第8話 かぼちゃ、遊びに行く
その日、ジオラは〝紹介所〟を訪れていた。
ルネから「特に依頼はない」と言われ、それなら散歩でもするかと思いつつ〝鍵〟を使うと〝紹介所〟に出たので、そこで仕事を貰うことにしたのだ。
仕事前の景気づけに、とジオラは待合場の一角――カウンター席の一つに腰を下ろし、頼んだメロンクリームソーダのアイスをスプーンですくって口に運んだ。
グラスのすぐ近くでは、エプリが特製プリンを食べている。
『んー! 今日も美味しい!』
喜びながら左右に身体を揺らすエプリを横目に、ジオラは添えてあるチェリーを口に含んだ。
ぺっと種をスプーンの上に落とし、ナプキンでくるむ。
「よっ! なんか、またやらかしたらしいな」
突然、背後から明るい声が掛かった。
ジオラは慌てることなく、イスを回して振り返る。
それは誰かが近づいてきたこと――馴染みのある気配だと、分かっていたからだ。
「リッキか」
振り返った先にいたのは、短く切った赤茶色の髪を逆立てた二十代後半ほどの男だった。
金色の目は細められ、その口元には笑みを浮かべている。軽装で左腰に剣を吊り、その肩には燃えるような赤い髪と目を持つ小人が座っていた。
(まーた、面倒な奴が……)
内心で顔をしかめるジオラとは反対に、エプリはぱっと顔を輝かせた。
「あ! フリュン、久しぶり!」
「久しぶり、エプリ」
リッキの肩に座る小人――火精霊のフリュンは、ブンブンとスプーンを振るエプリに微笑む。
ふわり、とリッキの肩から飛び立つと、エプリのすぐ隣に降り立った。
そして、じぃーっとエプリを見つめた後、ゆっくりと小首を傾げ、
「また、食べてるの?」
「うんっ。美味しいよ? 食べる?」
問いかけにエプリは強く頷き、スプーンを差し出した。
フリュンはプリン、スプーンと視線を移していき、こっくりと頷くとスプーンを受け取った。
(相変わらず、おっとりしているなぁ……)
そんなやり取りを見ている間に、リッキは隣に腰を下ろして店員にコーヒーを頼んでいた。
「……やらかしたって、別に何もしてねぇぜ?」
ジオラは腰から〝かぼちゃ〟のキーホルダーを取ってテーブルに置き、結界を張った。
リッキが来てからというもの、背中に感じる視線が増えたからだ。
「〝混血〟の〝大型新人〟にちょっかいをかけたんだろ? 噂になっているぜ」
「あー……それか」
自分の中ではすでに終わったことだったので、真っ先に頭の中に出てこなかった。
ガドに紹介し、その母親にも話は通してある。あとはティトン次第だろう。
「――って、〝大型新人〟?」
最近、出会った〝混血〟はティトン一人だけだったので、アイツのことだろうと思ったが、その呼び名は初耳だった。陰で言われそうな言葉だが。
片眉を上げたジオラにリッキは肩を竦め、
「サンゼたちが声をかけたから、ってことらしいぜ。――まぁ、意味は色々あるけどな」
「……同族だから声はかけるだろ」
ジオラは、やれやれ、とメロンクリームソーダに向き直り、ストローの先を口に含んだ。
「それをお前が横からかっさらっていった、と」
(かっさらっていった、って……)
一口飲み、ぺっとストローを口から離して、ジオラはリッキにじと目を向けた。
「ちょっと詫びに行ったら、ウダウダと悩んでいたから相談にのっただけだぜ?」
「ははっ! お前が相談にのったって、めちゃくちゃ怪しいな!」
端的に説明すると一笑されたのてジオラは睨みつけるが、リッキはどこ吹く風で気にした様子はない。
「けど、詫びってなんだ? 何かしたのか?」
ひょいっと片眉を上げると、リッキはそう尋ねてきた。
「…………何でもねぇよ」
ジオラはヤベッと内心で声を漏らし、身を乗り出して来るリッキから顔を背けた。
「何だよー、教えてくれたっていいだろ?」
(うぜぇ………)
リッキが遠慮なくグイグイと来るのはいつものこと――初めて会った時からだ。
ジオラが悪霊と知ると、ほとんどの《退治屋》たちは不審や警戒などを含んだ視線を向けてきたのに対し、リッキは興味津々な様子で声を掛けてきた変わり者だった。
