第三十五話 ラピス迷宮の調査
「ど、どうしてそんなことになるんだよ」
「先ほど、フィフィはまるで自宅で目を覚まして、クラードに質問するような言い方でしたわ! でもしかして、二人はど、どどど同居していますの!?」
ラニラーアが分析する。ラニラーアとは思えないほどの冷静さ。いつもの彼女ならば、軽く聞き流していたはずだ。
口を閉ざしていたクラードにかわり、フィフィが答えた。
「一緒に暮らしている。何か問題があるの?」
「なんですとっ!」
ラニラーアが声を荒げる。予想はしていたようだが、それでも驚きはあったようだ。
ラニラーアの鋭い視線から、クラードは逃げるように窓の方を見た。説明が難しいのだ、勘弁してほしい。
「どういうことですのクラード!」
ラニラーアがクラードの頬を捕まえた。ぐいっと、無理やり首を回す。
「……フィフィはその、住む場所がなくてだな」
「え……? そうですの?」
「……うん」
ラニラーアが今度は泣き出しそうな顔になる。そういえば、ラニラーアはこういう子だった。
クラードは先ほどまでの自分を恥じた。
「おまけに、記憶喪失でもあるんだ。放っておけなかったんだよ」
「……それは、確かにそうですわね。記憶喪失……そういえばわたくしも最近似たような子を見たような気がしますわね」
「そうなのか?」
ラニラーアが小さく頷く。その子のことも心配ではあったが、ここにいない人に何かできるわけでもない。
「それでしたら、仕方ありませんわね。変なことはしていませんわよね?」
「してねぇよ。俺はロリコンじゃねぇんだ」
「変なこと? どんなこと?」
ラニラーアの言葉に、フィフィが首を捻った。彼女はそういったことがわからないのだろう。
「ど、どんな!? そ、その……えとですわね。エロエロなこと、ですわね」
ラニラーアは顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振っている。変なことを言って自爆するなよな、とクラードは呆れるしかなかった。
フィフィが、小さく首を傾げた。先ほどの説明で納得できるわけがないだろう。
フィフィの無垢な目にさらされたラニラーアが、クラードを見る。見られても困るのはクラードも同じだ。
変な空気が保健室を支配したとき、一人の男が入ってきた。
「クラード、フィフィ、元気そうだな」
「レイス、見舞いに来てくれたのか?」
現れたのはレイスだ。
彼はアイテムボックスを操作し、弁当を取り出した。
「途中で弁当を買ってきた。腹すいているだろう」
「おおっ! 本当かサンキューな!」
「……クラード。わたくしのときと明らかに態度が違いますわね?」
ジト目を作ったラニラーアから、クラードは視線をそらした。
先ほど食事をしたが、まだ満腹ではない。
フィフィも思い出したように腹をならす。
レイスはフィフィの近くに机を持っていく。
「フィフィの分もあるからな」
「ありがとうレイス」
目を輝かせたフィフィは、レイスの弁当にがっついた。
クラードも同じように食事を始める。
レイスが何度かあくびをし、目をこする。随分と眠そうだ。
「どうしたんだ? もしかして夜更かしとかか?」
「聖都にいたら、リンドリが飛んできてな。急いで戻ってきたんだ」
リンドリは手紙の配達をする賢い鳥だ。
都ごとに郵便局があるが、それとは別に個人で持っているものも多い。
クラード、ラニラーア、レイスで育てたため、リンドリはこの三人をしっかりと覚えている。そして、一番動物が苦手なレイスに懐いている。
「そうか。別にそんな急がなくても大丈夫だったぜ」
「そうはいってもな。友人が迷宮で保護されたとなれば、気になるものだ。まあ、おまえのことだから大丈夫だとは思っていたがな」
