炭と一首
「こっちが炭子で、俺は名前がねえ」
朝になり、微かにまわりが見えるようになる。なので一首のケルベロスに紹介する。
「おじさん私炭子って名前ではないよ」
「お前の名前なんて忘れた。長所が名前になるんだからいいだろ」
一号は昨日何度も不幸話をさせたので、名前も何度も聞いている。ただ馴染みのない発音で思い出せなかった。
「じゃああっちの人の名前は?」
炭子が初期ダンジョン位置を守っている辻斬りを指さす。
それに気づいた辻斬りが気付いてこちらに手を振っているのを一号は無視した。
「他人だから知らん」
「絶対うそでしょう。じゃあこの子は?いつの間にいたけど」
今度は炭子の足を噛んでいるケルベロスが指をさされる。まだまだ子犬サイズで、炭子の膝にも達していない。
「隣のやつが拾ってきたやつだから名前はない。商売道具だしつけるか。首が一つだからイッシュだ」
「普通生き物は首が一つだよ」
一号は炭子がこいつをただの肩幅が広い子犬、もしくは狼の子供だと思っていることに気付いた。確かに見た目は黒い柴犬だ。それと炭子の態度がなれなれしくなっている。
「こいつはケルベロスだ。首が二つと前足が片方ないだけのだ。そういうこともある。今日はこれでお恵みをもらう。いくぞ」
城壁の影から出るように南門前に行き、そこから道に沿って南前町の水場へ。
途中、炭子が本当にケルベロスだったと気づき、イッシュを抱え、ない首をなでていた。どちらとも黒く、悪魔みたいだった。
「体を拭くのもしっかりやれよ。お恵み様は行列の暇つぶしにやってくるんだ。臭かったら話し相手にならねえぞ」
一号はできるだけ炭子とイッシュに清潔を要求した。それが仕事だからだ。
二人は昨日のお恵みの残りを食べ、三日続けて同じ場所で頭を下げる。今日はイッシュもいるので、イッシュにはしっかりとやることを説明する。
炭子は説明してわかるのかという顔をしたが、指示通りに動くイッシュにさすがケルベロスと的外れな感心をした。
炭子とイッシュのコンビはお恵みを引きつけた。我先にお恵み様たちが話を聞きに来る。最初は気味悪がれても、子供と子犬という利点で、怖がられることはない。不幸なだけでなく、保護欲をくすぐったのだろう。
その日のお恵みは金入れがいっぱいになるほどだった。すべて最低貨幣だといっても、一日としては多大だ。感覚的には一万カイを超えている。食料も買わずにすむほど手に入った。
一日三百カイの初日と比べると、もらいすぎて怖くなり午後一時には切り上げて南前町へ。
水場で水を補給して、ボロきれで身体を拭く。自分たちのことはいいとしても、一号と炭子は犬を飼ったことがなく、どうきれいにすればいいのかわからず、炭子は念入りにイッシュを濡れタオルで磨くように洗う。
今日の朝に会ったばかりなのによくここまでかいがいしくできるものだと、一号は自分の歯と舌を布で洗いながら思う。
二枚着込んでいた服を二着とも洗う。そして今日の分のお恵みで買った新しい古着を二枚着る。他にも雑貨屋で雨の日用のマントを買う。二人とも穴があいている安物で、ケツの辺りが薄い。それでも壁上からの監視に気を使って屋根がつけられない西の壁沿いでは必要になる。
他にも風呂敷を買って物を運べるようにする。これだけ買ってまだ金入れの小銭は半分ほど残っている。
「儲けすぎたな」
「いいことじゃないの?」
西の壁まで戻ると、まだ西日が射しこんでいた。まぶしいのか、ござを敷いて寝ころんでいる女の辻斬りが不用心に壁側を向いている。
「俺たちみたいな乞食は弱い立場なんだ。それが大金を持ち歩いたらいいエサだろ」
「なら明日はやめとくの?」
「そうするか。いや、それだけでは狙われるのは変わりないな」
地球ではどうやっていたか。生前は稼ぐような乞食ではなかったからわからない。場所も人目を避けつつ堂々としていたらよかった。
「そうだ」
金入れから半分抜いて、それを隣でカタログから取り寄せたイチゴジャムクッキーを食べている女の辻斬りに渡す。
「お前たちが徴収したことにしろ。文句言ってくるやつはそっちに回すから、自由にしろ。俺たちを恐喝してくるやつはろくなもんじゃないから消えても大丈夫だろう。兵士とかは回さないから安心しろ」
辻斬りは迷惑そうな顔をしていたが、消えてもいいやつが回ってくるというので受け入れた。
