第4話 紹介所のかぼちゃ
〝ティルナノーグ紹介所〟。
〝闇〟による〝現〟への干渉――悪霊の除霊や〝劇場〟の発生などに対して退魔師を派遣する組織だ。
世界各国に支部があり、数多の退魔師が所属しているが、〝現〟の住人ばかりではなかった。
〝闇〟の住人たちもそれなりの数が属しており、彼らは《退治屋》と呼ばれていた。
ただ、〝現〟側の支部とは違って、〝闇〟側の――《退治屋》の支部を訪れるには、会員証代わりの特殊な〝鍵〟を使わなければ辿り着くことが出来なかったが。
ジオラは目星を付けていた空き家のドアの前に立ち、ベルトポーチから鍵束を取り出した。
そこに付いている鍵は四つあり、それぞれ黒、白、赤、青に染まっていた。
そのうち、白色の鍵――金の文様に五つの星が描かれている――を手に取り、鍵穴に差し込んだ。
―――ガチャリッ、
と。鍵が開く――〝別の場所〟へと通じる音が響く。
鍵束をベルトポーチにしまいつつ、ジオラは左手でドアノブを捻った。
開けた先は薄暗く、何処からか騒めきが聞こえて来た。
そこはドーム状のエントランスホールで、足元の大理石に天井で輝くシャンデリアの光が反射していた。薄暗いのは、光源がシャンデリアだけだからだろう
壁には、漆黒の扉が九枚――ジオラが出て来たのを合わせると十枚――並んでおり、その一角に隣室に通じる出入り口があった。
そこから、騒めきと共に光が差し込んで来ている。
「――ふう。ココはいいね!」
ジオラの影からエプリが姿を現わし、左肩に座った。
ココもルネの店のようにズレているため、明るくても良いらしい。
ジオラは人の姿のまま、騒めきが聞こえる方向へと向かった。
隣は広い空間になっており、そこは一軒家ではない別の建物の中――〝ティルナノーグ紹介所〟の支部の一つだった。
左側にカウンターがあり、その向こう側には五人の受付嬢が座っていた。
枯草色の髪に赤茶色の瞳を持つ同じ顔をした女性たちで、その奥にいる職員も男女でこそ顔立ちは違うが、男性は男性、女性は女性で全く同じ顔をしていた。
彼女たちは〝ティルナノーグ紹介所〟の――〝闇〟側の、ある職員による複製人形だった。
〝闇〟側の全支部に配置されており、ソレらが知る情報の全ては、本部にいる本体に集められるのだ。
右側には、ジオラが出て来た出入り口とは別の出入り口があり、その先は同じように扉が並んでいたが数は倍以上だった。
さらに右に行くと――カウンターの正面には――大きな両開きの扉があるが、それが開くのは稀のことだった。
そして、ジオラの正面にも出入り口があり、数えきれないほどの扉が並んでいるのが見えた。
その左側は二階に続く階段、右側はテーブルとカウンターがある待合場となっていた。待合場では軽食も食べられるため、香ばしい香りが漂ってくる。
そこにいる客たちは人の姿をしているが、そのほとんどは人外――〝闇〟の住人ばかりだ。
「――お疲れさまです」
姿を見せたジオラに対し、受付嬢たちが一斉に一礼した。
その声に、待合場にいる者たちが視線をこちらに投げて来る。
「………」
待合場にいた者たちは、十代の子どもがそのホールから出て来たことに何も言わず、すぐに視線を逸らした。
子どもが何者であるか、その腰に下げたかぼちゃのキーホルダーを見れば、一目瞭然だからだ。
「おう」
「こんにちは!」
ジオラは受付嬢たちに軽く目礼してから待合場に視線を向け――笑みを浮かた。
「ジェェーーイィーールーーッ!!」
そして、名前を叫びながら、待合場に向かって駆けだした。
