133 運命という名の皮肉
<ギエン>の塾生が意識を戻したのを機に、トキマサは絵の修行に行きたいとロセに打ち明けた。
結局<常蛾>が飛来しなかったから定かには言えないが、二枚目の絵は一枚目ほどの奇跡を起こさなかったらしい。
己に才能の片鱗を見てしまったものは、どうしてもその才能にすがりたくなる。ぼくも作家の端くれだからわかるが、腕を磨き続けてようやく二匹目のドジョウが現れる(ことがある)くらいのものなのだ。
「でも、桜童子先生には弟子をとる気はないと言われちゃったしなあ」
「あー、言いそうだね。人に教えるのは好きなのに、いざ弟子をというと尻込みするところあるよね、リーダーさんは。しょうがないね、トキマサくん! そんな時は、旅に出ればいいのよ」
「旅、ですか、舞華先生」
「ええ! 旅をするならぼくに任せなさい! なんてったってぼくは、<遊歴する吟遊詩人>ですからね」
トキマサがクスクスと笑う。
「女性ってやっぱり強いですね」
トキマサに、<冒険者>としてではなく女性として褒められたぼくは、顔が緩みそうになるのを自覚した。
いかん、いかん。ぼくは年下男子におだてられて調子に乗るような安い女ではないのだよ、トキマサくん。と言いたかったのだけど、ぼくの身体はぼくの心を裏切った。
よく考えたらぼく自身が褒められたわけでもないのに、ぼくはどうやらにやにやを止められなかったらしい。反省。
あ、そうそう。女って強いんだぞってエピソードがあるので、みなさんにも聞いてもらいたい。
「おい、おい! イクス! また銀仮面かぶってどうしちまったんだよ! なんで痙攣してんだよ」
それは、<ロクゴウ>で後処理を行っていたイクスの身に突然に起きた。激しい痙攣とともに、イクスの身体が銀色の鎧で覆われていく。
原因は首元の毛に隠してある<二姫の竪琴の糸巻き>の暴走にある。
イクスはこの首飾りにより、<大地人>を<冒険者>に変える呪いを受け、生命をつなぎ止めたのだ。
この異状は、<ナカス>に<二姫>が現れたことによる共鳴現象であることをバジルは知らない。そして、この首飾りを引きちぎればどうなるかなどバジルどころか誰も知らない。
ただ、この首飾りのせいでイクスが息もできないほど苦しんでいるというのはわかる。バジルは引きちぎるつもりで首飾りに触れた。
「うぐぬぅっ!」
触れた右腕が銀色に変化しはじめる。それと同時に恐怖の感情や生きたまま腹を食い破られる熱のような痛みや泣き叫ぶ声が頭の中に展開される。
イクスにわずかに意識が戻る。
「ダメ、バジル」
「おめぇ、いつも、こんな景色を」
バジルの半身を銀の鱗が覆う。鱗が覆うほどに怨嗟の声は激しくなる。これは犠牲者の声だ。呪いを付与した者の犠牲となった人々の声だ。
バジルが触れたことでイクスの負担が軽くなったのかもしれない。痙攣がおさまりはじめた。
「いつも、こんな声聞いてても、おめぇ、あんなに明るく」
「イクス、天才だから、にゃ!」
「そんな、問題、かよ」
「女は、つよい、にゃよ」
イクスは、首飾りから手を離さないバジルの手に自分の手を重ねる。
「バジルの、狼面じゃない顔、初めて見るにゃ」
銀色の鱗で覆われた顔面には、いつもの狼面はなかった。
「これが、樺地瑠羽仁バージョンなんだよ。こないだみたいに、名前忘れんじゃ、ねえ、ぞ」
そう言った直後、バジルは首飾りから手を離し白眼を剥いてひっくり返った。
「おーい、カバジルートぉ、元気にゃかー」
ぼくがこの時のことをイクスに聞いたら、「生理に比べれば全然耐えられるにゃ」と言っていた。
男性は出産の痛みに耐えられないというが、バジルは「あんなのが毎月あったら、数ヶ月で精神死滅するぜ」と笑って言った。そういう意味では、間違いなく女って強いんだぞ。