―――「闇精霊の子と〝友達〟なのか。すげぇな!」
その理由は、リッキが炎の精霊を連れていることから分かる様に、精霊術師であることが大きいだろう。
精霊術師は〝闇〟の住人たちの中でも珍しく、悪霊のジオラが精霊を連れていることが気になったようだ。
契約もせずに精霊を連れていることに対し、精霊術師として何かしら思うところがあるからでは、と当初は警戒をしていたのだが、話していくうちに本当に〝ただの好奇心〟で声を掛けて来たのだということに気付いた。
ただ、リッキが特別なだけで他の精霊術師たちは絡んで来ることはなく、遠巻きに視線を感じるだけだったが。
「…………」
リッキの追求を聞き流しながら無言でメロンクリームソーダを飲んでいると、店員がコーヒーを運んで来た。
どーも、とリッキは目の前に置かれたコーヒーカップに手を伸ばしつつ、
「あと、何でガドを紹介したのか、気になるんだけどなぁ」
ちぇっ、と唇を尖らせてそう言った。
その言葉にジオラは眉を寄せ、リッキに振り返った。
「……何で、そこでガドの名前が出て来るんだよ」
ティトンにガドを紹介したことを知っているのは、ごく一部の関係者だけだ。
リッキは知る由もない。
「ん?」
リッキはカップを口元に傾けて一口飲むと、こちらに視線を投げて来た。
カチャリ、と僅かな音を立ててソーサーにカップを置き、イスを回して身体ごとジオラに向き直る。
「匂い、ついてるぜ?」
「匂い?」
「ガドのところの子の匂いだ。……相変わらず、涼やかで澄んだいい匂いだな」
カウンターに片肘を付ながらジオラを――僅かに視線がズレているので、ジオラに付いている〝何か〟を見つめ、リッキは微かに口の端を上げた。
傍で聞くとかなり怪しい言動だったが、リッキなら仕方がない。
(匂い、なぁ……)
リッキが言う〝匂い〟が示すのはただ一つ、精霊の気配のことだ。
ジオラがガドのところに行ったのは、たった2回だけ。
そして、最後に行ったのはティトンを紹介した二週間も前のことだった。
あそこは色々と結界が張ってあったので、恐らく、その時についたのだとは思うが――。
(エプリ……)
『うーん……そうかな?』
確認するようにエプリの名を呼ぶと、エプリはプリンを食べる手を止めずに小首を傾げた。
(精霊でも分からないのか……これだから〝愛し子〟はめんどくせぇなぁ)
リッキは精霊術師の中でも異質な存在――全ての精霊に愛されし者、又は〝精霊の愛し子〟と呼ばれている。
その能力の一つであろう精霊に関する感知能力の高さは、ジオラの――精霊術師以外の理解の範疇を越えていた。
(鎌をかけた、ってわけでもねぇか……)
あの口ぶりは、ほぼ確信しているようだった。
胡乱な視線を向けるジオラに、にやり、とリッキは笑い、
「それに、お前が紹介できる吸血鬼なんて限られているからな」
「……!」
告げれた言葉に、ジオラは舌打ちした。
確かに、隠居したガド以外の吸血鬼の知人となると、現役の《退治屋》ばかりだ。
そいつらに紹介したとなれば、何かしら噂が噂がたつに違いない。
「……お前の言う通り、ガドに紹介したよ」
そこまで言われると誤魔化すことも出来ないため、ジオラは素直に頷いた。
「へぇー……あいつ、今、隠居というか一族の命令で押し込められているんだろ? よく行けたな――って、〝魔女〟の手引きか」
「…………」
さらりと吸血鬼一族の裏事情が出て来た気がしたが、ジオラはそれを指摘せず、無心でスプーンで溶けたバニラアイスをつついて下のメロンソーダと混ぜ始めた。
ただえさえ、〝魔女〟の気まぐれに振り回されているのだ。
極力、面倒なことには関わりたくはない。
「そう言えば、お前たちが知り合ったのも〝魔女〟が原因だったっけ? で、今度は〝現〟からの〝混血〟を紹介か……」
「………」
ちらり、とリッキを伺うと、独り言を呟きながら得た情報を整理していき――次第に、その口元から笑みが消えていった。
ふと、何かに気付いたように一瞬だけ目を見開くと、じぃーっとジオラを見つめてくる。
「ほぉー……?」
「……何だよ?」
