滝だ。落差が百メートルを越す巨大な滝だ。螺旋に逃げた冒険者たちを次々と飲み込む。その水の勢いで、地上へ地上へと押し上げられていく。
上の階で戦っている<冒険者>たちも水に飲み込まれる。水の渦できりもみ状態になりそこから、静かに浮かび上がっていく。しかし、脇道からも水が流れ込んでいるのであろう。水の中から空気との境目は見えない。
息がもたない。
そこに桜童子のペイントした横穴の入口が現れる。ここで気を失えば命はない。命を落とせばボスとの戦いで得られる大量の経験値は〇になる。
みな必死で横穴を目指す。
横穴にはまだ空気がたくさんある。途中もがくように襲いかかってくる敵とすれ違うが、そのままきりもみ状に落下していき、水圧で潰された。ゆっくりはしていられない。
心配なのは山丹とイクスとユイだ。ユイはサクラリアが手を引いている。山丹もイクスも必死にもがいている。水中で使えるかは疑問だったが、ウンディーネに氷のボールを作るイメージを伝える。すると、山丹とイクスを包む氷が出来上がり、浮力で急速に浮き上がっていく。
次の横穴で全員の生存が確認できたので、龍眼は緊急転移呪文を唱える。
全員びしょ濡れのまま、<サクルタトル城址>の枯れた草の上に横たわる。もう日は傾き、夕焼けが辺りを包んでいた。
ヤマト一深い井戸の周りに取り巻く螺旋型ダンジョンを降りていったのだ。桜童子はこのような水責めに遭うことを想定して空気を保てる穴を用意していたのだ。
ただし龍眼のおかげで最下層の二つしか使わずに脱出できた。全員が辛くもこのダンジョンを脱出することができたのだ。
フォスフォラスが横笛を取り出して、曲を奏でだした。
全員が聞き覚えのある曲で、顔を見合わせた。
「レベルアップのBGM!」
みんな楽しそうに笑った。
全く聞き覚えのないはずのユイが一番喜びに満ち溢れていた。