■◇■
<死せる虚ろの大梟>は、森の中の公園らしき所へ四人を運んでいった。
<レベルファイブ冒険者の森>というらしい。チュートリアルだけ終えて低レベルのまま長期放置した<冒険者>に対応したゾーンである。非常に低レベルのエネミーがちょこまかと走っては消えていく。
「うさぎ耳のときじゃ有り得ない光景だねえ」
「何か?」
「いや、こっちの話さ、ロエ2さん。感謝の言葉がまだだった。本当に助かったよ」
「八つ当たりをすると礼をいうのが君たちの文化かい。私もこの制約の多いプロトコルを上限とする思考形成については随分と考察してきたつもりなのだが、わからないことも多いものだね」
「単に未来選択の余地がない所へあなたが現れ、選択肢を生み出してくれたことへの感謝だよ」
「なるほど、そういうものの見方か。私たちは未来選択を確率論的にふるまうことで解決しているからね。君たちにとって選択の余地がないように見えても未来は厳然と存在しているし、君たちと今こうしてここにいることも君たちの未来選択の結果なのだがね」
「それをおいらたちは運命の出会いと呼ぶのですよ」
「ぷはは、そうか、クラウドももたない不合理をあえてそのままにして命名するのだね。あはは、それでは廃棄と書いて貼るための紙を幻想級素材を用いて作成するようなものじゃないか。愚かしいが美しい。君たちは不安定な集合体だから、一方で不完全を愛し、一方で不完全を嫌悪して反目しあうわけだね」
「悩み多き生き物だと分かってもらえたかな」
シュテンドがひそひそと<火雷天神>に尋ねる。
「なあなあ、あいつら一体何語で喋っとっと?」
「何語であっても即座に翻訳できるとあやかしうさぎが言っておったぞ」
「全く通じんばい。なんでうさぎ耳は平気で喋っとうとかね」
「それはそこもとが学びが足らぬゆえであろう。励むが佳い」
<火雷天神>は腕組みをする。
「そもそもあのあやかしうさぎには、吸血娘が何者か、大体見当がついておるんじゃろうて。のう、あやかしうさぎ」
「答え合わせが必要ですか?」
羅刹姿の桜童子は長い髪をかきあげる。
「聞こうか」
ロエ2は丸眼鏡を押し上げて、きらりと夕陽を反射させた。
「あなたは月からやって来た<航界種>と呼ばれる存在、ですね」
「ほう」
「あなたはふた月ほど前、浮立舞華に会ったはずだ。彼女はあなたを<蒼い星の夢の女性>と呼んでいました。彼女と会ったとき、アルクィンジェを見せたでしょう」
「ああ、赤い眼鏡の」
ロエ2は自分の眼鏡のアンダーリムをなぞって見せた。
「先日、<ホーンナイル>でパンナイル公に救出されていますね。そのとき、<月天人>を名乗ったはずだ」
「ああ、猫のおじさん。そうだね。私が月から来たというと、彼が<月天人>と呼んだのだ。どうやらこの辺りの<大地人>には、その名前の方が通じやすくてね」
「龍眼さんから話を聞きました。パンナイル公からそのような手紙が届いたというのを」
「ああ、書いたね。マイブームというやつだよ」
どうやら手紙を書くという趣味が自慢らしく、ロエ2は胸を張った。
「ところで君は、何故<航界種>という名前を知っているんだい」
「ウチの仲間に三分の一だけ<航界種>って奇妙なメンバーがいてね」
「ああ、驚いたね。<接地地平線の原理>と身一つで戦う雛鳥とも繋がるとは。これが君たちのいう運命というやつかな」
台詞ほどに驚いた様子もない。おそらくはマスカルウィンに強制転移させられる際に、何らかの強制力を行使して打開策を持つ人間の元に現れたのだろう。
「<月天人>といえば、<月天人の南征>というキーワードをウチのギルドメンバーが<大地人>から聞いたそうだ。あなたはこの<ナインテイル>を攻めるつもりかい」
