エピローグ とある《退治屋》、お祝いを貰う
ティトンがガドの下での修業を終えてから、六年の月日が流れていた――。
リッキとの顔合わせと討伐依頼を無事に終え、《退治屋》の仕事は抑え気味ではあったが、その索敵能力の高さが認められて〝指名依頼〟という形で定期的に仕事を受けることになった。
そして、〝現〟の方は大学へと進学し、卒業した後はバイトをしていたオットーの事務所に入社した。
デザイナーの卵としても《退治屋》としても、双方の仕事を何とか両立させ、忙しいながらも充実した日々を過ごしていたある日のこと。
〝紹介所〟の本部にて仕事の打合せを終え、帰ろうとエントランスホールに出ると、受付の一人に呼び止められた。
―――「会議室で、お待ちの方がいます」
という言葉とともに、会議室のカードキーを差し出される。誰が待っているのか聞いても、笑みを浮かべるだけで答えはないので戸惑っていると、
『ティトン。会おう』
クレオメは、誰か察しているのだろう。
ただ、クレオメもそれ以上は何も言わないので、ティトンは促されるままにカードキーを受け取って会議室に向かった。
「よっ! 〝赫眼の風使い〟」
「〝赫眼の風使い〟!」
ドアがスライドした瞬間、笑いを含んだ声と元気いっぱいの声が聞こえて来た。
「っ!」
その呼び名に、ティトンはビクリと肩を震わせた。
声の主は、とてもお世話になった二人だった。
以前、会った時と同じような広さの会議室、その中央にある長テーブルに二人の姿があった。
赤みがかったオレンジ色の髪に赤い眼を持つ、十代半ばぐらいの少年――ジオラはイスに腰掛け、黒紫色の髪と目を持つ小人――エプリは長テーブルの上で手を振っていた。
「ジオラさん、エプリさん……何で、その〝二つ名〟を」
やや及び腰になりつつ室内に入ると、ふわり、と右肩にクレオメが人の姿で現れた。
「噂になっているぜー。順調そうじゃねぇか?」
ニヤニヤと笑いながら言うジオラは、実に楽しそうだ。
「そうそう! もうびっくりしたよー」
「〝二つ名〟は……何か、よく分からないんですけど、いつの間にか」
ははは、とティトンは乾いた笑みを浮かべる。
噂に疎いというジオラの耳にまで入ったのなら、もうほとんどの《退治屋》が知っているだろう。
「まぁ座れよ」
「久しぶりだから、色々とお話したいね!」
「あ、はい――」
ティトンはジオラの向かい側のイスに腰掛ける。
ジオラたちとこうして腰を据えて話をするのは、相談にのってもらって以来――ほぼ、六年振りになる。
大規模な依頼や〝紹介所〟で会うことはあったが、その時は軽い挨拶などを交わす程度だった。
恐らく、悪霊であるジオラと話すことでティトンが悪目立つのを防ぐためだろう。
(クレオメ、二人だって分かっていたのなら教えてくれても……)
『気配はしたぞ?』
(うっ……)
エントランスホールにジオラの霊力の残滓が残っていたのだろう。その辺りの感知能力は、クレオメにはまだまだ及ばない。
長テーブルにはアイスコーヒーが入ったグラスが一つとプリンが一つ、食べ終わったパフェの器と空のお皿があった。
「はい! クレオメの分!」
よいしょっ、とプリンの器をクレオメの方へと押し出すエプリ。
『何で、プリン?』
訝しげなクレオメの声に、ティトンはジオラとエプリを見た。
「いただいてよろしんですか?」
「ああ。呼び出したのはこっちだしな」
「ありがとうございます」
ジオラに礼を言い、クレオメへと振り返る。
「せっかくだからいただこう。クレオメ」
「……………………ああ」
クレオメはちらっとティトンの方を見て頷き、肩からテーブルへと降り立つ。
どうぞー、とエプリが差し出したスプーンを受け取り、プリンに突き刺した。
クレオメがちびちびとプリンを食べているのを横目に見ていると、
「〝二つ名〟は赫眼だったが……普段は碧眼のままなのか?」
じっとこちらの目を覗き込むように見て、ジオラは尋ねて来た。
「はい。クレオメと同調して霊力が高まると赤くなるみたいで、そこから付いたのだと思います」
「なるほどなー。〝現〟の方はどうなんだ?」
「修業を終えてから大学に通って、無事に卒業しました。今はバイト先だった事務所に入社してます。まだまだ駆け出しですが、一歩ずつ進んでいると思います」
「俺と会った時には考えられないぐらい充実しているな」
「そこは……自分でも不思議です」
そう言われて、ティトンは苦笑した。
あの頃は――クレオメと契約した直後もだが――まさか、指名依頼で《退治屋》を続けていくとは思いもよらなかったことだ。
「それで、今日は……?」
「ん? ああ、〝二つ名〟を得たって聞いたから、何かお祝いをしようかなと思ってな」
「ガドを紹介した時、そう決めていたんだよ!」
「え? お祝い、ですか?」
思いがけない言葉に、ティトンは目を丸くした。
「コレも何かの縁だ」
「色々と考えていたんだよね! お祝い渡すことになるのも、思ったより早かったかな?」
気軽に言うジオラと、ぴょんぴょんと跳ねるエプリ。
「お祝いって、そんなっ。お世話になったのは、こちらですよ!」
いやいや、と身体の前で両手を振ると「んん?」とジオラは眉を寄せた。
「おーいおい。俺たちのお祝いが貰えないってことかー?」
その言葉に反して、声色は笑っている。
一方、エプリは目を大きく見開き、
「ええぇぇっ! せっかく用意したのに貰ってくれないの?」
「えっ? いや、でも……」
じぃーと見つめてくる二人の視線に、ティトンは慌てた。
(クレオメ……!)
