第十一話 大家さんにたかって、色々買っておいてもらうんだぞ
いつものように起床したクラードは軽く伸びをする。
窓から差し込む日差しに、満足してから振り返る。
布団は二つある。
クラードとフィフィは並んで眠っている。
いつもと同じく変わらない。
それでも、クラードは昨日眠る前に決めた一つのことを思い出す。
「今はフィフィのことだよな。うん、フィフィの基礎体力をつけるまでは、無茶なことはしない。しないんだぞ、俺」
ぱしぱしと頬を叩く。
以前レイスに「独り言を突然するな。病院につれていきたくなる」と言われたことがあった。
それでもクラードは、何か決意をするときには言葉に出すことを心掛けている。
自分の声で、耳から届くと、その決意が確固たるものになる気がするからだ。
いつもの朝食を用意していると、匂いにつられたようにフィフィがやってくる。
居間として使っている部屋までやってきて、フィフィはくたんと倒れる。
昨日は一日体を動かしていたこともあり、フィフィの疲れは残っているようだ。
「フィフィ、大丈夫か?」
「ごはんっ」
眠たそうな顔だったフィフィだが、食事をテーブルに並べると途端に笑みをこぼして体を起こす。
一緒にご飯を食べ始める。
もごもごと口を動かしながら、フィフィのことを考える。
「フィフィ、今日は午後から迷宮に行くから、午前は休んでていいよ」
「……クラードは何をしているの?」
「俺はちょっとギルドで調べたいことがあるんだ。だから、フィフィはそれまでゆっくりしててくれ」
「……うん、わかった」
調べたかったことはフィフィのことだ。
フィフィの脇腹にあったステータス。
その中にあった一つの模様――それをどこかで見たことがあるのだ。
ただ、どこだったかを思い出せない。
ギルドには、意外と本なども多くある。
それを使えば、迷宮に関しての情報以外にも調べられることがある。
ついでに、ノーム迷宮以外で手ごろな迷宮がないか調べたかった。
朝食を終え、流しに食器を置いていく。
フィフィが立ち上がり、クラードの前に割り込む。
「わたしがこのくらいはやる」
「……大丈夫かぁ?」
「前に見ていたから、できる」
フィフィがスポンジを掴んで洗剤をつける。
食器を洗って水を流していき、そのまま次の食器に手をつける。
「ああ、こらこら。水を流しっぱなしにするなって」
「え、あっ、うん」
「それと、もっと力入れて洗わないとごはんがこびりついているぞ」
「……本当だ」
「こういうのは水を張ってから洗うのがいいんだ」
フィフィに食器洗いを教える。
教えるだけ時間がかかるが、せっかく本人がやりたがっているのだからやらせる。
初めは誰だって覚えていないものだ。
「クラードはなんでも知っていて凄い」
「なんでも……? 俺よりかレイスのほうが物知りだぜ」
「レイス……」
「……あー、その。レイスはあれだぜ? 結構誤解される奴だけで優しい奴なんだぜ?」
「うん、わたしも優しい人、だと思った。彼の言っていることに、間違いはない」
「そうかもな……けど、だからって気にするなよな」
「……うん」
彼女がレイスに何を言われたのかはわからない。
いつだって彼ははっきりと言ってくれる。
自分のステータスが判明したとき、真っ先に別の学科に転科することを勧めてきたのも彼だ。
いつも損な役回りを任せてしまう。
「学園にいられなくなる」。そうはっきりとレイスは言ってくれた。
そして、まさに現実にそうなった。
だが、それでも――捨てられないものがある。
「クラードは料理を誰に教えてもらったの?」
「母さん、とあとは近所の人かな」
十年前、父親がいなくなってからは母が仕事をする必要が出て、その分クラードが家事を行うことが多くなった。
母を助けるために、と自分からできることを考えてそして今に至る。
「そうなんだ。お母さん……。クラードって故郷から飛び出してきたって」
「ああ、そうだぜ。家を飛び出してきたんだ。母さんの反対も押し切ってさ」
「……よかったの?」
「……何が正しいかは、わっかんね。けど、俺が決めたことだからな。後悔はしないようにしてる」
だったら初めからするな、で終わりだ。
クラードはにやりと笑ってみせる。
フィフィがじっと自分を見ている。
そのタイミングでピンポーンとドアチャイムが鳴る。
クラードは立ち上がり玄関へと向かう。
玄関に脱ぎ捨てられた靴を履いて、ドアを開ける。
「お、大家さん……」
そこには、子どものような小さな生物がいた。
初め見たときは、まさか彼女が自分より四つも年上だとは思っていなかった。
勝気な笑みと、普段外で仕事をしていることが多いこともあり、日に焼けた肌が健康的な子どもそのものである。
「おいーっす。久しぶりじゃねぇか、最近の調子はどうなんだ?」
彼女に気づかれないように、玄関に座って視線を合わせる。
あまり上から見下ろし続けると、大家は不機嫌になる。
「そ、そりゃあまあそのーぼちぼちです」
クラードは後ろをちらと見る。
居間に体を隠し、顔だけを出したフィフィが怯えた目を大家に向ける。
内心、焦りが生まれる。
昨日の今日で、レイスがまだ大家に事情を伝えていない可能性がある。
大家がじろっとフィフィを見る。それから彼女の両目がつり上がる。
「おい、クラード? てめぇ、そいつはなんだ?」
「うぇ!? え、えっと……」
説明をするのが苦手だから、レイスに頼んでおいたのだ。
大家がじろっとのぞき込んできて、それからにやりと笑った。
