第七十二話 異変
結局、何の収穫も得られず、村へと帰還したクラードは、すぐに村長宅へと戻った。
村の周囲は頑丈な壁で覆われていた。一日ニニが頑張った痕跡がそこにはあった。
村を歩いていたクラードに対して、村人たちは感謝の言葉をかけていった。
それはニナの治療と、ニニの防壁に関してだ。その中で、クラードだけがまだ何も解決できていないことが、罪悪感のようにのしかかった。
村長宅へとつくと、村長とジンがそこにはいた。フレームは村の防壁の確認へ向かっている、とジンが添えるようにいった。
「山の状況はどうだった?」
村長に問われ、クラードは表情を暗くする。
「それが、どこにも魔物の姿は確認できなかったんだ。……糞や足跡も探したけど、どこにも見当たらねぇんだ」
「なんだって……そんじゃ魔物たちはどこから来ているっていうんだ」
村長が大きな声をあげる。
「それは、まだ調べてみないとわからねぇ」
村長ががくりと肩を落とす。ジンが髭を撫でながら大きく笑った。
「まあまあ。ひとまずニナとニニの活躍のおかげで、村はだいぶ持ち直したんじゃ。クラードたちも、今日は体を休めたほうがいい」
「ミクン、お前もな。ロクに休んでないんだろ?」
「私は、大丈夫だ。夜ならば、魔物たちも襲ってくるかもしれない、そのときに――」
「そんときはまた起こすから。それまでゆっくり休んでるんだ!」
村長がそういって、フレームやジンもミクンを見る。
ミクンは小さく頷いた。
村長たちの言葉に甘え、クラードは与えられた部屋へと向かった。
引っかかっていることがあった。それを確認するため、クラードはニナとニニの部屋に行く。
扉をノックする。「誰ですか」「クラードだ」「お帰りください」。そんないつものやり取りをしてから、扉が開いた。
ニナが不満そうな顔をしている。
ベッドの上ではニニがごろんとうつぶせで寝転がっていた。
「今はニニのマッサージをしていたんです。まったく、何の用事ですか」
「マッサージって……おまえも疲れているんじゃないか? 大丈夫か」
「ニニの体を堪能できるのです。疲労なんて吹き飛びます、ふへへ」
「笑い方がだいぶ気持ち悪いぞ……」
「それで、なんですか?」
ニナが腕を組み、クラードを見上げる。
ニニも首を回し、クラードと視線がぶつかる。
クラードは後ろ手で扉を閉める。
それから部屋の席に腰掛け、二人に真剣な目を向ける。たまらずニナが叫んだ。
「に、ニニにエッチな目を向けるんじゃありません!」
「向けてねぇ……」
「ではニニに魅力がないというのですか! それはそれで許しませんよ!」
「俺は二人に聞きたいことがあったんだよ」
そう切り出し、クラードは聖都であったある一件を思い出す。
そのときにオリントスが話していた言葉――。
「魔強化ポーションって知っているか?」
「……ええ、知っていますよ」
「……はい。あれは勇者製造の副産物みたいなものですからね」
それは意外だった。
クラードは咳払いをする。今確認したいことはそれではない。
「……そうなのか。それが、横流しで一部の人間に出回っていることもか?」
「ニナは正確なところは知りません。けれど事件が起きているみたいですね」
「ニニもお姉様と同じ程度の認識しかありあmせん」
クラードは二人の反応にこくこくと頷いた。
「その効果って知っているか?」
「……肉体とスキルの強化ですね」
「……はい。勇者をホムンクルスで作るのではなく、今いる人間を勇者に近づけるという目的で作られたものですからね」
「ああ、そういうことだったのか。あんな物騒なもん、何に使うのかと思ってたぜ」
使用者の体に大きな変化を作ってしまうのだ。
それは実際に目で見たことだ。クラードは短く息を吐いた。
「まあ、確認したかったことはそれだけなんだ。……悪いなお楽しみのところ邪魔しちまって」
「本当ですよ。さ、ニニ、始めましょうか」
「お願いします、ニナお姉様」
二人は柔らかな笑みを浮かべる。クラードが扉を閉め、用意された自室へと向かった。
○
次の日。クラードはミクンとともに山を捜索したが、やはり魔物の姿を見つけることはできなかった。
村の防壁は完成し、けが人たちもとりあえずの治療はすんだ。
休んでいろ、といっても彼らはすぐに村を守るための警備についたり、村を直す作業にとりかかっていた。
クラードも夜の村で警戒を行いながら、村長の家で休んでいた。
一日仕事をしたニナとニニは、客室で休んでいる。
魔物が一切発見できなかった状況に、村長を含めた三名は首を捻っていた。
「魔物が一切いない、か……。ただ、オレたちが向かったときはあちこちから魔物に襲撃されたよな」
「そうですね……あのときは本当最悪でしたよ。逃げるので手一杯で、死ぬかと思いました」
「……無から魔物が生まれる、か」
ジンが考えるように手をやる。
クラードもそれがずっと引っかかっていた。
魔物たちは、住み着いたのではなく、どこかから突然音もなく現れているのだ。
「ジンさん、召喚のスキルってありますよね?」
「……なるほどのぅ。確かにそれはありえる可能性かもしれぬが……」
クラードが訊ねるとジンはあごひげを撫でる。
村長とミクンは首を傾げた。
「召喚ってのはなんだい? オレは聞いたこともねぇぜ」
