第5話 迫り来る悪夢
「こんにちはー」
「お邪魔します」
放課後。
ザズの衣装作りの手伝いを頼まれたランドルは、助っ人をもう一人頼んでザズの家を訪れた。
ザズの母親に軽く挨拶をして、二階の一角にある部屋に向かう。
幾度も来たことのあるその部屋は、いつも通りに服や漫画本が散乱していた。
ただ、今日はさらに端切れが散らばっていて、勉強机の上には裁縫道具と箱に入った端切れの山があり、イスにはマントが掛けられている。
「荷物は適当に置いてくれ」
「適当って……」
その言葉に、ランドルは助っ人――コナーと顔を見合わせた。
コナーは、癖のある金髪の下で緑色の目をパチパチと瞬いた。
「……」
ランドルは肩を竦め、ドアの脇――比較的、物が転がっていない本棚との間にカバンを置いた。
その隣に、同じくコナーもカバンを置く。
ザズは壁際にあるベッドの上にカバンを放り投げ、その足元近くにあるクローゼットを開けて「テーブル、テーブル」と頭を突っ込んだ。
「それにしても………また、変なお面だよね」
ベッドとは反対側の壁際に向かったコナーは、そこに飾られた〝ハロウィン〟用の仮面を見上げた。
コナーはザズやランドルよりも背が低いので、仮面が掛けられた帽子掛けはやや高い位置にあるのだ。
ランドルもコナーの隣に立ち、改めて一目ぼれしたという仮面を見て、
「―――ってか、何のお面なんだ?」
目は山のような形で口も弧を描いているので、笑っているのだろう。
下地はオレンジに近い黄色で、そこに赤や緑、濃いオレンジで描かれている紋様は芸術性が高すぎて、正直、ランドルにはよく分からなかった。
「………狐、かな?」
「狐かぁ?」
小首を傾げるコナーに、ランドルは片眉を上げた。
「よく、見つけてくるよね……」
「前の方が良いと思うけどな」
「―――おい! 聞こえてるぞ!」
背後でガサガサと音を立てて動いていたザズを振り返ると、部屋の真ん中あたりにある物を足で退けて、クローゼットから取り出した折りたたみ式のテーブルを広げていた。
「結構、気に入ってたじゃないか。吸血鬼の奴」
「そうそう」
「けど、他の奴もいたからな……」
鼻を鳴らしながら言うザズにランドルはため息をつき、ちらっと勉強机の前にあるイスに掛けられたマントを見た。
「で? ソレが衣装か?」
その表はやや光沢のあるワインレッドのような色で、上半分ぐらいにヒラヒラと色とりどりの端切れが縫い付けられていた。その裏地は灰色だ。
「コレと、アレか……」
ランドルは遠い目をしながら呟いた。
(派手だなぁ……)
隣のコナーもランドルと同じことを思っているのか、似たような表情をしている。
「ザズー! 飲み物、取りに来なさい!」
「ああ!」
階下からザズの母親の声が聞こえ、ザズは裁縫道具と端切れの入った箱をテーブルに置きながら叫び返した。
ランドルたちに振り返ると、裁縫道具の一番上にあった紙を取って差し出して来た。
「コレが完成図だ。ひとまず、この布をこんな感じで縫い付けて欲しいんだよ」
ランドルが受け取れば、横からコナーが覗き込んで来たので見えやすい様に紙を傾ける。
そこに描かれているのは、広げたマントを後ろからみた絵だ。
お面と同じように赤と緑と濃いオレンジが所々塗られていて、ランドルには適当に塗ったとしか思えないが、番号が書かれているということはそれなりの規則性はあるようだった。
「一応、番号が生地の裏にも書いてあるから、ソレの通りで」
作りかけの布をそれぞれ手渡されて、ソレをひっくり返すと確かに鉛筆で数字が書かれていた。
「ザズー!」
「今、行くよ!」
よろしく、と慌てて部屋を出ていくザズを見送り、ランドルとコナーはテーブルを囲んで腰を下ろした。
「この山から探すのか?」
「あっ。一応、並んでるみたいだよ」
「なら、いいや。縫い目は……見せるのか?」
布同士は赤い糸で縫われているが、縫い方からして敢えて見せるようだ。