左肩から「わっ?!」と驚いた声が上がり、エプリが飛び上がる。
ジオラは数歩で待合場との距離を詰め、瞬く間にソイツに迫った。
「―――はっ?」
手元の皿に視線を落としていた一人の男が、名前を呼ばれて間の抜けた声を上げた。
ばちり、と赤い目と目が合う。
銅色の髪を鬣のように伸ばして首元で無造作にひとくくりにした男で、年は三十代半ばほど。
袖なしのハイネックにポケットが幾つもついたベスト、腰は太いベルトで締めており、ズボンにブーツを履いていた。その両腕は、鋼のように引き締まった筋肉がある。
「てめぇ、失敗しやがって!!」
間合いに入ったところで、ジオラは地を蹴って蹴りを放つ。
「いいっ?!!」
男は目を見開きながらもとっさに右腕を上げ、ジオラの一撃を受け止めた。
鉄を叩いたような衝撃が足の裏から伝わって来るが、痛みはない。
「――っと」
大きく腕を振られたものの、吹き飛ばされる前に腕を蹴って飛び退き、ジオラは一回転して足から床に着地した。屈伸するように身を屈め、衝撃を殺して立ち上がるとすぐ側にエプリが飛んできた。
「何だよ、いきなり! ビックリするだろうが!」
軽々と一撃を受けた男――ブロジェイルは眉を寄せた。
人の姿を取っているとはいえ、ジオラの体重は本来のままで軽い。ブロジェイルにとっては、見た目どおりの子どもの蹴りでしかなく、ただ驚いただけだろう。
「お前の尻拭い、俺に回って来たんだぞ!」
「げぇっ?!」
睨みながら言えば、ブロジェイルは声を上げて身を引いた。
「瀕死の獲物、逃しやがって! しかも憑き物系って面倒なヤツじゃねぇか!」
「ぐぅっ――だって、よぉ……」
ブロジェイルは苦虫を噛み潰したような顔をするが、「ああぁ?」と顔を近づければ呻いて口を噤んだ。
「はい。ストープ!!」
いつの間にかエプリが目の前に移動していて、ぺちっ、と伸ばされた手がジオラの眉間に当たった。
「イジるのは、あとあと! 取りあえず、座ろうよ!」
「むっ……」
ジオラが身を引くと、エプリはテーブルの上に降り立った。
「おい。エプリー……」
何とも言えない表情のブロジェイルに、にっこり、とエプリは笑みを見せ、
「何か頼んでもいい?」
問いながらも有無を言わせない雰囲気にブロジェイルはため息をついた。
「………ああ。好きなのを頼んでくれ」
「――それで? 文句を言いに来ただけなのか?」
ブロジェイルは食べていた食事を再開し、ステーキを一切れ、口に入れた。
「いや。からかいに」
「おい!」
さらっと言うジオラに、ブロジェイルは声を荒げた。
「ははっ。冗談だよ冗談」
ジオラはヒラヒラと手を振るった。
バニラアイスにエスプレッソをかけ、溶けて固まった部分をスプーンですくう。
ぱくっと食べると、口の中ですぐに溶けて消えた。
「依頼を受けた時、一通り失敗した理由も聞いたけど、当事者からも聞こうと思ってな」
「……………へぇ?」
訝しげな視線を感じるも、ジオラは無視して器に視線を落としたまま、パクパクとアッフォガードを口に入れていく。
「ジオラ―、こっちにもちょっとコーヒーちょうだい!」
「…………お前、苦いのダメだろ」
「一滴一滴」
エプリ用に小さな器に盛られたバニラアイス。ちょいちょい、とウエハースでその一角を指しながら、エプリは言った。
「………」
自分の器にあるウエハースに残ったエスプレッソをつけ、端の方に数滴落とす。
「ありがと!」
エプリはウエハースでグルグルと混ぜてから、ぱくり、と口に入れた。
「んっ。刺激的!」
(……意味なくね?)
