129 ムーンライト・レゾナンス
サクラリアは指をわきわきと器用に動かして準備運動をしている。肩の緊張をほぐすためか腕を下げて何度もぶらんとさせた。
水泳選手が飛び込み台に立つ前の動作に似ている。
屋上にはトキマサが描いた「八方睨み」を設置した。
動かない桜童子の身体は台の上に載せてある。
<羅刹>は手を取って客席に座らせた。
<機動戦線あまわり>から<常蛾の眠り>に就いた人々が目を覚ましたと聞いた。
<オウーラ>と<ロクゴウ>を同時に攻撃して、人々を眠りから呼び覚ます。
舞台は整った。
ここが私の戦場だとサクラリアは自分に言い聞かせる。
「作戦名、<『月光』による共鳴>」
念話で二地点を繋ぎ、演奏を戦場に届ける。
四回目の演奏のラストで戦闘を完遂する。
そうなるようにお互いの状況を伝えながら演奏する。
言葉にすればただそれだけだ。
だが、シンプルだからこそ強い。
「にゃあ様の代わりに言うね。見せてやろうじゃないの! 【工房ハナノナ】のものづくりの力ってヤツを!」
パーティチャットを通じて「応!」という声が聞こえる。
パーティチャットに関しては想定よりずっと使い勝手がよかった。
当初、二地点での会話は不可能だと考えられたが、バジルとハチローがサクラリアのパーティとして各地点のメンバーを招待し許可を出すことで、たったひとつのパーティが成立してしまったのだ。
「グループトークアプリみたいやねえ」
シモクレンの言葉にサクラリアは妙に納得した。
「行きます!」
静かに鍵盤を叩き始めるサクラリア。足音が聞こえる。心臓が速く鳴り、指も慌ててしまいそうになる。
息を浅く吐いて、ゆっくり印象的に弾く。
坂を駆ける音。早くもぶつかり合う音がする。
<ロクゴウ>チームは、隊を二つに分けた。
あざみ、シモクレン、ユイ、カイト、タンゴ、てるるをA。
ハギ、バジル、イクス、ニャニィ、ウパロ、能生寧夢をB。
隊を分けた目的は役割をはっきりさせるためだ。役割とポジションがはっきりわかった十二人は一丸となって突き進んでいた。
てるるが<パルスブリット>で敵を仰け反らせると、あざみが道を切り開く。右はユイが叩く。左はタンゴが切り払う。
それで仕留めそこねたものは、能生とイクスが狩る。ニャニィとバジルは囲まれないよう牽制する。すべてのヘイトをカイトが肩代わりして進む。ハギが全体を把握し、シモクレンが回復と防御に専念する。ウパロはA隊のステータスを確認。ハギのアドバイスを受けながら支援魔法を使う。
「バジルだ。<ロクゴウ>、<魔鬼大堂>通過」
「ハチロー。<オウーラ>、<出島>が見えてきた。まもなく上陸」
<オウーラ>チームは、前回と侵入法を変えた。
<女神大橋>から<悲しき祈りの園オウーラ>というレイドゾーンは始まる。前回は船を道路公園脇に付け、四九九号線を北上し、大浦海岸通りからグラバー通りに折れ、<倉場庭園>に入った。だが敵の本懐は<大聖堂>にあった。<大聖堂>前を通過後<汐招月蟹>に退路を塞がれ、大量の敵の前にやむなく緊急脱出することになった。
今回は、船で<御転婆の扇>まで乗り付ける。<蘭坂>を抜け<倉場空中回廊>を通り、橋を防衛することで、後方からの増援を断つ。<ドックハウス>に陣を張り、その位置まで<月蟹>を誘導する。
「こっちは三人ですから襲われたらひとたまりもないですね、ユエさん」
「今から蔦が伸び始めて、アーケードになるまで二時間。うーん、ギリギリのラインですね、スプさん」
「蟹倒しても船まで戻れなきゃ、またあの子たち死んじゃうでしょうよー。ほら、ぶつくさ言わず退路作りに専念!」
カーネリアン、ユエ、スプリガンは別働隊である。<月蟹>を追い出してからの仕事だから、その間に蔦のアーケードでグラバー通りに退路を作ろうという作戦だ。
「ええ、ぷつくさ言ってんのはスプさんだけだよー、MAJIDE」
「向こうもかなり派手にドンパチしはじめたようですね」
「アナタたち、内容噛み合ってないのに息ぴったりで不思議なコンビね。あー、早く帰って姫様に癒されたい!」