「…………」
「…………」
図面と手の布の塊を見比べて、ある程度、縫っていく布を手元に集めていると、ぽつり、とコナーが呟く。
「………けど、コレってミノ、」
「待て! それ以上は言うな!」
ランドルは慌ててコナーの言葉を止めた。
稀に、さらっと毒舌を吐くのだ。
「………それって、ランディもそう思っているってことだよね?」
「………あー……まぁ、人それぞれだからさ」
こてん、と小首を傾げるコナーから、ランドルは視線を逸らした。
二人の間に沈黙が落ち、
「おーし。ジュース持って来たぜ! 菓子はある程度終わってからな!」
そこにザズがトレイを手に部屋に戻って来た。
ランドルはほっと息を吐いて、ザズに振り返った。
「……おう。サンキュー」
「ありがとう」
持ってきたトレイを勉強机の上に置き、ザズはイスを背にして腰を下ろす。
「どうだ?」
「まだ、縫い始めてもいねぇよ」
「っ―――あー、刺した」
最初は談笑しながら縫っていたものの次第に無言になっていき、唐突にザズが声を上げた。
「大丈夫? ティッシュ入る?」
「……気をつけろよー」
ランドルは手元から視線を上げず、手を動かしながら言った。
「一枚くれ」
「って、ティッシュどこ?」
「………」
コナーの問いに、変な形のティッシュボックスカバーが脳裏に浮かぶが、チクチクと針を進める。
「そっち」
「――――あ。コレか」
「………」
ガサガサとコナーが動いて、シュッと引き出す音がした。
「はい」
「わりぃ」
「………」
「絆創膏は――」
「いや、いいよ。そんなに深くねぇし」
「………」
「そう。……でも、だいぶ進んだね? あと、もうちょっとで終わるから、マントに縫い付けられそうだよ」
「………よしっ。それが出来れば、腰までいけるな!」
「………」
「もうすぐかな?」
「おう!―――って、喋んねぇなぁ、おいっ! ランドル!」
「あー? ああ、聞いてる聞いてる」
大声で呼ばれたのでそう答えるが、ランドルはチクチクと針を進めた。
「ソレ、聞いてないよ?」
「聞いてる――っ?」
反射的に答えていると右手が滑り、針が布を持つ左手の指先に刺さった。
鋭い痛みに顔を歪めて声を上げると「あ。ごめん!」とコナーが謝って来た。
「いや………俺もティッシュくれ」
突き刺したところから、ぷくっ、と血が出て来た。
針先を布にひっかけてテーブルに置き、血の出た指に唇を当てる。
(ちょっと深いな……)
口の中に広がる錆びた鉄の味に眉を寄せつつ、コナーからティッシュを受け取った。
傷口をティシュで包むと、血が滲む。
「……ザズ、絆創膏ないか?」
ティシュを退けて傷口を見れば、また血が滲んできた。
このままだと布に付きそうだ。
「深いのか? 絆創膏……あったかなぁ」
ザズは後ろに振り返って机の引き出しを漁ったが、出て来た箱の中身がないので眉を寄せた。
「ねぇな。ちょっと聞いて来る」
「ああ。悪い」
バタバタと部屋を出ていくザズの背に、ランドルは声をかけた。
「深い?」
「んー………まぁ、服に付けるわけにもいかねぇから」
そうだね、とコナーは頷いて、手元の布に視線を落とした。
ランドルは指先をぎゅっと押して血を止め――
―――じぃ……っ、
と。〝何か〟を感じて、肩が震えた。
「っ?!」
慌てて後ろを振り返ったが、ザズの私物と壁があるだけで誰もいない。
(な、んだ?………さっきの……)
ランドルは辺りに視線を彷徨わせながら、ごくり、と生唾を呑みこんだ。
感じたのは、視線のようなモノだった。
こちらを凝視しているような力強さは、無言の圧迫感をランドルに与え、カタカタと身体が震えた。
「―――ランディ? どうしたの?」
「えっ……?」
はっ、と我に返ったランドルはコナーに振り返った。
不思議そうに見つめて来る緑色の目と目が合い、
「あっ―――いや……」
挙動不審だったことに気付き、慌てて言い訳を考える。
