第7話 新人《退治屋》、修業を開始する
いつの間にか1年が経っていました。
申し訳ございません…。
修業開始日。
ティトンは手土産――母親手製のパウンドケーキ――を持って、ガドの下を訪れた。
「今日からよろしくお願いいたします!」
ドアを開けたガドに向かって、ティトンは勢いよく頭を下げた。
「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」
ガドは小さく笑いながらそう言い、身体を横にずらして道を開けた。
「修業を始める前に、大まかな流れを話そう」
「はい……!」
ガドに促され、ティトンは家の中に足を踏み入れた。
ジオラに連れられた時のように、リビングのテーブルを挟んでガドと向かい合い、イスに腰を下ろす。
「母から手紙を預かってきました」
ティトンはパウンドケーキが入った箱をテーブルの上に置き、カバンから取り出した封筒をガドへと差し出した。
「母は父の一族の方が修業をつけてくれることに凄く感謝していて……でも、ココには来れないので代わりに」
「………そうか。あとで読ませてもらおう」
少し目を見張った後、ガドは手紙を手元に引き寄せて懐に仕舞った。
「あと、コレも。手製のパウンドケーキです。伺うお礼にと――」
続いて、パウンドケーキが入った箱も差し出す。
「気を遣ってもらったようだな。………あとで、休憩の時にでも頂こう」
ガドは立ち上がって箱をキッチンの方へと持って行き、代わりにコーヒーを淹れたカップを二つ、持って戻ってきた。
ありがとうございます、とティトンは頭を下げる。
ガドはイスに座り直すと「さて――」と一呼吸おいてから、
「修業の流れとしては、〝吸血鬼〟についての座学もこなしつつ、まずは身体作りを主体としていくつもりだ」
「身体作りと、座学ですか……?」
身体作りは分かるが、座学もこなしつつと言うことは、一度ではないようだ。
「ああ。前回、来た時に預かった〝カード〟を見せてもらったが、基礎は鍛えられているようだ。……良い退魔師の師に出会えたんだな」
「っ……はい。母と、その友人の方に色々と教えてもらって」
ティトンが嬉しくなって顔をほころばせると、そうか、とガドも小さく笑った。
「ただ、退魔師としての基礎が出来ているとはいえども、吸血鬼からすればまだまだ未熟だ」
「!」
けれど、すぐに笑みを消して言われたガドの言葉に顔を引き締めた。
「それに潜在能力も未知数だ。その状態で覚醒した〝血〟を十分に受けきれるかどうかは分からないから、もう少し鍛える必要はあるだろう」
「はい。分かりました……」
ティトンは強く頷いた。
「これは返しておこう」
ガドに差し出されたのは、参考にとガドに渡していた〝カード〟だ。
ティトンは受け取り、腰のベルトに吊っているホルダーに入れた。
「座学の方は《退治屋》として活動するにあたって、色々と知っておくべきこと――特に〝現〟では知り得ない吸血鬼についての知識を教えるつもりだが、一度に多くの情報を詰め込み過ぎるのもな」
「ぁ……そうですね」
確かに、色々と初めて聞くことことばかりなので、何回かに分けて教えてもらった方がティトンも情報を整理しやすい。
「それと、近々、現状の戦闘技術の確認と〝血〟の使い方の参考も兼ねて、ひと手合わせ願おうか」
「えっ……」
ティトンは元〝五つ星〟との模擬戦と聞いて、一瞬、言葉に詰まった。
「安心しろ。本格的な模擬戦は〝血〟が覚醒してからだ」
「……は、はい」
戸惑いつつも頷いたティトンに「〝血〟を慣らすには身体を動かすのが一番だ」と、ガドは言った。
(し、修業を付けてもらうんだし、その可能性は……いや、でも…………)
今まで見て来た先輩の《退治屋》たちの実力を思い出して緊張から、ごくり、と生唾を呑み込んだ。
「では、まずは我々吸血鬼一族のことを少し説明しよう」
「お願いします」
ガドに軽く頭を下げ、ティトンは《退治屋》の端末を手に取る。
持ってきたメモ帳に取ろうとしたら、端末の方がいいと言われたからだ。
