134 アザミクロニクル〇
■◇■1.01 ユーエッセイの歌姫
「姫様、アンタ、今、何が起きた!」
狐尾族の女侍は、揺れる景色の中で叫んだ。
呆然とした目を虚空に向けていた姫が立ち上がると、突如として建物が振動を始めたのだ。
さらに、姫の周りで薄氷が砕け散るようなエフェクトが起きた。
女侍あざみは、それが姫の意図によるものではないことはわかっていた。だが、姫と無関係ではないことも明らかだった。だから、何を起こしたのかではなく、何が起きたのかと問うたのだ。
「母なる姫が大いなる力を使われた。私にその力の一端が流れ込み、建物が共鳴を始めたというだけのこと。しかし、異なこと。幻思魔法回路にはアクセスできぬようです」
何かが起きる―――。あざみは直観した。
ここは<ユーエッセイ>の<エインシェントクインの古神宮>である。
敵モンスター<常蛾>の巣となった<ロクゴウ>で、ラスボスを討ち果たした直後のあざみはここに訪れていた。後味がひどく悪かったのだ。だから何気ない雑談で癒されようとしていた。
その姫は、この建物の封印のせいで普段はぼんやりと夢と現の中を過ごしているのだが、今は明らかに聡明な意思が表情から伺える。何かが違う。あざみは姫を観察した。
姫はどこかへのアクセスを諦め、胸元から六枚のカードを取り出した。
カードは三枚ずつ空中に並べられた。あざみにもそれが託宣の道具であることはすぐに察しがついた。
目の前の姫は、託宣の歌姫と呼ばれた巫女である。
まだこの世界がまだゲーム世界であったころ、各地の託宣の巫女の元を訪れると<占う>という選択肢が現れていた。戦闘や交渉には一切影響のない、いわばジョークコンテンツであるが、その託宣の内容は種類が豊富で一日一回しか占えないので、全パターンを掲載しようとするまとめページが何種類も作られたほどだ。
おそらくは、女性ユーザー獲得のための企画だったのだろうが、当のあざみは占いなどに興味がなかったため、このような託宣の様子は初めて見る。
カードはそれぞれ違った図柄で、六枚とも美しい乙女の絵が描かれている。それが六傾姫を表しているものだと、あざみは気づいた。その中のひとりは蒼い涙を零していた。涙を流す美しき姫は下段の真ん中であざみを見ている。
「384」
数の感覚や計算の能力に秀でたあざみは、何を計算したか無自覚なまま、そう呟いた。
それはおそらく、託宣の数だ。
三人の六傾姫が上を向くか下を向くか、つまり三枚のカードが正位置か逆位置かで八通りのパターンができる。下の三枚のカードも八通りになるから、八×八で六十四通りとなる。
涙を零す姫の位置が関係するなら、さらに六通りだから八×八×六で三百八十四パターンとなる。
そのくらい託宣のパターンがあれば、1年間毎日占っても飽きないだろう。「だから女子は占いが好きなのか」と、あざみは呟いた後で考えた。
よくカードを見ると強そうな姫と儚げな姫がいるから、その位置で脅威度や趨勢を判断できるわけだ、とあざみは納得した。
バリエーション豊富なのは理解した。だが、占いなど所詮当たるも八卦当たらぬも八卦、今後には何の影響ももたらさない、と思って立ち上がった瞬間、別の言葉が頭をかすめ、あざみは立ち止まった。
フレーバーテキストの具現化―――。
この託宣に効力がないなんてどうしていいきれる―――?
空中に並べられたその六枚のカードは円の軌道を描いて姫の方へ向き直る。
次の瞬間には六枚のカードが消え、新たな一枚のカードが生まれた。
遠雷の中、春雨を浴びる姫の像が描かれたカード。
これが何を表すというのか―――。
囚われの姫アウロラは静かに言う。
「よき狐を得るカタチですね。その狐は黄金の矢を持っています。今がゆくべき時です。グズグズしていては間に合わなくなります。さあ行きましょう」
「え、何だって?」
「今がその時なのです。この囚われの檻を切り裂けるのはあなたです」
いいのか―――?
