第八十話 大聖堂
外は騒がしかった。牢屋にいるにも関わらず、まるで街中にでもいるかのように人々の声が響いてきた。
勇者祭が本格的に始まったのだろう。
クラードはちらと看守室へと視線をやる。
そこに立てかけられた時計で時間を確認し、十時を過ぎたところでクラードは行動を開始した。
看守であるはずの騎士は、その仕事を放り出して街に飛び出した。今頃は勇者祭を楽しんでいるだろう。
もともとここが軽犯罪者たちを一時的に入れているだけの場所だ。それほど警戒する必要もないとはいえ、無責任だ。何より、この状況は最高だった。
クラードは看守室にある鍵束へと視線をやり、テレキネシスを発動する。
一瞬で鍵束を手元に運び、そこから鍵穴へと差し込んで、牢屋をあけた。
体を軽く動かし、外へと向かって歩いていく。
外に出ると、まぶしい日差しが差し込む。牢屋に入り込んでいた光は、うっすらとしたものばかりだったため、思わずくらりと来た。
「おい」
声が聞こえ、クラードはちらと背後を見た。先ほどまでクラードがいた建物がそこにはある。石造りの小さな建物だ。
その入り口に、小さな一人の人間がいて、クラードは声をあげそうになる。
人は勇者祭で売られていた仮面でも買ったのか、犬の仮面をつけていた。
男はすっとクラードへと近づく。クラードは慌てて両手を振る。
「あー、いや俺はその違うんです。犯罪者とかじゃなくてですね……」
「何を言っている。僕だ」
そういって犬の仮面をずらした彼は、むすっとした顔をクラードへと向けた。
「お、オリントスさんっ!」
それはそれで、クラードは驚いた。なぜ近衛騎士隊の副隊長が、とクラードは思わずにはいられなかった。
「しっ、声を大きくするな。せっかく僕が変装しているというのに……」
彼はぎりっと表情をゆがめる。
騎士の鎧ではなく、平民が着ているような簡素な服に身を包んだ彼に驚く。
「いつからここにいたんですか?」
「おまえが牢屋に入れられてから、ほとんどずっとだ。時々目を離すときはあったが、基本的にはここで待機していた」
「そ、そうなんですか」
「なんだその顔は」
オリントスがじろりと目を鋭くする。
クラードは首を慌てて振った。
「けど、どうしてここに……?」
「アリサ様を助けに行くかどうか、それを見届けたかったからだ」
「……なんで?」
「……僕が、彼女を助けたいからだ。貴様もそうだろう、クラード」
「……アリサ、というか全員です」
「それでいい。僕も協力する」
彼の言葉にクラードは驚く。オリントスが空を見上げる。
そこには飛行船が浮かんでいた。小さな飛行船には、勇者祭とかかれた幕がついている。
「けど、オリントスさんは騎士で……それにブレイブ様の部下じゃないですか」
「確かにそうだ。だが、僕は前聖王様に剣を捧げた騎士だ」
「前聖王様……」
「続きは移動しながらにしよう。おまえの分だ」
オリントスが取り出した猫の仮面を、クラードは一瞬迷いながら受け取って装着した。
犬と猫の仮面をつけた二人は、大聖堂へと歩いていく。
街にはたくさんの人があふれていて、思うように進むことはできない。
だが、焦りはない。オリントスが
「僕は三大貴族のうちの一つの生まれだ。それで、王城にはよく出入りをしていた」
「……はい」
「前聖王様ともよく話していたんだ。……ホムンクルス技術や、飛行船などの開発に力を入れたのは前聖王様の代からだ」
「そう、なんですか」
それに複雑な思いを抱くクラード。
前聖王によって、いくつものホムンクルスが死んだ。けれど、フィフィたちと出会うこともできた。
「前聖王様は、ホムンクルスを封印に使うのではなく、鬼神を倒すために研究を重ねていた」
「……そうだったのですか?」
「ああ。ホムンクルスがどうして竜神の筆によって加護を受けられるのか、その点を特にな。それによって、人間を強化していけば、鬼神だって倒すことができるだろう、と前聖王様は考えていた」
「……確かにその通りですね」
「とにかくだ。そのとき、僕は聖王様に頼まれたんだ。『アリサをよろしく』と……前聖王様は娘を欲しがっていたからな。アリサ様のことも、実の娘のように可愛がっていたよ」
「……それで、オリントスさんは助けたい、のですか?」
「ああ、そうだ。僕は前聖王様の考えに共感して、騎士になったんだ。前聖王様との約束、たがえるわけにはいかない」
オリントスの仮面の奥に除く瞳は鋭く尖っていた。
中央区画にある大聖堂を目指して歩いていく。
人々が列のようになって、中央区画を歩いている。
騎士たちがあちこちに立ち、警戒を強めている。
クラードたちは仮面をつけたまま、その列に混ざる。
「大聖堂の入り口は解放されているとはいえ、中まで見えるのは限られているはずだが……やはり、人は多いな」
「……そうですね。俺も何度か勇者祭には着たことありますけど、今年は異常ですね」
「飛行船のお披露目もそうだが、何より鬼神を封印する、と大々的に発表したからな。それが例年以上に人を呼んだのだろう」