「なんか……虫がいたような、気がしてさ……」
「虫?」
「あー………気のせいかな」
辺りに視線を向けるコナーに、何とか誤魔化せたか、とランドルはほっと息を吐いた。
ザズの衣装をほぼ完成させたランドルとコナーは、夕食をごちそうになってザズの家を後にした。
ザズの母親は近所の人たちと〝ハロウィン〟関連の会議があるようで、大通りまで車で送ってもらった。
「ごめんなさいね。こんな途中で」
後部座席から降りるランドルたちに向かって、運転席から振り返って申し訳なさそうにザズの母親は言った。
「いえ。ありがとうございました」
ランドルが頭を下げると、その後ろから――肩越しにコナーも礼を言った。
「気を付けて帰ってね?」
「はい。失礼します」
大きく頷いて、ランドルはドアを閉めた。
走り去る車を見送って、コナーに振り返る。
「じゃあ、また明日な」
「うん。バイバイ」
コナーと別れ、ランドルは大通りを家に向かって歩き出した。
(あー……疲れた)
俯いた状態でずっと縫い続けていたので、肩が凝っていた。首を右に傾けて左手で肩を揉んでいると、ちくり、とした痛みがある。
(っ………忘れてた)
左手に視線を向ければ人差し指にある絆創膏が見え、そこには赤い点が一つ、染み込んでいる。
軽く親指で触れて、一息つく。
(そういえば……何だったんだ?)
頭の片隅にあった〝あの感覚〟を、ふと思い出し、ランドルは内心で小首を傾げる。
感じたのは一瞬で、それからは何もなく過ぎていった。
それでも改めて思い出せば、今朝見た悪夢と共に脳裏にこびりついて離れない。
何故なら、悪夢で感じたモノと同じだったからだ。
あの、黒い通路に並んだ仮面から感じたモノと――。
(あー、ダメだダメだ!)
ランドルは軽く頭を横に振るい、イメージを振り払った。
なるべく考えないようにしながらも、後ろから迫ってくる――じわじわと足元から這い上がって来る〝何か〟から逃げるように歩みを速める。
(嫌な感じだな………ホラー映画、見ても思い出すことねぇのに)
ランドルは内心で小首をかしげながら、住宅街に入った。
ちらほらと車が通るので端を歩くが、あまり人の姿はない。
時折、小さな電灯で飾られた家に視線を向け、
(もう飾ってるのか……ウチはどうするのかな)
〝ハロウィン〟の飾りつけはランドルの家もしていたが、まだ飾っていなかった。
〝ハロウィン〟も近づいてきているので、そろそろ、飾るのだろうかと考えながら歩いていると、
―――ぞくっ、
と。悪寒が走り、ランドルは足を止めた。
どくどくと心臓が早鐘を打ち、身体が震え出す。
(この、感じは……っ!)
いる。
確実に〝何か〟が、背後に――。
(………なんっ?)
喉の奥が引きつり、声が出ない。
小刻みに揺れる身体に、どさり、と肩にかけていたカバンが落ちた。
後頭部に突き刺さる〝何か〟――感じる視線に、じわじわ、と恐怖が足元から這い上がって来た。
振り返りたくはない――このまま走って逃げ出したかったが、何故か足は動かず、身体はゆっくりと後ろへ動いていく。
まるで、何かに操られているかのように――。
(―――ひっ……!)
目も閉じられぬまま、振り返った先には誰もいなかった。
だが、感じる視線は、やや上の方だ。
そちらに顔が上がっていき、
―――そこに、仮面が浮かんでいた。
黄色い仮面には赤い文様が描かれ、目と口は笑みの形をとっていた。
その目の奥に灯る赤黒い光が真っ直ぐにランドルを射抜き、一際、大きく身体が震えたかと思えば、金縛りにあったかのように動かなくなってしまった。
(………なっ?!)
そして、ゆっくりとランドルの方に向かって、仮面が降りて来る。その光景を見たくなかったが、何故か、仮面から視線を外すことが出来なかった。
ランドルは目を見開いて息を詰めたまま、迫り来る仮面から逃げることも出来ずに立ち尽くしていた。
(―――っ!)
