第8話 かぼちゃのランタン
〝―――それは遠い記憶。
全ての始まりを告げるモノ―――〟
『ようこそ、地獄へ。【****】』
身体の芯から凍りつきそうな――足を進めるごとに身体の感覚が失われていく極寒の中、固い岩で出来た道を歩き続けた先で待っていたのは、上質な衣服に身を包む一人の青年だった。
異常に整った顔立ちをした青年は一目見ただけで畏怖を抱かせ、また相対する者を跪かせるような――絶対的な気配を纏っていた。
口元には艶やかな微笑を浮かべて優しい光を放つ真紅の瞳を向けて来るが、その瞳孔は縦に割れていた。
白銀に輝く髪の隙間――こめかみのやや上の辺り――から、ねじれた黄金の角が一対、後ろへと流れるように生えていることから、人の姿を取りながら人ならざる存在だと分かった。
―――悪魔だ。
そして、青年の背後には頂上付近が見えないほどに高い岩の壁があり、そこに巨大な両開きの扉があった。
無骨ながらも何処か神聖さを感じさせるその扉は、青年の言葉どおり、地獄へ通じる唯一の入り口だ。
そこが道の終着点――行きつく場所なのだが、その行く手を塞ぐように青年は立っている。
『久しぶりだね。覚えてる?』
投げかけて来たのは、確信に満ちた問いかけ。
その美貌と圧倒的な存在感は、そう易々と忘れることは出来ないだろう。
何より、その魔の手から逃れたことがある身としては――。
『一応、決められた寿命は全うしたみたいだね。おめでとう』
返答がないことは気にせず――出来ないと分かっているのか――微笑を浮かべながら、青年は言葉を紡いだ。
『………』
以前に遭った時よりも強い存在感――圧倒的な力の差を理解させられて屈しそうになるが、身体の感覚がほとんどないので動くことが出来ず、その場に立ち尽くしていた。唯一、出来ることは、その一挙一動に注意を払うことだけだ。
ただ、例え身体が動けたとしても、青年から逃げることは出来ないだろう。
何故なら、歩いて来た道を戻ることは出来ず、ただ前に進むしかないのだから――。
『ふふっ――――待ちくたびれたけど、来てくれると思っていたよ』
約束があったからね、と濃くなる笑みに、心臓を握り締められたような衝撃が走った。
何故、と掠れた――ただ呼気が漏れたように出た声に青年は目を細め、
『せっかく、いい〝オモチャ〟を見つけたのだから、見逃す手はないよ?』
妖艶で残忍さが窺えるその笑みは、まさしく、悪魔の微笑と言えるものだった。
〝―――青年と初めて遭ったのは、生前のこと。
魂を奪いに来たので、騙して追い払っていた―――〟
〝―――その時、一種の呪いを受けてたのだろう。
再会するまで、そのことに気づくことは出来なかった―――〟
青年からは騙されて魂を奪い損ねたことへの憤りは感じられず、むしろ、新しい〝オモチャ〟を手に入れられることへの喜びに満ちていることに気付いた。
死後、地獄へと落ちることを予想し、間抜けな〝オモチャ〟がノコノコと姿を見せるのを待っているほどに――。
『さぁ、君はどうする――?』
愉悦を含んだ声で尋ねて来るのは、選択肢が一つしかないからだ。
生前の時のような騙しは二度目も通用するものではなく――そもそも、青年の領域では逃げ去ることは出来ないだろう。
『―――……』
その手に落ちることしか出来ないのだと悟り、絶望で染まる目を見て、青年は笑みを濃くした。
〝―――だが、その思惑は外れることになった。
新たに現れた、もう一人の悪魔によって―――〟
『―――あら、それはどうかしら?』
突然、辺りに響いたのは、鈴を転がしたような女性の声。
『っ?!』
『………おや?』
