第三十九話 な、泣くなって
クラードはラニラーアと出会ったときのことを、あまり覚えていなかった。
ラニラーアが熱心に、それこそ鼻息さえも荒くし、少し変態っぽく言う。
「ちなみにですわよ。その後実技訓練が始まりまして、わたくしクラードに一度も勝てませんでしたわ!」
「いや、何度か負けたことあったんじゃねぇか?」
少なくとも、クラードは何度か悔しい思いをしたことがある。
「いえ、わたくしが勝ったことはたぶんないですわよ? ……ああ、戦闘ではなく、短距離走とかでは時々勝ったような気もしますけれど……」
「それだったのかねぇ?」
クラードは背もたれに深く腰掛け、それから窓の外を見る。水の都に繋がる橋の中間あたりと走っていた。
フィフィの背中を叩き、窓の外を指さす。
「フィフィ、外見てみろって!」
「……え?」
水の都は、他の場所にはないほどの水であふれている場所だ。その景色は幻想的だ。
「わぁ……凄い――」
フィフィの言う通りだ。
水の都には、ウンディーネの強い加護が残っている。
また、国内すべての水を管理する都でもある。
水の都の中央には、大きな塔がある。
遠目でもわかるそこからは、きれいな水が滝のようにあふれている。
それらは街の水路を通り、すべての都へと流れていく。
水の都にある橋の下には、深い堀がある。そこにも、綺麗な水が流れていた。
「凄い、綺麗だね」
「本当ですわね……ひさしぶりにみましたわっ」
各都には、それぞれ役割のようなものがある。
水の都には、水への理解の深い子が生まれやすく、すべての水の管理を行っている。
土の都では、大地に詳しい子が生まれやすく、建築や農作業を行うものが多い。国内の食材の多くは、土の都の出身者によってつくられている。建築に関しても同様だ。
火の都では、火に詳しい子が生まれやすく、料理や鍛冶の能力の高いものが多い。城に努めているシェフの多くが、火の都で生まれた子たちだ。
風の都では、風に詳しい子が生まれやすく、船乗りが多かった。船を造る技術者もいて、それらに関係してか、研究者などが多くいる。
これらの都の出身者が、その実力を発揮するために、あちこちの都に移って生活している。
腕のいい人間が集まるのが、聖都だ。
そのため、聖都では、他の都なんて目ではないほど、あらゆるものが進んでいる。
最近では、飛行船はもちろんそうだが、馬を使わない『車』というものの開発も行われている。
昔はそれらが当たり前のように街の行き来に使われていた。
レイスがよく語る内容でもある。
クラードはそれらをフィフィに説明していった。
フィフィは水の都をじっと見ているせいで、あまり話を聞いている様子ではなかったが。
馬車が何度か揺れる。見えた門の右側に、騎士が一人立っている。
犯罪者の侵入や逃走を防ぐことが仕事の彼は、つまらなそうにあくびをしていた。
門をくぐる前、土の都に向かう馬車とすれ違った。
門をくぐると、石造りの建物がずらっと並ぶ。
その街並みは、土の都よりもわずかに古い。
土の都は、聖都の次に建物が発達している。
水の都はもっとも水のおいしい場所だ。
ウンディーネの魔力を使った浄化の力は、聖都にある下水処理場よりも強い。
馬車が乗り合い所にとまり、クラードたちは水の都に足をつける。
長時間、馬車に乗っていたからか、フィフィがふらっと傾く。
「なんだか、まだ揺れている感覚がある」
「乗り慣れてないとそうだろうな。体調は大丈夫か?」
「うん、問題ない」
クラードはフィフィの顔を見る。彼女の言う通り顔色は問題ない。
「ひとまず宿を借りて……それからどうするか」
「クラード、わたくし一緒に戦闘がしたいですわ」
「いや、おまえは騎士団長様のところに行くんじゃないのか?」
「行きますわ。けど、行ってしまったら、自由に動けなくなりますわ。……ですから、いまのうちにどのくらい戦えるのか、見ておきたいんですわ」
ラニラーアの真剣な顔に、クラードは頬をかく。いくら、強くなったとはいえ、やはり目で見てみるまでは不安なのだろう。彼女を安心させるためには、今の力を見せるのが手っ取り早い手段だ。
ウンディーネ迷宮にも用事があったため、クラードは強く頷いた。
「それじゃあ、ウンディーネ迷宮にでも行ってくるか」
「それはいいですわね。宿を見つけて、ウンディーネ迷宮……そんなところですわね」
「ラニラーア、わたしも戦えるからね」
ぴょんぴょんとジャンプをしたフィフィが、ラニラーアにアピールする。
「ふふ、そうでしたわね。どのくらいの力か、見せてくださいましね」
金と銀の髪が、交差するように風で揺れる。フィフィとラニラーアが仲良くできてよかったと、クラードは思った。
〇
水の都の街内にあるウンディーネ迷宮へと足を運ぶ。
ここは通常の迷宮よりも、面倒な場所である。
ノーム迷宮では明かりが必須だが、ここでは水の対策が必要となる。
一階層に繋がる階段の最後の段で、クラードは足を止めた。
そこより先は、水だ。まだ足首までの深さだ。
ウンディーネ迷宮に入る前に購入していた、長靴を着用する。
きちんと、紐を結び、脱げないようにしておく。
フィフィの分はラニラーアがしっかりと縛った。