こちらを覗き込むような視線に知らずと身を引き、思わず、尋ねてしまうジオラだった。
(コイツの思考回路は、よく分からねぇな……)
年の功か生来のものかは分からないが、リッキの考えていることは読みにくい。
そして、かなり勘も鋭いので、僅かな情報だけでこちらが隠そうとしている内容に気付かれてしまうことがままあるのだ。
いったいどのような結論に達したのか、全く分からなかった。
「一度、会ってみたくなったなっ。その〝大型新人〟に!」
リッキはジオラの問いかけに答えず、一度大きく頷いたかと思えば、顔を輝かせながらそう言った
げっ、とジオラは内心で顔をしかめ、
「お前なぁ……〝混血〟はデリケートな問題だろ。止めとけよ」
「おいおい。どの口が言うんだよ」
ははっ、と笑い飛ばすリッキ。
図星だったので、ぐっと言葉に詰まってしまうが、
「俺は……ちょっと野暮用があったからいいんだよ」
「野暮用、なぁ」
リッキのニヤニヤとした笑みを見て、また興味がこちらに移りそうに――話が元に戻りそうになったのを察し、ジオラは顔を背けた。
「まぁ、当分は会えないだろ。修業に入ったからな」
「へぇー、〝血〟の使い方を教わるために紹介したのか」
「…………」
無言でストローを摘むと、ずずーっ、と勢いよくメロンクリームソーダを飲んでいく。
『ジオラー。それ、言っちゃっていいの?』
(っ! コイツ相手だと調子が狂うんだよ……!)
エプリのツッコミに言い返し、ジオラはメロンクリームソーダ全てを飲み干して立ち上がった。けほっ、とむせながらテーブルに置いていた〝かぼちゃ〟を腰に吊り下げ、エプリに視線を向ける。
『もうちょっとじっくり食べたかったのにー……』
エプリはその意図をすぐに察し、慌てて残りのプリンを食べていく。
「じゃ、俺はもう行くぜ」
「ん? もう行くのか?」
「ああ。じゃあな」
まだ話したそうな様子のリッキに向けて手を振り、ジオラはスタスタと歩き出した。
最後の一口を口の中に入れ、エプリは飛び上がってその後を追ってくる。
「――じゃあね! リッキ、フリュン」
ジオラの肩に降り立ったエプリは口の中のものを飲み込んでから、勢いよくリッキたちに向かって手を振った。
「おう。またなー」
「…………逃げた?」
背中に投げかけられたフリュンの声は無視して、ジオラは足早に待合場を出た。
そのまま、受付の前を横切って〝五ツ星〟専用のホールに向かう。
『あれ? 仕事は?』
(やっぱり、適当に散歩だ。散歩)
何となく疲れたので、気分転換がしたい。
『ジオラって、ホント、リッキが苦手だよね』
(……マイペース過ぎるからなぁ、アイツ)
やれやれ、と内心でため息をつく。
リッキは見た目こそ若いが、実際のところ、ジオラが《退治屋》になる前から〝紹介所〟に在籍している――古参の一人だった。
見た目が若いままである理由は、詳細は分からないが〝精霊の愛し子〟であることが原因だという噂は聞いたことがある。
普段は勘が鋭いものの見た目通りの明るい雰囲気を纏っているが、時折、老成した部分を覗かせるので、何かとやりにくい相手なのだ。
(それにしても、アイツまで会いに行ったら……)
そして、その実力から〝五ツ星〟の一角でもあった。
彼が会いに行ったとなったら、同族のサンゼたちや散歩中に偶然会っていたジオラとはまた違った噂が経つことになるだろう。
『あの子、胃に穴が開くかもね』
(それまでにアイツがどれぐらい〝血〟を使えるようになっているか、だな……)
いつも使っている〝扉〟の前で立ち止まり、鍵束を取り出したところで手を止めた。
黒と白、どちらの鍵を使うか迷う。
『ん? どうしたの?』
(いや……そう言えば、ガドのところに行ったのに〝アイツ〟には会わなかったなぁと思ってさ)
久しぶりにフリュン――エプリ以外の精霊と会ったところで、ふと、ガドの反応が面白くて忘れていたが、あそこにはもう一人戦友がいたことを思い出した。
その気配は省エネモードだと感じられなかったが、ガドと共にいないわけがない。
『んんー、そうだね!』
(湖の方にいたのか?)