どうしたら、と無言でプリンを食べているクレオメに視線を投げかけると、ちらりとエメラルドグリーン色の瞳がこちらを見上げてきた。
『本人たちが祝いたいというのなら、貰ってもいいと思う』
(でも、お世話になったのは俺の方なのに――)
最初はジオラのお詫びということだったが、受けた恩が大き過ぎる。
その上、お祝いまで貰うなんて――。
『なら、彼にも助けが必要な時が来るもしれないから、その時、お礼も兼ねて助けたらいいんじゃないか?』
(それもそうだね……!)
自分に出来得る限りの手助けを――。
はっとしてクレオメに頷いていると、
「じゃ、俺たちそれぞれから〝二つ名〟のお祝いだ」
ジオラが改めて仕切り直した。
「有難く、頂戴致します……!」
ティトンはぴんと背筋を伸ばし、ジオラたちに頭を下げる。
「そんな大層なものじゃねぇよ」
ジオラはヒラヒラと手を振るい、ポケットから折りたたまれた紙を取り出すと、ティトンに差し出して来た。
「俺からはコレだな」
「これは……?」
受け取って開ければ十センチ四方の紙で、そこには黒いペンで〝陣〟が書かれていた。
それは今までに見たことのない紋様で、退魔師の書き方でも、ガドに教わった吸血鬼の書き方でもなかった。
ただのペンで書かれていながら不思議な魅力があり、目が惹きつけられる。
「それは〝浄化紋〟。俺が使っている〝陣〟で、悪霊を浄化する時に使うものだ」
「ジオラさんの……どおりで、見たことがない書き方で――えっ?」
ふと、ティトンはあることに気付き、はっとして顔を上げた。
にっと笑みを浮かべたジオラと目が合う。
「ジ、ジオラさんが使っているって…………もしかして、コレを考えた人は」
そんなまさかと恐る恐る尋ねてみると、ああ、とジオラは大きく頷いた。
「〝黒の魔女〟が考えたものだ」
「っ!?」
ティトンは息を呑み、のけ反った。
「ジ、ジオラさんっ、なんてものを渡して来るんですか……っ?!」
いやいやいや、と紙の端を指先で抑え、ジオラの方へと返す。
ジオラは小首を傾げ、
「〝地獄の炎〟を変換させて使えるやつだから、別にお前の霊力でも使えるぜ? 他の奴らも俺が書いたものを偶に使ったりもしているしな。まぁ、俺が書いたモノと自分で書いたモノを比べると、制御の難しさは変わって来るだろうが」
「いや、そうじゃなくって……! 何でコレをっ」
いたって普通の紙に書いてあるのは、実用的なものとして使えということではないだろう。
それをお祝いだと言って、渡して来る意味は――。
「そりゃあ、お前が使えたら面白そうだろ?」
「!」
「別に俺の専売特許のものってわけでもねぇよ。他にも何人か、別の〝陣〟を渡したこともある」
「えっ、そうなんですか……?」
ティトンは目を丸くした。
「ただ、いくつかある〝陣〟の中でも、コレは特に扱いが難しいモノだけどな。習得するには、それなりに訓練が必要になるとは思うが――」
もう一度、ジオラは紙をティトンに差し出してくる。
「お前は風精霊と契約しているんだ。二人で制御すれば、可能性は充分あるさ」
「…………二人で、コレを?」
ティトンは両手で紙の両端を摘み、ジオラが〝浄化紋〟と呼んだ〝陣〟を見つめた。
「挑戦してみろよ、それの習得に」
「…………!」
その期待を含んだ声に、ティトンははっとしてジオラを見た。
「―――」
ジオラは悪戯を成功させた子どものように笑い、いつの間にかその肩に座るエプリは期待に満ちた目でティトンを見つめてきている。
―――「自分を卑下するということは、自分を認めてくれるその人の思いも否定するということだぞ、ティトン」
昔、クレオメと契約を交わす時に言われたガドの言葉。
ジオラは自分なら使えるようになると、期待をしてくれているということだろうか。
『ティトン……』
クレオメに呼ばれて視線を向けると、こくり、と頷かれた。
(習得、出来るかな……?)
