145 海上戦闘参戦●
■◇■12.1 ゴサマル
「間に合ったー!」
籠から身を乗り出すあざみ。<飛魚>が揺れる。眼下には夕陽を照り返して輝く海。
「ちょ、ちょ、ちょ。たんぽぽちゃん!」
「しっかり掴まっといて。タララオ! アタシ飛び降りたら戦場から少し離れた安全な位置に着陸して」
「わかった!」
海上は異様な光景が広がっていた。
五、六メートルはあろうかという巨大な霊体が二つ。
その斜め後ろに小山のような海水でできたスライム状の何か。
そして、その周りを取り囲むように浮かべられた大量の筏。その上を見知った顔が跳ね回っている。
少し離れた位置に<la flora>。
敵を挟んで<リューゾ>家の姫巫女ヴェシュマの戦艦。<クェダ=ブラエナ号>だ。しかし、何かおかしい。
「じゃあ、行ってきます」
決断したあざみを止めることは得策ではない。しららんは迷わず反応回復呪文をかけた。籠の底に腰を下ろして、ジロラオを抱き止めながら声をかける。
「たんぽぽちゃん! 無茶しておいで。私がついてるんだから!」
「さすが親友。アタシの動かし方わかってるぅー!」
あざみが籠を飛び越え、すっと空中に身を踊らせる。反動で籠がぐらついた。
しららんはタララオとアウロラにも手を伸ばして、懸命に支える。
あざみには<軽身功の腰布>がある。さらに<武侠>の派生技から神仙的な身のこなしも可能だ。
数メートルなら水面を走ることだってできる。
あざみは躊躇なく、高さ十数メートルの空中から一つの筏に舞い降りる。
筏には、火炎耐性の施された盾が亀の甲羅のように配置されている。きっとツルバラのアイディアだろう。
燃える砲弾の軌道を逸らして海中に落とすための設計だ。ということは、何も考えずただ着地しようと思えば、つるっと海中に落ちることになる。
あざみは筏の中心を蹴る。転がるように身を捻ると海面を蹴って別の筏へ。
大したものだ、とあざみはツルバラに感心した。万が一足場が壊されてもこれだけ大量に筏があれば、別の筏に飛び移れる。
ツルバラは「爆発する砲弾を受けても沈まない船」というオーダーに、「たとえ一部が壊れても沈んでいないものに飛び移ればいいというだけの、砲弾のダメージを受けにくくした大量の筏」という形で答えたのだ。
「ちゃんとにゃあちゃん、褒めてあげたかな」
<クェダ=ブラエナ号>に乗っているであろう桜童子の方を見る。そして、驚く。
なんと<クェダ=ブラエナ号>は敵より高い位置にいた。
「何あれ」
「あれは、<ペンギノ>の守り神、フククジラやね」
あざみの到着に気付いたシモクレンが、筏を飛び移りながら近づいてくる。
「ハイ、パーティチャット許可、と。あの船に乗ってはる魔法のランプから出たような人がな、フククジラが近くまで来たら言うこと聞いてもらえるんやて。<ナカス>の船もそれでひっくり返したことあるんやて」
「<召喚術師>?」
「さあ。イクスと山丹のような関係やないの?」
「にゃあちゃんがいるなら、フククジラも勝手に近づいてくるわな」
異常エンカウントもたまには役に立つらしい。
「にしても、大きくない?」
「砲弾うけて、めっちゃ怒っとるからな、フククジラ。最初より相当ふくらんだで」
「あー、フグでクジラなんだ」
(あざみちゃん、前衛待ってますよー)
ハギの声がする。
(あざみっち、あざみっち、旦那様とありちんがすごいよ。ナイトツアーでフォーク刺し祭だよー! こっちは平気平気ー!)