青年は少し不思議そうな声を出し、その女性の声がした方向へと顔を向けた。
彼の視線が逸れたことで、その圧倒的な気配から解放され、ガタガタ、と身体が震え出す。
『………?』
首をぎこちなく動かして青年の視線を追えば、道から少し外れた暗闇の中に一人の女性が立っているのが見えた。
その女性も青年と同様に絶世の美貌を持ち、金色の瞳の瞳孔は縦に割れていた。長い群青色の髪をハーフアップにまとめ、こめかみからはねじれた角が一対、生えているが、青年と違ってやや赤みがかった金色をしている。
身体のラインを強調するドレス姿は艶めかしく、置かれている状況を忘れて呆然と見つめてしまった――目を奪われた。
『面白いことをしているじゃない? ―――アヴァリス』
『―――リュゼ。奇遇だね、地獄の門前で会うなんて』
アヴァリスと呼ばれた青年は、僅かに女性に身体を向けた。
『――――――っ?』
そこではっと我に返り、アヴァリスを――その後ろにある扉を視線だけで盗み見る。
青年の意識が僅かでも自分から逸れているうちに地獄へ向かおうと足に力を込めるが、その場に縫い付けられたように動かすことが出来なかった。
『―――ふふっ。本当にそう思っているの?』
コツコツ、とヒールの音を響かせながら、リュゼと呼ばれた女性は岩の道まで歩いて来ると、三角形を描くようにして立ち止まった。
リュゼが近くに来たことで逃げることを諦め、二人の悪魔へ視線を戻せば、牽制し合うように視線を交わしていた。
〝―――彼女の登場により、選択肢は二つに増えることになった。
ただ、それもまた別の〝遊び〟でしかなかったが―――〟
〝―――悪魔の呪いを受けた身では、その魔の手から逃れることは出来ないのだろう〟
『さぁ、遊戯を始めようか――』
アヴァリスは、高らかに開始の合図を告げた。
アヴァリスの思惑を外したい――嫌がらせをしたいリュゼの提案により、行われることになった遊戯。
悪魔たちの〝遊び〟に巻き込まれた哀れな霊は、遊戯の駒として〝名〟を得て、勝つ方にかけたリュゼから遊戯を円滑に進められるようにと〝新たな身体〟を与えられた。
『さぁ、受け取りなさい――』
そして、最後に渡されたのは、遊戯の勝敗に関わる重要なモノ――種火程度の大きさしかない〝地獄の炎〟だ。
遊戯の勝利条件は、生前にアヴァリスと交わした〝契約〟を〝全てを浄化する炎〟で解くこと。
息を勢いよく吹きかければ、たちまち消えてしまいそうなほどに小さな炎は、このままでは〝本来の力〟を発揮することは出来ない。
そのため、十全に発揮出来るように火力を上げること――炎を失うことなく、大きく燃え上がらせることが、遊戯の内容だった。
そして、舞台となるのは〝現〟――悪霊が淘汰される場所だ。
アヴァリスがどのような妨害を仕掛けて来るのかは不明だったが、〝現〟なら〝悪魔としての力〟も制限されるので地獄の門前よりは勝率が高いだろう。
或は、〝現〟で祓われる恐怖に抗いながら同類を祓う姿が見たいだけかもしれないが――。
遊戯に勝って悪魔から逃れるため、〝地獄の炎〟の燃料となる悪霊を求め、〝ジャック・オー・ランタン〟のジオラは〝現〟に舞い戻った――。
***
―――カラン、カラン、
と。ランタンの音と共に闇夜に炎が舞う。
ひっそりと降り注ぐ、冷たくも澄んだ月の輝きとは違って、全てを焼き尽くす炎は一瞬でも夜の闇に煌々とした輝きを放つが、それは日の光とはまた別のモノ――蠢く穢れを跡形もなく消し去っていくので、見ていて気持ちが良かった。
エプリは腰掛ける三角帽子の揺れに合わせて、力を振るっていた。
(よっ、ほっ、とっ!)
