第三十八話 出会い
「……なんでも、今年は教師を倒して入学した生徒が二人いるらしいよ」
「聞いた聞いた。教師たちがいくらステータスの力を使っていないっていっても……すごいよね」
「確か、一人は平民の男でしょ?」
「そうそう。それで、もう一人の子は――」
「……鬼」
馬鹿にしたような笑いが、車座になっていた新入生から漏れた。
その近くを一人の少女が歩いていく。
金色の髪を揺らし、吸血鬼の証ともいえる赤い目と牙、さらに黒い翼を隠しもせず、彼女は堂々とその横を過ぎていく。
まさしく彼女は吸血鬼――鬼のような見た目をしている。
「何か、用事でもありますの?」
金髪を揺らし、少女は彼女らを睨みつける。
「……ちっ。鬼のくせに、人間の学園に通うなんてね」
「それが、何か? あなたたちは、見下している鬼以下の存在なんですわよ?」
「……」
くすくすと吸血鬼の少女は笑みを浮かべる。
今年で十二歳となる少女――ラニラーアは、人間たちを見下してから、その先を歩いていった。
〇
冒険者学園の入学試験の内容は簡単で、学園の教師と戦うというものだ。
もちろん、教師たちはステータスやスキルの力を持っているが、それらの力は一切使用しない。
その状況で、教師相手に自分の力を発揮し、その才能が認められた場合にのみ、入学が決まる。
実力主義だ。もちろん、一部の貴族などはその試験を受けずに突破しているのだが。
ラニラーアは、教師を苦戦しながらも倒した。
子どもと大人という明白な力の差があるにも関わらず、だ。ラニラーアはそれを自慢していた。今年の入学生の中で最強だと思っていた。
しかし、そんなラニラーアにも、気にくわないことが一つあった。
(……一体、どいつがそうですの? まったく、力が感じられませんわ)
もう一人、教師を仕留めて入学したものがいる。
だが、誰もその存在を知らなかった。
その者が、試験日に遅刻したため、誰もそのものが戦っているところを見ていなかったのだ。
ラニラーアは、ひたすらに学園の廊下を歩き回っていた。相手が実力者ならば、対面すればきっとわかるだろう。
結局今日も見つからず、諦めて寮に戻ろうとしたところで、きょろきょろと学園を見回していた少年がいた。
少年は黒髪に黒目、少し幼さの残る顔をしている。
「あなた……なにしていますの?」
「いやーなぁ……道に迷っちまってよ。学園本当に広いよなぁ……。俺はクラードだ。それでえーっとあんたは……」
「ラニラーアですわよ。教師を倒して入学した、鬼のラニラーアですわ」
「オニノ・ラニラーア……なんかなげぇ、名前だな……あっ、もしかして貴族って奴っすか!? う、うへっと……け、敬語とかよーくわかんねぇーすけど」
「……わたくしは貴族ではありませんわよ。ていうか、今わたくしのこと、変な呼び方しませんでした?」
「オニノ・ラニラーア……ってところか?」
「オニノっ、じゃなくて鬼、ですわよ! わたくし、吸血鬼なんですわよ。ほら、見てみなさい。この牙と目をっ!」
ラニラーアは牙と目を示した。最後にくるっと尻尾と翼を見せるように回ると、少年は呆けた顔になった。
「可愛い羽なんだな……それ本物か?」
「本物ですわよっ。ていうか、可愛いってなんですの! わたくし鬼ですわよ? 怖くないですの?」
「鬼がなんだってんだ。俺の母親なんておまえよりも怖いってのっ」
「……は、はぁ」
「とにかくだ。これも出会った何かの縁だっ」
彼はそれから頭をかいた。照れたように視線を下げている。
「寮まで案内してくれねぇか?」
ラニラーアは大きなため息をつき、彼を従えて寮に歩いていく。
人間と仲良くするつもりなどかけらもない。けれど、鬼を見て、まったく恐れなかった彼に少し興味が出た。
〇
昔を少しだけ思い出していた。
ラニラーアは捨てられた。母親は人で、父親も人……のはずだった。だが、どちらかにわずかながらに鬼の血が流れていた。
本人が自覚できないほどの、薄い血だ。
そのわずかな血が、覚醒し、ラニラーアという吸血鬼が生まれた。
突然生まれた鬼に、両親は困惑し、悪魔の子といって捨てたのだ。
幼いながらもすでに物心はついていて、捨てられたときのこともはっきりと覚えていた。それが、吸血鬼の力だというのなら、そんなものはいらなかった。両親が、ゴミを見るような目で見ていたこともはっきりと、覚えてしまっていた。