『いたよー。結界を張るお手伝いをしていたから、来なかったんだと思うよ?』
気付いていたのなら何か言えよ、と思ったが、精霊の思考回路は独特だ。
子どものような純粋さを持つも〝契約者〟を得れば――〝愛し子〟を除けば――その相手にしか興味を持たず、他者に姿を見せることも稀なのだ。
〝契約者〟でもないジオラと共にあり、その〝力〟を貸し、よく人前に姿を見せるエプリは、少々、変わり者の分類になる。
(……へぇー)
エプリの言葉に押され、ジオラは黒い鍵を手に取った。
『……もしかして、ガドのところに行くの?』
話の流れから――ジオラの性格をよく知っているエプリは、そう尋ねて来た。
(ああ。久々にあのツンツンが見たくなった)
黒の鍵の行き先は、〝魔女〟の思うがままだ。
いつも悪霊がいる場所の近くに出ることが多いが、ジオラの行動は筒抜けになっているので、今回はまたガドのいる森近くに繋げてくれるだろう。
『それって……久しぶりにからかいたいだけだよね?』
(それにティトンの修業も始まっているだろうからな!)
『あとでガドをからかいたいだけだよね?』
エプリのツッコミを無視し、黒い鍵を鍵穴に差し込んだ。
(よし、行くぞ!)
『いきなりヤル気出てるし……連れて行くの、僕なのに』
***
レンツェの〝主〟――ガドが一族の命により、森に移り住んでしばらく経った頃。
一族への定期的な報告と〝主〟と同様にこの地域を守護する者たちとの連絡ぐらいしか他人と関わらない日々に変化が訪れたのは、とある悪霊の来訪だった。
〝かぼちゃ〟――〝ジャック・オー・ランタン〟のウィル・ジオラ。
あれから何度か共闘したことはあったものの、〝主〟が《退治屋》を引退してからは会うことはなかった。
何より《退治屋》以外では、あまり会いたくない相手だ。
例え、その庇護者に恩があったとしても――。
(…………恩、とは言えないかしら?)
〝魔女〟の目的は不明だったが、レンツェは〝契約〟の通りに対価を支払い、ずっと求めていたモノを得ることが出来た。
そして、その取り引きは〝魔女〟から提案してきたので、正確には〝恩〟とは言えないのかもしれない。
(でも、この変化は――)
〝悪霊〟によってもたらされた変化――〝主〟の心の内は繋がりから分かる。
不審と戸惑い、葛藤、そして――。
果たして、それが〝主〟にとって良いことに繋がるのかどうか、レンツェには分からなかった。
レンツェは意識を森の結界にのせて、〝監視の目〟を広く伸ばしていた。
今日も〝子ども〟が走っているのを意識の片隅で感じていると、
(―――……?)