夜の闇に混じる、悪霊の気配。
同じ黒色だが、エプリたち精霊にとっては、一方は吸い込まれそうなほどに純粋な黒で、もう一方は様々な色が混じって出来た混沌の黒に見えるため、全くの別物だった。
ちょんちょんちょん、と悪霊を突くように〝闇〟を動かせば、次の瞬間、燃やし尽くされて消えていく。
ジオラの力だ。
ジオラもその気配に気づいているとおもうが、時期が時期なので少しでも意識を逸らすため――本能に呑まれないため、エプリはわざと手を出しているのだ。
十月三十一日――〝収穫祭〟。
〝万聖節〟である十一月一日の前夜。
善霊が家族の下を訪れる日であり、精霊を迎えて収穫を祝う日でもあるその日は、〝現〟と〝闇〟の境界が曖昧になるが故に、悪霊の〝力〟も強まってしまうのだ。
それは魔女との契約があるジオラも例外ではなく、その時期は本能に引っ張られやすくなるため、それを引き留めるのがエプリの役目だった。
「――――」
ランタンの音にかき消されるように微かに聞こえて来るのは、ジオラの鼻歌。
あの子どもの夢の中に入った時、歌っていた曲だ。
(もう歌ってるよ……)
それを歌う時は、その本質浮かび上がってきている――本能で動きだす前兆だった。
「ジオラー? ねぇ、ジオラってば!」
エプリは、バタバタ、と足を動かして三角帽子を叩きながら、その名を呼んだ。
「――――ん? 何だぁ?」
ジオラは間の抜けた声を返しながらランタンを左から右へと動かし、立て続けに炎を放った。
その炎は、的確に眼下を這う悪霊を滅していく。
悪霊を滅した跡には塵のようなものが輝いていて、すぅっ、と空へ昇ったかと思えば、ジオラが持つランタンへ――その中で揺らめいている〝地獄の炎〟へと吸い込まれていった。
(……いつ見ても綺麗だなぁー)
キラキラと光る筋がランタンに吸い込まれていくその光景は、一部の者だけしか見ることが出来ないらしい。
常々、勿体ないなぁと思うエプリだった。
「おぉーい、エプリー?」
その光景に見とれていたエプリは、はっと我に返った。
「―――あ。あの歌、歌ってたよ? 早いってー」
「……そうかぁ?」
三角帽子が、ぐらり、と大きく左に傾いた。ジオラが小首を傾げたのだろう。
「そう! いい感じで滅しているけど、コレと言って強い個体はいないよ?」
その光は、ジオラにとって必要不可欠なモノ。
悪霊の力が強ければ強いほどその輝きも増し、最終的には黄金に輝くが――その時は誰にでも見えるらしい――この程度の輝きでは、火力を上げる足しにもならないだろう。
「何となく、モグラ叩きっぽいからなぁ」
持ち上げているだろ、と言われて、エプリは頷いた。
どうやら作業的に滅していたところにエプリが悪霊を示してきて――それがモグラ叩きに思えたらしい。
そして、示された悪霊を自分なりのリズムで滅していくうちに楽しくなり、鼻歌を歌っていたようだ。
「あまり使い過ぎるとダメだよ?」
「あぁ、分かってるよぉ」
高い木の一番上――その頂上に引っかかった様に立っていたジオラは、ふわり、と空に浮かび上がった。
(そんなこと言って………この調子だと――たぶん、来るよね)
今までの経験から、十分、その可能性は高いと思った。
それに、〝あの人〟もこの時期は〝力〟が高まるのだ。ジオラがちょっと調子に乗って力を使い過ぎれば、彼女に感知される恐れがある。
それはジオラも分かっているはずだったが――
「————」
ランタンを鳴らしながら悪霊を祓い続けるジオラは――その本質が出ているためか――言うほど気にしてはいないようだ。
それはいつもの事だったので無視して、「んー?」と小首を傾げた。
(そろそろ、お菓子も溜まったから………ちょっと帰ろうかな?)