「これで大丈夫ですわ!」
体を起こしたラニラーアは髪を揺らし、階段を睨む。
「一階層とかで戦っていても仕方ありませんわ。とりあえず、五階層ほどに行ってみませんこと?」
「もちろんだ。フィフィも大丈夫か?」
「うん」
階段から一階層へと踏み込むと、ぴちゃりと音が響く。
水をかき分けるように進んでいくと、魔物が出現する。
魚人のような見た目をしたそいつは、アクアリザードという魔物だ。
緑色の鱗を持ったそいつは、カエルのような水かきをもっている。
猫背気味のアクアリザードが声を荒げながらとびかかってくる。
ラニラーアは腰に差していた剣を抜く。
ラニラーアがクラードを見る。クラードは、彼女にどうぞ、と顎を向ける。この魔物は彼女に譲ろう。
ラニラーアは柔らかく微笑み、一気に距離をつめる。
一瞬の動きとともにアクアリザードの体が半分になった。
素早い一閃だ。
見とれているフィフィに、クラードは苦笑する。これほどの攻撃はなかなかお目にかかることはできないものだ。
ラニラーアのステータスと、積み上げた剣術が組み合わさることで、この剣となる。
「神速の剣術により、相手は斬られたことさえも気づかない」。ラニラーアのことを評価していた教師が、そんなことを言っていたことを思い出す。
ラニラーアが剣に鞘を戻しつつ、クラードの前に歩いていった。足を止めたラニラーアに、クラードはただ苦笑を返すしかない。
「相変わらずすげぇな」
「第五階層まではわたくしがやりますわよ。そこからは、お二人に任せますわね」
その言葉通り、ラニラーアは襲いかかってくる一から四階層までの魔物を、一撃で仕留めていった。本当に、規格外な奴だ。聖都にスカウトされるのもわかる実力だ。
第五階層にたどり着いた。クラードはフィフィに目を向ける。ここからは自分たちの番だ。これまで歩いていただけであったため、力は十分たまっている。
クラードは剣を取り出し、軽く振る。
フィフィは小さな声で詠唱を行う。魔法の準備をしているようだ。
第五階層の水は、一階層の時よりも増えている。
「ウンディーネ迷宮って、かなり体力使うんだよな」
足元に水があるため、素早く動くというのは難しい。
敵の攻撃は受けるか、受け流すか。それが主となってくる。
「そうですわね……移動のたびにこれほどまとわりつかれると、本当疲れますわ」
「……うん。けど、体を鍛えるのにはちょうどいい」
ここが初心者冒険者におすすめなのは、他の迷宮に比べて魔物が弱いのもあるが、何よりはこの環境だ。
単純な移動だけでも基礎体力を鍛えることができる。
クラードはスキルが発現したことで、フィフィをおろそかにしまっていた。もっとフィフィに気を配るべきだったと、後悔していた。
眼前に大きな波紋が生まれる。
そこから、一匹の魚人が飛び出す。
一階層で戦ったアクアリザードだ。
しかし、今回は槍を持っている。一階層の魔物よりも厄介なのは明らかだ。とはいえ、相手が武器を持っているのなら、むしろクラードからすればやりやすい。
「そんじゃ、まずは俺が一人でやるぜ」
「危なかったらすぐに呼んでくださいましね?」
「おいおい、舐めんなよな」
「昔の俺とは違うんだ」。そこまでは口にはせず、クラードは剣を握る。
アクアリザードが何度か威嚇するように吠えた。水を切り裂くように、その槍を突き出す。
まずは攻撃をかわしつつ、その槍を装備解除し、クラードは自分で装備する。
アクアリザードはまだ槍を持っているが、すでにアクアリザードのものではなくなっている。
ゴーレムとの戦闘で、いくつか気づいた事もある。
魔物が持つ装備を無効化する簡単な方法――。
それは、物の限界を超えさせることだ。
装備操作の中で、あまり積極的に使うことのなかった力だ。
武器がもったいない――という考えがあり、ゴーレム戦でのみ使用したこの能力は、別に使用する武器に使うだけではない。
「装備操作――限界突破」
アクアリザードの持つ槍が、一時的に強化される。
ステータスが倍ほどに膨れ上がり、クラードの体が僅かに軽くなる。
効果はおおよそ十秒ほどだ。
アクアリザードが槍を何度も振りぬいてくるのをかわし、その十秒が経つ瞬間に、踏み込む。
アクアリザードが槍を振りぬこうと引き戻した瞬間、辺りに響き渡るような音とともに、槍が壊れた。
アクアリザードは困惑している。
クラードはただ一度だけ、その槍をみただけなのだ。相手からすれば何をされたのか理解できないはずだ。
「終わりっ!」
大きな隙を見せているアクアリザードの顔面に、剣を突き出す。
よろめいたアクアリザードの首へと剣を振りぬく。
血があふれ、膝から崩れ落ちる。戦闘は終了だ。
クラードは落ちた魔石を軽く上に投げてから、掴む。
クラードはラニラーアに笑みを浮かべる。
と、彼女はうっすらと涙を浮かべた。
「……クラード、ほ、本当に戦えるようになりましたのねっ。よかったですわっ、よかったですわ」
「な、泣くなって。ほら、笑って喜べって!」
フィフィがラニラーアの背中に手を伸ばし、なでる。
クラードはラニラーアに駆け寄りながら、声をかける。ラニラーアがそこまで喜んでくれるのは、素直に嬉しかった。