「一番ぶつくさ言ってるし!」
ユエとスプリガンは声を合わせて言った。
<蘭坂>は立体的な戦闘を余儀なくされる場所である。神代の建造物を巣窟としたモンスターが次々と現れる。
オヒョウの笛の音で移動阻害をかける間に高い所を制するスズノシン。(昨夜の酒宴で、「すずが二人いて紛らわしい」と勝手に改名させられた風神スズのことである)
弓巫女すずも高い所をとる。
八体姫櫻華がもふもふ獣を率いて道を切り開く。妄想屋と龍眼を温存するために集団中央に入れる。守備力の弱いクロガネーゼとハチローも内側だ。サイドは<機工師の卵たち>とイタドリ、サタケ、アリサネが固める。
<オウーラ>の方が進捗が早い。煉瓦造りの斜行スカイロードを駆け上がったところで、サクラリアの一曲目がクライマックスを迎える。
<アルヴ>の機構の残る垂直スカイロードに乗り込む。橋を渡りきったところで栴那とゴーチャーが待機した。これで隊は前だけを向いて戦える。
ついにサクラリアのピアノが一曲目を終了した。
<ロクゴウ>はまだ<フタゴ>目指して走り続けているところである。川を渡ってすぐ以来、大した戦闘さえおきてない。ずっと走っている。
昼前のブリーフィングでは、龍眼はそのくらいの差は必要だと言っていた。<フタゴ>のボスはどうやら<冒険者>の身体であるらしいので、削らなければならないHPに差がありそうだからだ。
<月蟹>は、HPだけ見れば、<ヘイロースの九大監獄>を彷彿とさせるほどらしい。サクラリアにはピンとこなかったが、人と蟹、どちらが装甲が硬いかと言われれば、まあ蟹の方が硬そうなとは思った。
それよりも気になったのは、<イルカ=アネット>の名前だった。
パーティチャットを通じて聞こえたディルウィードの声は、沈痛な響きだった。
「イルカ=アネットは、ボクと姉で作ったサブアバターです。姉はあの日ログインしていなかった、はず、です」
「ディル。そいつ、アンタによく似ていたよ。ただ虚ろな目をした女だった」
あざみの声だ。彼女を確認したのはあざみとハギだけだ。
「姉は髪が長いくらいで、よく似てるらしいです。でも、この世界にいるはずは」
ないと断言出来ないのだろう。ディルウィードの声はいつになく先細りした。
「ディル。もしアンタの姉ちゃんでもアタシたちの邪魔するなら斬るよ」
「気をつけてください、あざみさん。姉は幻想級の装備をオークションで買うのが趣味だったから、結構手ごわいと思います」
「ディル! アンタの姉ちゃんなんだよ!?」
「あざみさんもオレの姉ちゃんです。オレの下宿先に貼り紙してくれたのあざみさんでしょ?」
「く、生意気な。どうなっても知らないよ!」
ついに<ロクゴウ>チームが<フタゴ>に到着する。前回大打撃を喫することになった仁王も、<オウーラ>と進捗を合わせているので完全に封殺することができた。
石段を駆け上がり、山門を抜ける。書院にも護摩堂にも敵の姿は見えない。
「ハトジュウが敵影発見!」
「ハギの介! 敵はどこだー!」
「がっかりしないでください、バジルさん。敵は山頂の電波塔にいます」
「遠いのか!?」
「そりゃあ、ここ、ちょうど中腹あたりですからねえ。まだ半分です」
二度目の第一楽章が終わった。
「<オウーラ>、<月蟹>との戦闘を開始」
ハチローの声だ。さすが<通信系>を名乗るだけはある。こまめに情報を送ってくる。
「まずくねえか!? おいおい、やばくねえか?」
こっちはバジルの声だ。もうお互いの通信役ということもすっかり忘れている様子。
しばらく全力ダッシュが続く。もはや、山岳修行の様相を呈してきた。
「こっちは<鬼の背割り>を通過したところにゃ。結構登ってきたにゃ。<オウーラ>どうぞにゃ」
バジルの代わりにイクスが状況を報告した。
「硬ぇ! DPS上げるぞ! 前衛働けぇえ!」
<オーバーランナー>で前衛を加速させる龍眼。さらに<フォースステップ>を併用。後衛たちにも火力を上げさせる。
「人遣い荒いな、ここの総大将は」
サタケの声。