「遥か昔、我々の祖となる存在が生まれた。
その〝力〟は強大であり、〝現〟と〝闇〟――双方の世界に大きな影響を及ぼす恐れがあったため、〝魔女〟の一人によって五つの〝力〟――五つの血族に分けられたと云われている。
それが〝ワンダフィルア〟、〝キトライア〟、〝デンヴァーゲン〟、〝クリィフィス〟、〝イジュリン〟だ。
五つの血族――それぞれに〝力〟が特化されているが、他の血族の〝力〟も使えないことはない。ただ、その血筋の者と〝力〟を比べると弱くはなるがな」
「………!」
ティトンは告げられた血族の中に知った名前を聞き、一瞬、手を止めた。
「分けられた血族にも本家と分家がある。本家――つまり、血族の祖に近い血筋の者たちは〝古き血〟と呼ばれていて、その中でも突出した〝力〟を持つ者を〝真祖〟――血族をまとめる長とし、その者が各々の血族を率いている。
そして、五百年に一度、五つの血族の〝真祖〟を集め、その中から吸血鬼一族を導く〝王〟を選出することになっている」
「〝王〟さま、ですか?」
思わず、聞き返すとガドは頷いた。
(〝吸血鬼の王〟――)
その言葉が頭の中に浮かんだ瞬間、どくり、と胸の奥で何かが蠢いた気がして、ティトンは確かめるように左手で胸元を探った。
だが、その感覚はすぐに消え失せてしまった。
「吸血鬼は〝王〟に〝真名〟を捧げて忠誠を誓うことで、その加護を得ることが出来る。成人した者は忠誠心を見せ、成人したばかりの吸血鬼にとっては忠誠とともに〝力〟が安定する―― 一種の通過儀礼のようなものになる」
「通過儀礼……」
それって、とティトンは目を見開くと「ああ……」とガドは少し困ったように頷いた。
「本来なら、成人した時点で〝王〟への謁見が決まっているが、〝混血〟の場合、謁見が叶うことはない」
「……!」
「それが〝混血〟が〝血〟を開花しにくい理由の一つであることは確かだ。あとは、血族の〝真祖〟に〝真名〟を捧げることでも加護は得られるが……〝現〟で暮らすのなら、それも難しいだろう」
そう言われ、ティトンは俯いて手元の端末に視線を落とした。
(確かに、俺の動機だと……)
そもそも、〝現〟にいられる理由が分からない。
未だに、母親にその理由は聞いていなかった。
―――朧げに覚えている幼い時の記憶。
―――立ち去る大きな背中を見つめる、母親の横顔。
幾度か聞こうとしたが、あの光景を思い出すと出来なかったのだ。
「〝真名〟については、聞いているな?」
「えっ……あ、はい。聞いてます」
ガドの問いにはっと我に返り、ティトンは頷いた。
普段、名乗っている〝ティトン・クラコーン〟という名前は、本来のものではない。
出生届も〝ティトン・クラコーン〟で登録されているものの、〝ティトン〟というのは愛称であり、本当はその間に父親の名字も入っていた。
―――「いいこと? その名前はとても大切なモノだから、不用意に漏らしてはダメよ?」
幼い頃から、ずっと母親に言われた言葉。
物心ついた時は、その理由を教えてくれなかったが、《退治屋》として〝紹介所〟に登録に行く前日にやっと知ることが出来た。
「……〝吸血鬼〟は、その強すぎる〝力〟を抑える楔として〝真名〟を用いている――つまり、〝真名〟は〝力〟の根源に関わるモノなので、不用意に漏らしてはいけないのだと教えられました」
「そうだ。その名前で〝誓約〟を交わすことは、命を差し出すにも等しい」
「……っ」
はっきりとそう言われ、ティトンは息を呑み込んだ。
「だが、強大な力を持つ〝吸血鬼の王〟や〝真祖〟に捧げるということは、そのリスクに比例して強い加護――恩恵を得ることが出来る」
ティトンは「恩恵……」と口の中で呟き、
「やっぱり、違うんですか? その――」
〝吸血鬼の王〟や〝真祖〟の〝力〟は――。
「そうだな……」
言葉を濁したティトンに、ガドは少し視線を伏せ、
「〝真祖〟はそれぞれの血族から突出した〝力〟を持つ者が選ばれるが、そこに年齢は関係ない。
何故なら、その者たちは生まれながらの存在――端的に言えば〝先祖返り〟だからだ。
