第十話 今できることをやるんだ
レイスは席を立ったクラードへと視線を向ける。
「おい、待て」。
そういいたかったが、口に物を含んでいた手前レイスは何もいえなかった。
クラードの心境を考えれば、一度一人で落ち着きたいというのも十分わかった。
ラニラーアのことに関して、伝えるべきかは迷ったが、クラードには話しておくべきだとも思っていた。
クラードが一度落ち着きたいというのもよくわかっている。
クラードがトイレに去っていき、残されたフィフィをちらと見る。
初めに比べれば警戒心は薄れたようだが、それでもまだ彼女からは緊張が伝わってくる。
レイスはフィフィを人見知りしがちな子といったが、それはレイスもだった。
こういった初対面の相手は苦手だ。
クラードのようにがつがつと相手の内側に踏み込めない。
そもそも、彼の性格でなくてはそういったこともできないだろう。
ならば。
彼がいない今だからこそ、フィフィにはきちんと釘をさしておこうと思った。
どうせ警戒されているのならば、それを逆に利用する。
クラードが不幸になるのだけは、友人として見たくはなかった。
「フィフィ、クラードのことをどう思っている?」
「どう……? いい人、だと思う」
「ああ、あいつはいい奴だ。それが長所であり、短所でもある」
「……そう、なの?」
「普通はな。おまえみたいな見知らぬ奴のためにここまでしない。おまえが何をたくらんでいるのかわからないからな」
「わたしは、たくらんでいない」
「さあ、どうだろうな」
実際のところはどうなのかは分からない。
ただ、何かたくらんでいたとしても、自分が抑止力となる。
自分がフィフィにどう思われようとも構わない。
フィフィはしゅんと小さくなる。
それでも、構わずに続ける。
「もしも、おまえがあいつを陥れようとしているのなら、オレはおまえを許さない」
「……そんなつもりはない」
「それならいいんだがな」
軽く息を吐く。
フィフィの顔を見ていると、言い過ぎてしまったかと思わないでもなかった。
誰も言わないのならば自分が釘を刺すしかない。
空気がどんよりと沈んでいる。
このままでは、クラードが戻ってきたときに違和感を覚えるだろう。
「……クラードにも、夢があるんだ」
「……夢?」
「ああ。あいつは、一流の冒険者になって自分の父親を探ししにいきたいんだとさ」
「……お父さんを? お父さんも、冒険者なの?」
「いや、違う。……おまえは、十年ほど前に起きた霧隠しの事件を知っているか?」
「……知らない」
「そうか」
この大陸で暮らしていて、それを知らない人はほとんどいない。
フィフィへの疑いを強めながら、レイスはもう一度口を開く。
「この大陸の外は、霧が濃くてまともに外を見ることもできないっていうのは知っているか?」
「……知らない」
本当に無知だ。
ますます疑っていると、フィフィは縮こまる。
「外の世界は、そういうものなんだ。けど、昔からここ以外にも大陸があって、そこで生物も確認されている。だから、国は外の世界を探しに行っているんだ。実際、人が生活で使ったと思われるものも流れ着いたことがあった」
「外の世界にも人が住んでいるってこと?」
「国は、そう考えているな」
「そう、なんだ」
「それで、話は戻るが、霧隠れの事件についてだ」
「うん」
「霧隠れの事件について簡単にいうと、この大陸に突然外の世界にあるような霧が発生したんだ。霧の大きさはだいたい、フィフィくらいのサイズだな」
「わたしくらい」
フィフィは意識するかのように、軽く体を触っている。
「その霧は人一人を飲み込むと、消滅した。それが、世界のあちこちで起きたんだ」
「……飲み込まれた人はどうなっちゃうの?」
「死んだ」
「えっ」
「と、初めは考えられていた」
「……」
フィフィがじっと自分を見てくる。
「こういう性格なのだ、理解してくれ」とレイスは心中で呟く。
「だが、外の大陸に調査に向かったある冒険者が、一人の人間を連れて戻ってきた。外の人間だと思われていたその人は、霧隠れで行方不明になっていた子だった。……つまり、だ」
