第7話 潜む悪夢
土曜日。
ランドルは仮装の衣装が入ったカバンを手に、コナーの家に向かった。
お披露目の場所は、コナーの家の倉庫だからだ。
玄関先でハロウィンの飾りつけをしていたコナーの母親に挨拶をして、慣れた足取りで隣接する――家よりやや小さい――倉庫に向かった。一階は車庫、二階は荷物置き場になっていて、集合場所はそこの二階なのだ。
トントントン、と階段を上がってドアを軽くノックし、中からの返事を聞く前に開けた。
「悪い。遅れ――っ?」
それなりに物が置かれているが、整頓された室内。
中央にあるテーブルを囲んでいた者たちが振り返り、その全員が仮面をつけていたので、ランドルはぎょっとして身を引いた。
何故なら、その全てがあの悪夢に出て来ていたからだ。
「――あ、やっと来たね」
「遅ぇぞ。ランディ」
足を止めたランドルに声を掛けたのは、一番ドアの近くにいたピエロの仮面と緑色の泣き顔の仮面をした二人。
ピエロの仮面が上にズレて見えた顔は、コナーだった。
「あ、ああ。悪い……」
いつの間にか詰めていた息を吐き、ランドルは部屋の中に入った。
「どした?」
動揺が表情に出ていたのか、赤い鬼の仮面をした友達が小首を傾げた。
「………いや、何でもない」
軽く首を横に振って、ランドルは部屋の隅へと逃げた。
近くにあった台の上にカバンを置いて着替えるために上着を脱いでいると、頭上に仮面をズラしたままコナーが近づいて来た。
「おはよう。身体の方は、大丈夫?」
「あー……うん、まぁ」
心配そうにこちらを見るコナーに、ランドルは視線を泳がせた。
コナーが心配する理由は、昨日、学校を午前中だけで帰ったからだ。
一昨日の夜、〝かぼちゃ〟――〝ジャック・オー・ランタン〟と会話をするという奇妙な夢を見て目が覚めた後、なかなか寝付くことが出来ずに翌日は寝不足になってしまった。
さらに倦怠感もあって日中の体調は最悪で、保健室で少し休んだ後、帰ったのだ。
「ちょっと、疲れているみたいだけど……?」
「いや……疲れているというか、何というか……」
ランドルは口ごもった。
帰ってからゆっくりと休んだことで、今は寝不足は解消されて倦怠感もなかった。
ただ、あの夢を見てから――家の中ではそうでもなかったのだが――目端に付く人や物が気になってしまい、ココに来るだけで少し気疲れしてしまったのだ。
―――「さっさと探せ、紛れて探せ、探さなければお前が喰われるだけさ」
カランカラン、とランタンの音と共に楽しげな〝ジャック・オー・ランタン〟の声が頭の中に響く。
「―――ランディ?」
「っ……あ、いや……」
名前を呼ばれて我に返ったランドルがコナーを見ると、訝しげな目と目が合う。
カバンから衣装を取り出しながら、ランドルは「その……」と小さく呟き、
「………変な、夢を見てさ。それがちょっとな」
昨夜だけじゃないけど、と言う言葉は口の中で付け足した。
「変な夢?」
どんなの、と視線で尋ねられたが、ランドルは顔を背けることで回答を拒否した。
(い、言いたくないなぁ……)
じぃー、と見つめて来るコナーの視線が頬に突き刺さってくる。
「そのさ……仮面が、出て来たんだよ」
無言の視線に促され、ランドルは重い口を開いた。
「仮面って――ハロウィンの仮装用の?」
コナーに向き直って頷き、
「それで、仮面がズラーッと並んでいる通路をずっと走ってて……後ろから何かが追いかけて来るから、それから逃げている――みたいな感じだった」
「えーと、お化けからってこと?」
「……多分」
「ふぅん?…………それで、その後は?」
「へ?」
予想外の問いかけにランドルは、ぽかん、と口を開けてコナーを見た。
ん、とコナーは小首を傾げ、
「逃げていて、お化けは見てないの?」
「み、見てないって……」
「えっ、振り返って確認しなかったの?」
驚いたランドルの言葉に、コナーは目を瞬く。
「お約束だよ? 振り返らなくても転んで襲われる――直前で目が覚めるとかさ」
「あー………」