『習得出来るかどうかは、君次第だが――その図案には興味があるだろう?』
うっ、とティトンは図星を突かれて言葉に詰まる。
ガドに教えられた術式を覚える時もそうだったが、ひとたび図案と思えば、何故か覚えるのが早かったことを指摘していた。
この〝陣〟を一目見た時から、惹かれるものがあったことは否めない。
「本当に、教えてもらってもいいんですか? その、〝黒の魔女〟さんとかは何か言われては……?」
「他の奴に渡した時も、特に何も言われたことはねぇよ。大々的にばら撒かなかったらいいんじゃないか?」
「不用意にばら撒かないだろ?」と問われて、コクコクとティトンは頷いた。
(そんなことをして、不興を買ったりでもしたら――)
相手は〝現〟と〝闇〟の双方の理から外れた存在だ。
興味を向けられるだけでも畏れ多い。
「まぁ、ソレを渡すのは〝現〟の奴らばかりだから、広がりにくいってこともあるけどなー」
「! 〝闇〟の人たちにはお渡ししたことはないんですか?」
どちらかといえば、〝闇〟の住人の方が霊力も高くて長命なので、習得出来る可能性は高いだろう。
「は? アイツらに渡したら面白くねぇだろ」
何言ってんだお前、とも言いたげに片眉を上げるジオラ。
「え?」
「ん?」
思いがけない理由に、ぽかん、と口を開けるとジオラは小首を傾げた。
「ソレを〝現〟の人たちが習得して、〝闇〟の人たちをもっと驚かそうってことだよー」
エプリが楽しげな声を上げる。
「え? 驚かす?」
「今まで、ジオラ以外でソレを書ける人はいなかったから、みんなびっくり仰天すると思うよ!」
「何となくピンと来る奴に渡しているんだけどなー……今まで、〝闇〟の奴でピンとこなかったっていうのも、その〝陣〟を渡していない理由だぜ」
とって付け加えたように言いながら、ジオラは肩をすくめた。
(…………ジオラさんが驚いたところを見たいだけな気がする)
ちょっと、気持ちが覚めたティトンだった。
(でも、ジオラさんらしいな――)
初めて会った時も「面白いから」と言っていた気がして、懐かしさがこみ上げて来る。
ふっと肩の力を抜き、ティトンは紙を見た後、
「分かりました。頑張って、習得してみます」
「おう。気長に頑張れよ」
「はい……!」
ティトンはなくさないように端末のカバーの内ポケットに紙を入れた。
「じゃあ、次は僕のお祝いだね!」
ぴょん、とジオラの肩から飛び降り、エプリはティトンの前に降り立った。
「もうずぅーとずぅーと考えて、とっておきのを用意したんだよ!」
「そうなんですか……?」
「うん! とっても喜んでくれると思うよー」
にこにこと笑うエプリに、そこまで考えてくれたのかという驚きと嬉しさでティトンも笑みを返した。
あ、とエプリは声を上げ、
「そういえば、ガドにも〝二つ名〟のことを報告するの?」
「え? あーと……それは」
〝二つ名〟を得ることは《退治屋》としても名誉なことではあるが、自分から名乗るのは少し気恥ずかしい。
「報告した方がいいですかね?」
ぽりぽりと頬を掻きながら尋ねると、「うん。それはそうだよ!」とエプリは大きく頷き、
「〝二つ名〟を得たって知ったら、お父さんも鍛えたかいがあったって喜んでくれると思うよ!」
「そうで―――――ぇ………っ?」
ティトンは頷きかけてある言葉に引っかかり、言葉を止めた。大きく目を見開いて、エプリを見返す。
その言葉が理解できなかったからだ。
視線の先で、にっこりとエプリは満面の笑みを浮かべていた。
「え? ぉ………お? お、おぉ?」
言葉が出ず、パクパクと口を動かす。
いったい、エプリは何を言ったのだろう。
「そうだよー。お父さんも鼻高々じゃないかな? 良かったね、親孝行が出来て!」
そんなティトンを見上げ、もう一度、エプリはその言葉を言った。
その顔を穴が開きそうなぐらい見つめていると、頬杖をついてやり取りを見ていたジオラが、にやり、とした笑みを浮かべ、
「おーいおい。最初に言っただろ? とっておきを紹介してやるって」
そして、平然とそう言った。
当たり前だろと言わんばかりに、或は、忘れていたのかと呆れたように――。
