第八十四話 逃走
鬼神の力をその身に宿した聖王はその口角をつりあげる。
なんと残酷な笑みだろうか、体がぶるりと震える。クラードは勝手に震えだしてきた体を押さえつけるように、地面を踏みつける。
ここまできて、覚悟は決めていた。万が一鬼神が復活したとき、クラードは一人で戦うつもりだった。
世界よりも友を優先したとはいえ、それでもクラードは世界だって救いたい。
前に出て、剣を両手に持つ。勝てる見込みは一切ない。震える両手を隠すように、クラードは声をあげる。
「ブレイブさん、オリントスさん……ラニラーア。俺の友人が飛行船で迎えに来ます。……それまでの時間はなんとしても稼いで見ますから、フィフィたちを逃がしてください」
三人は勇者スキルを持っている。彼らを逃がすことができれば、鬼神に対抗する手段となりえるかもしれない。だからこそ、クラードはここで自分が時間稼ぎを行おうと考えた。
聖王が息を吐く。それは嘆息に似ていて、浅はかなクラードの考えを見抜いたようにも見えた。
「クラード、これほどの力を見て、体も震えている。……僕に従え。そうすれば、力を与え、僕の手下として厚く迎え入れよう。それはキミたちも変わらない。ブレイブ、オリントス、ラニラーアっ! 僕の望み、力が支配する世界には、キミたちが必要だ」
片手をあげる聖王に、クラードは拳を固める。
「……そんなの必要ねぇよ。俺は今までの世界がいいんだ。あんたのいう力の支配する世界ってなんだよ。そんなのみんなが笑えねぇだろ」
「笑う必要などない。僕に従う人間か、それ以外の人間。それでわけるだけだ。それがもっとも平和な世界だとは思わないか?」
「思わねぇよ。誰かと喧嘩して、けど仲直りもできるから楽しいんだ。……そんな一方的な支配の世界なんて、俺は楽しくないっ」
クラードは声を張り、聖王を睨む。
聖王の表情から余裕は抜けない。
「震えているぞ、クラード。虚勢もそこまでにしたらどうだ?」
「虚勢はってでも守りたいものがあるんだよ」
クラードは剣を聖王へと向ける。しかし、その剣をさげるようにブレイブが前へと現れる。
「ブレイブ様?」
クラードが声をかけると、彼はその目元を緩める。
「クラード。せめてもの罪滅ぼしだ。私がここは引き受けよう」
「……どういうことですか」
「聖王様があの力を望まれたのは、私にも原因がある。私は聖王様がここまで追い込まれているとは知らなかった。その身を前聖王様に頼まれたにも関わらずだ……っ。だから私が、せめて……ここで彼を倒す」
ブレイブは長剣を振り下ろし、その切っ先を聖王へと向けた。
だが、相手は鬼神だ。万全ではないが、その背後には魔王たちも控えている。ブレイブ一人で勝てるとは思えなかった。
「なに、案ずるな。これでも騎士団長だ。剣の腕まで、鈍ったつもりはない。だからクラード、飛行船に乗って早く逃げるんだ」
「……でも――」
「クラード、おまえとの戦いで私はまだ、全力を出していないんだ。その力を使うには、周囲に人がいてはやりにくい」
それが、ブレイブの強がりであることをクラードは気づいていた。それでもクラードは彼の決意を否定するわけにはいかなかった。
「……死なないでください」
「死ぬつもりはない。おまえたちが外に逃げたころには、私は英雄にでもなっているかもしれん」
ふっとブレイブは表情を緩め、剣を聖王へと傾ける。
聖王はその剣を見て、額に手をやる。
「ブレイブ……キミはもう少し賢い選択をすると思っていたが」
「……私は人々を守るために騎士を目指しました。私の剣は人を脅かすものを斬るために鍛えました。……例えそれが聖王様であっても、人に恐怖を与えるのでしたら、この剣で切り裂きましょう」
「ブレイブ……敵になるのであれば仕方がない。今ここで、キミを殺さなければならないな」