風味しか残っていないだろ、と呆れるものの、ニコニコしながら食べるエプリに何も言えず、ジオラは自分のアッフォガードに視線を戻した。
「何を聞きたいんだ? 粗方、魔女から聞いているんだろ?」
もぐもぐ、とステーキを食べながら、ブロジェイルが尋ねて来た。
「ルネから聞いたのは、〝災級・七〟――〝劇場〟が多発して、〝主役〟を倒したはいいが、その影響で集まって来ていた悪霊を一匹逃したってことだ」
「……簡潔に言えば、そうだな。ちなみに、発生していたのは三つだったぜ」
「この時期なら、多発は珍しくないが……どうして逃がしたんだ? お前らが参加していたのにさ」
鼻づまりだったのか、と言えば、ブロジェイルは顔をしかめただけだった。
ブロジェイルは、人狼――強靭な肉体と強大な怪力を持ち、その嗅覚は霊力を匂いとして捉え、追跡することが出来る。
つまり、追跡に関してはエキスパートのはずなのだが、そんな彼らが逃がしたとなると何かがあったとしか考えられない。
何より、討伐に参加したのは、ブロジェイルを筆頭とした十八人の人狼たち――六人一部隊で三部隊――なのだ。
〝劇場〟の多発によって霊力が混沌としていたとはいえ、それだけの人数の鼻が捉えきれないとなると――。
「その点については、多発した原因と合わせて上層部も調べているぜ。俺たちも逃げた悪霊の痕跡が唐突に消えていたのが、ちょっと気になって報告したからな」
ブロジェイルは当時のことを思い出しているのか、眉を寄せつつ、そう言った。
「――けどまぁ、一つだけ、確かなことはある」
「原因は二つあるのか?」
「一方は、まだ調査結果が出ていないが……まぁ、合ってるだろ」
「じゃあ、確定しているもう一つの原因は何なんだ?」
そう尋ねれば、ブロジェイルは、びしっ、とフォークでジオラを指して来た。
「あ?」
「んー?」
ジオラは眉を寄せ、エプリは小首を傾げた。
「お前のストーカーだ!!!」
「っ!!」
その単語に、ぞわり、と背筋が震えた。
ガチンッ、とスプーンが器に当たって音を立てた。
「ええーっ!!」
エプリが驚きの声を上げ、目を丸くした。
(ストッ……スト――っ?)
苦い記憶が脳裏を駆け抜け、ジオラは息を呑んだ。
「ど、どど……どっちだ?」
ジオラのストーカー、と《退治屋》の中で有名なのは、二人。
状況を聞くかぎり、何となくどちらかは分かっているが尋ねずにはいられなかった。
ジオラの聞きたいような聞きたくないような視線とエプリの驚いた視線を浴びながら、
「そりゃ、ストーカー1に決まってるだろ」
あっさりとブロジェイルは言った。
「っ!!」
予想が確定した瞬間、脳裏にその姿が浮かぶ。
―――風に揺れる黄金に輝く長い髪に、その下に輝く青い瞳。
―――血を塗ったように濡れた唇は弧を描いていた。
―――身に纏うのは、端々が擦り切れた真紅のドレス。
ジオラは頭を左右に振って、その姿を消した。
「な、何でアイツが……っ?」
「依頼――救援さ。〝主役〟を潰すだけ潰して、去っていった」
苦虫を噛み潰したような顔をして、ブロジェイルは言った。
(………や、やりかねねぇー)
アイツに協調と言うモノはなく、ただ周囲に〝力〟を振りまくだけの存在だ。
今は、そのたずなを持つ者が《退治屋》のようなことをさせているが、それでも他の《退治屋》と共闘することは不可能に近かった。
〝劇場〟の〝主役〟だけを潰して去ったのも、それ以外のことは興味がなかったからだろう。
恐らく、霊的な力場の安定など、考慮していないに違いない。
「おかげで、鎮めるのに大変だったぜ」
〝主役〟を祓えば〝劇場〟は消えるが、その影響を受けた他の悪霊たちも一気に消えるわけではないため、その後の後始末――鎮めるのも一苦労なのだ。
「………その混乱で、見逃したってわけか」
ジオラの呟きに「ああ……」とブロジェイルは頷いて、添えの人参を口に入れた。
「お前のストーカーの匂いも混じって―――アレは、酷かったなぁ」
「……それは、ご愁傷さま」