―――「安心しろ、とっておきの変人を紹介してやるから」
その時のことは、よく覚えている。
まだ《退治屋》に登録して半年も経っていなかったあの頃。同胞の師を紹介してくれると言った時、確かにジオラはそう説明していた。
ただ、〝変人〟と付いていた気がしたが、〝血〟に重きをおくことが多い〝闇〟の住人からすれば、〝現〟の住人と結婚するなど〝変人〟と言われても仕方がないのかもしれない。
だが――
「た、確かに……そう、聞きました、が……え? ええ?」
理解が追いつかず、ティトンは口元を手で覆って目を泳がせた。
ジオラに連れられて、初めてあの森に行った時――。
ガドを一目見た時に感じたモノは、同族であるが故のモノだと思っていた。
母親にガドを紹介されたと告げた時――。
その驚き――愕然とした表情は、〝五ツ星〟だからだと思っていた。
「ガドさ、ガドさんが、俺のっ……俺、の……俺の、父さん?」
そう言葉にした瞬間、
―――ぼろり、
と。涙がこぼれ、視界が一瞬で歪んだ。
涙は止めどなく溢れてきて、頬を伝っていく。
「っぁ……!」
とても言い表せない――何かがこみ上げて、ティトンは両手で顔を覆った。
父親の記憶は、去っていく背中以外に一切なかった。
その声も、背の高さも、体格も、髪の色も――目の色は〝吸血鬼〟特有の赤色だろうとだけ分かるだけで、ビデオも写真も、その姿が残っているものは何処にもなかったからだ。
誰も父親の話をしてくれなかったから、幼心ながらに聞いてはいけないのだと思っていた。
唯一、父親について聞いたのは、時が来たら〝紹介所〟に行くようにと言付けがあったと言うことだけ。
だから、ガドが父親だと言われても、記憶の背中とは合わない。
合わないのに、何故か涙が溢れて止まらなかった。
記憶になくても、未だ実感がわかなくても――心がそうだと叫んでいた。
二人の冗談だと、嘘だと否定の言葉は思い浮かばない。
何故か、すんなりと納得してしまっている自分がいる。
(ガドさんが……父さん……)
今まで、どんな父親なのだろうと考えたことは何度もあった。
―――「〝現〟か〝闇〟か、生きる場所を決めるのは君だ。君がそう望むのなら、手を貸そう」
〝現〟でデザイナーになることが夢で、でも〝血〟を使えるようになりたいというティトンに、そんな夢は我儘だと否定せず、手助けをしてくれた。
―――「どうした? それで終わりか?」
―――「その調子だ。集中を切らすな」
その指導は厳しかったけれど、アドバイスは的確なモノばかりで親身になって教えてくれた。
―――「霊力の流し過ぎだ。もっと、慎重にいけ」
―――「そうそうに見つかるとは限らない。注意深く探すんだ」
その期待に応えたくて、ひたすら修業に打ち込んだ。
こんなことも出来ないのかと、失望されたくはなかったから。
―――「よくやったな。ティトン」
―――「いい絵だな」
修業のことはもちろん、デザインのことも褒めてくれたことが嬉しかった。
ガドに師事を受けている間、心の片隅で〝父親ってこういう感じなのかな〟と、何度、思ったことか。
それは幼い頃から一緒にいた――基礎を叩き込んでくれたオットーには、感じたことがない気持ちだった。
この人が父さんだったらいいのに、と思ったことは――。
(どうしてっ――なんでっ……!)
母親にガドに――父親に師事することになったと告げた時、どうして父親だと教えてくれなかったのだろう。
オットーも、父親のことは知っているはずだ。
―――「今日のは自信作よ」
お礼にと、ガドに渡していたパウンドケーキ。
最初は数回に一度の頻度で渡していて、ソレを休憩中に茶菓子として二人で食べていると話した時から、毎回、持たされることになった。
少し恥ずかしかったが、教えてくれている同族への感謝の気持ちだと思っていたので、ガドが断りを告げて来るまでは持ってこようと思っていた。
それとなくガドに尋ねてみると、「楽しみになっている」と言ってくれたので、ほっとしていたのだ。
それが〝現〟と〝闇〟に別れ、会えない夫婦のやりとり――父親が母親の手料理を食べられる、唯一の機会だったなんて思いもよらなかった。
(なんで――っ?)