「霧に飲まれた人たちは、外の大陸で生きている?」
「かも、しれない。その人が発見された大陸では、見たこともない食べ物と動物が生息していた。幸い、その人はサバイバルの知識もある人だったから、そこでいても生活ができた」
「……そっか」
「クラードの父親も、その霧に飲まれたんだ」
「クラードは、それで冒険者になりたいの?」
「ああ、らしいな。母親に止められたにも関わらず、田舎を飛び出してきたらしい。まあ、今時外の大陸に何か理由を求めて冒険者になるやつは少なくないんだ」
レイスはコップを握る手にぐっと力をこめて、それからすぐに離した。
「……レイスも、何か理由があって冒険者になったの?」
そこでレイスはぴくりと眉尻をあげる。
なかなかに聡い子だと思った。
それでもレイスは、フィフィが信頼にたる人物ではないため、内心を吐露するつもりはなかった。
「オレは普通にしていたら、たいしてステータスには恵まれていないから、聖都には呼ばれないんだ」
あたりともはずれとも言うつもりはない。
答えを言うのならば、フィフィの言う通りレイスにも理由があった。
だが、それを素直に言えるような人間でもない。
レイスは自分を面倒な奴だと自覚しながら、遠回しの言葉を口にしていく。
「けど、さっき聖都に行ったことがあるって」
「ああ、まあな。だからオレは技術者として、国に認められるように努力している」
頭の回転も速い。
やはり彼女は、警戒するべき人間だ。
同時に、悪い子でなければとも思う。
そうすれば、クラードの身の安全も保障されるだろう。
クラードが一人で暮らしていけるのか、それが一番の心配であった。
レイスは緩んだ空気を引き締めるように両目に力を入れる。
フィフィはまた、びくりと肩をあげて、居心地悪そうにした。
それ以上はもう何も言わない。
しばらくすると、クラードが戻ってくる。
「悪かった。行ってから気づいたんだけど、二人だけ残すってあれだよな。気まずかったよな?」
「そう思うなら早く戻ってきてほしいものだな」
「いやぁ、その出がよ――ああ、いやなんでもないからな」
いつものノリで言おうとしたのか、慌てた様子で彼が口を閉ざす。
あほな奴だと思いながらも、途端に場の空気が落ち着いた。
ちらちらと、クラードは自分とフィフィを何度か見る。
それで何かを理解したようだ。
クラードが自分のほうに視線を向けてくる。
クラードは片手をたてて、謝罪するようなポーズを作った。
若干申し訳なさそうな顔から、レイスはひらひらと手を振って返した。
普段は鈍い男であるが、こういったことは意外と気がつく奴だ。
レイスは嘆息を一度だけついた。
○
「それじゃあ、レイス。フィフィのこと大家さんによろしくな」
「ああ、わかった。それじゃあな」
レイスがこくりと頷き、片手をあげる。
「おう、またな」
「……ばいばい」
クラードとフィフィも同じように手を振り返した。
彼に背中を向けるように歩き出す。
アパートまで歩きながらも、クラードの内心は穏やかではなかった。
考えることはラニラーアのことばかりだ。
ラニラーアが聖都に行くかどうか、その点ももちろん考えていることであったが、何よりも意識しているのは、自分とは明白に格が違うということだ。
クラードがどれだけ必死に手を伸ばしても、彼女の背中には届かない。
ラニラーアのいる場所にたどりつくには、どれほどの努力をすればよいのだろうか。
「俺は今できることをやるんだ。うん、そうだよな」
「……クラードどうしたの?」
「いや、なんでもねぇ。黙っていると、こうダメになっていくと思ったからさ。明日からも頑張ろうな!」
「……うん」
部屋に戻ってから、クラードは手紙を書くかどうか迷っていた。
手紙はレイスに渡すか、レイスの飼っているリンドリという賢い動物に渡せば、ラニラーアのもとに届くだろう。
しかし、レイスから聞いた話もあり、ラニラーアにかける言葉が見つからない。
今の自分は、まだまだラニラーアにはまるで追いついていない。
「すぐに並んでやるからな」と調子よく言うことはできる。