桜童子は小首を傾げてみせた。
「町を鎖す門を壊したり兵を追い払ったりしたことを棚上げしていいのなら、私自身の見解では否定的だ。しかし、そうしたものは後日余人が評価して、先の行為をもって南征と名付けるのではないかな。本来起きるはずの南征が起きなかったのだからね」
「本来起きるはずの南征?」
「月にあるコミュニティと連絡が取れなくなって久しいからね、定かではないが<常蛾>を見て思い出したことがある。<召喚の典災>と<虚飾の典災>が連携をとるという構想があったのを」
「<典災>が、連携?」
単独でもおそろしく強大な<典災>が連携などとったら、<ナインテイル>どころか<セルデシア>規模で大問題だ。
「まだ実験段階だったよ。召喚した月の精霊に、月に眠る<冒険者>の身体を着せて、この大地に送り込むという実験だね。その場に選ばれたんだ、この<ナインテイル>という地は。この<ナインテイル>のどこかに召喚装置があるはず。そちらを倒さないと君たちは月から召喚された<冒険者>と、<冒険者>同士で殺戮し合うことになる」
「その召喚装置なら、きっと今頃仲間たちが何とかしてくれてるはずだねえ。もうすぐ日没だ。<常蛾>が昨日と同じだけ飛んでいたら<ムーンライト・レゾナンス作戦>は失敗したと見ていい」
ロエ2が眼鏡を光らせる。
「その話、もう少し聞かせてもらえるかな。具体的にはどんな作戦なんだい」
「遠隔二地点の戦闘を、念話と演奏で繋ぐことで仮想一戦闘として扱う、ってのが特徴かな」
「なるほど、石器時代から進化を試みたのだね。だが、それだとお互いは見えないね」
「見えないから信頼する、それが根幹です」
ロエ2は眼鏡の奥で、目を見開いた。
「あっはっは、あっはっは。なんだ、私はそんな単純なことにも気づかなかったのか! <誰そ彼の魔眼>で私は座標を勝手に変えられたのだけど、直前に<解決策を持つ人物>と叫んだのは有効だったようだ。だけどこんな単純な解決策だったとはね。要するに見なければいいんだ! できるじゃないか、私は<召喚術師>なのだから」
シュテンドと<火雷天神>ばかりでなく、桜童子にもロエ2の笑いの理由がわからなかったのだが、夕暮れがこの奇妙な遭遇の終わりを告げていることはわかった。
ロエ2の足元から無数の蝙蝠が湧き立つ。それが旋風のようにロエ2の周りを飛び、次第に姿を見えなくする。
「君たちとはまた会いそうな気がする。いずれまた会おう!」
蝙蝠が朱の空に向けて飛び立つと、もうそこにロエ2の姿はなかった。
空を見上げていると、茂みから音がしたので振り返る。<火雷天神>の従者、飛梅だった。
桜童子は再び空に目を転じる。
「<常蛾>は現れないようだなー。しかし、そのうち追手が来るかもしれない。<火雷天神>、しばらく隠れ蓑になってもらいますよ」
シュテンドは遠慮するように首を横に振った。
「いや、オレは<オイドゥォン>家の方が」
「従者が増えるにこしたことはない。鬼よ。ついてくるが佳い」
「こいつら、オレの話を全く聞かんっちゃんねー」
シュテンドは嘆く。嘆きながらも、飛梅にまたがる<火雷天神>の後についていった。
<火雷天神>は振り返る。
「おうい、あやかしうさぎ。ついて来ぬのか」
「シュテンドさんのことよろしく頼むよー。ひょっとして、ひょっとするかもしんねぇから、一足先に帰るよ」
桜童子は詠唱を始める。<幻獣憑依>は開始も解除も詠唱に時間がかかる。<羅刹>の声が幾重にも重なるように響き渡った。だんだんと高音に推移していく。高密度の呪文が層をなして、<羅刹>の身体を明るく包み込む。