レイスはいつもの笑みを浮かべながら、フィフィを見た。その顔は少しばかり考えるようなものになっていて、クラードは首を傾げた。
ラニラーアがもじもじと体をゆする。
それから小さく握りこぶしをつくった。
「クラードっ、食事大変ではありませんの!?」
「いや、別に問題ないけど……ていうかさっきも普通に食べていただろ?」
「さ、さっきは褒められてうれしくて忘れていましたのよ! わたくしが……その食べさせてあげてもいいですわよ?」
ラニラーアは胸元に手をあてる。柔らかそうな胸が揺れている。
「いや、大丈夫だ」
「なんでですのぉっ!」
ラニラーアがぶんぶんと腕を振りまわす。誰かに食べさせてもらわなければならないほどの怪我をしたわけではない。何より恥ずかしい。
「なんだ、ラニラーアも差し入れを持ってきていたのか?」
レイスの問いにラニラーアがこくりと頷く。
「そうですわ、わたくしが作りましたのよ!」
「……急いで病院に行ったほうがいいな」
「なんですとぉ! わたくしの料理はおいしかったですわよね、クラード!」
「ああ、うまかったな」
答えると、ほっとした様子でレイスが息を吐いた。
「……食べたのはクラードだけか。なら問題ないな」
「どういうことだおい」
「以前オレの寮にあったかなり昔のゼリーを腹を壊さず食べていただろう。あれの賞味期限、二年くらいは過ぎていたぞ」
「マジかよ!? なんか腹痛くなってきた気がする……」
レイスは甘いものが好きで、よく色々なものを買っている。近くに甘いものの店が出来たときなど、彼に誘われて嫌々行ったことさえもある。
しばらくにぎやかに話していると、食事を終えたフィフィが、柔らかく微笑む。
「クラード、なんだか楽しそう」
「そうか……?」
「うん……ちょっとうらやましい」
フィフィがじっとレイスやラニラーアに視線を向ける。
ラニラーアが苦笑しつつ頬をかいた。
「フィフィは記憶喪失と言っていましたわよね?」
「……うん」
「けど、きっとフィフィのことを探している人もいますわよ。このわたくしも、全力で協力しますわ!」
胸元に手をあて、ラニラーアが笑みを浮かべる。
フィフィはラニラーアのほうをみた。嬉しそうな笑顔だ。
「うん、ありがとね」
「クラード、騎士には相談しましたの? もしかしたら、探している人がいるかもしれませんわよ」
「ちょっと、待ってくれないか?」
そこで、レイスが口を挟んできた。
彼は先ほどまでのからかう様子を見せず、真剣な眼差しだ。
「フィフィのことで、少し話しておきたいことがある」
「……何かわかったのか?」
「……いや、特にはわかっていない。ただ、重要な人物の親戚、かもしれない」
「話せないのか?」
「まだ、確証が持てないんだ。オレも少し話を聞いただけにすぎない。それを話して、一喜一憂させたくない」
レイスはそう前置きをし、こほんと咳ばらいをした。
「とにかくだ。フィフィは誰かに利用されるかもしれない。……だから、騎士に相談するのはやめたほうがいい」
「……利用される、かぁ」
静かに聞いていたラニラーアが、腕を組み首を傾げた。
「けれどレイス。重要な人物でしたら、騎士に説明すればそれこそきちんと保護してもらえるのではありませんの?」
「騎士だって、全員が同じ志で生きているわけじゃない。フィフィを本当に守ろうとするのは、きっとクラードだけだ」
「クラードだけ? わたくしだって助けますわよ!」
レイスの言い方が不服だったラニラーアが、ぷくーっと穂を膨らませる。
「そうだな。ここにいるオレたちくらいだ。だから、フィフィに関してはオレが調べる。それで、少し協力してほしいんだが……クラード、他のラピス迷宮に行ってきてくれないか?」
「ラピス迷宮ですの? なんでです?」
事情をしらないラニラーアが首を捻った。彼女に短く伝えると、目を見開いた。