「が、がんばりましょう!」
人見知り気味のスオウも精いっぱい声をかけあう。
「お、オレも前衛に参加するっスよー!」
ツルバラも<ソードプリンセス>とともに、参戦。しかし、直後にハサミが振り下ろされる。
「ヘイト無視するな、ヘイトむしー!」
激しいクラッシュ音。
イタドリが飛び込んで<穂首刈>でハサミを弾いたのだ。
「サンキュっす! ろりぃさん!!」
「ドリィだよ! ダメな間違いだよー! ダメダメだよー!」
<穂首刈>は<ドワーフ>の技術の結晶である。一番似ているものといえば、ラクロスのプレイヤーが持つ棒、クロスであろう。鋭利な刺叉部分で斬る・刈る、ミスリル鉱で編まれた網で叩く・弾くが可能となった。ラケットのように打ち返す癖のせいでハルバードはダメにしたが、この<穂首刈>はその弱点が最大の利点となる。
「出る君」
「ディルです」
「ディル君。この装甲破るには<ピンポイント>であの傷を狙わなきゃダメだ。君の編み出した魔法であのエビを釘付けにしてほしい」
「蟹です」
ディルウィードとアリサネが話している。
「今日は<オセル>なんだ」
「すいません、意味がわからないです」
「意味は<継承><遺産>」
「は、はあ。いや、分からないのは会話の流れで」
「痛いだろうから試したことないんだけど。さて、君の魔法、期待してるよ」
「は、はあ」
「君にルーンの加護があらんことを」
ディルウィードには、アリサネの真意は伝わっていないようだ。この時、アリサネには大きな決心があったのだ。
ディルウィードが詠唱を開始した。<騎士の巡幸>。非常に技の出が遅くまだまだ改良の余地のある技だが、敵をピンアップする効果持続時間とMP節約の点に関しては優秀だ。
オヒョウの移動阻害や、妄想屋のワンホールショット、そしてスオウの<アンカーハウル>で、わずかな時間だけ<月蟹>の脚を止めている。
ディルウィードがいよいよ<月蟹>の頭上に現れようというとき、アリサネの姿が揺らめいた。
刺突のモーションに入ったディルウィード。
その背後に現れ、ディルウィードの右手に触れたアリサネ。
「さあ、ボクの力を受け取って」
<シンギュラリティ>を発動している。
だが<月蟹>のハサミの方が速い。
「私の旦那様に、触れさっせるかるかー!」
反撃を予期したイタドリが飛び込んで<穂首刈>を振るう。
「悪いけど、今回はボクに譲ってもらえるかな」
イタドリの腕を左手で封じ、ハサミに身を投げ出すアリサネ。
一瞬の交錯。
ディルウィードの魔法が<月蟹>を貫き止める。
「アリサネさん!!」
「アルミン!!!!」
クロガネーゼが回復魔法を放つも、もう既にアリサネのHPは尽きていて効果はなく、慌てて蘇生呪文に切り替える。
際どいところで蘇生が間に合う。
<ドックハウス>のベランダでアリサネの身体は再生した。
<ルーンナイト>であるアリサネはロストと引き換えにして魔法を伝授したのだ。まさしく<口伝:一子相伝>の発動だった。
ディルウィードにはアリサネより二ランク下の<シンギュラリティ>が宿っていた。
龍眼たちは一気に攻撃を加速させる。甲羅がビキビキと音を立ててひび割れ始める。
「どうしてそんなバカな真似するの!」
ベランダでクロガネーゼが喚く声がする。
「死ねない僕らが意味のある死を迎えられるなら素敵なこと、ごはっ」
アリサネはクロガネーゼにグーパンチで顔面を殴打される。
「バカも休み休み言いなさいよ、アルミン! まったくバカは死んでも治らないんだから!」
「あたた、く、クロたん?」
「若様、お嬢様、<月蟹>の様子が!」
弓巫女すずが叫ぶ。
「第二形態かよ」
スズノシンも弓矢を置いて双剣に持ち替える。
泡を噴き出した<月蟹>が身体を伏せると、バリバリと甲羅が割れ新しい甲羅が内側から現れた。まだ、三分の一しかHPを削れていない。
第二楽章が終わる。
「前衛イタドリを中心に、櫻華、スズノシン、サタケ。後方巡視にツルバラとディルウィード。栴那とエドワードと交代だ。三十秒、急げ!」