その仮面との距離が手が届く範囲になったところで、声にならない悲鳴を上げたその時、
―――ごぉっ、
と。仮面を呑み込むようにして、視界いっぱいに炎が躍った。
「っ?!」
突然、目の前に現れた炎に反射的に後ろへ飛び退こうとしたが、身体は動かなかった。
その熱気に炎に炙られる恐怖が思い浮かび、ランドルが顔を引きつらせた瞬間、ふっと足元が消えた。
「ぁ―――………」
落ちる――そう思ったのを最後に、ぶつり、と意識は途切れた。
「――いっ――い!」
何処からか、声が聞こえた。
それは誰かを呼んでいる声だ。
(だ、れ……だ?)
知らない声に、ふっと意識が浮き上がった。
「おい! 起きろ!」
怒鳴り声と共に軽く肩を叩かれ、はっとランドルは目を開けた。
固くて冷たい感触に身を動かせば、壁に寄りかかって座り込んでいるのだと分かった。
「っ?―――っはぁ……」
だが、自分が置かれている状況が分からず、ランドルはぽかんと目の前の少年を見つめた。
すぐ傍に屈みこんで覗きこんで来ているのは、ランドルと同い年ぐらいの――赤みがかったオレンジ色の髪に赤い目を持つ少年だった。
「大丈夫か? ぶっ倒れていたけど」
「………」
「おい! 頭でも打ったか?」
呆然としたまま、一向に反応を返さないランドルに少年は眉を寄せ、ヒラヒラと目の前で手を振るう。
「えっ―――あっ、いや……何処も痛くねぇけど……」
はっと我に返ったランドルは視線を泳がせ、ふと、少年の右腰に〝かぼちゃ〟のキーホルダーを見つけた。
淡く温かい光を放つソレに、混乱したままの心が自然と落ち着いていく。
(あ、れ………これって……)
何処かで見たような、と思ったところで、ほっと息を吐く音がした。
顔を上げれば、少年は笑みを見せていて、
「なら、いいけどな。お前、こんなところで寝ていたら危ねぇぞ?」
「えっ? 寝て……?」
少年の言葉に眉を寄せると、はぁ、とため息をつかれた。
「お前、ココで大の字で寝ていたんだぜ?」
指で地面を指され、ランドルは視線を下に向けた。
見えるのは、コンクリート舗装された道だった。
「寝ていたって……」
そんな記憶はなかった。
ザズの母親に車で途中まで送ってもらい、帰路についたのだ。それから――
(アレは……夢、だったのか?)
最後の記憶は仮面と――視界を覆った業火。
夢にしては現実的過ぎて、再び、恐怖が襲いかかってきて、ランドルは両手で自分の身体を抱きしめた。
震える身体を押さえるように、手に力をこめる。
あの恐怖や熱気は、とても夢には思えなかったのだ。
「寒いのか?」
「えっ……いや……」
「なら、いいが。怪我もないようだし……」
一息ついた少年は、立ち上がるとランドルに手を差し出して来た。
「………」
「……おい?」
その手をじっと見つめていると、いらないのか、と手を振られた。
「あ、ああ………悪い」
掴んだその手は温かい――むしろ、熱いぐらいの体温だった。
強い力で、一気に立たされる。少しふらついたが両足でしっかりと立ち、何となく服の汚れを払う。
「――ほらよ」
「ど、どうも――」
落としたままのカバンを差し出され、さすがにバツが悪くなってランドルは軽く頭を下げた。
それに対して少年は口の端を上げて笑い、
「――ま。今度からは、そこら辺で寝るなよ?」
「……あ、ああ……?」
身に覚えのないことにどう返せばいいのか悩んでいるうちに、少年は「じゃあな」と言って踵を返した。
「――あっ、待ってくれ!」
数メートルほどその背を見送っていたが、はっと我に返ったランドルは慌てて呼び止めた。
あの背中は、今朝、見かけたもの――大通りで目についた少年だと気づいたからだ。
「おまっ――君は、今朝……っ!」
「ん?」
振り返った少年は、何だ、と言いたげに片眉を上げた。
その顔を見て、続けようとした言葉は喉の奥で止まる。