にゃあちゃんならどうする―――。
桜童子のことを思い出す。今は、眠りの中にいるという。頼ることはできない。
しかし、以前、こうも言っていた。「いつか必ずここから出す」と。
ならば、今が、その「いつか」だ。
決断したときのあざみはまさに電光石火である。
くるりと振り返り、開け放った空間を腰の刀で両断する。
あざみの刀は二振りある。ひとつは以前姫によって生まれ変わった蒼き脇差<暮陸奥>と、もうひとつは打刀<一豊前武>である。
手にとったのは打刀の方である。なにもしていないはずの<一豊前武>が金色に光っていたのだ。
あざみが切ったのは何もない空間である。
扉は開いているのにこれまでアウロラは脱出することができなかった。
つまり力を封じられていただけではなく、ゾーンの入出許可設定で制限されていたのだ。
あざみのひと振りはこれを切っていた。ステータス画面で確認すればわかるが、ゾーンの設定が灰色になって退出制限が瞬間的に無効になっていた。時間にしてほんの一秒のことである。姫とあざみはもつれるように拝殿の外に転がり出ていた。
あざみは行動に移してから、そのことについて考える。
なぜ、姫を脱出させることができたのか。
そしてようやく<一豊前武>のフレーバーテキストが書き換えられていることに気づいた。
(春雷奔りて氷雪すでに水と化す。今まさに黄金の矢となればことごとく解けぬものなし)
「この能力があれば、ポチに恩を売られることもなかったのに」
「理の外の世で起きたことは夢に他ならぬのです」
ふと気づくとフレーバーテキストは元に戻り、刀は金色の輝きを失っていた。
「ああ、儚い。ねえ姫様。今の口伝? すごいよね」
「夢に名などありましょうか」
「とにかくお葉婆が目を覚ます前にここを離れなきゃ。姫様、行きたい場所ある?」
「願わくば母の許に」
あざみは姫に手を差し出す。
「お母さんってなんて言うの?」
あざみの伸ばした手を取りながら姫は答える。
「みなさんはこう呼んでいます。<二姫>と」
「アル? 聞いたことないねー。中東系かなあ。お母さん美人?」
「そう聞いています」
「興味がわいた! アタシがお供してやるよ!」
しかし、長く幽閉され、脚が長距離の歩行に向かなくなったのであろう。姫は村を出た辺りで脚を押さえてうずくまってしまった。
姫を連れてのエンカウントは避けたいと思っていたが、周囲には低級エネミーの影さえ現れなかった。おそらく、常蛾の影響であろう。きっとまだ眠りについているのだ。あざみは姫に水薬を渡して姫の回復を待った。
「まず、どっから探すんだい? あてはあるの?」
「母の力をあちらの方角に感じました」
「あっちって、西か」
姫は夕陽の沈む方を指した。
「<ナカス>の方だねぃ。あのさぁ、姫様。馬かなにかに乗る?」
「私は馬に乗った経験などないのです」
「まあ、そうか。アタシも<冒険者>になるまで乗ったことなかったわ」
「<冒険者>でなかった頃があるのですか?」
あざみは思わず口をつぐんだ。
うっかり「ゲーム時代はね」と答えようとしたからだ。
それは<古来種>をも眠りに就かせた心の毒につながる禁忌事項だと【工房ハナノナ】では捉えられていた。
だが、本当にそうなのだろうか、とあざみは考える。
「この街は、昔読んだ絵本の中の景色に似ている」と旅先でその絵本のことを話したって何の問題もないだろう。それと同じように「遊んでいたゲームとよく似ている」というのはまずいことだろうか。
眼前の姫は、ギルマス桜童子のことを「違う星から来てこの地に平寧をもたらそうと二百数十年間戦いつづけている」と言っていた。
―――もしアタシの前に宇宙人が現れて、「君のことをずっと見ていた」と言われたらどうだ。ポチ(あざみ公認ストーカー)のようにお供に加えるだけだよね。そういえばポチのヤツ、常蛾のせいで体調くずして休憩中だなんてストーカー失格じゃない? こんなときこそ真っ先に現れて姫様お運びしなさいっての。もう、あれ、何の話だっけ。あ、そうそう。目の前に異世界人が現れて異世界のこと話しても、たいしたことないっていうことよ―――。
あざみは大丈夫だと判断した。
「じゃあ、話してあげようか、その頃の話を。姫様が復活するまでの間ね」
■◇■1.02 古白川蘭子
高校2年生の夏―――。アタシはエルダーテイルと出会った。
「タンポポちゃーん! 今日こそ私と付き合ってもらうよー!」
きっかけは親友・古白川蘭子の勧めだった。
「その恥ずかしい呼び方するの、しららんだけな」
「みんなタンポポちゃんって呼べばいいのに。あ、そうそう。今日は助っ人ないんでしょ」
「ソフトボール部? 今週部活なし期間じゃん」
「ううん、便利屋の方。ホラ、数学オリンピック代表の子と組んでいちゃいちゃしてたやつ」
「いちゃいちゃしてないし。ってかフジキドのやつ、何とか先輩の実家に婚約者の振りして潜入した後、コンピュータ使って世界救ってきますとか叫びながらどこぞの山奥へ旅立っていったから、所詮アタシには関係ない話よ」
「今話題のネトラ―――」
「しららーん! 今日の用事はアンタと一緒に体育教師の前で、自主半ケツブルマスクワット三千回だっけぇ!」
「なに、その自虐逆セクハラ。わかったよ、金輪際フジキドくんのことは話題にしないから落ち着いて。タンポポちゃんの今日の用事は、私と一緒にファミレスに行く。以上」
立ち上がると近くの席のクラスメイトが「アサミさんお帰りですか」と声をかけてくるので、「うむ、苦しゅうない」と手を挙げてバッグを背負う。恒例行事だ。人気者は辛い。
「蘭子さんもまた明日」
「ええ、ごきげんよう」
「きゃー、可愛い!!」
おやおや、クラスメイトたちよ。アタシのときと反応が違う気がするのだけど、気のせいかい?