次々と疑問が溢れて来る。
〝紹介所〟に登録するようにと言付けていたのは、《退治屋》になって欲しいわけではなかったのか。
〝混血〟だから、〝闇〟に留めるために言っていたのではなかったのか。
〝闇〟の事情を知ってからはもしかして自分たちが置いて行かれたのは、と悪い方へと考えてしまうこともあった。
どうして、夢を応援してくれるのだろう。
どうして、自分は〝現〟にいられるのだろう。
どうして、自分たちを置いて出ていったのだろう。
どうして、母親たちは口を噤んでいるのだろう。
どうして、ガドは父親だと名乗ってくれなかったのだろう。
あの森で、いったい何をしているのだろう。
何もかも、分からないことだらけだ。
自分の知らないことで、自分についての取り決めがされているような気がして、それが恐ろしい。
ガドの考えていることも分からない。分かり知ることが出来ない。
けれど、自分のために心を砕いてくれていたことは分かる。
何故なら、その結果が、今の自分だからだ。
修業は厳しくも親身になって教えてくれて、その結果、〝二つ名〟を得るほどまでになった。
とても希少な術具を手配してくれた。
リッキに後ろ盾を頼んでくれた。
だから、《退治屋》からも、以前のような嫌な視線は減って来ていた。
デザイナーの夢も諦めることはなく、一歩ずつ前進している。
デザイナーと《退治屋》の仕事を両立させられている。
それは、ガドに師事を受ける以前では、とても考えられなかったことだ。
(―――ぁ………)
ふと、ティトンは心の奥底でずっと求めていたモノに気付き、手の中で両目を見開いた。
去り行く背中を見た幼い頃に、ぽっかりと空いてしまった心の穴。
ソレは月日が経とうと決して埋まることはなく、そして誰にも相談できずに空いたままだった。
二度と埋まらないと分かっていたから、ずっと目を背け続けていた。フタをして、あたかも穴は空いていないかのように振る舞っていた。
だから、すっかり忘れていたのだ。
(俺は……っ!)
脳裏で去りゆく背中がゆっくりと振り返り――笑みを浮かべたガドの姿になる。
―――「君は自慢の弟子だ。もっと、自信を持て」
誰にも埋められないはずの穴は、ガドが父親だと知った瞬間に満たされた。
あれだけ心を砕いてもらっていて、満たされない訳がない。
その思いに、気づかない訳がない。
(俺は、父さんに――……っ?!)
あ、と呼気のような声が漏れて、ティトンは手の中でくしゃりと顔を大きく歪めた。
満たされた心がぽかぽかと温かく、こみ上げてくる嬉しさに、涙が溢れて止まらないのだ。
『ティトン――』
そっと肩に降り立ち、頬に触れるクレオメの手から流れて来る心地いい霊力に、ティトンは堪えられなかった。
「あっ……う……うぅっ―――っ!」
ジオラたちの前にも関わらず、声を上げて泣いた。
「落ち着いたか?」
泣き過ぎて顔がぐちゃぐちゃになり、トイレで顔を洗って戻ってきたティトンに、ジオラは静かに問いかけてきた。
ティトンは鼻をすすり、唾を飲み込む。
「はぃ………すみません。変なところを」
掠れた声が出て、氷が解けて薄くなったコーヒーに手を伸ばす。
頭の芯が痛く、未だに目に涙が滲んでくるので指先で拭う。
「まぁ、それは別にいいぜ」
やや呆れたような声を出して、ジオラはエプリを見た。
ティトンもつられてエプリを見ると、
「喜んでくれて嬉しいよ」
「…………」
ティトンはその純真な瞳を見返して、思わず、真顔でジオラを見てしまった。
「あー……まぁ、それがエプリのお祝いのプレゼントだ」
さすがにジオラもティトンの心情を悟ったのか、やや目を逸らしつつ、そう言った。
その様子に、こてん、とエプリは小首を傾げ、
「嬉しくなかった?」
「……いえ、とても嬉しかったです」
大人げなく、恩人の前で大泣きしてしまったが。
それも、人生でこれほど泣いたのは初めてだと思えるぐらいに。