<月蟹>が変貌を遂げる頃、カーネリアンから報告が入る。
「黒邪眼のおじさんー! 聞こえる? カーネリアンだけどー。結果から言うと、結界は壊せなかった。ただ、暗くなると月に向けて召喚を始める装置があるのよ。<ロクゴウ>を待って壊すから。あ、そうそう、下から来る敵はスプりんとユエりんがガッツンガッツン倒してるから。そっちちゃんと頑張ってねー」
どうやら時が来るまでサボる宣言らしい。
第三楽章が終わる頃、<ロクゴウ>チーム山頂に到着。
「ぜはー、電波塔にいねーじゃん、どこだよ」
バジルの声だ。
「バジル! あそこ! 木の展望台の上!」
イクスが見つけたようだ。
「ルチル置いてっていいよね。リアの曲は二度聞いたからちゃんと覚えた」
ユイの声にサクラリアは心臓が跳ねそうになる。
静かに眠る桜童子の姿を見上げて深呼吸する。
電波塔からまっすぐ坂を登った先に、<ロクゴウ>山頂がある。青空に浮かぶように木組みの立派な展望台がある。
よく晴れていて、風も穏やかだが、ローブの裾がはためいて見える。<イルカ=アネット>だ。
裾が銀色の光に包まれている。増強魔法<エンハンスコード>だ。
「おいおいおい、いきなり来るぞ! ハギの介! 結界!!」
「準備済みです! あ、あざみちゃん!」
<イルカ=アネット>が凝縮した<ラミネーションシンタックス>を掌に構築した。それを見るのはあざみは二度目である。
あざみには敵の攻撃のタイミング、威力、範囲が分かっている。いかに広範囲の呪文でも、単体攻撃を元にしているならば術者を中心とした扇型に広がる。術者に近付くほどに安全圏が増える。
術者が向きを変えなければである。
「発射の方向をねじ曲げるためや! みんな! 前進するで!」
シモクレンの声が飛ぶ。幅広の電撃があざみ目掛けてほとばしる。
「それは一度見た」
あざみは切り裂いた電光の中から飛び出す。
イルカの身体が、<ルークスライダー>で音もなく後退する。
「もらった!」
その方向にユイが詰めていた。しかし、ユイのトンファーは敵を捉えはしなかった。一瞬早く出現した<フリップゲート>に飛び込まれ、イルカはその場から姿を消したのだ。
<金鶏暁夢>で3Dミニマップを反射的に確認したハギ以外は完全に虚をつかれていた。ハギは懐から<爆裂符>を取り、背後の結界に貼る。
爆発音に全員が振り返る。
イルカは電波塔に出現し、再び<ルークスライダー>を使い背後からハギに迫ったのだ。そして、<サーペントボルト>を射出すると、後ろに飛び去り姿を消した。
音につられてハギの方を向いたユイの後頭部に手が置かれる。
次に現れたのは、ユイの背後だった。
零距離<サーペントボルト>。
ユイが反射的に身を丸め、トンファーで肘打ちを繰り出す。
イルカは<フリップゲート>で姿を消す。どちらにもダメージはない。
数秒の沈黙がとても長く感じた。
肌にざわつきを感じたのは<暗殺者>ゆえだろうか。黒猫のタンゴがベアークローを振り抜いた。背後に現れたイルカのフードが外れ、長い髪が露わになる。
またしばらく姿を消した。
「二隊に分かれて円陣! 背後を取られんように」
シモクレンが叫ぶ。
「くそー! ディルの姉ちゃん手ごわいじゃねえか」
呟くバジルの腹を強烈に殴るあざみ。
「やめろ! 情がわく。あの女は、ただの敵だ!」
「おごご、口で言えっつうの」
腹を押さえて尻もちをついたバジルは、空中を檻のように囲む立体格子状の魔法陣に気付く。
「嘘だろ、なんつうバカデカさだよ。おいおいおい! 全員、即散れ! <ラティス>の中だ!」
<ラティスシンタックス>は、通常、術者の足元を中心に複数展開する立体魔法陣だが、そのスケールが大きすぎて誰も気付けなかった。そして、この魔法は続く大型範囲魔法で雑魚を殲滅するために用いられる。
「あぶね!」
林の中に転がり込むのが遅ければ、全員ロストの可能性すらあった。雷のような轟音と光が溢れる。
散り散りになったら、再び<フリップゲート>と<サーペントボルト>で狙いうちがはじまる。