同族ならば、一目見ただけでその身に秘められた〝力〟の差を理解させられてしまうほどのものをな。
そして、〝吸血鬼の王〟は、その中から〝魔女の試練〟を受けて選ばれる。
〝真祖〟たちの実力は、〝力〟の相性もあって差はそれほどないが、〝魔女の試練〟を経て選ばれた〝吸血鬼の王〟は、頭一つ分は突出することになる。
それは〝魔女の試練〟を経たことで、その加護を得た――本来の力を取り戻したからだと云われているが、真偽は定かではない」
「〝魔女〟の……」
おとぎ話――ファンタジー小説だけの存在だったのが、実在していると知ったのは母親から〝力〟について教わった時。
そして、実際に目にしたのは《退治屋》になって、一度だけだった。
「………恩恵のことに話を戻すが、〝混血〟の者も〝真名〟を捧げれば、誰もが〝力〟に目覚めることが出来る。だが、全ての一族の者たちがソレに賛同することはない――そこは理解しているな?」
「……………はい」
《退治屋》になってからの〝紹介所〟での視線を思い返し、ティトンは頷いた。
「厳しいことを言っているが……」
「いえ。《退治屋》になってから〝混血〟がどういう目で見られているのかは、身に染みました。最初は未熟だからかと思っていたんですが……」
ガドの言葉を遮り、ティトンは苦笑いを浮かべながら言った。
「でも、〝力〟を使えるようになる方法はそれだけじゃないんですよね……?」
通過儀礼を受けれなくても――〝混血〟で〝血〟に目覚めた者はいる。
そして、目覚めないわけがない、とジオラは言っていた。
「ああ。可能性はゼロではない」
「!」
ティトンは、ぱっと顔を輝かせた。
「その方法は、身体作りが――受け皿が出来上がってから話そう。まずは、下準備だ」
「はい……っ!」
まずは身体作りに専念するように、ということだろう。
その後も〝闇〟での吸血鬼一族の立ち位置などの話を聞き、
「―――差し迫って、知っておかなければならない吸血鬼に関した知識はこれぐらいだが……」
ひとまず大まかなことを話し終えたのか、ガドはそう言って言葉を切った。
(………ふぅ)
ティトンはメモをする手を止めて、内心で一息つく。
少し考え込んでいたガドは、つとティトンに視線を向け、
「次は身体作りについての説明だが――その前に、一つだけ聞いてもいいか?」
「はい。何でしょうか?」
「〝血〟に目覚めた後の方針を決めるにあたって、退魔師としての技術と吸血鬼としての血との相性が気になるところだが………父親がどこの血族だったか教えてくれないか?」
そう問われ、えと、とティトンは先ほどの〝真名〟の話が脳裏を過ったが、
「……〝デンヴァーゲン〟です」
今後の予定が立たないのは困るので、父親の名字を答えた。
「〝デンヴァーゲン〟――【呪】か。相性はいいようだな」
ふむ、と口元に手を当てて、ガドはそう言った。
「そう、なんですか……?」
どういった〝血〟なのか分からないため、ティトンは小首を傾げた。
「刻印や特殊な塗料などを使った呪いによって、様々な現象を引き起こす〝血〟を持つ血族だ。退魔師が使う〝陣〟などに類似しているから、他の〝血〟に比べれば慣れやすいだろう。……〝カード〟との相性もいいかもしれないな」
「!」
ティトンは嬉しくなり、にやけそうになる顔を抑えるため、俯いて唇を噛みしめた。
(相性、いいんだ……)
「では、身体作りについて――森に来たら、まずしてもらことを説明しよう」
ティトンはガドに促されて外に出た。
そして、彼から〝やること〟を教えられ――
「えーと……この周りを走るんですか?」
目の前に広がる大きな湖を見た後、すぐ隣に立つガドへと振り返った。
「ああ。気づいていると思うが、この森に満ちている霊力は〝現〟よりもかなり高い」
「はい……」
「ココにいるだけでも、気付かぬうちに〝外部〟から影響を受けている状態だ。その状態のまま、走りながら体内の霊力の流れを循環させれば、ちょうどいい刺激になる」
「いい刺激に……」
ティトンはキョロキョロと辺りを見渡し、
(本当に走るだけでいいのかな……?)