「ラピス迷宮開きますの!? はー、そんなことできますのね」
ラニラーアが目を見開きながら息を吐く。
「今聖都はラピス迷宮の調査を行っているんだそうだ。……フィフィが無関係とも思えない。だから、クラードお願いしてもいいか?」
「……そう、だな。フィフィ、どうする?」
「……わたしの記憶も、戻るのかな? わたしも、友達とかいたのかな?」
フィフィがレイスのほうに視線を向ける。
レイスは考えるようなそぶりを見せてから、笑みを浮かべる。
「いる、だろう。きっと、な」
レイスの笑顔を、クラードはしばらく見ていた。珍しいほどに、明るい笑顔だったのだ。
フィフィはレイスの言葉にうなずいた。
「ラピス迷宮に、行ってみたい」
フィフィから視線をはずしたレイスが、ぺらっと紙を取り出す。この大陸の地図だ。
「ラピス迷宮の場所を記した地図だ。体が戻ったら、各都を回ってみるといい」
「うしっ、そうだな。三日くらい休んでから、出発でいいよな?」
クラードはフィフィに視線を向ける。楽しみといった顔で、彼女は笑っていた。
「うんっ。土の都以外の場所、見てみたい」
クラードも他の都にはあまり行ったことがなかった。他の都にいけば、新しい武器も手に入れられる。ゴーレムとの戦闘で駄目にしてしまった分もある。強くなれるかもしれないと思うと、自然と笑みがこぼれた。
「オレの話はそんなところだな」
レイスが大きく息を吐き、ぱたぱたと胸元に風を送る。妙に熱そうだが、今日はそれほど熱い日ではなかったが――。
クラードはしばらく考え、ベッドから立ち上がった。
「ちょっとトイレ行きたいんだけど、レイス一緒に行こうぜ」
「……一人で行けないのか?」
「いいじゃねぇか、なっ?」
レイスは一度ため息をつき、保健室の外へと歩いていく。その後をすぐに追いかける。
ちらと後ろを見る。ラニラーアがフィフィに顔を近づけ、あれこれ話かけているようだった。二人が仲良くしてくれれば嬉しい。
クラードは学園の廊下を見ながら、呟く。
「学園も久しぶりだなぁ……」
懐かしい景色だ。
「未練があるのか?」
「そりゃあな。けどまあ、今は別にいいかな」
学園に通う利点は、冒険者としての基礎を学ぶことと、同世代の仲間を見つけやすいこと、また聖都の人間に見てもらう機会が多いことだ。前二つは、もう十分。最後の点も興味はない。冒険者として有名になっていけば、騎士は無理でも外の大陸の調査部隊に誘われる。それさえ叶えばなんでもいい。
トイレにたどりつき、先に便器の前にたったレイスを見る。
「なあ、レイス。おまえまだなんか隠してるだろ?」
「……どうしてだ?」
「なんとなく。いつものレイスらしくない説明だったからなぁ」
「……そうか」
苦笑したレイスは、両手をあげる。諦めるようなポーズだ。
「おまえの言う通りだ。けど……それについては聞いても聞かなくても関係ないと思った。おまえなら、その真実はさして気にもしないだろう」
「……そうなのか? まあ、おまえがそういうなら俺は信じるだけだな」
「ああ。信じてくれるなら、助かる」
用を足した後、保険室に戻る。レイスはいつでも自分たちのことを考えてくれる。だから、彼が話さないのならば無理に聞くつもりはない。
保健室に戻るとラニラーアとフィフィが笑みを浮かべて話をしていた。
「クラード、十階層の話が聞きたいですわ!」
「おっ、聞きたいか俺の武勇伝」
「はいですわっ。ゴーレムはどうやって倒しましたの!? もしかして、一人ですの!?」
「いやぁ、最悪なことにあのゴーレムがレアモンスターだったんだよ。ほんと、苦戦したぜ」
「れ、レアモンスターでしたの!? ボス部屋で!?」
「ああ。おかげで、いくつか武器が駄目になっちまってな。もう本当最悪だぜ」
あのときの状況を思い出しながら、多少大げさに話していった。