ドリィの声だ。
「こっちってどっちだよ」
イタドリを探してあざみは辺りを見回す。どうやら敵の影にいるらしい。
そういえば辺りに雑魚が少ない。桜童子がいるのに珍しいことだ。
「あの真ん中ん敵がゴサマルや。って言うとるそばから撃ってきよった! あいつから倒すで!」
シモクレンがすべて言い終わる前に、あざみは筏を二つ渡って、火焔弾を斬ろうとする。
「んの、あほー!」
刀が火焔弾を斬った瞬間、大爆発が起きた。これが、ゴサマルの<龍砲>である。弾に変形を加えた瞬間、一発ロスト級の爆発が起きるのだ。
しかし、熱や音、光までもあざみの刀に吸い込まれていく。
<叢雲の太刀>を使って、<龍砲>を無効化したのだ。
「あっぶな!」
「あんたはもう! 躱せば済んだやろう! ツルバラくん、工夫してんねんから。わ、あんた耳から血ぃ出とるで!」
至近距離で物体が爆発したらどうなるか。
まず、爆発で生じた光が真っ先に身体に届く。
激しい温度上昇により急激に気体が膨張する。その速度が音速を超えると、爆轟波と呼ばれる衝撃波が生まれる。
列車に追突されたかのような威力で爆風が身体を叩く。
肌を焼く熱が襲い、やがてドンッという音が届く。
追いかけるように真空状態に近づいた空間に空気が流れ込む。
その頃には、もう身体はバラバラになっていることだろう。
では、光を見た瞬間に何らかの回避行動に出たら間に合うだろうか。
実は、爆発を目で感知してから<叢雲の太刀>を発動したのでは、既にダメージを食らっていた可能性がある。
視覚刺激に対する反応では、入力から出力までに大きなタイムラグがある。どんな達人であってもだ。そのため特技発動までに、秒速二千メートルを超える衝撃波の餌食になってしまう可能性が高い。
目で見た後では、いくら先に準備を済ませていたとしても手遅れになる。
ただし、目よりももっと早く反応できる部位がある。
それが耳である。
剣の達人が目を閉じて「心眼で見る」などというが、これは、光に対する反応に比べ音に対する反応がわずかに早いことの応用であろう。
しかし、音は衝撃波の後でやってくる。
だから、あざみの耳が捉えたのは、音ではなかった。
「衝撃波が届く寸前の気圧の変化」である。
衝撃波は音よりも速いのだから、あざみの耳はそのレベルを遥かに超える「超音速の心眼」と言えるのかも知れない。
無論、それが可能なのは、<口伝>開発によって研ぎ澄まされた<察気>が下地となっていてこそである。
そういうことを知ってか知らずか、シモクレンは「あんた化け物やな」とあざみを見て呟いた。
「良い子は真似しちゃあかんやつや」
既に回復呪文が効いているので、耳の出血は止まっている。
「何で雑魚があんましいないの?」
あざみはもう一度辺りを見た。
「<時が眠る島>に発生源あったんを、黒夢さんや、タケトノさん、フォスフォラスさん、ブロマインさんらおっちゃんたちとU19くんが突き止めて叩いたんや」
「ちぇー、<紅旋斬>発動させるのが楽しくないじゃん」
「こら、大技頼みは後でしっぺ返しくらうで」
「へいへい。さあ、行くよ。アンタもぼーっとしないでムダ乳アタックして」
「アターック! って、でけへんわ」
(何だか騒がしいと思ったら、たんぽぽ、間に合ったんだな)
桜童子の声だ。
「にゃあちゃん! ジュリもこっち来てんの?」
(ああ、<ハティヌキューミー>からアキジャミヨ君といっしょに駆けつけてくれている)
「じゃあ、全員集合?」
(そうだな)
「再始動宣言して!」
(必要か?)
その問いには一斉に返事が聞こえた。念話の使えないユイとジュリ以外の声はおそらくみな聞こえた。
YES一択だ。
(やれやれだ)
桜童子が息を吐き、そして吸う音まで聞いていた。続く言葉はとても大切な言葉になるはずだ。戦闘の真っ最中だが、耳を澄ませた。
それが魂を賭ける理由になるほどの大切な言葉になるはずだったからだ。
(この場を―――)
(えー! みなさん! <新機動戦線アマワリ>総司令として波路厳王フルオリンが一言申し上げます)
陽気なフルオリンの声が、桜童子の声を遮った。
(【工房ハナノナ】って、ナノハナと間違いやすくね?)
長い間。
(今、言うことかよ!!!)
(『総司令として』必要?)
(アホは黙ってろ)
(まだ、祝福とか歓迎の意なら今のタイミングありだけど)
「ぶわっはっは!」
「相変わらず凛たん読めん子やわー!」
(思わずフィニッシュ外しちまったじゃねーか)
(だから何? 的な)
(あっはーん。リーダーの代わりに、あすたが謝るわー)
(なんにゃ! 結局どっちなのにゃ!)
(何? 何? 聞いてなかった、聞いてなかった!)
(いや、聞き直すほどのことでは)
文句と笑いと混乱が一斉に吹き出す。
(アホって言ったの、クロラだろー! クロラむかつくわー!)