「タンポポちゃんの鞄、ランドセルみたいに背負えて便利ー」
「いざというとき、両手が塞がってちゃ、しららんを守れないからね」
「それ、片手でもできる?」
しららんはアタシの手に触れた。絶対に逃がさないぞという構えなのだろうか。アタシも負けじとしららんのほっそりした手を握り返した。手をつないで歩くなんて小学生に戻った気分だ。
途中で牛丼屋が目に入る。
「あそこにひとりで入れたら大人な感じするね」
しららんが言う。たしかに牛丼屋はおじさんがエネルギー補給のために立ち寄って高速で帰還するイメージがアタシにもある。アタシたちふたりにはまだまだ高いハードルなのかもしれない。
「ここねWi-Fiが無料で使えるから最高よね。ケーキおいしいし」
「しららんはいつから魔法の言葉をしゃべるようになったんだい」
「ああ、そうか。パソコン関連はフジキドくんの領域だったよね」
アタシの手の中でおしぼりの袋が弾けてパンとなる。
「タンポポちゃん、まだ怒ってる?」
「怒ってるけど、怒ってない。いや、あんなやつどうでもいい」
「なら、これ見て。タンポポちゃんもやらないかって誘いたいの」
しららんは、先ほど取り出したタブレットPCをアタシの方に向けた。画面の中で小さな人間たちが野原を駆けている。
「あ、話しかけられた。『やあ、君も学校終わり?』なんか聞かれたよ」
「え、ちょっと返事させて。タンポポちゃん、こっち座って」
アタシは水とおしぼりを持って、しららんの横に座った。
「で、何が始まるの?」
しららんはよくぞ聞いてくれましたという表情でアタシに言った。
「『冒険』!!」
「いや、ドヤ顔だけど、それほどかっこいいこと言ってないから」
「じゃあ、ぼうけ~ん♡」
「ルパ~ン♡みたいな言い方しても、そこまでその単語に魅力感じてないからね、アタシ」
「まあ、じゃあ、ちょっと見といて」
一緒にモニタを覗き込む。画面の中では長身のしららんがバレリーナのように舞いながら、近くの人に魔法をかけていく。
「なに? モンスター狩ろうとしてる人にちょっかいかけて気付かれたら負けゲーム?」
「違うよ、辻ヒールしてんの」
「ひつじビール? 響きはおとなだねぇ」
「あ、店員さん来てる。音小さくしなきゃ。ドリンクバーお願いします」
「アタシもドリンクバーで」
かしこまりました、と言いつつも訝しげな表情を浮かべる店員。たしかに4人がけの席なのに、ふたりで身を寄せあってモニタ観ている女子高生なんて異様かもしれない。だから言っておいた。
「大丈夫、エロ動画じゃないんで」
「やめてー、余計変な印象与えるでしょー」
「変なのは自覚してんだねぃ。でも、しららんは読書好きなんだと思ってた」
「私もここまでハマるとは思いませんでしたよ。というわけで、タンポポちゃんにも一緒にハマってもらおうと思います。じゃーん、新規導入無料チケットー!」
「なにそれ」
「新刊買いに行ったら無料配布してたのー! この<エルダーテイル>って月額制だから、一ヶ月後からはお金かかるんだけど、楽しくなけりゃそこで更新しなけりゃいいの」
「一ヶ月のお楽しみ期間ってわけねー」
「というわけで、タンポポちゃんのキャラを作りましょう」
「このPCで作ったらしららん遊べなくなるじゃん」
「ちゃんとIDの引継ぎ機能があるから大丈夫」
「よくわかんねえけど、了解」
こうして、アタシのエルダーテイル歴は始まった。
「名前何にする? 丹穂亜咲実ってそのまますぎるよ。たんぽぽ亜咲実、たんぽぽあさみ、そうだ<たんぽぽあざみ>ってどう?」