聖王は笑みを浮かべ、力を放つ。
聖王の闇の剣がクラードたちへと襲いかかる。
ブレイブはそれを剣を振りぬく。風の刃が彼の闇の剣を振り払う。
「クラードっ、急げ!」
ブレイブが叫び、風を放つ。クラードたちの体は崩れた聖堂の外まで弾かれた。
ラニラーアとオリントスは、それぞれの力を使い、アリサたちを担ぎ上げる。
クラードも近くに転がっていたフィフィを肩に担ぎ、ブレイブへと視線を向ける。
彼は聖王とともに戦い続けている。貴重な時間だ。命だけは落とさないで欲しい、と願いながらクラードが空を見上げる。
聖堂のあった真上を飛行船が飛んでいる。
『勇者祭、楽しんでね!』と書かれた垂れ幕が下りている。なるほど、レイスは飛行船の乗り手を申し出て、違和感なく飛行させていたのかもしれない。
「クラード、一体どの飛行船だ!?」
「あの真上のですっ」
「た、高い!」
オリントスは僅かに悲鳴をあげながらも、すぐに土の塊を空へと伸ばす。ラニラーアも、温度のない火の塊でニニとニナを飛行船へと打ち上げる。
「クラード、わたしがアリサとフレアを運ぶからっ」
フィフィが風を作り出し、二人を乗せる。また、彼女自身も一気に空へと上がった。
飛行船がゆっくりとせまってきたが、驚いたように一瞬揺れる。
オリントスとラニラーアが空へと向かう。クラードもナイフを飛行船へとテレキネシスで放ち、一瞬で転移を行う。
視界の届く範囲を最大利用し、三度の転移で船の甲板へと着地する。フィフィたちも底で横になっている。
それなりの広さを持つ飛行船だ。視線を右に向けると、ガラス張りの操縦室が見えた。
そこにレイスがいる。だが、彼に挨拶をするのは後だ。
急いで船の手すりへと向かい、下を見る。
酷い有様だった。あちこちから闇の手が、剣が現れ、街を壊している。
オリントスとラニラーアも近くへと来ていたので、クラードはその体へ向けてテレキネシスを放つ。
二人を一気に甲板へと引き上げる。
「レイス! これで全員だ! 船をっ!」
出発させてくれ、と叫ぼうとしたときだった。
クラードの耳元でなでるような声が響いた。
「ふふふ、お兄さんお兄さん、逃げるなんてつまらないですよ」
そんなとき、声が聞こえた。
視線をそちらに向けたクラード。
空中でばさばさと黒い翼を揺らしている少女がそこにはいた。
彼女は手にぼろぼろの人形を持っていた、その鋭い角を鈍く光らせる。
彼女はぼろぼろの黒い服を身に着けていた。ところどころ、その赤黒い肌を見せた少女は、丁寧な礼をする。
「はじめまして。私は水の魔王、アリストです」
魔王の登場に、クラードは頬を引きつらせる。今ここでやりあうのはまずい。船を破壊される可能性もあるし、何より……そもそも勝てるだけの戦力がこちらに残っているか。
「お兄さん、気に入りました。恐怖に怯えながらも必死に抵抗するその姿。私のおもちゃにしてあげます」
少女が赤く目を光らせ、クラードへと跳びかかる。
同時に周囲に水が生まれ、船へと襲いかかる。アリサの持っていた水の力だ。
それが船を飲み込もうとし、ラニラーアが火を放ち迎えうつ、威力はほぼ互角だ。
翼を揺らし、アリストがクラードへと突っ込む。
クラードはボロボロの体でアリストの突撃を受けるが、力の差は明らかだった。
クラードは彼女の一撃にあっさりと甲板へと押さえつけられてしまった。
アリストの尻尾の先が鋭く尖り、クラードの顔の前で揺れる。
「ふふふ、お兄さん。お兄さん、恐怖で顔をゆがめてね」
その右手が鋭く光る。クラードが反撃に剣を振りぬくが、アリストの体に届く前に謎の障壁で防がれる。
障壁で少女が僅かに後退したが、それでも少女が傷を追っているようには見えなかった。
「その程度の攻撃、魔力の壁で防げますよ。ですから、どれだけ暴れても無駄ですよ」
