第五十二話 『ランクG』
聖都は高い建物がずらっと並んでいる。
街を歩く人々の服装は、他の都市よりも数段進んだものとなっている。
聖都に暮らしている人間は貴族が多い。それか、裕福な平民ばかりだ。
それらを狙う人間も少なくない。そのため、街にいる騎士も他の都よりも多い。
そんな街の中を馬車は進んでいく。
クラードたちが乗っている馬車は街にある馬車と同じだ。
アリサとブレイブも乗っているが、移動の場合はこれが一番都合がよかった。
豪華なものにしても、無駄に注目を集めるだけだ。
舗装された道を進んでいく馬車は、ほとんど揺れることがない。馬車の質が良いのもあるだろうが、それよりも聖都の舗装技術が高いからだ。
クラードはあくびを一つして、背もたれに体を預けた。
二時間ほど馬車で揺られていた。話すこともなくなり、先ほどからずっと暇だ。
馬車は中央区画へと入り、そのまままっすぐに城を目指していく。
フィフィは窓にくっついて外を見ていた。
城が見えたところで、アリサが顔をあげた。
「クラード、まずは聖王であるあたしの兄に報告をするわ」
「俺が護衛になるって話をか?」
「ええ、そうよ。きちんとしなさいよ。兄は特に、平民に対してうるさいからね」
「わ、わかってるって。教えてもらった通りにやればいいんだろ?」
クラードはじんわりと汗ばむ手を服で拭う。相手は聖王で、僅かに緊張していた。
「それがなかなかできていなかったじゃない」
「で、できてはいただろ! ただ、その……なんだ。形がうまくなかったっていうか……」
そのタイミングでラニラーアが笑う。
「クラードは物覚えが悪いですの」
口元に手を当てたラニラーアを、クラードはぎりっと睨んだ。おまえにだけは言われたくない、と。
アリサがクラードに教えたのは、聖王への振舞いだ。
クラードは騎士ではないが、アリサの護衛を受ける以上、その立場は騎士に近いものとなる。
左ひざをつき、右こぶしをつけ、頭をさげる。
それが騎士が仕えるものに対しての基本姿勢だ。
クラードはそれを練習で何度も行った。動きは一瞬。一秒もかけてはいけない。それを酸っぱく何度も言われていた。
下手をすれば、迷宮で魔物を戦うよりも大変だった。
城の門をぬけ、馬が大きく鳴くと馬車が止まった。仕事を終えたことを喜ぶかのようだ。
馬車から降りて、一度体を伸ばす。ぽきぽきと骨が心地良くなる。
それからクラードは腰に手をあて、城を見上げた。
「いやぁ……でけぇなおい」
「……うん、すごい」
「フィフィは前にもここで住んでいたのか?」
クラードの疑問に対して、アリサは首を振った。
「フィフィはここに来たことはないわ。……さあ、中に行きましょう」
アリサがすぐに騎士に指示を出し、騎士が頭を下げ走っていく。聖王のもとへと報告に向かったのだ。
アリサが先頭を歩き、クラードたちもその後ろを追う。
ブレイブは騎士団長として聖王に顔を見せる予定だ。ラニラーアもブレイブの従騎士となったため、それについていくことになる。
城の庭から中へと入る。石造りの城は、建造されてから何十年も経っている。壁などをみれば小さな亀裂がいくつかあるが、それでも立派な様子は変わらない。
長い年月によって、城の重厚感は一層増している。
騎士やメイドたちが、アリサとブレイブを見ては頭を下げる。
クラードたちを見た騎士やメイドは、一瞬考えるような素ぶりを見せることが多い。
だが、その集団を率いているのは王女であるアリサだ。彼女がクラードたちの前を歩いているため、誰も声をかけることはない。
ブレイブもその列に混ざっている。それによって、訝しむことはしても警戒までは誰もしなかった。
「それじゃあ、行くわよ」
大きな扉の前で、アリサが足を止めた。