「しららんに任せるよ」
金髪ポニーテールの狐尾族、ちょこっとツリ目の二刀流<武士>、たんぽぽあざみはこのとき生まれた。
雛鳥の成長は日進月歩である。
夏休みの間にたんぽぽあざみはおそろしく強くなり、アタシはすっかりゲーム廃人となっていた。
携帯にすら出なくなったアタシを心配して、しららんがやってきた。
「中華サーバでめちゃくちゃ修行してるらしいじゃないの」
「家だと反応が遅くてどうにかならないかってフジキドに相談したら、グラ坊がなんだとかプロ棋士がどうのこうのって、よくわかんないこと言ってたんだけど、言われた通りにしたら超高速で技出せるようになってさ。でも、なんかいつも中華サーバスタートになっちゃうんだよねー」
「フジキドくん、こっちに戻ってきた?」
「未だに世界救ってるんだって」
「妬けるね」
「アタシにはエルダーテイルあるからどうでもいい。アタシなんて結構中国語話せるくらいにはなったからね」
「翻訳機能優秀だけど、それはタンポポちゃんじゃないと無理ねー」
「ハッハッハ、天才だからね!」
「ねえ、天才タンポポちゃん。ヤマトサーバで一緒に遊ぼうよ」
「そうだねー、しららんがどれだけ腕を上げたか見せていただこう。ふはははは」
「うお、私の方がエルダーテイルの先輩なのに生意気ー」
そうしてアタシはしららんと<ナインテイル>で遊ぶようになった。
「それにしてもしららん。それ、反則じゃない? 二体使って育てるとか」
「すごい人はひとりで六体操ってパーティー組んでるよ。でも、更新にお金がかかるから、もう今月で無理ー。ポイントサイトでポイント貯めてくろらん動かすのもおしまいだなあ。バージョンアップのときくらいはしららんとくろらん動かせるようにお金貯めたいよねー」
その頃、錬金ストラテジーゲームからエルダーテイルに移籍したシモクレン、イタドリ、サクラリアに出会う。
(パーティー組もう、パーティー組まない、パーティー組んでー)
「騒々しいやっちゃなぁ。ボイスチャットオフにしたろか」
「まあまあタンポポちゃん。ドリィちゃんだっけ。この子悪い子じゃなさそうだし」
「まあ、いいわ。パーティー組んでやるよ」
(ドリィが交渉して初めて成功したわー! よろしゅうな、ウチはシモクレン。こっちはサクラリアちゃん)
(よろしくです。リアって呼んでください。そっちの寡黙な人は、くろらんさん? ボイチャしない派ですか)
「いやいやいや、こっちのはしららんがひとりで操ってんの」
「ども、くろらんです」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ。声変えられてねぇってしららんー」
(へええ、サブアカ同時に動かす人初めて会うたわー)
(すごいねすごいすごいー!)
アタシ、しららん&くろらん、レン、ドリィ、リアの即席パーティーは初のダンジョン攻略に臨んだが、大成功で終わった。盾職二枚、攻撃職二枚、回復職二枚はバランスも良く、その後も一日一回はパーティーを組んだ。
夏休みのほとんどを<エルダーテイル>に費やした。親に叱られても部屋から出るのを惜しむほどのめり込んだ。
しららんは一日二時間くらい、レンたちは夜八時から午前一時過ぎまで。アタシはすっかり現実世界よりもエルダーテイルにいる時間の方が長くなっていた。
その時出会ったのが、【工房ハナノナ】リーダーのにゃあちゃんだった。
(レンに聞いてるよ。凄腕の<武士>だって?)