「その金は自由に使っていいぞ」
辻斬りたちは西の森に入って狩りと採集をして大金を稼いでいる。西の森は奥までいかなくても枝一本でパンが買える場所だ。そのせいか、かさ張る小銭を使ってもいいと言われても微妙そうな顔をした。
炭子は一号と辻斬りの様子を見つつ、イッシュに水平にした腕を飛び越えさせて遊んでいる。子供にとってつらい環境なのにたくましいものだと一号は感じた。
風呂敷の中にしまっていたお恵みの食べ物を出す。堅いパンと新鮮な野菜を交互にかじっていたらすぐに夜になるだろう。
深夜、大地につけていた耳に響くドスンドスンと歩く音で目が覚める。人間の出す歩行音ではない。
音は西の森から来ていた。
ダンジョンマスターは洞窟の中にこもることも想定されている。そのため、やる気を出せば光がなくても夕方程度までは視界が回復する機能がある。
その半端に鮮やかになった視界に二メートルほどの熊が映った。
熊は森から出てきたばかりで三キロほど距離がある。
「あれはなんだ」
『盾熊と呼ばれています』
頭の中でサポートに呼びかけてすぐに盾熊のデータを出す。ダンジョンマスターは生み出す機能を使いこなすため、魔物知識が脳みその埋め込まれている。
盾熊は自分だけの盾を持つ大柄の熊だ。立ち上がって盾を器用に使って敵を打つ。今回の盾熊は左手首にとげ付のスモールシールドがくっついている。他に特長を挙げると、雑食なので人間は食用肉になる。
「イッシュ、いけ」
匂いで盾熊の接近に気づいて寝たふりをしていたイッシュに命令する。イッシュは渋々といったように、まだ眠っている炭子の腹辺りから抜け出して盾熊に襲いかかる。
イッシュは犬ではなくケルベロスだ。手足が犬より太く、前足が一つない子犬でも成犬よりも早く走れる。あっという間に盾熊に近寄り、盾がないほうに周りこもうとする。
盾熊は盾を向けて立ち上がり、イッシュ対してできるだけ正面を向ける。しかしイッシュの方向転換やフェイントに惑わされ思うようにいかない。
さらに攻撃しようにも、子犬サイズのイッシュが成犬よりすばやく照準をあわすことさえできない。
イッシュが盾熊の背中をとろうとする。それに反応して盾熊が正面を合わせようと大きく動いたとき、イッシュ盾熊と動きを合わせるように飛び掛かった。そしてくるりと回ろうとしていた盾熊の首元に食らいつく。
盾熊は盾だけでなく、その強靭な筋肉と毛皮によって身を守り生存競争を勝ち抜いてきた。そのせいもあって、イッシュの牙は盾熊の首元にしがみついた程度しか効果を発揮しない。
反射的に盾熊はイッシュを手の爪で払おうとする。
ところで、ケルベロスは強靭な体と、三つの首それぞれにブレス用の肺を持っている。魔法的な生き物だから生まれた臓器だ。
イッシュは生まれたときから首が一つ。では、残り二つ分のブレス肺の出口はどうなっているのか。答えは一つの首に集中している、だ。
イッシュの三つのブレス肺の属性は炎と水と風。吐こうとすると、魔法でできた炎と水が混ざり、大量の水蒸気を出して空気を膨張させる。その膨張させた空気を残りの風属性が操り一気に噴き出す。これが奇形に生まれたイッシュだけのブレスだ。
このブレスが発動するとき、一瞬だけ炎がイッシュの口の奥から生まれる。そのため、ブレスが吐き出される瞬間、灯かりのない荒野に日の出のような光が現れて消えていった。
そして一号がその光に驚く間に、盾熊の首元から吐き出された鋭い密度を持ったブレスが噛み付いていた盾熊の首を飛ばした。
これでもケルベロスとしてイッシュは強くない。二つ前足があり、首も三つある本物なら、機敏に動き距離をとりながら三つ首が交代にブレスを吐き続けて終わる。このブレスは特化とも、苦肉の策ともいえる。
「そういえばあいつの種族、首狩りケルベロスだったな。あんなナリして首を飛ばすのが好きなんだな。その熊、あっちの森に持っていけ。毛皮はいるか?」
隣の辻斬りに聞くと、いるという。売って遊ぶのだと。
「だったら解体が得意な辻斬り呼んで解体させろ。確かいただろ。肉と内臓はイッシュにやれよ。あとイッシュは森でしょんべんしてマーキングしてこい。毎晩出たらうっとうしい。俺は寝る」
起こしていた体を戻して炭子を見ると寝たまま。目を普通に戻して目をつむる。
一号は炭子が火事になっても起きなかったことを思い出して、また寝た。