「冗談冗談。話はレイスから聞いているぜ。それで、様子を見に来たってわけだ」
「なんだー、だったら驚かさないでくださいよ」
「おいおい。一応てめぇは、うちのルール破ってるんだぜ? 反省しとけよ」
がつっと大家に頭を殴られる。
クラードは涙目で、こくこくと頷く。
大家に逆らったら大変だ。
彼女が部屋へとあがっていき、くんくんと鼻を引くつかせる。
それからぐーっと腹をならす。
「……大家さん。朝食食べましたか?」
普段の調子で話すと、大家は首を振った。
「昨日は夜遅くまで仕事してたからなぁ……かー、どっかにごはんおごってくれる優しい奴いねぇかな……?」
「……わかりましたよ。まだ朝食残ってるから、それを食べてください」
「おっ、マジか? こりゃあ言ってみるものだな」
「最初から狙ってましたよね?」
「さーなー、そんじゃありがたくもらうぜ」
大家が席に座ると、フィフィは警戒して後退する。
「人見知りだとは聞いていたが、確かにこりゃあかなりのもんだな。よくもまあ、おまえ手なずけたな」
「そんな動物みたいに言わないでくださいよ。そもそも、俺だって別に手なずけたつもりはねぇですよ」
残っていた味噌汁とごはんを彼女の前に並べる。
まだ洗っていなかったフライパンに卵を落として、焼いてから皿に移す。
「うほっ、サンキューな!」
ばくばくと食べていく大家は頬に米粒をつけて笑みを浮かべる。
相変わらず、女性らしさが欠片もない。
フィフィと大家を見る。
フィフィも子どもっぽさがあったが、大家はそれを超えている。
フィフィよりも大家のほうが小さいのだ。
「この人絶対子どもだよな」とクラードが失礼なことを考えていると、大家の視線が鋭くなる。
「てめぇ、さっきからあたしとフィフィを見比べやがって。そんで? フィフィをどんだけの間ここに置くつもりなんだ?」
「……とりあえずは、フィフィが騎士に怯えないようになるまで、って感じです」
「はぁ……また曖昧なこと言ってんな。あたしは別に気にしないけどな? あたしは別におまえの心配をしているわけじゃねぇけどな? けどな? 言っておくぜ?」
「……なんですか?」
「フィフィが何者かしらねぇが、やべー奴だったらどうすんだ?」
「……そのときは、その時です。後悔するつもりはないです、全部俺が選んだことですから」
まっすぐに大家を見返すと、彼女は頭をかいた。
「はぁ……ったく、まあいいや。難しい話はこれでおしめーだ。あたしがここに来たのはな、服を持ってきてやったんだっ! 感謝しろよなっ」
大家がにこっと笑う。
「ほ、本当ですか大家さん! いやー、フィフィの服とか実は結構困っていたんですよっ。けど、いいんですか?」
「ああ、あたしが昔着てた奴だからな。もう着られなくなった奴とか持ってきたんだぜっ」
「……」
「それって、たぶんフィフィも着られないと思うんですけど」。
クラードは喉まで出かかっていた言葉をぐっと抑えた。
よく口にしなかったと自分をほめて額をぬぐっていると、大家が自慢の犬歯を見せるように口を開ける。
「てめぇなっ! あたしだって、小さいって聞いていたから持ってきたんだよ! ちょっと、フィフィ! 立ってみろ!」
「う、うん……」
怯えるようにフィフィが立ち上がる。
まるで、フィフィを脅して金をむしり取りそうなほどの勢いだ。
「その場でジャンプしてみろ」とか言い出したら止めなければと考えていると、大家も立ち上がある。
そうしてフィフィと大家が並ぶと、大家のほうが頭一つ分小さかった。
「小学生の入学式……にしては、さすがにフィフィが大きいな。中学生の入学式、って感じですか」
「誰が中学生だ! 若く見るのはいいがな、若く見すぎるのもダメなんだよ!」
大家が両腕を振り下ろして唸り声をあげる。
うっかり口にしてしまった。
「あたしは今日仕事が休みなんだよ。だから、ちょうどいいや。フィフィの服とか買いにいってきてやるよ」
「……いいんですか?」
「ああいいぜ。そのためにあたしが来たんだしな。朝食のお礼だ、フィフィの下着と服くらいおごってやるぜ」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
「どうだ、大人っぽいだろ!」
腰に手をあててがははと笑う。
誇らしげに笑う悪がきのように見えたのは内緒だ。
「フィフィ、大丈夫か?」
「……うん」
ちらと大家を見て、それから拳を固める。
「わたしがちゃんとしないと」
「おい、今あたしのこと年下みたいに思ったろ? ああん?」
大家がドスのきいた声をフィフィにぶつける。
しかし、フィフィはすでに最初のような怯えを見せない。
よく笑顔を見せている。
同年齢だと思ったのかもしれない。
クラードは二人の様子を確認する。
大家も信頼できる人間だ。
女性同士のほうがいいこともあるだろう。
クラードは席を立ち、体を軽く伸ばす。
「そんじゃ、俺はちょっとギルドに行ってくるんで。たぶんですけど、昼頃に戻ってきますね」
「そうなのか? んじゃ、あたしたちもそれまでに戻るとするか」
大家がフィフィをちらと見る。
フィフィがこくりと頷いた。
と、クラードはそこでフィフィがちらと自分を見ていたのに気付いた。
だから、柔らかく微笑んだ。
「楽しんで来いよ? あと、なるべく大家さんにたかって、色々買っておいてもらうんだぞ?」
「……頑張る」
「丸聞こえだぞー?」
笑顔とともに大家がこめかみをぐりぐりと攻撃してくる。
クラードはそれを引きはがして、片手をあげて部屋を飛び出した。