短く刈り込んだ銀髪のソフトモヒカン頭の強そうな男が、銀梧桐。その横で腕を組んで冷たそうな笑みを浮かべているのが、小手鞠。
リーダーがもふもふの人形のような姿でなかったら、悪の組織だと言っても納得しただろう。
(お前ぇも、【工房ハナノナ】入らねぇかい)
もふもふの人形に勧誘された。冷たそうな人もあたたかい言葉で手を差し伸べてきた。
(うちは<生産系>だけど、幻想級素材入手のために強いヒト欲しかったのよ。いらっしゃい)
<画家>に<革職人>に<鑑定士>。他にもたくさんの職人がいるらしい。
「しららんと一緒ならね」
こうして、アタシはしららんとともに、ギルド【工房ハナノナ】に加入した。
アタシは、午前は中華サーバで<武侠>の腕を磨きながら、午後からはしららんをはじめ【工房ハナノナ】と行動をともにした。
しかし、この期間はあまり長くなかった。
「ごめんよぅ。文化部はもう活動入るらしくって。夏休みももう終わりだもんね。でも、誘った私が先に抜けるのはなんか申し訳ないな」
しららんはエルダーテイルを一旦休止するらしかった。
真面目な性格だから、ログインしないのにギルドに入っているのは申し訳ないという。そんなことはないと説得したし、にゃあちゃんやレンにも説得してもらった。
でも、潮時なのかもしれない。
「んじゃ、アタシも【工房】抜けるわ」
「いや、それはダメ」
「なんでよ」
「タンポポちゃんは人から崇められるような存在だけど、誰とも腹割って話したことないでしょ。でも、にゃあさんとかレンさんとかとは腹の底の方でつながってるの見て安心したんだ。文化祭終わったらオフ会にも出るから、それまではタンポポちゃんもちゃんとエルダーテイル続けてよ」
それからのアタシは腑抜けだった。エルダーテイルでの目標を失ったアタシはただログインするだけの虚しい日々が始まった。しららんに自慢するのがアタシの目標だったことにその時気づいた。
怠け狐のあだ名がついたのはその頃のことだ。新学期が始まったし、フジキドの世界を救うという仕事を手伝うのもあってログインは夜だけになった。ひょっとすると、しららんはゲーム廃人を社会に復帰させるためのきっかけを作ってくれたのかもしれない。
十一月。【工房ハナノナ】が解散しかけた。
狩り場争いで小手鞠が交渉に全面勝利したのに、にゃあちゃんが三分の一を他ギルドに提供したからだ。長期的視点にたてば、というより結果的ににゃあちゃんが正しかったのだが、このときばかりは小手鞠が正しく思えた。
このことがきっかけで銀梧桐や小手鞠、その他にも何人か【工房ハナノナ】を脱退した。
後から気づいたのだが、なぜか、しららんもこのときギルドを脱退していた。
この分裂すらにゃあちゃんの何らかの布石だったのではないかと、ずっと後になって考えるようになったが、その頃はしららんさえ失ったことに落胆するばかりだった。
3月。狩り場を譲られたギルドたちが皆【工房ハナノナ】の傘下についた。他ギルドとの勢力争いに疲弊して【工房ハナノナ】に助けを求めるかたちとなったのだ。にゃあちゃんは労せず支配地域を広げることとなった。
そのひとつが<サンライスフィルド>である。
エンカウント異常の性質をもつにゃあちゃんにとっては、優良な狩り場よりもエンカウント低減措置の施された土地の方が重要だったのかもしれない。
しららんが久しぶりにエルダーテイルの世界に帰ってきた。
「どうして【工房ハナノナ】やめたの?」
聞きたいことはいっぱいあった。
(プレイスタイルの差かな。それとも覚悟の差かな。みんなその日その時を懸命に生きてるし、ギンゴさんや小手鞠さんもその日その時最良になるように頑張ってたと思うの。でも、リーダーさんはもっと長期的な視点で考えてるの。これから先何年もエルダーテイルと付き合っていく覚悟があるがゆえのプレイスタイルなの。私は今日で一旦やめようと思うんだ)
その日、アタシも一緒にエルダーテイルをやめた。最後の思い出の冒険の場となったのが<ユーエッセイ>だった。
一年後、大学合格を機に久しぶりに【工房ハナノナ】に顔を出した。レンやリアやドリィは変なエフェクトを出して歓迎してくれた。そこにしららんはいなかった。
それでもアタシは【工房ハナノナ】に自分の居場所を見つけてずるずる今日にいたる。