アイツの霊力も強大だ。
そこから、何とか痕跡を探し出して追いかけて手掛かりを見つけたことは、さすがとしか言えないが、ジオラは口には出さなかった。
「溶けるよ?」
「………ああ」
ジオラはアイスの山が溶けていることをエプリに指摘されて視線を向けるが、スプーンで混ぜるだけで口に運ぶことはなかった。
一気に食欲が失せてしまった。
「お前たちとアイツか……〝災級・七〟とはいえ、結構な戦力だよな?」
一息つき、溶けたアイスにウエハースを浸して染み込ませてから口に入れた。
〝劇場〟はその発生規模や集まった悪霊の数、そして、〝主役〟の強さによって危険度が十段階に評価される。
その数字が大きくなるほど危険度は増していき、最高が〝十〟で、最低が――発生直後が〝一〟となった。〝五〟を越えてしまうと、一気にその範囲も広がり、悪霊の数と力の増幅も跳ね上がることになった。
そして、〝災級・七〟は大災害になる直前の状態を示しており、それなりの実力者しか依頼を引き受けることが出来ない――或は、指名依頼となる。
ブロジェイルは《退治屋》の中でもトップクラスの実力者で、彼が所属する部隊も高レベルの者たちばかりだ。さらに同等クラスの実力者が集められたと聞いたので、彼らだけでも十分な戦力だったが、そこに《退治屋》の中でも別格のアイツまで引っ張り出して来たと聞くと、過剰戦力としか思えなかった。
「人里が近くになかったのは幸いだったが……操られていた奴らが多すぎて、人と人形の見分けがつきにくくてな。結構、手間取ったんだよ」
「判別は人狼に任せて、他の奴らは牽制。そして、大元を叩くのがアイツか」
「そういうことだ。他にあのクラスは捉まらなかったみたいだし――お前だと、別の心配があるからな」
「………」
それはジオラの力のことを言っていたが反論できず、ふんっ、と鼻を鳴らしてほとんど溶けてしまったアイスの入った器を手に持った。
ぐいっ、と一気に口に入れ、飲み込んだ。甘ったるい後味は、水を飲んで消した。
「でも、今回は依頼がいったんだな?」
「ああ。ルネ伝い出来たぜ」
「〝黒の魔女〟か……」
ブロジェイルは片眉を上げたが、それ以上は何も言わなかった。
「〝災級・二〟でも憑依系だから、そこそこ時間がかかる。余分な人手が出せないとかで、回って来た」
「燃やしちゃダメだけどね!」
「……仕方ねぇさ」
エプリにジオラは肩を竦めた。
「へー……じゃあ、コツコツと悪霊祓いながら、出て来るのを待ってるのか」
ジオラの忍耐力を知っているブロジェイルは、にやにや、と笑いながら言った。
誰のせいだ、とジオラはブロジェイルを睨んだが、
「………そう言えば、何で〝紹介所〟にいたんだ?」
今はどの《退治屋》もフル回転で営業中だろう。
依頼前の気の張った雰囲気ではない――気楽に食事を楽しんでいたようなので、ジオラは疑問に思って尋ねた。
「あ? ……ああ、上層部に当時の状況を詳細に報告して欲しい、って言われて、ずっと捉まっていたんだよ。他の奴らは、別の依頼に出ていったからいねぇ――?」
唐突に、ブロジェイルは言葉を止めた。にやっ、と笑ったジオラに対して眉を寄せ、
「……何だよ?」
「いや。待合場にいるってことは、もう報告は終わったんだろ?」
「あ? ………ああ、終わったが?」
それがどうした、と言いたげなブロジェイルに、ジオラは笑みを濃くした。
「他の奴らもいない、と?」
「………ああ――って、まさか!」
はっと何かに気付いて、ブロジェイルは頬を引きつらせた。
「お前……今、暇だよな?」
「……あー」
ブロジェイルは視線を泳がせる。
その様子を見るに、どうやら、まだ依頼は受けていないようだ。
隊単位で依頼を受けているブロジェイルだが、単独でも余裕で依頼はこなせる。
ちょっと一息入れてから、と思っていたのだろう。
(いいモノ見っけ!)
ゆらり、と赤い目の奥で炎を揺らめかせながら、ジオラは言った。
「それなら、ちょっと俺を手伝ってくれよ――」