ラニラーアが捨てられた場所は、土の都から外に繋がる門を通り、はるかに離れた場所だ。
うっそうと茂る森の入り口にラニラーアは捨てられた。
偶然にも、ラニラーアは鬼に拾われた。
その鬼は、森で姿を隠すように生活していたのだ。老人の鬼に拾われ、十歳になるまで育ててもらった。
義父も寿命で死んでしまい、冒険者学園に入学した。冒険者になれば、一人でも生活ができると義父から、聞いていた。
義父に鍛えてもらったおかげで、戦闘に関して一切問題はなかったが、やはり鬼を見る目は厳しいものがあった。
実力によって振り分けられたクラスでは、馬鹿にしたような目が多かった。
座学での成績は悪い。義父に教えてもらったのは剣だけだ。
座学の成績も影響しているからか、余計に馬鹿にする目が多い。
(別に、どうでもいいですけれど)
ラニラーアはそんな者たちを笑い飛ばす。どうせ彼ら、彼女らは自分よりも弱い。
前の席に座っていた二人の男性の声が聞こえた。
「クラード……おまえ、いい加減理解しろって」
「いや、別に勉強なんかできなくたって、最強の冒険者にはなれるだろー?」
「まあ、なれないこともないかもしれないがな……」
以前、寮までの道がわからないと言っていたクラードは、すでにクラスに溶け込んでいる。
教室ではそのアホっぷりを発揮している。
周りからは馬鹿にされながらも、しかし決していじめられているほどではなかった。
クラードは教室の中心にいるような人間で、いつも誰かを笑わせていた。
ラニラーアはそれを羨ましいとは思わなかった。笑いものにされるなんてまっぴらだ。
「なあ、ラニラーア。おまえここの学食行ったことあるか?」
「……なんですの?」
「すげぇんだよ。ここの学食はな、学園の生徒ならただで食べられるんだ」
「……しっていますわよ。そうではありませんわ。話しかけないでくれませんこと?」
「別にいいじゃねぇかよ」
「どうでもいいですわよっ」
食堂は一度だけ利用したが、視線の数が多くなり、単純に不快だった。
上級生に絡まれたときは、軽く捻りつぶしてやったほどだ。
「なんだよ。甘いものとか好きじゃないのか? なんでも今日の日替わり定食のデザートはケーキがつくらしいぜ。ほら、今日はりゅ、りゅう……なんたら戦争が終わった日とかでな」
「竜鬼戦争だ。クラード、これさっき習ったばかりだぞ。一体何を聞いていたんだ……」
クラードの隣で額を抑えている男――レイスが嘆息をついた。
ラニラーアは一瞬足を止める。甘いものは大好物だ。
そして、ぐーっと素直に腹がなり、ラニラーアは唇をぎゅっと閉めた。顔が熱くなっているのがわかった。
クラードが口元を手で隠す。
「やっぱり、腹減っているのか? 行こうぜ!」
「……わらいましたわね?」
「別に笑ってねぇよ」
ひらひらとクラードが手を振り、廊下へと出る。その後ろを、ラニラーアは嘆息をついてついていく。
レイスも一緒に歩いていく。ちらちらと何度か自分を見てくる。
露骨に鬼を嫌った態度はない。けれど、鬼に苦手意識を持っているようだった。
「……よろしく」
レイスのそれが人間の反応としては正しい。となれば、クラードはなんなんだとラニラーアは考えてしまう。
クラードについていくというのは気にくわない。
――彼は人間で、わたくしは鬼だ。鬼に従わせなければならない。
「わたくしは腹をすかせておりますわ。あなた、わたくしをそこまで案内しなさい」
「おっ、ケーキ好きなのか? やっぱり甘いものはいいよなぁ。故郷にいたときなんて、まったくそんなもの食えなかったんだよ」
「……べつに、ケーキが食べたくて行くわけではありませんわよ」
すぐに否定する。ケーキに釣られた、と思われたくない。
クラードは笑みを浮かべる。そのどこかからかうような態度が気にくわない。
「そうか? それならそれでいいんだけどな」
クラードが一人で先を歩いていき、ラニラーアはレイスと並ぶことになった。
ラニラーアはレイスをちらと見る。別段彼とは仲がいいわけではない。
――気まずい。
ラニラーアは頬を引きつらせる。だからといって、クラードと仲がいいわけではないが、レイスよりはクラードのほうがまだ接しやすい。