やがてまばゆい光が収まると、<羅刹>は身を低くする。
そして地面を叩く。その反動を推進力にして茂みに向かって飛んだ。茂みを切り裂くと、そこにはロエ2が身を潜めていた。
「あら」
しかし<羅刹>は単に確かめたかっただけらしく、<火雷天神>の方に向き直ると足早に近付いて、胸元の護り袋を外し、<火雷天神>に手渡そうとする。
「な、なんじゃ」
中身が桜童子ではなくなったからか、<羅刹>は、ん、ん、と無言で<ルークィンジェ・ドロップス>の入った袋を差し出す。
いじらしく感じたか、<火雷天神>は訝しみながらも手を伸ばす。<火雷天神>が受け取ると、さっさと<羅刹>は姿を消す。
「これがあると送還できぬから、わしに持っておれというのか。なんとも身勝手なうさぎよな。それよりも、吸血娘、そんなところで何をしておるのだ。飛んで消えたのではないのか」
「はっはっは。バレてしまったか。弟妹の無事の帰宅を見届けるのがお姉さんの役目というものだろう!」
「そこもとも難儀な性格よな」
「責任感が強いと言ってもらっても構わないぞ!」
■◇■
「にゃあ様のお腹の傷が! でも何で目を覚まさないのー? ステータス確認! MPの減少なし。備考欄、特記事項確認ー。ナニコレ、文字化けしてる。どうしたらいいの。呼吸、呼吸見なきゃ。自発呼吸、わ、分かんない。脈は、あ、あれ? にゃあ様の脈ってどこー! ぶえええん、ぶぁぁああ」
(リア! ちょっと落ち着きぃーな。あざみがどっか行方くらましてもうてこっちも泣きたいわ。折角、心洗われる景色やってのに。あ、ユイから伝言。帰るときは笑顔で出迎えてくれって)
「レンちゃん、それ、ウソよね」
(なぜバレた!)
「ぶえええん、ひーどーいー」
(とにかく、にゃあちゃんを早く起こさな)
「脈どこー! あ、毛の間にピンク色の突起物発見、目を覚ましてにゃあ様! スイッチ、オンー!」
その瞬間、桜童子ががばっと身を起こしたので、サクラリアは腰を抜かすほど驚いた。
「おいリア、おいらの乳首弄くり回して何やってむぎゅー!」
サクラリアは喜びのあまり桜童子を力いっぱい抱きしめた。
「にゃあ様が起きたー! 目を覚ましたよー! ぶえええん、よかったよー! うわぁあああん」
「すまねえ。心配かけちまったな」
桜童子はサクラリアの艶めく髪をポンポンと叩いた。
「リア、おいらをパーティに加えてくれ。それにしてもお前ぇ、ぶっさいくな泣き方だなあ」
「う、うるさい。にゃあ様のせいだからね! ぶえええ」
サクラリアは桜童子をパーティに加え、<ロクゴウ>と<オウーラ>につなぐ。
「レン、龍眼さん、みんな。桜童子だ。世話になったな」
(にゃあちゃん! 無事やったんやね! 悔恨呪はどうなん?)
「それなんだが、うーん。これ、文字化けしてるっぽいなあ。なんとなくだけど悔恨呪は大丈夫だと思うなあ」
(大丈夫なん?)
「おいらに罪の意識はもうないぜ」
(そもそも、にゃあちゃんの悔恨ってなんやったん?)
「答え合わせは必要かい?」
(言わんのかい! って食い気味でツッコんだぜ! 通常より三倍早くな)
(まあ、待てスズノシン。俺が推測するにはな、拾い食いしたカリントウが、実は犬の落とし物だったとか。そういった悔恨)
(うわー、最悪な妄想やめなさいよね)
(妄想屋だけにモウソウヤめてとか、うまいですね、櫻華さん)
(スプさん、こういうのはどうかな。にゃあさんはウサギさんだからね。眠りすぎて亀さんにかけっこで負けたんだよ。そういう悔恨じゃないかなあ)
(風流でよき♪ それでは拙僧どもの答えは、ユエさんの解答を選択することにしましょう。平身低頭)
(え、オレのは?)
(あれは俺もないと思う)
(サタケ氏までユエきち派かよー!)