〝力の覚醒〟と聞いて脳裏に浮かぶのは、猛特訓で極限まで自分を追い込むことや一気に外部からの圧力をかけることなどのフィクションの出来事だ。
「時間がないとはいえ、身体作りも少しずつ行っていかないと身体を壊す恐れがあるからな」
ティトンの疑問を表情から読み取ったのか、ガドはそう言った。
「〝王〟や〝真祖〟への通過儀礼は、一気に外部から〝血〟に接触をして覚醒させるが、それは〝王〟たちによる加護を受けること――言い換えるなら、ストッパーのようなものを付けることが前提だ」
ガドは「さすがに、俺もそこまでの力はない」と苦笑し、
「それに、例え制御が出来たとしても、万が一の可能性は捨てきれない。その状態で〝現〟に帰ることは難しいだろう?」
「っ! そ、そうですね………」
そう聞かれて自分の考えの浅はかさに恥ずかしくなり、ティトンは唇を噛みしめて俯いた。
「今まで使わなかった〝力〟の覚醒は、暴走の危険も孕んでいる。焦りは禁物だ」
ガドは、とんっ、とティトンの肩に手を置いた。
「一歩ずつ、確実に進めていこう」
「……はい!」
その手の温かさにティトンは顔を上げ、大きく頷いた。
(でも……周りを走るって……どれぐらいかかるんだろ)
地平線の彼方まで続く湖に顔を向け、ティトンは遠い目をした。
ガドはその顔を見て小さく笑い、
「そう心配するな。見た目ほど大きくはない」
「えっ? そうなんですか……?」
ぎょっとしてガドを振り返った。
とても、そうは見えない。
「コレを付けていけ」
ガドはポケットから何かを取り出し、ティトンに差し出した。
その手に乗っているのは、ブラウン色のブレスレットだった。
一カ所だけ空いている――Cを少し捩じったような形をしていて、木目調の表面には細やかな彫刻が施されていた。
「コレは……?」
受け取ると思った以上に軽く、その手触りから見た目通り、木で出来ているのだと分かった。
「この森に満ちる霊力は、放って置けば悪霊たちが集って〝劇場〟が多発しかねないほどのものだ。だから、俺は住むついでに色々と〝術〟を仕込んで、霊的な力場を調整している」
「えっ、ガドさんが……?! この霊力の高さにしては、安定しているとは思っていましたが……」
確かに、これほど霊力が満ちていながら悪霊の気配がなく、霊的な力場も安定しているのは不思議だった。
(でも、この森全体って……凄いとしか言いようがないんだけど)
元〝五つ星〟の力量を垣間見た気がして、ティトンは内心で感嘆の声を上げた。
「その〝術〟に引っかかる恐れがあるから、ブレスレットを付けていれば大丈夫なように〝術〟を刻んでおいた。この森にいる間は付けていてくれ。ただし、帰る時は置いて行ってもらうが」
「あ……はい。分かりました」
どこかに忘れたり落としたりしたらガドに迷惑がかかるかもしれないので、忘れずに置いて帰るように気を付けよう。
左手首にソレを付けて軽く手首を振ってみるが、特に発動している様子もない。
「この刻印は、もしかして……」
ティトンはブレスレットの表面に刻まれた刻印を右の指先で触れ――そして、それをコーティングしているモノに何かを感じた。