「カイトくん! 来ます!」
ハギの声で、カイトがロングソードを振るう。手応えがあった。
「侍お姉さん、バリアお兄さん、トンファー君、タンゴ、そしてオレ。まさか」
「あざみちゃん!」
ハギの警告。再びあざみの背後にイルカが姿を現す。
「<暮陸奥>!」
最強硬度を誇る短刀で斬る。ローブがざっくりと切れたがほとんどダメージはないようだ。防具も<幻想級>なのだろう。
「ヘイト上位五人だ! 侍お姉さん!」
「分かったならハギさんを上位者から外して! バカ狼! アンタもヘイト上げなさいよ」
「う、うるせーよ! こえーじゃねえか」
「問題発生、敵の大群が山を登って来ます」
ハギの報告は混戦を予感させた。混戦はヘイトを次々と書き換える。カイトやあざみ、そしてユイのヘイト調整力が問われる事態だ。
「ちょっとー、<ロクゴウ>。誰か返事してー。電波塔のとこに、古めかしい装置がない? 大昔の電話機みたいなのない? せーので壊すよ」
カーネリアンの声に、シモクレンが反応する。
「あったで。ぶっ叩いてええの?」
「やるしかないでしょ。構えて」
せーのでハンマーを叩き付ける。うっすらと緑に輝いていた鉄塔が鉄錆色に戻る。
「ハイハイ、おつかれー。あたし船で寝とくねー、お先ー」
カーネリアンは本気でサボる気だ。退路はどうやら自分が安全に船まで戻るための仕掛けだったらしい。
「アンタほんま詐欺師みたいなやっちゃなあ」
シモクレンは呆れた。
「どうとでも言って」
カーネリアンは吐き捨てる。
その後の「あの兎と邪眼師、誰にも喋ってないだろうなあ」という呟きは、誰の耳にも入らなかったらしい。
いよいよ残り一曲分。
<月蟹>は二度目の形態変化をし、残りHPは三分の一を切った。ツルバラ、ディルウィード、ユエ、スプリガンを集め、総力戦で挑む。
<ロクゴウ>は、ヘイトを盾職とてるると能生にうまく集め、混戦を切り抜けている。
その間、イルカは五人への攻撃の合間に極大範囲魔法を使うルーティンを繰り返している。異様なまでに短い魔法間隔とそれを可能にする装備やMP量にも驚かされるが、増援が範囲魔法に巻き込まれるのにお構い無しな点にも驚きだ。
「おかげで助かるけど、これは正常な<冒険者>のやることじゃあない」
あざみは言う。
「あざみ姉ちゃん。きっと、アレはぬけがらだ。人の皮を着た何かよくないものだ」
ユイも言う。
「周辺に敵影なし。この山頂にいるのが全てです」
ハギが告げる。
第二楽章に入る。<月蟹>はわずか十五パーセント。<ロクゴウ>はイルカを残すのみとなった。
ハチローが残りHPをカウントダウンする。
第三楽章。MPをほぼ消費し尽くしたイルカを展望台に追い詰める。
「アンタ、ずっと月にいたのかい?」
あざみが話しかける。最後に本当に意思疎通ができないか確認するつもりなのだろう。
「ディルのこと、覚えてるかい?」
「ムダだよ、あざみ姉ちゃん、その人から<典災>のニオイがするんだ」
ユイの声がする。
ステータス画面は<冒険者>イルカ=アネットのままだ。
「残り五! <ロクゴウ>準備はいいか!」
ハチローの声。
「何とか言えよ! イルカ=アネット! アンタはディルと一緒にいたいのか!」
「四」
イルカは最後の<ラミネーションシンタックス>を掌に構築しはじめる。
「三」
「アンタ、バカだよ。<フリップゲート>で逃げればよかったのにさ」
「あざみ姉ちゃん、オレがやる」
「二」
あざみはユイの進路を刀で遮る。
<ラミネーションシンタックス>が完成する。
「<紅旋斬>!」
イルカの首が舞う。
「一」
「フ・ロガ・ビトゥ・ス」
意味不明に唇が動く。
綺麗な金髪が地面に触れる。そして泡と化す。
あざみは空を見上げ、目を瞑った。
サクラリアの演奏が余韻を残して止む。
数秒遅れて歓声が起こる。
<P―エリュシオン>、大ホール。
「にゃあ様、やったよ」
ぬいぐるみの身体はまだ動こうとはしない。
サクラリアは観客席を振り返る。
「にゃあ、様?」
そこにいるはずの<羅刹>の姿が消えていた。