エプリの《退治屋》の相棒としての報酬は、人の世のお菓子だ。
それは、帰郷するには他の精霊たちへの良い手土産になっていた。
最近、帰っていないので、皆、帰りを待っているだろう。
エプリはジオラと出会い、《退治屋》の相棒になってから、ほとんど一緒に過ごしている――そのタズナを持っているが、偶に離れることもある。
それが〝あの人〟がジオラを見つけた時――ジオラが捕まった時だ。
〝あの人〟と初めて遭った時は喰われかけ、《退治屋》として現れた二度目はジオラのオマケとして話しかけられたが、細められたその瞳の奥に宿る光は狩人のモノだった。
正直、会いたくない相手なのだ。
(いつ逃げよう……?)
エプリが逃げる算段をしている眼下では、ジオラによって次々と悪霊たちが炎で焼かれ、浄化されていった。
「――――――――――ん?」
うんうん、と唸りながら考え込んでいたエプリは、ふと、町に充満している霊力の力場が変わったのを感じて声を上げた。
「ジオラ!」
「あぁ、やっと来たか――」
それはジオラも感じ取ったようで、すぐに肯定が返ってきた。
どうやら、舞台は整った――〝劇場〟の力場が安定したようだ。
そして、町中の〝主役〟の気配――その分身が次々と現れてくるのを感じ、
「コレ、大丈夫かな?」
ちょっと不安になって、エプリは尋ねた。
「ジェイルなら、この程度は問題ねぇよ」
「でも、どんどん出てくるよ?」
「――ま。トカゲの尻尾きりだなぁ」
悪霊の分身は、祓っても祓っても生まれて来るので終わりそうにない。
「………ちょっと、調子に乗ってるってことかぁ?」
笑いを含んだ声でジオラは呟き、ランタンを持つ手を大きく横へ振るう。
生み出された炎は小さく、針のような形をしていたが、その数は数十近い。
「! ジオラ……っ?」
「分身に、じゃねぇよ―――雑魚用だ」
町に降り注ぐ炎は、人が生んだ光に呑まれ見えなくなるが、エプリは活発に動き出した悪霊を的確に射抜いていくのが分かった。全てを放った後、再び、炎の針を作り出すジオラを見ていると、
『お前っ、気をつけろよ!』
エプリは影を通じて、ブロジェイルの声を拾った。
「ジェイルが気をつけろって――」
ブロジェイルが怒鳴っているのは、彼が祓おうとした悪霊が空からやって来た針の炎に射抜かれ、一瞬で焼き尽くされたからだ。
その近くにいた分身を破壊し、走り去るブロジェイルの背を見送っていると「はいはい」と投げやりな声でジオラが言った。
「それにしても……やっとだね」
〝収穫祭〟までには〝劇場〟も整うと思っていたが、予想よりも遅かったのだ。
だが、これでこの件も大詰めに入ったのを実感することが出来た。
「ああ。あとは〝アイツ〟が引き出すだけだなぁ」
「うーん………大丈夫かな? 結構、悶々としていたけど」
日中、交代であの子どもの様子を監視していたが、ちょっと挙動不振なところが目立っていた。
(探せとか喰らえとか、言ってたから……)
夢の中に入った目的は、子どもの周囲への警戒心を高めることで、その霊力の向きを外敵に向けること。
ただ、あの様子を見ていると、煽り過ぎたのでは、と疑問に思うエプリだった。
「あれは可笑しかったな……」
くつくつ、とジオラは笑う。
「襲って来ないのは上手く霊力が身体を回って、周囲にも向けられていたからだけど………そのことは全然気づいてないもんね」
「予想以上だったからなぁ……これからは微妙になるが――」
暗示をかけた張本人がしみじみと言うので、もう、とため息をつく。
〝劇場〟が整ったのなら、〝主役〟の力の回復も早まることになる。
そして、力を取り戻したら、未熟なあの子どもの守りを突破することも可能になるだろう。
(一応、保険はしていたし……まぁいっか)
ブロジェイルが張り付いていて、何だかんだ言ってジオラも暗示以外の〝護り〟をかけていた。
これからのことを思えば、いい経験になるはずだ。
「正念場だぜ、ランドル・コルフィッド」
カランカラン、とランタンが鳴り響いた。
そして、〝収穫祭〟の日が訪れた――。