ふと〝何か〟が引っかかり、そちらに意識を集中させた。
フラフラと揺れ動く〝何か〟は結界にこそ触れていなかったが、ソレが動いたことで生じた僅かな流れによって、そこにいることは分かった。
そして、馴染みのある気配だったことも、気付くことが出来た理由だろう。
(この気配は――)
己の〝主〟へと意識を向けるが、気付いている様子はない。
今は〝子ども〟がいるため、周囲の警戒はレンツェに任されているので無理もないことだ。
(仕方ないわね……)
レンツェは一息ついて、自分で対応することにした。
相手に敵意はなく――むしろ、ここまで隠れて来ているのなら〝主〟に用がない可能性がある。
〝主〟には、今日の修業の時間が終わって〝子ども〟が帰ってから報告することにしよう。
それに彼らの性格を考えれば―― 一時期、行動を共にしたことがあるため――〝主〟に知らせれば、何かと茶々を入れてくる可能性が高かったのが容易に想像が出来たからだ。
その気配がだいぶ近づいてきたところで、レンツェは寝床にしている湖の中から出て、近くの木の枝に腰掛けた。
右前方の対岸にいる〝主〟の気配が変わりないことを確認し、森の奥の方へと振り返る。
「いよぉー。久しぶりだなぁ」
それを待っていたかのように、笑いを含んだ幼い声が聞こえて来た。
ぬぅっ、と木陰から生えでたように姿を見せたのは、五、六歳ぐらいの幼子だった。
オレンジ色の髪に赤い瞳、その表情は幼子には似つかわしくない小生意気な笑みを浮かべている。フード付きのパーカーにズボン姿は、そいつがよく好むものだ。
そして、右腰には煌々とした光を放つ〝かぼちゃ〟のキーホルダーが吊られていた。
「――そうね」
レンツェは、短く同意の声を返した。
その態度に「相変わらずだなぁ」と笑う幼子――ジオラはゆっくりとレンツェがいる木に近づいて来た。
「久しぶりー! 元気だった?」
その足元から飛び出してきた黒くて小さな〝何か〟は、ジオラの肩に降り立つと、ぴょんぴょん、と飛び跳ねながら手を振ってきた。
黒紫色の髪と目を持つのは同胞――闇精霊のエプリだ。
「ええ……」
レンツェは小さく頷きを返し、正面に向き直った。
目を閉じてひと息つき、
「それで? また、何をしにきたの?」
ちらり、と横を伺うと、いつのまに移動してきたのか、レンツェが腰掛ける枝の根元――木の幹に背を預けてジオラが立っていた。
その肩にはエプリが腰かけている。
「ん? この前来た時は姿を見せなかっただろ?」
だから来たんだ、とジオラは言った。
「わざわざ、この中を……?」
「ああ――って、前より、結界強くなってないか? だいぶ、遠くの町に入り口が出来たぜ」
やれやれ、と肩を竦めるジオラに「大変だったのは僕だよ!」とエプリが声を上げた。
前回から、二度と結界内に〝扉〟が出現しないようにと〝主〟たちと張り直したのだ。そう易々と現れては困る。
他の監視者たちも上層部からの通達――〝子ども〟が出入りすることを含めたもの――によって早急に張り直していたが、多少は効果があったようだ。
(遠くの町となると、結界ギリギリかしら?)
闇精霊相手では影が生まれる場所――特に、森の中で守りに回ると分が悪い。
〝魔女〟が結界内に〝扉〟を出現させることを止めただけでも良しとするしかないだろう。
「お菓子、割増だよ? 割増!」
「へいへい」
ぷくぅ、と頬を膨らませるエプリへのジオラの返答は軽い。
(本当に会いに来ただけ、のようね……?)