(何で、俺は……)
何故、今朝のことをを聞こうと思ったのだろう。
別に、聞くべきことでもないはずだ。
「いや……何でもない」
ランドルは軽く頭を左右に振って気を取り直し、小さく笑った。
「ありがとう、起こしてくれて」
「……別にいいさ。じゃあな」
ひらひら、と手を振って、少年は背を向けると去っていく。
しばらくの間、その背を見送っていたが、ランドルは踵を返した。
(……何か、今日はダメだな)
今朝の悪夢から始まって、妙な一日だった。
どっと疲れが襲って来たので、さっさと帰って早く寝よう、と小さく息を吐いた。
***
住宅街の道を歩いている子どもの背中を見つめる、一人の男がいた。
銅色の髪を鬣のように伸ばして首元で一つにくくった男で、子どもが歩く通り沿いにある一軒の家の屋根の上に立っていた。
「――ま。なかなかの演技だったな」
その背が見えなくなったところで、男――ブロジェイルは軽い声で言った。
「ああ? 名演技だろうが」
それに答えるのは、少年の声だ。
屋根の上にはブロジェイルしかいなかったが、ぬぅっ、とその影から赤みがかったオレンジ色の髪の少年――ジオラが姿を見せた。エプリの〝力〟によるものだ。
「んー……九点かな!」
その左肩――定位置に座るエプリは、小首を傾げながら言った。
「………残り一点は何だよ?」
「仮面を見られる前に片付けないとね!」
「それ、演技に関係ねぇだろ……」
はぁ、とため息をついてブロジェイルの隣に立つと、ジオラは子どもが去った方向へと視線を向けた。
「それで? 本体は見つけられたのか?」
ジオラたちがブロジェイルを連れて、再度、この町を訪れたのは夕暮れ前のこと。
集まって来る悪霊を祓うために町の周りを回っていたのだが、日が暮れて少し経った頃に「アイツの匂いがする」と言われ、辿り着いたところにあの子どもがいたのだ。
「あー………町中に点在しているな」
少し顎を上げて遠くを見つめるブロジェイルに、ジオラは片眉を上げた。
「さっきの仮面………分身か?」
「ああ、本体じゃない。………恐らく、〝力〟は戻ってないくても〝劇場〟の影響下なら作れるんだろうさ」
「そこそこ、戻って来てはいるのか…………その数は、どれぐらいいるんだ?」
「十……いや、二十ちょいだな」
ブロジェイルは、ちらり、とこちらを――正確にはエプリを見て、
「そっちはどうなんだ?」
「んーと……さっきの仮面から、霊力の痕跡は辿れるよ」
エプリは何度か頷いたが、こてんと小首を傾げ、
「でも、ちょっと混じってる?」
「……そうだな」
エプリにブロジェイルは視線を泳がせ、同意した。
「混じってるって……さっきの子どもの霊力とか?」
「ああ。少し血の匂いがした。………ちょっと、手を出されたな。アレは」
「………惹き寄せられた、か」
悪霊が〝現〟の住人を襲うのは、彼らが持つ生命力や霊力を喰らって己が糧とするためだ。
〝闇〟の住人も襲うことはあるものの、強力な力を持つ者が多くいるため、返り討ちにあうので〝現〟の住人に比べると襲撃を受ける確率はかなり低かった。
そして何より、悪霊は霊力を〝輝き〟として捉えてしまうことが、〝現〟が襲われる大きな原因だったが。
〝現〟の住人の霊力は煌々と白く輝く光として見えるのに対して、〝闇〟の住人の霊力は同じ輝きはあるものの、種族によってその色は赤や青、緑などと様々な色に見えてしまうのだ。
生の輝きとよく似ている〝現〟の霊力へ〝死〟が群がってしまうのは、仕方がないことだろう。
ちなみに、ブロジェイル――人狼の場合は、〝現〟の霊力は熟して甘ったるい香りを放つ極上の果実の匂いで、〝闇〟の霊力は熟しているがどこかあっさりとした香りの果実に似た匂いになるらしい。
そして、悪霊は腐った臭いだと以前に言っていた。
「力が弱っているところに、覚醒間近の霊力だ。つい、手が出たんだろうな………」