「教えてくれて、ありがとうございます。エプリさん」
けれど、知ることが出来て嬉しかったのは本心なので、ティトンは頭を下げた。
良かった、とぴょんぴょん跳ぶエプリをジオラが何とも言えない表情で見ていた。
「…………ジオラさんは、最初から気付いていたんですか? 俺が、ガドさんの息子だって」
「ん? いや、気付いたのは二回目に会ってからだ。お前、よぉーく見たら色々と術式を掛けられているから、そのせいで最初は気づかなかった」
ジオラはティトンを見ると、つと目を細めながらそう答えた。
「え? 術式ですか?」
何となく胸元を見るが、術を掛けられている自覚はない。
「認識阻害の術の影響で、どいう言ったのかまでは分からないが……お前の周りで、それほどの術をかけられるのはガドぐらいだ。アイツが施した可能性が高いから、お前に害になるような術じゃないとは思うけどな」
そして、「仮に他の奴らが掛けようものならアイツが許さねぇだろうし」と付け加えられると、ティトンは頷くしかなかった。
(あ……もしかして――)
ふと、脳裏に浮かんだのは、六年前のある出来事――クレオメと契約する前の〝夢〟の中で見た、若木を囲む岩に刻まれていた術式だ。
まるで、何かを封じているようなアレは――。
「たぶん、アイツがお前の傍を離れる時に必要な処置だったんだろう」
「!」
その言葉に、はっと我に返ってジオラを見た。
確かに、ガドがティトンに術を施す理由としては、〝闇〟の――吸血鬼一族の掟か何かの可能性は高いだろう。
「お前をガドに紹介したのは、お前への詫びが一番の理由なのは確かだ。ただ、ガドに頼んだら面白そうだったし、ずっと放置していた借りを返してもらうのもいいかと思ってダメ元で頼みに行って戻ったら、既に鍵が用意されていたからなー」
「色々と事情が重なった結果でもあるか」と、ジオラは頷きながら言うが、
(…………絶対、頼んだら面白そうだったのが一番な理由がする)
ティトンを紹介して、ガドを驚かせたかったのだろう。
「アイツ、鉄仮面だしなー。なかなか、驚くところは拝めないんだぜ?」
ティトンの視線に含まれた感情にジオラはそう言うが、それはティトンが至った結論を肯定している気がした。
「結局、話を持ち掛けた時も鉄仮面だったよねー」
「お前に稽古を付けていた時ぐらいだったな、アイツがウキウキしていたのは」
やれやれ、と首を横に振るうジオラに、ふふふ、とエプリは笑った。
「え? ガドさん、ウキウキしてたんですか?」
稽古をしていた時は常に冷静沈着で、むしろ厳しかったと思う。
「ああ。一度、様子を見に行ったんだが、お前に夢中で全くこっちに気付いてなかったな」
「そ、そうなんですか……」
ティトンは視線を下に向けて、緩みそうになる口元を引き締めた。
(ガドさん、ウキウキしてたんだ……)
へへ、と間抜けな笑いは何とか声には出さずに済んだが、
「お前は、もうちょっとポーカーフェイスを覚えた方がいいな」
「! はい……」
ただ、ジオラにはバレバレだったようで、はっと顔を上げると呆れた目と目が合った。
ティトンは話を逸らそうと「そういえば――」と気になったことを尋ねた。
「さっき言われた借りってなんのことですか? ガ、」
そこでティトンは言葉を切り、ごくり、と生唾を呑み込んで言い直した。
「と、父さんに借りが……? あ、でも返してもらうっていうのは、いったい……?」
「ん? あー……それはなぁー」
ジオラはエプリと顔を見合わせた。
無言で見つめ合うその姿は、精霊術師ならば〝繋がり〟で相談しているように見えるが――。
(ジオラさんたちって、どうやって〝繋がり〟を得ているんだろう――?)
ティトンとクレオメのように、心で会話をするには〝繋がり〟――〝契約〟が必要のはずだ。
悪霊とは〝契約〟を結べないはずなので、どういった方法で話しているのか疑問に思う。
(何だと思う?)