■◇■1.03 黒狸族のタマツラ
「とまあ、これが<大災害>一年前ってところかな。<冒険者>にもいろいろあるって話」
姫は長話の間に体調を整えたらしく立ち上がると聞いた。
「あざみさんは、お友だちのしららんさんには連絡をとったのですか」
「疎遠になるとなかなか連絡って取りづらいんよね。だからお流れになって一年後にしたオフ会にもしららん呼べなかったし」
オフ会の意味が分からなかったか、姫は曖昧に微笑んだ。
「でもさ、<大災害>直後は真っ先に念話したのよ。でも、<ユーエッセイ>って念話できないから、しららんログインしてないって思い込んだのよね。念話もさ、桜童子にゃあからシモクレンまでしかスクロールしないから、もうちょいスクロールしてればしららんにたどり着いたのに」
「それからは連絡しなかったと?」
「それが聞いてよ。したの! めちゃくちゃ念話したの。ヨサクまでスクロールしたら、あ、しららんログインしてんじゃんって気付いて。めっちゃコールしたの。でも出ないの」
「コールというのは呼びかけのようなものですか」
「もっとうるさいの、ちょっと無視できるようなもんじゃないの」
「どうしても会いたかったのですね」
海の方から吹く風に異変を感じなかったのは、思い出話に耽っていたせいだろう。
「アップデートの日もね、思い出の土地で待ってたら運命の人に会えるって都市伝説あってさ。リアなんか<ツクミ>までいってたんだけどね。アタシは<ユーエッセイ>で待ってたんだけど、あの迷子太郎しか来なくて」
ふと気づくと、あざみは霧の中にいた。完全なホワイトアウトだ。
「姫!?」
アイコンが自分の周りに浮遊している。何者かによる攻撃だ。
人為的に視界が遮られている。
ふと首筋に緊張が走り、背後の空間を<一豊前武>で切り払う。手応えがある。槍の穂先を切り落としていた。取得している<察気>がなければ手傷を負っていたに違いない。
「姫ー!」
「久しぶりね、あざみちゃん」
霧の中からよく知った姿が現れた。
「しららん!?」
折れた槍をカランと投げ捨て、モーニングスターを持ち直した。
「<施療神官>がそんな物騒なもの持つんじゃないよ」
「いつまでも知ってる私と思わない方がいいよ」
モーニングスターは、棘のついた鉄球を振り回す武器だ。まともに斬ろうとすれば、<一豊前武>が折れるかもしれない。斬るなら最高強度を誇る<暮陸奥>の方だ。だが、切り払うには完全に間合いに入る必要がある。
ならば。
「まだ極めてないんだけどね。<桜花円舞>。アンタで試させてもらうよ」
<一豊前武>を両手で構える。
振るってきた鉄球に切っ先を合わせる。
振られた勢いと速度のままに刀を引く。
鉄球が地面を割る。刀を返して峰で小手を打つ。
「ぐっ」
攻撃を当てた部分だけ、回復呪文の光がぼうっと光る。逆の手でモーニングスターを握り直して再び殴りつけてきた。
潜り込むように切っ先で受けると、背負い投げのような形となる。しかし投げず、はね上げた肘を凶暴な神官の顎に叩き込み、後方に吹き飛ばす。
「ぐがーっ」
「あと何回この技使ったら完全習得になるかなー。さてと、そろそろ化けの皮剥いでやりたいんだけど。自分から名乗る? それともそのまま刀の錆になる?」
「ぐ、わ、私はしららん」
「この霧がアタシの思念を写してるんだろうね。<白昼夢>のバッドステータスか。厄介な幻術だこと」
立ち上がったところを胴抜きにする。
「ぐ、ぐばぁ。な、なぜバレたまみー」
「はん、なぜ? 簡単でしょうよ。しららんはねえ、アタシを『タンポポちゃん』って呼ぶんだよ」
一瞬首を刎ねるのを戸惑った。
ディルウィードの姉を斬った罪悪感があざみを襲ったからだ。
その隙に偽者しららんが反撃に出た。
あざみは目を瞑る。<察気>で切っ先を合わせる。
恐ろしい速さで回転する。円舞を踊るように。
目を閉じたまま、鋭く切り払う。
―――New skill <桜花円舞>―――。
同時にあざみはレベルアップした。
さらに狐尾族の特徴である「己の習得するはずだった技を忘れ、ランダムで他種族の技を習得する」という現象まで起きた。
「姫様ー?」
晴れる霧の向こうに呼びかけながら、何気なく新たな技を選択する。
その瞬間、あざみはどうっと地面に倒れ、目を開いたまま気を失ってしまった。