クラードがくるっと視線を後ろに向けた。
「ラニラーア、そういえばおまえって座学苦手なんだよな?」
「あ、あなたに言われたくありませんわよ! それに、わたくしは戦闘に関しては学園一ですわよ」
ラニラーアが睨みつける。今はまだ、座学ばかりだが、実技訓練が始まれば話は別だ。
「まっ、それはなんでもいいけどよ」
「なんでもよくはありませんわよっ。あなたみたいに、何もできないわけではありませんのよ!」
びしびしっとラニラーアは指を何度も振り下ろす。
クラードは完全に落ちこぼれだ。動きを見れば、のっそりしていて、あまり運動が得意そうにも見えない。座学も同じく酷い。なのに、どうして自分と同じクラスにいるのだろうか。
ラニラーアはそれが心底不思議であった。
「うっせっ。俺だって、座学以外ならそこそこやれる自信があるんだからな!」
「はっそこそこですわよね? わたくしは完璧ですわ」
ラニラーアは髪をかるくかきあげる。彼をざっと見たが、強者の雰囲気はない。
ラニラーアが馬鹿にすると、クラードがぐぬぬと声をあげる。
「それはいいが。学食のランチは数量限定ではなかったか?」
「そ、そうだった! いうの遅いぞレイス!」
「なんてことですの!? ケーキがなくなってしまいますわ!」
「おまえ、ケーキなんて別にいいみたいなこと言っていたのに、やっぱり食べたいんだな!」
クラードがすかさず叫ぶ。
「違いますわよっ。勝手に口が言いましたの!」
「勝手に口が!? そりゃ大変だっ、きっと病気だ!」
「びょ、病気ですの!? わたくし吸血鬼ですわよっ、風邪なんてひきませんわ!」
「騒がしいのが増えたな……」
レイスがぽつりともらした。
ラニラーアは彼をきっと睨みつける。クラードと一緒にされたくはなかった。
〇
衝動は突然に来る。普段、学校生活を送っているときはこんなことはなかったのに。
食堂で待っているときだった。
なんとかランチにたどりつけたラニラーアだったが、食事を進めていくうちに、ふつふつとある感情が湧き上がってしまった。
心当たりがいくつかあり、ラニラーアは気づかれない程度の浅い呼吸を繰り返す。珍しく、怒鳴りあうようにして人と話をしたからかもしれない。
とにかく、興奮状態になってしまった。
吸血鬼の興奮状態とは、人間の血が飲みたくなる状態のことだ。
衝動が始まったのは十歳のころで、本格的になったのは学園入学少し前だ。
人間の血を飲めばそれで解決する。
普段はビーツ草という、人間の血に似た成分の野菜を食べることで、それを抑えていた。 毎朝食べればそれで問題なかった興奮状態が、今来るとは思ってもいなかった。
――人間の血が飲みたい。その首に噛みついて、やりたい。
ラニラーアは絶対にその行為をしたくはなかった。吸血行動は、「吸血鬼にとって大事なことだ」、と義父から聞いていた。
特に女性は、それを求愛行動のようなものだとも言っていた。
運命の相手、できれば鬼に近い血を持つ人間と出会うまで、絶対に他人の血は飲まない。
義父から聞いた、吸血鬼のおとぎ話がロマンチックで、ラニラーアもそれに憧れた。
だから、絶対に運命の人に出会うまで、他人の血は飲まないと決めていた。
「ラニラーア、どうしたんだ? 体調悪いのか?」
クラードがラニラーアの顔を見て、そういった。不安そうな表情よりも、彼の健康的な首元が気になってしまう。
ラニラーアはばっと顔をそらす。思わず噛みつきたくなる衝動を抑え、ラニラーアは席を立った。
「やっぱりいりませんわっ。あなたにくれてやりますわよ!」
叫んですぐに逃げだす。
「お、おいっ! ケーキだけ食べやがって……っ! ちゃんとごはん食べろ!」
ラニラーアが後ろを見ると、クラードも走っていた。自分を追いかけてきている。その足は尋常ではないほどに速い。
吸血鬼の興奮状態は、肉体の強化も行う。
人間から血をうばいやすくするための強化だ。
ラニラーアはそれを駆使して必死に走っていたが、クラードとの距離は一向に離れない。
田舎出身、とクラードがクラスメートたちにからかわれているのを何度か聞いた事がある。
辺境の森出身であるラニラーアも、足腰には自信があった。クラードもそんなところなのだろう。
「待て!」
「ま、待ちませんわ!」