上手く言い表せない感覚に戸惑いを覚え、無言で触れ続けていると、
「ティトン――」
頭の中で、その声はよく響いた。
「ぁ……はい」
はっと我に返り、ティトンはブレスレットから視線を外した。
ガドを見ると、彼は苦笑を浮かべていた。
「ソレについては、また別の機会に教えよう。まずは〝血〟を目覚めさせることを第一に考えろ」
「は、はい……!」
ティトンは軽いストレッチを行った後、走り出した。
***
ガドは走り去る弟子の背を見送り、左手に視線を落とした。
(しばらくは、様子見だな――)
この場所が特殊な環境下にあるとはいえ、何処まで鍛えられるか――順調に〝血〟の受け皿が出来るかは分からない。
そして、〝混血〟であるが故に、どれほどの力を秘めているのかも未知数だ。
たが、〝現〟での仕事をしたいという願いを汲むと、鍛えられる時間はそう長くはない。
(やはり、制御方法は……)
ガドは吹き抜ける風に空を見上げ――ある気配を感じて、つと湖の方へと視線を向けた。
「――どうした? 何かあったか?」
よく知る気配にそう声をかければ、湖上に小さな波紋が広がった。
「―――」
すぅーっと、水面から空に昇るように姿を現したのは、手の平ぐらいの大きさの女の子だ。
青い髪を肩ほどに伸ばし、左耳のすぐ上に白い花の付いた髪留めをしていた。
青色の瞳は真っ直ぐにガドに向けられ、淡い水色のワンピースに身を包んでいる。
ガドが契約している精霊――レンツェだ。
レンツェに近づくと、彼女は小さく首を横に振って桃色の唇を動かした。
「周りは、何も問題ないわ――」
幼い容貌ながらも淡々とした声は、聞く相手に人形のような印象を受けさせた。
「?」
なら何故、とガドは眉を寄せた。
森の結界は、ガドやその仲間たち――そして、彼女の手を借りて張り巡らされている。
レンツェは結界の維持とともに監視も行っているため、わざわざ姿を見せたということは何か異変があったのかと思ったのだが、どうやら違うようだ。
「………」
レンツェは感情の窺えない青い瞳を小さくなった弟子の背中へと向けた。
「………ティトンがどうかしたのか?」
姿が見えなくても、結界を張っている関係でその気配は感じているはずだ。
じぃーと、弟子が走り去った方向を向き続けるレンツェに、ガドもまたその方角へ視線を向けた。
精霊は契約を交わした〝契約者〟以外の者に興味を持つことが少ないため、彼女のそんな様子は珍しかった。
知人のウィルたちが話を持ちかけに訪れた時でさえ、姿をみせなかったのだ。
「レンツェ……?」
レンツェに振り返って名を呼ぶと、やっと彼女はガドに視線を向けた。
「血は争えないのかもしれない――」
「……何?」
じっとこちらを見つめる青い瞳を見返し、ガドは聞き返した。
「〝血〟を制御させるのなら、呼んだ方がいいわ」
「……――っ!」
一瞬、その言葉の意味が分からなかったが、すぐに察して眉を寄せた。
その表情を見て、レンツェは背を向けると水中に吸い込まれるようにその姿を消してしまう。
「レンツェ……!」
ガドは詳しく聞こうと制止の声を上げ、一歩、湖の方へと踏み出し、
―――ごぉっ……!
と。風が吹き荒れた。
(なっ……?!)