(空気読めよ。桜童子さん、喋ろうとしてたろ)
(空気の方で私を読めよと言いたい)
(言うだけならいくらでも言え。その前に【工房ハナノナ】のみなさんに謝れ)
フルオリンとクロラインの声が届く。
そんなユルい会話の様子とはほど遠い戦闘を繰り広げている。
フルオリン、クロライン、ユイ、サクラリアが対峙している海スライムのような敵は厄介である。
物理攻撃も魔法攻撃もほぼコアにダメージを与えられていない。
そのコアの部分をよく見ると女性の姿であることがわかる。
見覚えがあるだろう。
<海難の典災ヒザルビン>なのだ。
(宣言は後回しだ! たんぽぽ! <典災>が何かしでかしてくる前に中央のゴサマルを倒すぞ)
「あいよ!」
てるるが間断なく攻撃し大幅にHPを削っていたのだが、あざみが加わったことは実に大きい。
二十秒ほどでゴサマルの攻略が完了した。
敵三体で均衡状態を作れたのだから真ん中の戦力を左右に振り分けたら<新機動戦線アマワリ>が優勢に傾くと期待した瞬間、状況が一変した。
■◇■12.2 宿敵ヒザルビン
オオオオオオオオオオオオ。
海鳴りのように耳に届いたそれは、アマワリの慟哭だった。
やがてそれは絶叫に変わる。
急激に黒雲が立ち込め、局地的な暴風雨がアマワリを中心に巻き起こる。
アマワリの絶叫に<海難の典災ヒザルビン>が反応した。今まで緩慢にしか動かさなかった身体の一部を触手のようにして振り上げてから、海面を叩いた。
「やばい!」
ユイの叫び声だ。
次の瞬間、ユイの足場であった筏がバラバラに弾けた。
たとえ筏が砕けても、今のユイの身のこなしなら浮き木が一本あれば立っていられる。
しかし、浮き木は何かに引きずり込まれるように、ユイや辺りの木片ごと海中に没していった。
「ユイ!」
サクラリアが海に飛び込む。
<キャビテーション>。
先ほどのヒザルビンの攻撃に名前をつけるならば、そうなるだろう。ユイを捕らえたものの正体は泡である。
膨張と伸縮を繰り返し次々と弾ける泡が筏を砕き、ユイの足場の浮力を奪ったのだ。
水に圧力を加えると泡が発生する。泡は弾ける際、圧力波を生じさせる。これが、筏を砕くほどの破壊力を持つバブルパルスとなった。
また、泡があるということは、海水の密度は低いということである。密度が下がれば浮力もなくなる。浮力がなくなれば、いかにユイでも立ってはいられない。
あのわずかな一撃が、他にも被害を生もうとしていた。
波が、岸に向けて少しずつ大きくなっていったのだ。
ヒザルビンから離れるほど筏は大きく揺れ、たっぷり潮を浴びた。中にはひっくり返った筏もある。
その波は高波となり、岸に立つジュリやウミトゥクたちを飲み込もうとした。無傷で済んだのはスワロフとメレダイアという二人の<妖術師>のおかげだ。
<フリージングライナー>で波を凍らせ、<ディスインテグレイト>で粉砕したのである。
彼らも<新機動戦線アマワリ>の一員だが、覚えている人もいるだろうか。彼らが以前<ヒミカの砦>でマルヴェス卿の下で破壊工作に関わった人物だということを。
「ぷはぁ」
ユイとサクラリアが水面に顔を出す。
「すまない! ポチさん」
ユイとサクラリアは手を取りあったものの、渦に飲み込まれ海底まで運ばれるところであった。
能生も顔を出す。
「おめぇらがポチとか呼ぶんじゃねえよ」
海中でユイとサクラリアを救ったのは能生だった。
能生はあざみの鼻を明かすため、海中に潜み<フェイタルアンブッシュ>と<ステルスブレイド>の混合技を準備していたのだ。そこに錐揉み状になりながら、血を吹き出していたユイとサクラリアが落ちてきたのだ。
「てめぇらのせいで成り損ねちまった」
能生は吐き捨てるように言って筏に上がる。
<典災>の一撃と暴風雨でほぼ全員ずぶ濡れだ。
(おい、みんな、聞こえるか!)
桜童子の声だ。
(先に<典災>退治だ! 頼むぞ波路厳王! アマワリはおいらとヴェシュマさんに任せろ)
(任せとけー! って、もふもふちゃんたちだけで何とかなるの?)
フルオリンが尋ねる。
(足止めなら何とかなると思うぜ。こっちにも雷雲呼ぶのが得意なお人がいるんでね)
フククジラの背の<クェダ=ブラエナ号>の上に、一際大きな人影が立つ。稲光にシルエットが浮かぶ。
(じゃあ、私に言わせて、もふもふちゃん! さあ、死に損ないの<典災>に引導を渡してやろうじゃないの! 再結成した【工房ハナノナ】のみんなー! そして、王の元に集いし<新機動戦線アマワリ>たちよ!)
フルオリンの声を機に<典災>攻略が始められた。