「さっき手を出されたわけじゃないよな?」
「ああ。すでに混じっていたから、追って来たってところだろ」
断言するブロジェイルに、エプリは小首を傾げた。
「でも、朝は何も感じなかったよね? あんなに覚醒間近でもなかったし」
「ああ。それに、確実に朝よりも霊力が高まっていた。もしかすると、本体と接触して揺さぶられた可能性もある」
「………〝主役〟の影響か」
ジオラの言葉にブロジェイルは眉を寄せた。
〝劇場〟の影響を最も受けやすいのは悪霊だが、それは悪霊の特性――貪欲に霊力を求めること――の他に、自身の霊力が乱れていることも理由の一つだった。
そして、退魔師や《退治屋》が影響を受けないのは、自身の霊力によって防いでいるからだ。
ただ、覚醒したばかりの者は、外部からの霊力の影響を防ぐ程の技量もなく、霊力も不安定なため、少なからず影響を受けてしまうのだ。
「―――それで、どうするんだ?」
今回の依頼を受けたのはジオラで、ブロジェイルは幾つかの条件を呑んで連れてこられたに過ぎない。
そのため、今後の方針をジオラに尋ねて来た。
「学生ってことは、本体と接触できる範囲も限られるからな……本体の方は、ボチボチ探すか」
予想以上に早く尻尾を見つけることが出来たので、本体探しは後回しでもいいだろう。
子どもの霊力を――ブロジェイルはもちろん、ジオラとエプリも――覚えたので、いつでもその後を追って彼の行動範囲から本体を探すことは可能だからだ。
「ひとまず、そっちは今夜は町中に散っている分身を探して、破壊してくれ。俺は、集まって来る奴らを散らすから」
「ああ。分かった」
「あの子はどうするの?」
「今日のところは、もう襲わないだろ……」
次々と分身が消えていき全滅したとなれば、今夜ぐらいは大人しくなるはずだ。
そこで警戒して〝力〟を蓄えることに専念してくれれば、周囲の悪霊退治に集中できるが、本能で動く悪霊の行動は読めるようで読めないため、明日はどうなるか分からない。
「多少、知性があったら引きこもるんだけどな――」
「お前みたいにな……」
ジオラは、にやり、と笑うブロジェイルを睨むが、どこ吹く風で全く気にした様子はなかった。
「………日中は二手に分かれて子どもの監視と町中の巡回を交代でやる。どちらをするかは、また後で決めよう」
へいへい、とブロジェイルは頷いた。
だが、すぐに笑みを消したかと思えば、少し真剣な表情で尋ねて来た。
「あの子ども……影響を受けているが、どうするんだ?」
「俺が受けた依頼は、子守りじゃねぇよ……」
子どもの監視は、本体が接触してこないか――あわよくば、見つけられる可能性があるから行うだけだ。子どもが襲われれば助けるが、不安定な子どもの霊力をどうこうするつもりは――世話を焼くつもりはなかった。
「………」
「………」
じぃーっ、とブロジェイルとエプリに見つめられ、その無言の圧力に耐え切れず、ジオラは視線を逸らした。
(何も訓練してねぇから不安定だし、面倒なんだよなぁ………)
ちらり、と視線を戻せば、
「本体はもう少しで見つけられるだろ?」
「集まって来る悪霊も対処できるよね?」
そう言われてしまい、眉を寄せた。
(………まぁ、そこそこ強かったし)
間近で感じた子どもの霊力と、今朝に感じた時の霊力を比べ――さらに〝目〟も良さそうだったなと思う。
将来性は、そこそこ高いだろう。
「―――わぁったよ! 手を打てばいいだろ、打てば!」
舌打ちをして、ジオラは二人を睨んだ。
それにブロジェイルは口の端を上げ、エプリはにっこりと笑う。
「けど、子守りはごめんだからな? 自分の身は、自分で守らせる」
「だが、全くのド素人だろ?」
「そうそう」
どうするんだ、と眉を寄せるブロジェイルにエプリも頷いた。
「そんなもん、決まってるだろ」
ジオラは口の端を上げて笑った。