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六傾姫の雫~ルークィンジェ・ドロップス~  作者: にゃあ
Ⅰ ルークィンジェ・ドロップス
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001 邂逅 ~少女ははじめてこの世界に出会う~

長いトンネルを抜けるようにして、少女の意識は覚醒していく。

 真っ白な光に包まれたかと思うと、軽いノイズとともに視界に色が取り戻されていく。


「〈冒険者〉さんが目を覚ましたようだ」

 覗き込む顔は、日に焼けた老人のもので、少女がこの世界で初めて目にする光景だった。


祖父(じい)ちゃん? 何言よるん? 何で標準語なん?」

 老人は顔を覗き込んだままきょとんとしていたが、返答はなかった。

 しばらくして視界がクリアになると、違和感が大きくなり、やがて近くに腰を下ろしている老人が、自分の祖父ではないことがはっきりとわかってくる。


「おう、〈冒険者〉のお嬢さん、もう立ち上がっても平気なのかね。さすがはわしらよりタフじゃなあ。だが無理はいかんぞ。なんせ、お、おい」


 少女は老人の家をふらふらと出た。海の匂い。だが、慣れ親しんだ海沿いの道も防波堤もなく、緑に覆われた大地があるだけだった。少し上り坂を登るとキラキラと光る海が見えた。遠くに見える島も海岸線も見覚えがある。


「ここはツクミの海……?」


 佐倉莉愛(さくらりあ)は海沿いの実家にいた。家から無線電波を飛ばして、海の見える防波堤でゲームをするのが好きだった。通信法上は違法になるかもしれないが、他に隣家もないような田舎である。潮風を浴びながら、ノートパソコンの画面を見ていたところで誰も咎めるものなどいない。咎めたとして、せいぜい祖父ぐらいなものだろう。


 その画面の中で生き生きと飛び跳ね呪文を詠唱していたキャラクターと同じ服を、自分が今着ていることに気づいた。倒れる直前の記憶を探っていたが、そんな服は着ていなかったように思う。景色も見覚えはあるものの、ゲーム画面の中の風景により似ている気がする。


「まてよー、まてまて。どういうことやろ」

莉愛は自分の服に触れてみる。トップスはラムレザーの手触りだ。フェイクレザーなんかじゃない。手縫いの本革だ。そんな服、家には一着もない。


「え、プレゼント? いや、それは呑気すぎるでしょーよ。んー。私は何らかの事件に巻き込まれているんじゃないだろうか。いやいや、それは考えすぎか。だって、こんないい服である意味がない。そうか、『ゲームの格好をさせられ、ゲーム世界そっくりな場所に連れてこられたとき、人はどんな行動をとるか』という大掛かりな実験って方がありうるな、うん。ここで最も恥ずかしいんは、私が慌てふためいてこの服を脱ぎ散らかすことやな」


 四方に顔を向けるがカメラらしきものは見つけられなかった。

それも当然のことである。彼女は異世界に放り出されていたのだから。


ついにそのことに気づいたのは次の日になってのことである。彼女ののんきな性格ゆえのことであろう。


 耳の奥でベルのような機械音が聞こえていたのを、彼女は無視していた。この音は直接頭脳に届いているのだから、潮騒にかき消されたりするはずもないのだが、これを無視できたのは容姿に似合わぬ彼女の豪胆さによるものだったのかもしれない。


(サクラリア。おいらだ、にゃあだ)

「にゃあ様!?」

挿絵(By みてみん)

 通話状態になったのは、何度目かの音に反応してギルドの仲間のことを思い出していたからだろう。まったくの偶然だった。


(無事か?)