ガドは足を止め、腕を上げて顔を庇う。
突風は数秒で収まったが、腕を下げた時には既に水面の波紋は消えていた。
さっと辺りを見渡し、何も異変がないことを確認してから、
(―――レンツェ?)
もう一度、契約した精霊に呼びかけるも返答はない。
どうやら、先ほどの件についてはアレ以上は話すつもりはないらしい。
精霊の本質を考えれば、他者に関したことを助言してきただけでも良しとするしかないか、とガドはひと息ついた。
ティトンのウォーミングアップが終わるまでは少し時間がかかるので、ガドは家に足を向けつつ、レンツェの助言が意味することを考えた。
(だが、ティトンが……?)
確かに、僅かな違和感はあった。
それは、ウィルがティトンを初めて連れて来た日のこと。
結界に反応はなく、他の仲間たちからも異変の知らせはなかったが、ガドは森が騒めいているような気がした。
念のため、森の中に配置している〝術〟の要を回って問題がなことを確認し、戻ってきたところでレンツェがウィルたちの来訪を告げたのだ。
その時、レンツェは他に何も言ってこなかったが――。
(その時は、確信がなかったのか……?)
何故今になって、と疑問は膨れ上がるが、
(もし、そうだとしたら――)
今後の予定について、変更する必要がありそうだ。
***
―――霊力に満ちた森の中を〝子ども〟が駆けていく。
この森に住みつき、いったいどれぐらいの月日が流れたのかは分からない。
元々、霊的な力場が強い――霊力が豊満な森だったが、それが一段と高まったのは〝魔女〟が置いて行った〝あるモノ〟が原因だった。ソレが霊力を生み出して悪霊を呼び、それらを喰らって復活しようと蠢いているのだ。
だが、その思惑はとある一族――〝闇〟の住人たちによって、尽く防がれていたけれど。
ある日、その一族の仲間に連れられて、同胞がやって来た。
どうやら、新しく来た仲間が〝主〟らしい。
彼の一族から〝主〟を選ぶのは珍しいが、それは同胞が決めたこと。
口を出す問題ではなかった。
―――少しずつ、周囲の霊力をその身の内に吸収しながら。
こちらが先に住みついていたので、その同胞――彼女は断りを入れにやって来た。
これからは彼女も〝主〟を手伝い、〝アレ〟の監視と森を管理するようだ。
確かに、森を己が領域としている。
けれど、それは霊的な力場が心地良いからで、〝アレ〟を置かれてからも居続けるのは、何かと面白いものが見られるからだ。
彼女が増えようが、何の問題もない。
ただ、一族が張る結界を見ることが一番の楽しみなので、それは大目にみてくれとだけ伝えておいた。
彼女の〝主〟は、面白い〝力〟を持っていた。
その一部分は〝闇〟の住人が使う力ではない気がする。
さらに、そこに彼女の〝力〟が合わさると、とても緻密で見事な結界となった。
森を飛び回り、その結界を隅々まで堪能する。
時折、張り替えられるので、何度見ても飽きることはない。
偶に歪な形のところを指摘すると、同胞はすぐに綺麗な形に変えてくれた。
綺麗になったものをまた見たくなって、グルグルと森を飛び回った。
―――霊力の影響を受けて身の内で小さな変化が訪れ始めたが、〝子ども〟がそのことに気づく様子はなかった。
ある日、森の一角に〝魔女〟の〝扉〟が現れた。
まるで、結界の隙間に突き刺さったように、忽然と。
緻密に張り巡らされた結界の中で、その〝扉〟は強い光を放ち、その存在を大きく知らしめた。
その出現によって結界が消えることはなかったけれど、その強い光は上空から見る結界の一部を塗りつぶしてしまうほどに強烈な存在感を放っていた。
〝扉〟はそれほど経たずに消えてしまったけれど、〝扉〟はもう現れて欲しくはない。