白の扉の左右には、騎士たちがいる。どちらもブレイブと同じ鎧だ。
となれば、近衛部隊であり、ラニラーアと同じ部隊の人間だ。
ラニラーアが、深く頭を下げる。騎士たちは彼女を一瞥だけして、ブレイブに礼をした。
「ブレイブ様、お久しぶりです。そちらの方たちが例の者たちでしょうか――?」
「そうだ、オリントス。ラニラーアはこの子だ。私の従騎士になったものだ」
「よ、よろしくお願いしますわ」
オリントスはじろりとラニラーアを見た。
クラードはオリントスの目に懐かしさを覚えた。勇者スキルを持っているとはいえ、ラニラーアは鬼だ。それが、男にとっては不快なのだろう。学園時代、ラニラーアに対してその感情を持つ人はたくさんいた。
それは一日二日でどうにかできるものではない。ラニラーアが、これからの行動で示していくしかない。
「……それで、そちらの者がアリサ様の護衛になったという」
「クラードです。よろしくお願いします」
「……ふん。おまえのようなものに務まるとは思えないな」
ラニラーアよりも、さらに厳しい態度だった。
アリサの護衛は、大変なものだ。そもそも、彼女は正式な護衛を一度も雇っていない。大変ではあるが、その立場に憧れるものも少なくはない。
アリサはそのことごとくをはねのけてきた。
アリサの立場に憧れる人間もいるため、あまり歓迎されない可能性もあるのだ。
例えばぽっと出の冒険者が指名されれば、それに対しての非難は多くなる。
クラードは笑みを浮かべながら、その心をぎらぎらと燃え上がらせた。
――俺だって、せっかくのチャンスなんだ。力を証明して、遠征部隊に指名されてみせる。
何年も冒険者として仕事をしなければ、遠征部隊になど選ばれるはずもない。
それが、ここでの活躍次第で部隊に入れるかもしれない。そのチャンスを、他人に嫌われるからといって放り出すつもりはない。
「オリントス。中に入っても問題ないな?」
ブレイブの言葉に、彼ははっとした顔を作る。それから、急いで頭を下げた。
「問題ありません。失礼しました」
彼はそういってから、鋭い目をクラードに向ける。
クラードは毅然とそれを受け止める。面白くない人間は多くいるだろう。彼らに、せめて実力だけは認められるようにするしかない。
門を押し開け、オリントスはそのまま中へと入る。
オリントスは聖王の前で膝をつき、騎士の礼の姿勢をとる。
しっかりとクラードは目に焼き付ける。この後同じことをする必要がある。
「聖王様、アリサ様たちが戻られました」
「ああ、アリサ。よく無事だったね」
聖王の片腕は包帯がぐるぐると巻き付いている。問題なく動くところを見るに、大きな怪我ではないようだ。
「……ほんとう、最悪だったわよ。義兄さんに頼まれて水の都に行ったら、魔王に襲われるんだもん」
魔王、といった途端、謁見の間にいた貴族と騎士たちがざわついた。
「本当に魔王が……」「いや、あの王女のことだ、勘違いの可能性もあるのではないか?」「だが、ブレイブ様も同じようにみたとも――」。小さな会話がいくつかもれ、聖王が咳払いで沈める。
アリサの言葉によって、顔を青くしたものもいたが、疑いの目は数多かった。
王女のアリサに向ける視線ではない、とクラードは思った。
アリサの立場がいまいちわからずにいたクラードだったが、聖王が足を組んだところで意識をそちらに戻した。
歳は二十半ばほどだ。オリントスと似たような年齢の彼は、五年前に病でなくなった父の代わりに聖王になった。
本来ならば、引き継ぐにはまだ早かったが、跡取りが彼しかいなかった。
それでも、聖王が変わってからも都に大きな変化はない。彼が無難に聖王としての仕事をこなしてきたからだ。
「アリサから話しは聞いているよ。ラニラーア、ブレイブ、クラード、それにフィフィ。水の都を守ってくれたそうだね、感謝するよ」