「でも、ここにいる人たちは封印している状況を見ることはできないですよね?」
「それでも、近くに行きたいのではないか? 僕にはよくわからない心理ではあるが」
中央区画に入ってからも、人の多さは変わらない。
周りの人にぶつかりながら、確実に大聖堂を目指して歩いていく。
「もう、フィフィたちは大聖堂にいるんですか?」
「今朝には入っているはずだ」
「……フィフィは事情を知っているんですか?」
「知っているだろう。どちらにせよ、助け出せば変わらない。少し急ごうか」
オリントスが穂を進め、クラードもその後ろをついていく。
オリントスの体はクラードよりも頭一つ分大きかった。頼もしいその背中をついていく。
やがて見えてきた大聖堂に、クラードはため息をついた。
大聖堂は、聖都でもっとも古いといわれている建物だ
五百年前の機獣を含めた鬼神との戦いで、すべての都市はぼろぼろになったが、各都では真っ先に聖堂を作り直している。
聖堂を造り、竜神への祈りを再開すれば、世界はすぐに元通りになると思われていたからだ。
聖都の大聖堂はその中でももっとも最初に造られた。そのため、一時的に王族が住んでいたし、騎士の拠点でもあった。
そういった時代的背景もあって、聖都の大聖堂は他の聖堂とは違った造りをしている。
巨大な建物の周囲は、鉄の柵で覆われている。それは、魔物たちの襲撃を警戒してのものだ。
一度改修作業を行ったが、このつくりだけは変えていない。昔の状態を、残しておきたい、それがかつて聖都をまとめていたものたちの移行だった。
庭は広く、聖堂への入り口までは遠い。
敵が襲撃してきても、聖堂にたどり着く前までに撃退するためのスペースだ。今、そこにはたくさんの人であふれていた。
ただ、聖堂の入り口までは入れない。
庭の半分ほどで、ずらりと騎士たちが腰に下げた剣に手を伸ばしたまま、人々が立ち入らないようにしていた。
人々に混ざるようにクラードたちは進んでいく。人々の間を縫うように移動していくが、近づける距離には限界がある。
ある場所を境に、ぱたりと進まなくなる。
人々を押していくわけにもいかず、クラードはもどかしい顔をする。
もうすぐ近くまできたというのに、なかなか遠い。
「クラード。行動を起こす前に、確認しておく。大聖堂にはたくさんの騎士がいる。目に見える場所でもこれだ。……中には腕のいい騎士たちが多くいるし、参加している貴族たちが自分の護衛として優秀な冒険者を連れている場合もある。……その中に突っ込んでいって、無事に脱出できる手段はあるのか?」
「……ええ、大丈夫です。俺にも、仲間がいます。……そっちは、そいつに任せています」
「……そうか。それならいいんだ」
大聖堂に続く道にいた人は、増減を繰り返す。
クラードとオリントスは隙間へともぐりこんでの移動を繰り返し、ようやく大聖堂の庭まで到着した。
時間は十一時を回ったところだ。クラードは横に並ぶオリントスへと視線を向ける。
「オリントスさん……ここからは、騎士を倒して無理やり行くしかないですよね」
「……ああ、そうだな」
オリントスは小さく息を吐き、眼前にいた騎士へと視線を向ける。
その鎧は近衛騎士の証である青の鎧だ。
ここを押さえている近衛騎士に視線を向けたオリントスは、仮面をはずした。
「え?」
突然の行動に、クラードは驚くしかなかった。
ここまで姿を隠していたにも関わらず、オリントスは突然その顔をさらした。
近衛騎士も驚いたように目を見開く。
「僕はブレイブ様に用事がある。この牢から脱出したこの者を連れてきた」
オリントスは素早い動きとともに、クラードに手錠をかける。それは竜神の加護を封じる最悪のものだ。
クラードはスキルを使用しようとしたが、どれも使えなかった。
「お、オリントスさんっ。どういうことですか!?」
「……悪いなクラード。僕はブレイブ様に頼まれて、おまえが逃げ出さないか見張りをしていたんだ」
「お、おいっ! ま、待てっ! ふざけんな!」
オリントスから逃げようと暴れるが、手錠のせいでロクに力を発揮することはできない。
近衛騎士は一礼をし、オリントスを中へと案内する。
事情を知らない市民が苛立った声をあげていた。
オリントスは仮面をずらしたまま、解放された大きな両開きの扉へとクラードを引っ張っていった。
入り口を守る近衛騎士が、オリントスに一礼をする。
そこから大聖堂へと入る。
巨大な大聖堂にはいくつもの椅子が並び、貴族たちが着席していた。
まだ開始まで時間はあるため、座っているものたちはそれぞれ談笑をしている。
壁側はもちろんのこと、あちこちに騎士がいるその数はざっと百を超えるほどで、それらを収容できるだけの大聖堂に驚くしかなかった。
クラードたちがいる入り口から真っ直ぐ、赤い絨毯が敷かれている。
その先には、すでにフィフィ、フレア、ニナ、ニニ、アリサの五人がいて、その脇には聖王とブレイブがいた。