明るい声はオヒョウ一座の声だ。彼らはこの後、<ホーンナイル>に拠点を置いて活動をはじめたパンナイル公の元に身を寄せることになる。おそらくは、サタケが<ワンハンドゴッド>であることに気付いている龍眼の根回しによるものだろう。
(そんなことより、報酬弾んでほしいわっけ!)
(えー! 冒険楽しかったし、ドロップ品もたくさんもらったからもういいじゃない!)
(せめて属性合わせ用の水薬十二個分に、回復職不足を補うための宝珠三十個分を我々が出したのだから、その代金と技術支援料は支払って貰いたいな)
(そのくらい請求しても当然なわっけ! ね、リーダーさん)
「<ナインテイル>を守ったんだ。そう考えれば安いもんだよ。レンから受けとってくれー」
(やったねぃ)
元気な声は<クイックスターズ>のものだ。彼らは仲間を見つけるためにこれからまた旅を始めるらしい。
(兎耳。<リューゾ>家の姫が先程会いに来た。<ラレンド>家の分まで感謝しているとかなりの量の品を持ってきたぞ)
「ああ、龍眼さん。そっちでいいように分けといてくれー。ヴェシュマさんのことだから、ほとんど酒と魚でしょ?」
(聞こえるー!? にゃあ君、貸しこれで二つだかんね、いい? 二つよ!)
この声は<アキヅキ>軍師カーネリアンだ。だが、同じ<アキヅキ>の<ノーラフィル>にはカーネリアンの真の姿を教えていないらしい。
(え、今の声、<エルダーメイド>のカーネリアンさん!? 何で戦場にいるんですか!)
(あん? その声ウパロさん? いつまでそこにいるの? 私より遅く<アキヅキ>に着いたら姫様の護衛の座、下ろすかんね)
(えええ! チャロ! ルチル! ゴシェ卿! 早く目を覚ませー! カーネリアンさんより早く戻るぞ!)
その後は【工房ハナノナ】の仲間たちの声が続いたが、あざみの声はなかったから一足先に<ユーエッセイ>にでも行っているのだろう。
桜童子はもう一度、協力してくれた仲間に向けて感謝の言葉を述べた。
■◇■
<典災>が仕掛けた罠に<ナインテイル>が激震し、【工房ハナノナ】が人知れず立ち向かい、解決するという物語はひとまずこれでおしまいである。
いつもなら、ここに桜童子とシモクレンの二人語りが入るところである。
しかし、この物語の最後の場面で総括するように語り合う時間は、二人にはなかった。
<ユーエッセイ>まで戻ったシモクレンは、死体のように目を開いたまま倒れているあざみを発見する。
それと同時に、<ユーエッセイの歌姫>が忽然と姿を消していた。
そこには小さな出会いの物語があるのだが、また別の機会に紙幅を費やすべきだろう。
ともかく二人には語り合うような時間はなかったのだ。
そこで今回は、ぼくが記録者としてこの物語の総括を行うことをお許し頂きたい。
この物語に小説のようなテーマがあるのだとしたら、ぼくはそれを「運命」であると言うだろう。
「運命」とは実に面白い。
会うべくして会った人たち。起こるべくして起きた出来事たち。
<ナインテイル>に起きた未曾有の<常蛾>事件を取り巻く様々な思い。
作為、故意、作戦、戦略、無意識、謀略、憂慮、機運、思いやり、疑念、義憤、願い、困惑、意図、計画、配慮、思惑。
断片的に見れば、それらはその場その場の判断に委ねられた魂のゆらめきであり、偶然の産物でしかない。
一粒一粒の雨垂れの雫が、集まって流れとなり、やがて大河となるように、思いの欠片が人を動かし、やがて大きな歴史の流れとなる。
その流れの中で見れば、思いの雫も、人々の行動も、全ては必然であったかのように思える。
人はそれを「運命」と呼ぶ。
しかし、その大きな流れを彩る曲が『運命』ではなく『月光』であるところに、歴史が時折見せる皮肉をぼくは感じるのだ。
-第八章『ムーンライト・レゾナンス』 完-