ブレイブは首を振りながら言った。
「……私は何もしていません。魔王カルテルを追い払ったのはら、ここにいるラニラーアとクラードです。私は聖都へ帰還している途中で、引き返しただけです」
「それでも、残っていた鬼魔の討伐には協力してくれたはずだ。タイミング悪く呼び戻してすまなかった。どうやら、風の都でも鬼魔がでたらしくてね」
「……その話は聞きました。鬼神の復活が、いよいよ近づいているということでしょうか」
「だろうね。……と、そっちの話はまた後でだ。今は、アリサの大事な話を聞こうか」
謁見の間の注目もそちらに集まっている。
アリサはゆっくりと前へ歩いていき、聖王の前で膝をつく。
聖王が顔をあげるようにいい、アリサがゆっくりと首を動かす。
「聖王様、水の勇者であるアリサの護衛が決まりました」
「それは一体誰なんだい?」
「こちらにいるクラードです」
予定通りに進んでいる。
名指しされたところで、クラードは教えられた通りに膝をついた。
そこで、アリサが小さく人差し指でクラードの膝を指さす。
膝をついたときの折り曲げる角度は九十度が目安だ。クラードのは内側に食い込んでしまっていた。
慌ててそれを直すと、周囲にいた騎士たちがはんっと笑った。
「なるほど。必死に上を目指そうとする精神は認めるよ」
「あ、ありがとき幸せでござります」
学園に通っていて、最低限の敬語は使える。
しかし、先ほどのミスもあり、クラードは緊張していた。何より、彼に認められなければ、夢だって遠のいてしまうのだ。
クラードは小さく呼吸を繰り返し、落ち着くように努めた。
「彼はもともと平民です。一時的に学園に通っていましたが、騎士としての教育は受けていませんでした。礼儀作法に関しては、これからあたしを含めて指導していくつもりです」
「それは別にいいよ。クラード、顔をあげなよ」
言われてクラードは顔をあげる。
聖王は柔らかな笑みを浮かべる。
「僕は平民が嫌いだ。けれど、必死に貴族を見て、その域に到達しようとするものまでは嫌いじゃない。僕が嫌いなのは、向上心のない連中だ。それに関しては貴族であっても、嫌いだよ」
「は、はぁ、理解です、はい」
「僕はこの国に住む民全員が貴族になろうとしてほしい。上を向いて、上にあがろうとする、その意志を全国民には持ってもらいたい。まあ、本当に全員が貴族に、なんてのはどうしても無理だけどね。……とにかく、そういう風に上を見て、努力する人間は嫌いじゃない」
聖王がじっとクラード、そしてラニラーアへと視線を向ける。
「クラード、それにラニラーア。キミたちが平民としての立場に満足し、とどまらないことを期待しているよ」
聖王は足を組み替え、ぱんと手を鳴らす。
「それじゃあ、少し話を聞いていこうか。ここにいる者たちも、全員がクラードに納得しているわけではない。まずは、キミの実力から聞いていこうか」
「は、はい」
聖王がにこりと笑みを浮かべる。
予定通りだ、とクラードは思う。事前にどのような話をするかは決まっていた。
『キミは水の都で何をしたんだい?』『私はあちらにいるラニラーアとともに魔王を倒しました』。
これで周りに実力を伝える。それだけだ。
「クラード、キミのステータスのランクは?」
聖王のいきなりの質問に、クラードは目を丸くする。
予定と大きく違った内容に、口を閉ざすしかなかった。
ちらとクラードがアリサとブレイブを見る。彼らはそろって額に手を当てていた。
「手紙で、それだけはやめろって言ったのに……クラード、正直に答えなさい」
アリサは小さく言ってから、頷いた。
「ランクは……Gです」
「ほぉ、ランクGか?」
聖王はすっとぼけたような声で、『ランクG』を強調した。