ジオラが悪霊と〝魔女〟が関与したこと以外で動くことがあるのかと疑問に思っていたが、久しぶりに二人のやり取りを見ていたら、本当にただ会いに来たように思えてきた。
先ほど二人が言ったように、くだらない理由で――。
(……物好きね)
楽しそうなエプリの様子を見て、レンツェは内心でそっと息を吐いた。
何故、エプリは悪霊と行動を共にしているのか――その理由をレンツェは知らない。
エプリはジオラと〝契約〟を交わしているわけでもないので、使える〝力〟は自力のみ――〝主〟を得たことによる〝力〟の増幅もないだろう。
そもそも、〝悪霊〟と〝契約〟することなど出来るはずがない。
ただ、一つ気になるのは、エプリが着る服の文様だ。
―――〝魔女〟の印。
見たこともない文様の製作者は、一目で察した――いや、理解することが出来た。
アレは〝現〟や〝闇〟の住人が作ったものではないと。
ただ、〝魔女〟が作り出したと分かるだけで、その効果がどういったものかは分からなかった。
けれど、エプリがそれを身に付けているというのなら、〝魔女〟との間で何かしらの盟約を交わした証ということだろう。
もしかしたら、それがエプリ自身の〝力〟を増幅することに関するものかもしれない。
「なら、もう会ったからいいでしょ? お疲れさま」
言い合うジオラとエプリにそう告げると、ぴたり、と二人は言い合いを止めてレンツェに振り返った。
「おーい、おいおい。そこそこ、久しぶりなんだぜ? 一緒に共闘した仲だろー?」
「……アレは取引した結果よ」
何についての共闘なのかすぐに察して、レンツェは目を細めた。
「冷てぇなぁ」
くくっ、と笑うジオラは、全く気にした様子はない。
「もう一回来た理由は、ただの気分転換だよー。散歩しようと思ったらリッキと会ってね。そうしたら、急にレンツェと会いたくなったみたい!」
「リッキと……?」
そう言われても理由として納得出来るものではなかったが、〝愛し子〟と会ったという点については気になった。
〝主〟の元同僚であり、精霊としても無視できない存在。
彼もジオラと同様に神出鬼没で、その考えは全く読めない相手だからだ。
会ったのは偶然か、それとも――。
「あー……そういえば、俺がガドにティトンを紹介したのはバレたぜ」
「! 何しているのよ」
レンツェは眉を寄せた。
ジオラが関わったとなれば、誰もが真っ先に思いつくのが〝魔女〟の関与だ。
〝主〟によると、ジオラは今回の件については〝魔女〟からの明確な指示は否定していたらしいが、だからといって全く関与していないとは限らなかった。
何故なら、ジオラがそう認識していないだけで〝魔女〟の思惑通りに行動している可能性を捨てきれないからだ。
そして、ジオラはそのことに気付いていないわけでもない。
―――「俺の行動は、筒抜けだからなぁ」
と。以前、そんなことをジオラ自身が言っていた。
恐らく、思考操作まではいかないものの、ジオラの性格や行動原理を踏まえた上で、少ない言葉で思惑通りに誘導している可能性もあるということだろう。
ジオラとレンツェが初めて顔を合わせた時も意図の読めない指示を一つ出しただけで、〝闇〟側に大きな影響を与えたのだから。
「仕方ねぇだろ。リッキは精霊に関しては鼻はいいんだからさ」
レンツェが睨んでも、全く悪びれた様子もなくジオラは肩を竦めた。
「うんうん。まさか、気付くとは思わなかったよね」
「…………」
こくこく、と頷くエプリにレンツェはじと目を向けた。
「それで、どうなんだ? 修業の方は」
話題を変えたいのか、それともただ気になるのかは分からなかったが、ジオラは〝主〟たちがいる方角へと顔を向けた。
〝力〟を封じている今の状態では、この距離だと見えないはずなのに。
「まだ、始まって間もないから、基礎の基礎よ」
「森の中を走り周っているみたいだね?」
レンツェに、エプリは小首を傾げた。
「半分は吸血鬼だからなぁ……目覚めていなくても、周囲の霊力の影響は十分期待できるか。霊力は退魔師の平均よりは上の方のようだし」
「じわじわと周囲の霊力を吸収していっているね」
「……そうだなぁー」
ふと、ジオラは空を見上げ、片眉を上げた。
その様子にエプリは小首を傾げた。
「? どうしたの?」
「…………」
キョロキョロと辺りを見出したジオラは、右手で腰に吊っている〝かぼちゃ〟のキーホルダーに触れた。
「いや……何となくだけど、前に来た時よりも森の雰囲気が違う気がしてさ」
「結界を張り替えたからでしょ」
レンツェがそう言うと、ジオラは眉を寄せ、