せっかくの風景が台無しだ。
彼女もそう思ったのか、すぐに結界を張り替え出したので、少しだけ手を貸すことにした。
〝扉〟は〝魔女〟のモノだから、またいつか現れるとは思うけど。
そして、その〝扉〟から姿を見せたのは、悪霊と同胞だった。
同胞が悪霊に同行するなんて珍しい――見たことのない組み合わせだ。
悪霊は見た目は子どもの姿をしていたが、目の奥で揺らめく色は〝生命〟に満ちた白い輝きではなく、様々な色が混ざり合ったようなどす黒さを持つ黒い輝き。
悪霊である証だ。
何故、悪霊は子どもの姿をしているのか――そして、同胞が一緒にいるのかは分からなかった。
そういえば、「悪霊に手を貸している物好きな同胞がいる」と聞いたことがある。
この悪霊と同胞がそうなのだろうか。
ただ、〝魔女〟が寄越したのなら、その関係者の可能性もある。
〝アレ〟を置いていって随分と経つが、今更、何かをしようというのだろうか。
同胞が手伝い、悪霊は結界の中を難なく進んでいく。
その行き先は迷いがなく、次第に〝アレ〟に近づいて行った。
さすがに、〝アレ〟に悪霊が近づいてくのは不味い。
悪霊を止めようかと思ったが、同胞の〝主〟に手を出すのは躊躇した。
でも、悪霊なら〝主〟ではないはずだ。
それに〝魔女〟の関係者なら、何かしら理由があるのかもしれない。
どうしたものかと悩み、とりあえず、距離を取って悪霊たちの観察を続けた。
同行している同胞はこちらに気づいていると思うが、特に何も言ってくることはなかった。
悪霊にそのことを告げている様子もない。
それは、やはり〝主〟ではないからだろうか。
でも、わざわざ、結界に引っかからないように手を貸している。
よく分からない関係だ。
結局、手が出せないまま、悪霊たちは彼女のところまで近づいていった。
ココまで来れば、彼女たちも悪霊たちの存在に気づくはずだ。
もう後は任せよう。結界も発動しなかったことだし。
そっとその場から離れる。
でも、どうしてだろう。
何故か悪霊が気になってしまい、何回か後ろを振り返った。
ざわざわと、心が騒めいた。
どうして、悪霊が気になるのか分からなかった。
同行している同胞は、同じような気持ちだから一緒にいるのだろうか。
結界を見て回っても、心が落ち着かない。
こんなことは初めてだ。
どうすればいいのだろう。
悩みながら悪霊が消えた場所の近く――彼女がいる湖の上空を回っていたら、すぐ近くで〝魔女〟の〝扉〟の気配がした。
今度はほんの一瞬の出来事で、結界を塗りつぶすことはなかった。
〝魔女〟も少しは気を遣ってくれたのかと思ったけれど、すぐに前の〝扉〟とは違うことに気付いた。
別の〝魔女〟の〝扉〟だ。
〝扉〟は、彼女の〝主〟の下に出現していた。
そこから、現れたのはあの悪霊だ。
どうやら、あの悪霊は彼女の〝主〟に用事があったようだ。
それなら前回も近くに〝扉〟を出してくれたらよかったのに、〝魔女〟も面倒なことをする。
そして、悪霊に続いて、〝子ども〟が姿を見せた。
その姿を――その身の内に宿る赤い光を見た瞬間、どくり、と何かが脈動した。
この前、何故、悪霊が気になったのか、その理由が分かった。
いや、それは正確には違ったということに気付いた。
どうして、あれほど気になったのか、それは悪霊から僅かに感じた〝あるモノ〟――その身についていた霊力の残滓に対してだったのだ。
そのことを〝子ども〟を見た瞬間に理解した。
―――眼下で、赤い光を宿す〝子ども〟が駆けていく。
―――吸収された霊力によって、徐々にその輝きを強くしながら。
その赤い光に、とても心が惹かれた。