ランドルは頬を引きつらせ、言葉に詰まった。
(それは……実際に遭ったからなぁ)
最初は、夢だと思っていたが。
「えーと……まぁ、〝かぼちゃ〟だった」
何となく、二夜連続で悪夢を――〝かぼちゃ〟は悪夢と言っていいのか微妙だったが――見たとは言えず、ランドルは〝かぼちゃ〟から逃げる夢を見たかのように言った。
(ん? でも、最初も音と炎はあったな……)
あながち間違っていないので、いいかと思い直した。
「〝かぼちゃ〟って、〝ジャック・オー・ランタン〟のこと?」
「ああ。振り返ったら……こう、ランタンを持っていたんだよ」
背後に炎のオマケ付きで、と右手を掲げるようにして上げる。
ふむふむ、とコナーは何度か頷いて、
「ベタベタだね」
「うっ……」
「ハロウィンの影響、受け過ぎ?」
「うぅっ……」
「起きている時に何気なく見たものが夢に出るって聞いたけど――」
「どうせ、ベタだよ!」
ふぅ、とため息をつくコナーにランドルは撃沈した。
「見るなら、もっとインパクトがないと。僕はムカデが出て来たことあるよ?」
「――げっ。一体、どんな夢だよ……」
ぞわり、と両腕に鳥肌が立ち、ランドルは手で擦った。
「んーと……机の引き出しから、大きいのが一匹」
「うわー……」
ドン引きするランドルに「一匹ならいい夢らしいよ」とコナーは笑い、
「体調が大丈夫なら、いいんだけどね……」
「ああ……サンキュー」
ランドルは仮装の衣装――尾付きのズボンに履き替え、マントを羽織った。
「でも、入って来て驚いたってことは、そんなに怖かったの?」
「……いや、驚いただけだから」
小首を傾げるコナーから視線を逸らし、襟元のファーを直す。
〝かぼちゃ〟との邂逅から一日は経っているので、混乱していた頭は落ち着いている。
ただ、驚いてしまったのは、追いかけられ襲われた恐怖が未だに――無意識下で――色濃く残っていたのだろう。
ランドルは狼の仮面を手にしたところで、ふと、辺りを見渡した。
「そう言えば、ザズは?」
今、この場にいる友達は、コナーを入れて六人。
一緒に祭りを回るのはランドルを入れて八人なので、一人足りなかった。
あの派手な衣装が見当たらないことに小首を傾げると、
「え? ザズなら――」
コナーが何かを言おうとしたその時、
―――ぽんっ、
と。背後から肩に手を置かれた。
「っ!」
ランドルは手を振り払うように肩を動かし、勢いよく背後に振り返った。
「わっ――と」
「ぁ………お前か」
そこには不自然に右手を挙げ、目を丸くしてこちらを見ているザズがいた。
「そんなに驚くことか?」
ザズは挙げた右手で、頬を掻く。
先日、作るのを手伝った派手なマントを羽織り、仮面は側頭部にズラした状態で付けていた。
「気配、なかったぞ……」
思わず、はぁ、と重いため息が漏れた。
そうか、と小首を傾げたザズに、ランドルはじと目を向けた。
「ダメだよ。ランディ、今は繊細なんだから」
「はぁ?」
「今は繊細って……」
コナーの言葉にザズは間の抜けた声を上げ、ランドルは頬を引きつらせる。
「繊細……?」
「何だよ……」
ザズは、どこがだ、と言いたげに上から下へと見てきたので睨み返せば、無言で肩を竦められた。
むっとして口を開くが、文句を言う前に「おーし!」と背を向けられる。
「ランドルも来たから、衣装自慢しようぜ!」
「おぉっ!!」
「――ってか、ザズの衣装、派手だよなぁ」
ランドルは口をへの字に曲げながら、テーブルの方へと歩き去るザズの背を見送っていると、あははっ、と隣でコナーが笑った。
「コナー……」
「ごめんごめん。行こ――」
楽しげなコナーの後に続いてテーブルを囲むザズたちに近づくが、何故か数歩で――その輪の中に入る手前で、ランドルは足を止めた。
まるで、そこに一線が引かれているかのように立ち、ザズたちを見渡す。
(お化けに化けて紛れて探せ、か……)
様々な仮面や衣装を纏う友達の姿を見て思い出すのは、〝かぼちゃ〟に言われたことだ。
(――ってか、普通に買った服で大丈夫なのか?)