攻撃が効かないのでは、そもそも勝ち目などない。ブレイブを思い出しながら、クラードは顔をゆがめる。
「やめてっ!」
フィフィが叫ぶと同時、鋭く強い魔力が抜ける。
瞬間アリストはクラードの上から跳ねるようにかわす。
わずかにフィフィの魔法がアリストの障壁を破り、その体に掠る。
「……これは竜神の加護、だねっ」
アリストがフィフィを睨む。フィフィはその一撃で魔力を多く消費したのか、呼吸を乱し、膝をつく。
アリストがフィフィへと片手を向けたとき、オリントスが動いた。
走りだしたオリントスがアリストへと突撃する。
その障壁ごとオリントスは押し出すようにして、アリストを空中へと共に飛び出す。
クラードは外へと飛び出したオリントスをテレキネシスで連れ戻そうとした。
だが、彼は首を振る。
「僕が押さえるっ! クラード、アリサ様……を頼む!」
オリントスは土とともに、少女と落ちる。
誰かがアリストを足止めしなければ、また彼女はその翼で飛行船へと戻ってくる。
クラードは拳を叩きつけ、それで冷静になる。
レイスが操縦室の窓を開け、叫んだ。
「ラニラーア! 大量の火を放て! それで風が生まれる! 風に乗れば、この飛行船ならいくらでも逃げ切れる!」
「わ、わかりましたわ! 火でぶっ飛べばいいんですのね!?」
「ちょ、ちょっと違う、待て待て!」
レイスが悲鳴をあげるようにし、ラニラーアは半ば焦りながらも飛行船の後ろへとダッシュする。
「レイス、ぶっ飛んでも飛行船は大丈夫か!?」
クラードはすぐにフィフィたちを操縦室へと移動する。
「だ、大丈夫だとは思うが――」
「なら、今はそっちで逃げるぞ!」
「……しっかり捕まっていろよ」
レイスの嘆息交じりの返事にクラードは笑みを返す。
後方に向かい、火の準備をしたラニラーアへと、装備操作を行う。
今身につけている装備のすべてを彼女へと渡す。ラニラーアの魔法力が一気に跳ね上がり、その火の衝撃によって飛行船がぐんと加速する。
大量の風も受け、飛行船は一気に進む。もともと、飛行船自体は魔石を原動力にして動いている。
クラードたちがすむ大陸がどんどん遠ざかり、やがて霧の外へと突入する。
霧を見ながら、クラードは聖都をもう一度見る。
あちこちに生まれた大量の闇の剣に、クラードは短く息を吐く。
聖都で今も戦っているブレイブやオリントス、それに知り合った人たちの顔を思い浮かべ、クラードは奥歯を噛む。
「クラード、ひとまず状況を知りたい。クラード、大陸を見つけて飛行船を止めていいか?」
「……ああ。わかった」
「操縦室から中に入れる。部屋はいくつかあるが、今はすべて荷物置き場として使わせてもらっている。つめられるだけの食事と、魔石冷蔵庫を積んである。一度、体を休めてきたらどうだ?」
「……そう、だな。着陸した大陸が安全とも限らないしな。レイス、横になれる場所はあるか?」
「ああ。一室に二段ベッドが並んでいる。全部で六人分しかないが……」
「わかった。ラニラーア、アリサたちをそこに運ぶから手伝ってくれ」
「わかりましたわっ」
レイスが示した場所の床を押し開けると、階段があったそこから中へと入る。魔石がこうこうと光る廊下には扉がいくつか並んでいた。
「フィフィは念のため、外の警戒をしていてくれないか?」
「わかった」
クラードはフィフィに外を任せ、アリサたちを連れていく。
「一番奥の部屋がそうだ」
レイスの言葉が操縦室から響いた。
クラードは息を吐きながら、フィフィたちをその部屋へと運んだ。
救出は成功だ。だが、他は何もできなかった。
鬼神を倒すつもりで乗り込んだ。だが、魔王にさえ勝つことはできなかった。
クラードは無力さを嘆いていた。楽観的に、きっとどうにかなるとそう思っていた。
クラードは奥歯をぐっと噛む。それでも、顔をあげる。落ち込んでいる暇などない、と。