 頭の中に直接語りかけてくるのは、ギルドマスター桜童子にゃあの中性的な声だ。彼のぬいぐるみのような姿を思い出す。

等身大の着ぐるみなどではなく、本当に一万五千円はしそうなぬいぐるみのサイズなのだ。莉愛はおかしくなってふきだした。まさか彼は今もなおその姿なのだろうかと想像したのだ。


(おい、今、ぬいぐるみサイズとか思って笑ったろ)

「ぎくり、さすがにゃあ様」

(ぎくりじゃねぇって。でもその想像は当たりだなあ)

「当たりって?」

(ウンディーネは喚べるし、幻獣だって召喚できる。そもそもおいらはこの珍獣じみた体だ。念話を使って確認したが、<アキバ>も<ミナミ>も<ナカス>もおんなじ状態だとさ。異世界なんだ、マジでね)



 刺身を塩で食べる変わった習慣の莉愛には、食文化さえ違うことに気づけなかった。「そういえば、この家には醤油がない」、「パンがもそもそしてまずい」と思ったくらいだ。

 そもそも、見知らぬ老人の家にいる理由を、「熱中症か何かで倒れているところを救ってくれたからだ」程度に解釈して深く考えてもいなかった。手を振ったら虹色の四分音符が出たのも、夢だと思って無視してしまったことを少し反省した。


 これが<エルダーテイル>の世界なのだと認識するには、懐かしいギルドマスターの声を聞いてもなお躊躇があった。

「ゲームの中にいるってこと?」

口に出してみても、日がな一日安楽椅子に揺られている老人が、<大地人>とは到底思えないのである。彼が自分の祖父によく似ているということもある。ここにいたのはわずか二日だが、彼が血の通った人間で、情に溢れた人間であることは間違いないことのように思えた。


 しかし、轟のような叫び声を耳にしたとき、はじめてここが異世界なのだと思い知らされる。警戒心から眉間のあたりに力を込めた時に知覚した。ステータス表示だ。土地にも人にも物にも情報が存在することを思い知らされる、ゲーム世界で見慣れたあのステータス画面が視界に展開したのだ。

「ホレ、<冒険者>さん。あんたの出番じゃろう」


―舞い散る花の円刀(セイバー)


 サクラリアは老人から革の鞘にはまった愛剣を受け取ると、外に走り出た。走りながら鞘を抜く。ゲーム時代に、友人が拵え自分が細工して仕上げた愛剣の、初めて感じる重みを味わいながら宙を斬った。


 視界の先に熊の後ろ姿があった。<梟熊(オウルベア)>だ。こんな海辺の町に出るモンスターではない。

現実世界で熊といえばツキノワグマだが、それだって数年に一度山中深くで遭遇した登山客がいるという程度の話で、大学生の莉愛がこんな間近で熊にお目にかかることはない。キャラクターのぬいぐるみならいざ知らず、体長三メートル近くもありそうな熊がこんな近くにいたら、それだけで脅威である。


 その熊の頭部がぐるりと百八十度後ろ側まで回った。フクロウの目に射すくめられそうになる。

莉愛は茂みに身を潜めている。

この<梟熊>の顔には触角のような羽根が生えている。耳の役目を果たす感覚器官で、わずかな物音さえ逃さないという形相だ。

だが、息を止めて潜む莉愛に気づかず、首をキョロキョロと回した。

(まだ見つかってない――。<ハイディングエントリー!>)

 呪文の名を静かに唱えると莉愛の体が周囲に溶け込んだ。

 そこまでは、ゲームの要領と変わらない。息を潜めて近くまで行き、円刀(セイバー)で仕留めればいい。


 しかし、莉愛は我に返ってしまった。

莉愛の囁きに気づいた熊の猛り狂う咆哮が、莉愛の身体と周りの空気をビリビリと震わせたのだ。

その瞬間、熊の背後から近づいて止めを刺そうとする剣を携えた吟遊詩人という構図は、獣に怯えるただの女子大生に変わってしまっていた。


 莉愛の精神的な硬直状態が解けぬまま、呪文の有効時間は過ぎてしまった。幸運なことに熊は莉愛を振り返ることもなく、向こうの茂みへと一目散に走り去った。


 ―――か、に見えた。


「<アサシネイト!>」


 熊の巨体が宙に舞う。そして、きらめく泡と音になって獣の姿は大気中に消えた。熊を一蹴で消滅させた人物の姿は、少年のものだった。


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