だが、本気で言いきることはできなかった。
聖都行きを、ラニラーアがどう考えているのかが気になった。
迷いなく断ったのならば、それでいいが、自分が原因でやめたのならば――。
「クラード」
「はっ、うおっ!」
部屋の座布団に腰掛けて、ボーっと新聞を眺めていたクラードはフィフィが眼前に現れたことに驚いた。
新聞は、大家がとっているものだ。
だいたい大家が見た後、自分の部屋にいれられる。
聖都新聞と呼ばれるもので、週に一度発刊される。
「あ、あれ先風呂入ってくるっていっていたけど……」
「もう出た」
「……そ、そうか」
ちらと時計を見ると、帰ってきてから二十分は経っていた。
随分と無駄な時間をすごしてしまった。
腰をあげて風呂に向かうと、ひょこひょことフィフィもついてくる。
「な、なんだ? 俺の風呂なんて覗いても面白くないぞ?」
「違う。……その、クラードはわたしがいたら迷惑、かな?」
「……どういうことだ?」
レイスが彼女に何かを言ったのだろうとはわかっていた。
おそらくは自分が言いにくかったことをはっきりと伝えたのだろう。
彼には汚れ役を押し付けてしまった。
後で、そのことも連絡しようと思っていた。
「クラードは、一流の冒険者になりたいって……。けど、もしわたしが原因でクラードが一流の冒険者になれなかったら……」
「いや、それは、まあまだまだ先の話だからな」
まだ土俵にさえあがれていないのが現実だ。
ステータスをもらう前ならばともかく。
今の自分の名前を覚えてくれている聖都の人間などいないだろう。
「クラードは、お父さんを探しにいきたいんだよね?」
「……まあ、な」
「その辺をレイスは話したのか」と意外にも思った。
「わたしがいたら、邪魔になるかもって思って、その……」
目を伏せた彼女に首を振る。
それだけは、はっきりと否定できた。
「そんなことはねぇよ。……俺は親父と、師匠を探しているんだ。師匠については、レイスから聞いたか?」
「……ううん」
「師匠もな。未開拓大陸の調査中に行方不明になったって聞いてたんだ。だから、その二人を探し出すために、俺は一流の冒険者を目指そうって思ってたんだ。……それでさ、いまの俺はまだまだダメだ。生活するにも、一人じゃ無理だ。だから、フィフィがいて迷惑は絶対ない! むしろ一緒にいないと困るっ」
「……うん」
「だから、これからも一緒に戦ってくれ、って、むしろ俺から頼みたいんだ」
「わたしは、もちろんいい」
フィフィがこくこくと頷いた。
僅かに目じりに涙が浮かんでいる。
どうしたのだろうかと思っていると、彼女はごしごしとこする。
「……ごめん。なんだか嬉しくって」
「いや、別に良いよ」
前に彼女がどんな環境にいたのかわからない。
フィフィは僅かに赤くなった頬を緩めながら、目元をこすった。
それから、彼女は目をしょぼしょぼと動かす。
「眠いのか?」
「うん……」
声もどこかまどろんだものになっている。
布団はもう用意してある。
フィフィは布団に入ると、すぐに寝息をたてた。
よっぽど疲れていたのだろう。
それもそうか、と自答する。
フィフィは魔法力こそ高かったが、あまり運動は得意ではないとすぐにわかった。
それでも、朝から晩まで戦闘に付き合ってもらった。
慣れない彼女からすれば、ついてくるのもやっとだっただろう。
(……今日はずっと俺のペースで迷宮に潜ってたよな)
そう考えて、がくりと肩を落とす。まるで気遣うことができていなかった。
金を稼ぐというのもあったが、やはり強くなりたいという気持ちが先行していた。
戦闘に慣れていないフィフィを、もっと気遣うべきであった。
フィフィをちらと見て、軽く息を吐く。
彼女が一体、どんな子なのかは分からない。
それでも、彼女を守ってあげたいと強く思った。
そのためにも、もちろんもっと強くならなければならない。
クラードは改めて一つ、決意を固めた。
それは、今までよりも強く、明確な目標だった。
その変化が、クラードの体にも現れていたが、クラードは熟睡していた。