『それは私も分からないな――』
ちらりとクレオメを見ると、ちびちびとプリンを食べる手を止めてティトンを見上げて来た。
(そっか……リッキさんなら知ってるかな)
二人に視線を戻すと、話がまとまったのかこちらを見てきたところだった。
「詳細は言えねぇが、少しぐらいなら話しても大丈夫か。たぶん、お前が〝現〟にいられる理由にも関係しているだろうし」
「ご存じなんですかっ?!」
ばんっ、とテーブルを叩いて勢いよく立ち上がると、ティトンは身を乗り出した。
『おっと――』
「あ、ごめん……」
プリンの器を両手で抑えているクレオメに、ティトンは謝った。
『いや、大丈夫だ』
「まぁ落ち着けよ。父親がガドだと教えたんだ。あとちょっとぐらい話しても問題はねぇと思うから――たぶん」
「うんうん。たぶんねー」
「……は、はい」
ジオラとエプリに頷き、ティトンはイスに腰を下ろした。
心を落ち着かせようと、アイスコーヒーで喉を潤して、
「でも、本当にご存知なんですか? 〝現〟に、いられる理由を――」
「二人から聞いたわけじゃねぇから確証はねぇが、だいたいの予想はつく」
「だいたいの予想……」
ごくり、とティトンは生唾を飲み込み、
「でも、どうして今になって……?」
ガドを紹介した時は、そんな素振りは一切なかった。
そう問いかければ、ジオラは肩をすくめ、
「さっき言っただろ? お前にガドが父親だと話していいか、了承を得て来たからさ。そのついでに、二人の馴れ初めを聞いたって不思議じゃない」
「馴れ初めに関係が? いやでも、了承って……いったい、どなたに?」
馴れ初めが関係しているということも気になるが、それ以上に誰から了承を得て来たのかが気になった。
恐らく、吸血鬼一族が関わっていると思うが、いったい、誰に了承を得れば話してもいいということになるのか――。
どなたって、とジオラは片眉を上げ、
「吸血鬼一族で唯一人、そいつの了承を得れば、他の誰もが否とは言えない奴がいるだろ?」
「え、唯一人……?」
ふと、脳裏に思い浮かんだのは、ピラミッドの頂点。
確かに、ジオラの言葉に当てはまる人物となると、吸血鬼一族では一人しかいないだろう。
予想以上の大物に、ひくっ、と頬が引きつった。
「そ、それって………ま、まさ」
その言葉を口にしようとした瞬間、「待て」とジオラは手をあげて制してきた。
「そこは言うな。例え、〝紹介所〟だろうと、何処に耳が付いているか分からないからな」
「はい……」
ジオラは手を下ろし、
「昔、受けた依頼であっちが俺に借りを作っていてな。その時、お前の両親も同じ依頼を受けていて、それが二人の馴れ初めになったってことさ。まぁ、ガドは依頼人側――付き添いみたいな感じだったけどな」
「!」
ティトンは目を見開いた。
「ということは、ジオラさんは母さんとも知り合いってことですか?」
もしかしてと思い尋ねると、ああ、とあっさりと頷きが返って来た。
「ってか、お前をガドに紹介した後、ミリーに説明しに行ったぜ? 茶菓子に約束していたパウンドケーキを食べたが、アレは美味かったなー」
「お土産にも貰ったよね!」
「………」
母親の愛称を告げるジオラに驚愕し、ティトンは声が出なかった。
「それで、俺の推測になるが話を聞くか?」
「! はいっ、お願いします!」
そして、ティトンはジオラから両親の馴れ初めを教えられた――。
***
ジオラたちからお祝いを貰った一週間後――。
ティトンは家の敷地の一角にある倉庫の前に立ち、目を閉じて深呼吸を繰り返していた。
その左手には、パウンドケーキが入った紙袋がある。
「―――よし」
どれぐらい倉庫のドアの前で立っていたのか、気合いを入れて目を開けた。
ポケットから、ガドの下に通じる白い鍵を取り出して鍵穴に差し込む。ガチャリ、とドアを開けてくぐると、眼前は室内ではなく――広く開けた場所に出た。風が頬を撫でていく。
前方に見える湖の畔に、こちらに背を向けて立つ一人の男性がいた。
ガドだ。
「こんにちは、ガドさん」
声を掛けると、ガドは振り返って口元に笑みを浮かべた。
「ああ。来たのか……今日はどうした?」
いつも訪れている月終わりの日ではないので、ガドは少し不思議そうに尋ねてくる。
それを真っ直ぐ見返し――堪らず、つと目を逸らした。
父さん、と呼び掛けたい衝動に駆られるが、ぐっと息を詰めて我慢した。
―――「ガドが父親だと言うことは、黙っておけよ」
お祝いを貰って別れる前に、ジオラにそう釘を刺されていた。
どうして、と問いかければ、