廊下を曲がったところで、体がふらつく。興奮状態になった体では、満足に走ることができない。近くの空き教室へと這うようにして、駆け込んだ。
そこで呼吸を整える。クラードに気づかれなければそれでいい。
ラニラーアの願いむなしく、勢いよく扉が開いた。
「ラニラーア……おまえ、もしかして風邪でもひいたのか? さっきもそんなこと言っていたような――」
「……ちがいますわよ」
ラニラーアは机の下に隠れた。人間の顔を見たくはなかった。
長時間、興奮状態になったことはなかった。
そのため、ラニラーアは困惑もしていた。人間の声が聞こえるだけで、襲いかかりそうになる。
ラニラーアは近づく人間の声に必死に耐えた。
「違わねぇだろ。ほら、保健室行こうぜ。歩くの大変なら、運んでやるから……あーでも、ラニラーアの方が大きいよな。……ひきずっていくってのは、さすがになぁ」
人間があれこれ呟く。
ラニラーアはぎゅっと目を閉じていたが、人間を強く意識してしまった。
人間が肩を叩く。
「ラニラーア、ほら、ちょっと辛いかもしれないけど、肩に掴まってくれ」
「……っ!」
ダメだった。
我慢の限界だった。
ラニラーアは人間に飛びつく。その腕をつかみ、押し倒す。
興奮が押さえられない。
床に張り付けるようにして、人間の困惑した顔が見えた。
「ら、ラニラーア? どうしたどうした?」
「……人間、血をもらいますわ」
「血……? 血……ああっ、ラニラーア吸血鬼だもんな」
納得した様子の人間の首に噛みつこうとすると、ぐっと頭を押さえつけられた。
力を入れても、まったく動かない。
恐ろしいまでの怪力を放つ人間に、ラニラーアは思わず体を離す。
そこで、ようやくわずかに正気に戻った。
人間をクラードと認識したラニラーアは、先ほどの行動を恥じた。
クラードの顔が近づき、ラニラーアはそっぽを向く。
興奮状態はそう長くは続かない。
やがて、体が弱っていく。
ラニラーアはだんだんと呼吸が苦しくなっていく。
「大丈夫……か? 血がほしいって吸血鬼の症状か何かなのか?」
「……そうですわ。たまに人間の血がほしくてたまらない日がありますのよ」
「いつもはどうやって抑えているんだ?」
「ビーツ草というものを食べれば問題ないですわ」
「あっ、俺の故郷にもあったなそれ。母さんがよくむしってきてたぜ。……もっているのか?」
「……寮にありますわ」
「……女子寮だし、俺が取りにいくわけにもいかねぇし、ラニラーアもこれじゃあな」
ラニラーアはクラードから視線を外す。
「俺の血でよかったら飲むか? ……あんまりおいしくないかもだけど」
心配するところはそこではないのではないだろうか、と思いつつ、ラニラーアは顔をあげる。
クラードは笑みを浮かべ、首を差し出すように座っていた。
「いや、他に手段ねぇだろ?」
確かに、ここから無事寮まで戻る手段は思いつかない。
ラニラーアは自分の幼い頃の憧れを思い出し、躊躇する。
「もしかして、吸いたくない理由とかあるのか?」
「……え、ええありますわ」
ラニラーアはそっぽを向く。恥ずかしい夢を、彼に話したくはなかった。
「……なるほどな。吸血行動がしたくない……そうだよな。吸血鬼ってだけで、みんな嫌がるもんな」
「……え、ええそうですわ」
おとぎ話に憧れ、それを夢見ていたから……とは訂正できない。今の返事では、他の人間と仲良くしたい、ともとられると思った。しかし、そんなことはどうでもよかった。
クラードの勘違いに便乗すると、彼は笑みをこぼす。
「なら安心しろって黙ってるから」
「……黙っているって。あなた、どうしてそこまでしますの?」
単純な疑問を口にする。別にクラードと特別仲が良いわけではない。ラニラーアが、クラスメートの仲では、一番話したことがある相手ではあったが、クラードからすれば一番少ない相手だろう。
「冒険者になりたくて、学園に入ったんだろ? 冒険者を目指す仲間が、困っているならできる限り助けてやりたいんだ。だから、ほれ。こんなもので助かるなら、いくらでも協力するぜ」
「……クラード」
「それでおまえの体調が治るならいくらでも吸ってくれっての。もちろん、だれにもいわないからさ」
「……」
義父から聞いていた、ロマンチックな吸血鬼の夢は捨てる。
ラニラーアはクラードの首元に、鋭く牙を立てた。