004 出立 ~西へ、仲間のいる西へ~
空はよく晴れていて、風は花の香りに満ちている。照り返す木々の緑は生命力に溢れている。歩いているだけで気分が良い。歌声も弾む。
サクラリアの歌は、<大地人>であるヴィバーナム・ユイ・ロイの心にとてもよく響き渡るようだった。「もう一曲歌ってくれ!」とねだられたから、ついつい三曲も歌ってしまった。最初は単なる鼻歌だったのに。
「姉ちゃん、すげえなー。<ユーエッセイ>の姫さまも結構な歌い手だって聞いたけど、姉ちゃん負けてねえよ、きっと」
「ユイ、その姫さまの歌、聞いたことあるの?」
「あるわけねーよ! でも姉ちゃんの歌は絶対にそれ以上だ」
まったく根拠はないが、そこまで太鼓判を押されると自己肯定感が増してくる。なんだか本当に歌がうまくなったように思えて、また鼻歌が漏れ出してくる。
「っていうか、ユイ。おウチに帰んなくって大丈夫なの?」
「言ったろ、オレは<古来種>になる男なの! 困っている人を助けにいくんだ。この拳は正しいことをするためにあるからな。なあ、姉ちゃん困ってねえか」
それは困っている。<ツクミ>はとても懐かしい潮風を運んでくれるが、仲間のいる<サンライスフィルド>までは遠すぎる。この世界の距離感でいえば西へ六十キロメートルほどか。
このモンスターだらけの世界では、サクラリアひとりでは一日六キロメートルも歩けない。たとえ遠足程度の距離でも、今のサクラリアにとっては果てしない距離に思えた。
「西へ行きたい。仲間のいる西へ」
サクラリアはユイを見つめて答えた。
ユイは真剣に考えていた。
ふたつ返事で「任せとけ!」とユイが言うのを少し期待していたサクラリアは、反省した。
ユイは強いが、年齢は自分の半分ほどではないだろうか。さすがにそれは言いすぎか。それでも三分の二ほどでしかないはずだ。
そんな少年を決死の旅の道連れにしようとしていたのだ。それどころか、ユイをゲームの中の便利なキャラクター<NPC>として見ていた。
「ごめん、ユイ。いいよ、私一人で行くよ」
サクラリアは眉根をくもらせて謝った。
少年は慌てて手を振った。ぶんぶんと顔の前で手を交差させている。今の沈黙は、臆病から生まれたと考えているなら誤解だとでも言いたそうに。
「待って、姉ちゃん。オレ、姉ちゃんを守るよ。ただ、どうやったら安全か考えてたんだ。姉ちゃんは武器が使える<吟遊詩人>だろ。オレは<暗殺者>だから、隠れながら姉ちゃんを護衛するフォーメーションになると思うんだ。とっさの時は、さっきの熊の時みたいに、オレがヘイト高めておびき寄せればいいんだけど。敵に囲まれたらちょっとまずいなあって思ってさ。だから壁役が欲しいなあって考えてたんだ」
「た、頼もしい」
サクラリアは感心した。彼は<冒険者>より<冒険者>らしい。<大地人>の少年は、どうやら誰かに<冒険者>のような戦い方を習ったようだ。
「壁役かあ。壁役って、盾職だよね。<武士>か、<守護戦士>か。うーん」
サクラリアはあざみとイタドリを思い浮かべる。
「あと壁役っていうと、<武闘家>ね。それもぜいたくだっていうなら<盗剣士>でもいいや。いないかなあ、近くに」
「うーん。オレと姉ちゃんが離れなけりゃ<武闘家>でもいいか」
「でもさっき<梟熊>と向かい合ってみて、すっごく怖かったのよね。いや、私は背後から近寄っただけだけど。強いとか巧いとか以前に、肝が座ってなきゃいけないと思うんだ」
サクラリアがほっぺたを膨らませて思案する様子を見て、ユイはくっくっくと笑う。
「荒くれたのと組みたいって? 姉ちゃん悪い奴が好きなのか?」
「ちょ、そんなことないよー。私には心に決めた人がいるのです」
ユイはニヤニヤしながら言った。
「姉ちゃんの恋路はオレが守る!」
「イケメン台詞言うなら顔の表情と合わせなさいよー」
サクラリアとユイはほとんど半日以上を費やして旅の準備をすすめた。準備といっても徒歩での移動になるため、食料や寝泊りするための道具を揃えるだけで、本格的な旅準備というには程遠かった。
そもそも大きな店がなく、人もあまりいない村だ。声をかけるべき<冒険者>もないし、毛布すら手に入らない。仕方ないので助けてくれたおじいさんの所に戻り、毛布を譲ってもらえないか相談することにした。
手に入れたいのはまだある。地図が手に入らないのだ。コンビニエンスストアも本屋もないことが、異世界に来ていることを実感させる。ほぼ真西に進んでいけばたどり着けるとおおまかには考えていたが、やはり非常に不安だ。
不安ではあるものの、それでも、サクラリアの旅立ちの決意は固かった。
家にもどり、祖父によく似た<大地人>に毛布や地図を譲ってもらえないかと頼んだ。
「毛布ならいくらでも持って行けばいいが、地図は無理だ。あんな高級品を持っているものは、ここらにはおるまい。でも、何だってそんなものがいるんじゃ?」
そこでサクラリアは旅を決意したことを説明し、丁重に感謝と別れの言葉を述べた。
「一人旅なんて、可愛いお嬢さんがするものではないですぞ。<冒険者>だからといって無理などできるものではないでしょう」
「モンスターはおるけんど、魔法は使えるもん。万が一死んだち言うても<大神殿>で復活できるんやないかって思うんよねー。むしろそっちの方が移動が早い気もするし」
祖父によく似ているので、サクラリアの言葉にちょっぴり方言が蘇る。
「死ぬよりも恐ろしいこともあろうて」
老人は眉を顰め、細い目をさらにシワのように細めた。
「一人じゃ何もできないけれど、仲間がいればなんとかなりそうな気がする。私、仲間できたんだ」
「止めても無駄ですかな」
「これから私、仲間を増やしていくよ。もう、行くね。<ツクミ>のじいちゃん」
老人の表情にあるのは、ひょっとすると別離の悲しみなのかもしれない。
どこの誰とも分からぬ宇宙人のような娘を拾い、たかだか数日世話をしたというだけである。それが、<大地人>一般の感覚であろう。
だが老人は、しきりに目頭や鼻を押さえていた。
「これが、<冒険者>の習性というものでしょうな」
サクラリアは胸が熱くなった。老人の皺だらけの手を取り、別れの気持ちを歌で綴った。
<虹のアラベスク>と同じエフェクトが二人を包む。老人は驚きの表情を浮かべたが、特別な効果が発現したわけではない。それでも老人の心には、遠く離れた友を想うサクラリアの心が十分に伝わっていた。
外でユイは待っていた。緑に包まれ波に半壊した防波堤の上に腰を下ろして。その目は遠くの海の彼方を見つめていた。ツンツンの髪が潮風にゆれる。
「オレは世界を救う男になる。待っててくれ、兄ちゃん」
ユイのつぶやきが聞こえる。彼は<冒険者>ではないので今のつぶやきは念話ではない。
その表情は真剣に見えた。
ユイはサクラリアに気づき、立ち上がる。
「あ、姉ちゃん。もういいのか」
「うん。これもらった」
サクラリアは青い石のはまった首飾りを見せた。
「綺麗だな。よく似合ってる」
「イッケメーン」
「姉ちゃんのその意味不明な掛け声、わけわかんねえけど、何か力出るな」
「うん。悪い意味じゃないよ」