「聞いたことはあるでしょう。召喚といえば、簡単に思いつくのは勇者様たちですよ」
「おお、なるほどねぇ! 確かに山に住み着いていねぇなら、召喚魔法ってことはありうるよな! それだっ、大当たりだ! クラードやるじゃねぇか!」
「じゃがの……」
ジンがため息をついた。
「召喚スキルの使い手をわしは見たことがあるんじゃが、精々一体、二体程度のものなんじゃよ。あれほどの量の魔物は召喚できないんじゃ」
「そうなんですよね」
クラードはぽりぽりと頭をかく。それから、ニナたちに相談して教えてもらったことを伝える。
「ジンさん。……その、俺もそこまで詳しくないんですけど、聖都では現在、魔強化ポーションの製造を行っているんです」
「……なんじゃと。おぬし、それは本当か?」
ジンが即座に食いついた。クラードはこくりと頷くと、彼は視線を下げた。
「なんでぇ、クラード。そいつは一体どんな代物なんだ?」
黙ったジンに変わり、村長がそう問う。
「簡単にいうと、肉体やスキルの強化を行うポーション、らしいんだ。実際、聖都ではそれを誰かが横流ししている事件もあって、俺もそれに遭遇したことがある」
「なるほどな。……ってことは、召喚スキルもちの奴がそれを飲んで、この村を襲っているって可能性もあるよな。でも、何のために?」
「……それはわからないけど」
「まあ……理由はなんでもいいか。けど、誰がやってるのかはさっぱりだよな。まさか、村人たちって可能性も……なくはない、のか?」
村長が腕を組み、フレームがこくりと頷く。
「そうですね……例えば村長のやり方が気に食わないものがいる、とかはありえますね」
その口元はからかうように緩んでいた。村長が腕を組んだ。
「おいおい、そんな悲しいこと言うんじゃねぇよ」
「冗談ですよ。……村の人間ではないでしょう。村の人々のスキルに関して、私達はすべて把握しています。最近、この村に人の出入りもありませんし」
フレームがそういってから、村長も頷いた。
「そうだよな。もしも召喚スキルってのが本当なら、どこかに召喚者もいるはずだ。けど結局、魔物が襲って来たところで、近くの捜索をするしかねぇな」
「……そうじゃな。じゃが、クラード、一つ疑問があるのじゃが、聞いてもいいか?」
「なんですか?」
「仮にスキルを強化しても、召喚された魔物であれば、それは消滅するはずじゃ。迷宮の魔物のようにの。だが、実際わしらが倒した魔物は消滅することなく、その死体が残っていたんじゃ。……魔強化ポーションで、この現象は起こるのじゃろうか?」
「……そうですね。それについては、俺も詳しくはないんで、わからないです」
召喚された魔物の死体が残った場合を、クラードは知っていた。
水の都で戦った鬼魔のことを思い出し、クラードはぐっと奥歯をかんだ。
それは、決して伝えることはない。
例えば、魔強化ポーションを飲んだものの召喚術が、魔王が召喚する鬼魔と同じようなものであれば――。
そうは考えたが、無駄な不安をあおるだけだった。たとえ、敵が魔王であって、それを彼らに伝えてどうにかなるわけでもなかった。
「そうじゃな。すまぬのう……村長の言うとおり、また魔物が襲って来たときに、ミクンとクラードに捜索を頼むしかないの」
ジンが言って、フレームも頷く。
「そうですね。そのときまで、お二人はゆっくりと体を休めてください。それでいいですよね、村長」
「おう、問題ないぜ。ゆっくり休んでくれよな」
村長がにぃっと笑って、クラードをみた。
クラードは山を移動していただけであり、疲労はなかった。同じ部屋にいたミクンは、ぐっと顔をしかめていた。彼女は今日一日何もできなかったことを悔いているようだった。
村長宅を並んで歩いていく。ミクンは自室へ、クラードは客室を目指して。
そんなとき、ミクンはぽつりともらした。
「……なぜ、魔物たちは仕掛けてこないんだ」
「もしも、相手が人間なら、俺たちを警戒したって可能性もあるな」
「くっ……このまま事情がはっきりとしなければ、またリフィリアを生贄にだせと言ってくるものがでてきかねないんだ」
「わかってるけど、焦ってどうにかなることでもねぇんだ。どっちにしろ、事件が起きない限り何もできねぇ。起きたときに動けるように、休もうぜ」
「……ああ、わかっている」
それでも彼女は不満げな顔であった。
何もできないもどかしさは、クラードも分かる。彼女にそれ以上のことは言わなかった。
「また、事件が起きたら、よろしくな」
「ああ……わかっている」
クラードは客室へと入り、部屋のベッドに寝転がる。
魔石による明かりはあったが、聖都や他の都に比べるとその光量は随分と控えめだ。
ばふっと柔らかなベッドで枕に顔を押し付ける。
召喚スキル、魔強化ポーション、それと同時にミクンの言葉を思い出す。
村の事情を良く知っていて、またクラードたちを強く警戒するものがいる――。
それも、最近村の近くに現れた人間がそれを行っている。
クラードはそれを考えていて、いくつかの疑念が浮かびあがった。けれど、それはまだ何の確信もない。疑うにはあまりにも小さな可能性でしかなかった。
クラードは短く息をはき、ごろんと転がる。――明日村を調べて駄目だったら、そっちをあたってみようか。