「結界じゃなくて、雰囲気だって雰囲気。結界については省エネモードだと詳しいことは分からねぇし」
〝かぼちゃ〟に触れたまま、ジオラは空を見上げた。
今のジオラは感知能力もほとんどないはずだが、悪霊の勘ともいうべきモノが〝何か〟を感じているのかもしれない。
(……目敏いわね)
レンツェがちらりとエプリの方を見ると、「ん?」と小首を傾げられた。
その様子に内心で小さく息を吐き、
「〝力〟は使わないで。結界を張り替えるの面倒だから」
「分かってるよ。せっかく、知られないように見に来たのに気付かれたら困る」
ジオラは肩を竦め、〝かぼちゃ〟から手を離した。
結界が発動すること――攻撃されて滅される可能性を心配していないのは、エプリによって逃げられると考えているからだろう。或は、攻撃など些細なことだと思っているのか。
(……まったく)
そこまで考えたところで、レンツェは彼らのペースに呑まれていることに気付いた。
目を閉じて、気持ちを切り替える。
「…………今は、主に身体作りと一族についての勉強をしているわ」
「身体作りと勉強を、か――」
ジオラはつと目を細め、くくっと喉の奥で笑った。
「楽しそうだろ? アイツ」
(……紹介してきたのは、あなたじゃない)
ニヤニヤと笑いながら尋ねてくるジオラに呆れつつ、レンツェはそっと〝主〟の方へと視線を向けた。
流れて来る〝主〟の感情は――。
「…………そうね」
レンツェは小さく頷いた。
ジオラの言葉を肯定するのは、少し癪だったが。
「どう化けるか楽しみだなぁ」
「ガドも張り切っているだろうし、ぐぐーんと強くなるかもね!」
「楽しみにしなくていいから」
これ以上、悪霊と関われば、さらに悪目立ちしてしまうだろう。
「まぁ、紹介した誼だ。有名になったら祝ってやるか」
「お祝い! じゃあ、プレゼントを用意しないといけないね!」
満面の笑みを浮かべるエプリに、そうだなぁ、とジオラは片眉を上げた。
「それもいいから……!」
レンツェは内心でため息をついた。
いったい、誰が悪霊に〝祝うこと〟や〝プレゼントを渡すこと〟を教えたのだろう。
ジオラの再訪から少し経った頃、一匹のふくろうが〝主〟の下にやって来た。
〝主〟の〝使い魔〟だ。
それは特殊な環境下であるこの場所で使える、数少ない外部との連絡手段だった。
(……この前の返事かしら?)
ジオラが再訪する少し前、〝主〟は〝使い魔〟を飛ばしていた。
定期連絡の時期ではなかったので、何かしら連絡をとることがあったのだと思うが、今はあの〝子ども〟に関したことしか思い浮かばない。
『――お疲れさま』
レンツェはウッドデッキの柵にいる〝使い魔〟の傍に姿を現し、そっとその羽に触れた。
〝使い魔〟は、ほぅ、と短く鳴いて毛づくろいを始めた。
(報告した後も飛ばしていたから、思ったより遅かったわね――)
ジオラが再訪し、彼から聞いたことは〝主〟に伝えてある。
再訪した時にすぐ知らせなかったことには苦笑していたが、怒ってはいなかった。
〝主〟ではなくレンツェに会いに来たことと、〝子ども〟の修業を邪魔したくないという気持ちを汲んでのことだ。
レンツェはゆっくりと〝使い魔〟の羽を撫でた。
(……少し、口を出し過ぎたかしら?)
不文律を破ってしまったと言う自覚はある。
それは自分たちの本質からくる不文律――互いに〝ある件〟については、不干渉であること。
けれど、レンツェはソレに関わることを〝主〟に助言してしまった。
契約を交わしてから、類を見ない程の〝主〟の様子――その感情に感化され、手を貸したい衝動が抑えきれなかったのだ。
それにその不文律を破ったからと言って、何かしらの罰を受けるわけではない。
取り返しがつかない状況に陥るならば罰を受けるかもしれないが、今回の場合だと同胞たちから〝変わり者〟だと噂されることになるぐらいだろう。
悪霊と行動を共にするエプリのように――。
(…………関わるべきではないわね。本当に)
いつの間にか、色々なことに頭を突っ込んでいるあの二人の影響を受けているような気がしてきて、レンツェは少し複雑な気分になった。
(でも、長居されるわけにはいかないし、万が一のことを考えれば――)
〝主〟の上層部に話は通っているとはいえ、〝子ども〟がこの森に通うことはいいことではない。
〝主〟がここにいる理由――その仕事の危険性を考えれば尚更だ。
あとは――。
『………コレ以上はね』
レンツェは〝使い魔〟を撫でる手を止め、空を見上げながら小さく呟いた。
上空では、今日も風が吹き荒れていた。