小説やテレビドラマでは、特殊な方法で作られた物などを使っていた気がするが、ランドルの衣装は近くの店で購入して少し手を加えただけの代物だ。
〝かぼちゃ〟の言う、お化けに紛れる――お化けを騙すことが出来るのか、甚だ疑問だった。
(それに、武器もねぇし……)
そして、最も重要なのが退治する方法だ。
〝かぼちゃ〟は「探して喰らえ」と言っていたが、生憎、武器となる物がなかった。
ナイフなどの刃物を持ち歩くわけにもいかず、そもそも、それが効くとは限らないのだ。吸血鬼なら、ニンニクや十字架が思い浮かぶものの、相手が〝お化け〟としか分からないので弱点も不明だった。
聖水の単語が脳裏に浮かんだところで、思考が変な方向にいっていることに気付き、ランドルはため息をついた。
(あー……分けわかんねぇ)
ぼりぼり、と頭を掻いていると、
「どした?」
近くにいた友達が、不思議そうに尋ねてきた。
「いや、なんでもない」
「?……そう言えば、少し手を加えたんだな。その仮面」
ランドルの手の中にある仮面に視線を落とし、友達はそう言った。
「ああ。ちょっと色を足してみたんだ」
「へぇ………それにそのマント、結構、かっこいいな」
「だろ? デザインが気に入って買ったんだ」
狼男の仮装だったので襟元のファーはそのままで、あと裾や袖口にも同じ色の毛を縫い付けてあった。
お互いに衣装を見せ合っていると、
「――ザズ。ちょっとその仮面を見せてくれよ」
と。声が聞こえて来たので、ランドルはそちらに視線を向けた。
「ああ、いいぜ」
ザズは頭から仮面を外し、友達の一人に差し出した。隣から、別の友達が仮面を覗き込む。
「変だよなぁ……」
「そうか? 俺は結構好きなデザインだぜ」
ザズの仮面についての感想は、バラバラだ。
「見たのは二度目だけど……やっぱ、ザズのは変わっているよなぁ」
「………そうだな」
ランドルは隣の友達の言葉に曖昧に答えて、つと目を細めた。
(……あの後、襲われたってことは――)
ザズの家で感じた奇妙な視線と帰り道で襲われた時に見た仮面の絵柄――その二つの事柄は、ザズの仮面に悪霊が憑いている可能性が高いと言うことを示していた。
ランドルは左手を握り締め、小さく息を吐いて気合いを入れるとザズの仮面に近づいた。
「俺にも見せてくれ」
「ん? ああ……」
仮面を持っていた友達が、すっとランドルに差し出して来た。
一昨日、ザズの家で見た時と同じ――闇夜に浮かんでいた物とも同じデザインの仮面。
(………っ)
ごくり、と生唾を呑み込んで、ランドルは右手を伸ばす。
握り締めた左手が、痛みと――熱さを訴えてくる。
(――――あ、れ……?)
そして、指先が仮面に触れたが、何も感じなかった。
そのことに内心で戸惑いながら、友達から仮面を受け取った。
「………?」
握り締め過ぎて白くなっていた左手を開き、感覚が覚束ないながらも両手でしっかりと仮面を持つ。
ペタペタと触ったりひっくり返したりした後、改めてマジマジと見つめたが、至って普通の仮面にしか見えなかった。
(何で、だ……?)
実際、襲われた時に現れたのがコレだったので、てっきり、ザズの仮面に憑いていると思っていたが、それは見当違いだったのだろうか。
(いや……でも、確かに……)
予想外のことに、ランドルは呆然として仮面を持ったまま立ち尽くしていると、
「そんなに気になるのか? 俺の仮面」
横から手が伸びて来て、ひょいっ、と仮面を持って行った。
あっと思ってその後を追えば、呆れた表情のザズと目が合う。
「気に入ったとしても、交換はしないぞ?」
「……いや、そう言うわけじゃねぇよ。やっぱり、変なお面だなと思ってさ」
「………ふぅん?」
ザズは疑わしげな視線を寄越して来るので、それを払うように手を振るう。
「――それにしても……少しは様になっているな」
話題を変えようと、ランドルはザズの衣装に視線を移した。
「ん――そうだろ?」
嬉しそうに笑い、ザズは仮面を被ってポーズをとった。
「まぁ、何の仮装か分からないけどな」
「いいんだよ。謎の怪人なんだからさ」
「…………怪人にしては派手じゃないか?」
おいおい、と呆れながら、ランドルはザズの仮面を見つめる。
(どうして、何も感じないんだ……?)
ザズの様子も至って普通で、コレではなかったのかと不安になった。
(いや、既に取り憑かれているのなら……)
〝かぼちゃ〟の言葉からして、もう何かをされている可能性があるのだ。
最悪の結果が脳裏に浮かんで、ランドルは生唾を呑み込んだ。
そうなってしまえば、ランドルに出来ることはない。倒す方法さえ分からないのに、取り憑く悪霊を祓うことなど――。
(そうだ。居場所が分かったとしても、俺にはどうすることも――っ?!)
そこまで考えたところで、今、ココで襲われれば、他の皆にも危険が及ぶ可能性もあったこと――改めて仮面を見たことで動揺してしまい、迂闊な行動を取っていたことに気付いた。
(〝かぼちゃ〟を呼んでも、本当に来るか分からねぇし……)
不甲斐ない自分自身に唇を噛みしめるが、このまま見過ごすわけにもいかない。
ランドルは、別の友達と話すザズを盗み見て、
(とりあえず、心当たりはアレだけだ。………せめて、何も起こらないように見張るしかないか)
それから、ランドルは注意深くザズの様子を観察することにしたが、悪夢を見ることも襲撃を受けることもなく日々は過ぎていった。
そして、ハロウィン当日を迎えることになる――。