―――「あくまでも了承を得て来たのは、ガドが父親だと告げてもいいということだけだ。ついでに馴れ初めを話して、色々と事情を察することは大目に……それでも黒に近いグレーだが、見逃してくれるだろう。たが、ソレとは話が別だ」
ソレはガドのケジメだからな、とティトンを――己に掛けられた術を指されながら言われれば、否とは言えなかった。
父親の記憶がないとは言ったことはあったので、恐らく、ジオラもティトンに掛けられた術に記憶操作の効果もあるのではと結論に達したのだろう。
「えっと……ちょっとお話がありまして」
ティトンが来た目的はガドに会いたかったこともあるが、〝二つ名〟のことを話すためだった。
「話?」
「はい。お時間、よろしいですか?」
「ああ、問題ない」
ガドはこちらに歩み寄りながら、紙袋に視線を向けた。
「今日も持って来てくれたのか?」
ガドとの関係を知った上でその表情を注意深く見ると、僅かに目元が和らいでいることに気付く。
ティトンは笑みを浮かべつつ、はいと頷いた。
「今日はドライフルーツのミックス入りです」
「そうか。ドライフルーツなら、干しあんずも美味かったな。レンツェも美味そうに食べていた」
「! そうなんですね。母に言っておきます」
「いや、催促するわけではないんだが」
ガドは苦笑し、ドアを開けて中に入って行く。
ティトンもその後に続いた。
「いえ。母も感想を伝えると喜ぶので……また、持ってきますよ」
ガドはキッチンに向かいながら「ありがとう」と肩越しに振り返り、
「コーヒーでいいか?」
「あ、はい。いただきます」
ティトンはテーブルの上に紙袋を置いて、ガドの背中に目を向けた。
(…………いつか、呼べるように頑張るよ)
ガドが父親と知ったあの日、ティトンには新しい夢が出来ていた。
――――――――――
「けど、ガドを父と呼びたいなら、呼んでも誰も文句を言ってこないぐらいに実績を積めばいいと思うぜ。〝二つ名〟以上――それこそ、ガドのように〝五つ星〟になれば、容易に口出しもしてこなくなるはずだ」
別れ際に、ジオラはそうアドバイスをしてきた。
流石に「〝五つ星〟になれ」と言われて絶句していると、ジオラは片眉を上げ、
「可能性はゼロじゃないぜ? お前も同じ〝血〟を持つ吸血鬼の精霊術師だ。ガドのようになれる可能性は十分ある――まぁ、アイツは〝五つ星〟の実力の上に精霊の加護を得た規格外だけどな」
「…………でも、〝混血〟ですし、〝五つ星〟だなんて」
「おいおい、気づいていないのか?」
「な、何をですか?」
「〝紹介所〟が〝指名依頼〟を受けさせることでお前に融通をきかせつつ、いつでも口利きが出来る様にしているのは、あっちも潜在能力に期待しているってことだよ」
「! アレって、そんな意図が……っ?」
「自然を味方にする精霊術師に〝混血〟云々なんて関係ねぇよ。全ては精霊との同調次第だからな」
「…………」
「ただ、〝二つ名〟も得たがまだまだ足りねぇよ。もっと実力つけて、〝闇〟の奴らに媚びを売られる立場になれ。〝二つ名〟を得たら、他の奴らの態度もだいぶ変わっただろ?」
媚びってと呟いていたティトンは、そう問われてコクコクと頷いた。
「所詮、〝闇〟側は実力主義だ。例え、退魔師だろうが〝混血〟だろうが悪霊だろうが、実力さえ飛び抜けていれば一目置かれることに変わりはない。だから、〝五つ星〟まで昇りつめれば、〝血〟だの〝混血〟だのと五月蠅い奴らの口を閉じさせることも不可能じゃない。そうすれば、誰にも構わず、大手を振って呼べる可能性も高くなるはずだぜ?」
――――――――――
―――「まぁ別に、絶対に〝五つ星〟にならないといけないわけじゃないが……父親と同じ場所に立つのを目標にすれば、お前もヤル気が出るだろ?」
とても楽しげにそう締めくくったジオラは、それでガドを驚かせと言っているようだった。
そして、その言葉に触発されて、ティトンは夢を見てしまった。
〝五つ星〟になるほどに実力を付ければ、吸血鬼一族の人たちも〝混血〟を認めてくれるだろうか。
〝五つ星〟になったよと、父さんと同じ立場に行けたよと告げれば――ガドは喜んでくれるだろうか。
そして、ガドの息子だと、堂々と言えるほどに自信がつくだろうか、と――。
(ジオラさんにのせられた気もするけれど……)
ティトン自身も、ガドの驚いた表情を見てみたいと思ってしまった。
ジオラの言う通り〝混血〟の自分には、まだまだ鍛える時間はある。もっと実力をつけていつかきっと、と言う思いが、ティトンの中で募っていた。
(だから、今はまだ――……)
そっと目を閉じ、ティトンは口の中だけで〝その言葉〟を紡いだ。




