第4話 かぼちゃ、旧友を訪ねる
その森は覆い茂った木の葉に光を遮られているため、日中とはいえ薄暗かった。
ジメジメとした空気が漂っていそうだが、清涼とした風が吹いている。
その中を歩くのは、十代前半ぐらいの赤みがかったオレンジ色の髪を持つ子ども――ジオラだ。
頭の上には、両手を後ろにして支えるように座る小人――エプリの姿がある。
ジオラが腰に提げている〝かぼちゃ〟の光は深い森の中で強く輝き、ユラユラと揺れながら木の根が波打つ地面を照らしていた。
「―――はぁっ。なかなか、着かねぇな」
木々は人工的に植えられたように一定間隔で並んでいるため、ずっと同じ場所を歩いているような錯覚に陥った。
木の幹に手をつき、歩みを止めたジオラにエプリは明るい声を掛けた。
「んー。もうすぐだと思うよ?」
「もうすぐ、なぁ……?」
正直なところ、少し飽きて来た。
―――「術の隙間……〝道〟があるから、そこを歩いて行ったらいいと思うよ」
この森に入って二日と少し。
森に入る前、緻密に張り巡らされている結界の中に進める〝道〟があるとエプリは言った。
恐らく、精霊であるが故に気付けたことだろう。
精霊だけならそう結界を気にせずに〝影移動〟で移動できるが、ジオラは〝力〟を抑えているとはいえ悪霊だ。
少しでも結界に触れる可能性を考えると慎重に進んでいく必要があるため、十代前半の姿となり地道に徒歩で進んでいた。
エプリの指示通りに歩き続けているが、変わらない風景に本当に進んでいるのかと疑問に思う。
この身体は仮初めのモノなので疲労は蓄積されないものの、重い物を背負っているような負荷は煩わしいことこの上なかった。
(多分、人払いの影響もあるな……コレ)
これ以上、進むことを無意識下で拒んでいるのだろう。
それらのことから、思わず、ため息が出るジオラだった。
(全く。変なトコにいるなぁ、アイツ)
動物はおろか虫や小動物など、本来の自然の中にあるはずの気配がない場所。
感じるのは、生気に満ちた木々のみ。
他の場所よりも〝力〟が満ちているが、〝劇場〟が発生することはない。
何故なら、その〝力〟を利用或は制御して結界を行使しているのだから。
引き寄せられる悪霊も結界によって滅され、例え耐え抜いたとしても術者たちに手にかかっている――。
『一番、いそうなところだけどね!』
(適してはいるけどな)
アイツの〝力〟――その技能は、こういうことこそ、真価を発揮するものだ。
吸血鬼の中でも特殊な立ち位置におり、恐らく、この場所を任されているのもその技能が理由の一つだろう。
『でも、久しぶりだよね。会うの』
近づいて来たから、エプリは嬉しそうに言った。
(………そうだな。アレから会ったと言っても数回か)
戦友と言っても、共闘したのは片手で数えるほどだ。
初対面の時が色々と込み入ったことになっていた――中々、面白かったので、もう少し付き合いが長い様に感じた。
(アイツと会ったのも、ルネの――依頼だったな)
『依頼って言うか、お使い?』
一瞬、思い浮かんだ言葉をエプリが口にしたので、ジオラは眉を寄せた。
『お使いでしょー? おーつーかーいぃー』
(分かったよ! そうだなっ)
しつこく言うエプリに、ジオラは降参した。
幾度もあるルネからの依頼。
その内容は《退治屋》関係のものが多かったが、エプリの言う通り、お使いとしか言えないものがあったのだ。
子どもが親から頼まれるような――表面上はちょっとしたこと。
実際に行くと何かしら巻き込まれるので、お使いと言い表したくはないだけだった。
アイツと会ったのも、その依頼の一つだった。
今までにないほどの曖昧な指示で指定された場所に向かい、よく分からないままに巻き込まれ――そして、終わった。
一体、何をさせたかったのか――〝魔女〟の目的は今一つ分からなかったが、面白かったので良しとした依頼だった。
『色々と楽しんでたよね!』
(それはお前もだろ……)
つい面倒だ面倒だと口に出るが、面白ければ――興味が湧けば、それでいい。
***
室内に木を削る音が響いていた。
その音源は、作業台の前に座る男の手元から。
艶やかな金色の髪は肩にかかる程度に伸ばされ、オールバックに整えられていた。切れ長の赤い目は手元――長さ五センチほどの木の棒に注がれている。
その表面には、びっしりと幾何学的な模様が刻まれ、男は彫刻刀を手に無言で彫り進めていた。
「………」
刻み終わったのか、手を止めると目の前に掲げて目を細めて模様を確かめる。
小さく息を吐き、ことり、と作業台の端にある箱の中に入れた。
その箱には同じような木の棒があり、その全てに模様が彫られていた。
男は新しいものに手を伸ばし、
「―――」
ぴたり、と手を止めて顔を上げた。
作業台は壁に面しており、壁から突き出るように棚が設置されていた。
やや高い位置にある天窓を睨むこと数秒。
「来た、か―――」
ぼそり、と呟き、男は立ち上がった。
作業場となっている部屋を出て廊下を進み、リビングを横切ると外に通じるドアに手を掛けた。
涼やかな風が吹き抜ける。
すぐ右側には大きな湖があり、向こう岸には山脈が連なっていた。
「………」
男は左側――周囲を囲んでいる森に視線を向け、歩き出した。
ちらり、と近くの倉庫に視線を向けたが、すぐに前方の森に戻した。
霊力に満ちたこの森の木々は高々と伸びて葉を茂らせているが、湖の周囲一帯は大きく開けているため、森の中のように暗くはない。
住まいからある程度離れたところで足を止め、しばらく、暗い森の中に目を向けていると、何かが地を踏み締める音と共に人影が見えてきた。
初めてその気配に気づいたのは、昨日の早朝のことだった――。
森に満ちる霊力とそれを利用した結界によって、動物はおろか虫さえも寄せ付けず、引き寄せられる悪霊どもは滅しているため、男と同様にこの森を守護する者たち以外に森を歩く者はいなかった。
しかも、その者たちとは直接会うことは少なく、〝使い魔〟を使ってのやり取りが多かった。
そんな中、突然、現れた気配。
侵入者であることは明らかで、それまで結界が反応しなかったこと――排除する気配がなかったこと――と、他の仲間たちが気付いていないことに警戒を強めたが、その気配の主は真っ直ぐに男のいる方へと進んで来ていた。
結界の隙間――術者以外には分からないはすの〝道〟を通って。
そのことに疑問を抱いて探ってみると、相手はよく知った者だった。
者たち、と言った方が正しいが。
何故、この森に現れたのか――男の下を目指しているのかは分からなかったが、彼らにココにいることを告げてはいない。
噂として耳に入ったのかもしれないが、ココに来てからそこそこの年月は経っているのだ。
ただ、顔を見に来たわけではないだろう。
男は迎えに行くか悩んだが、相手は迷いなくこちらに向かってきており、自分が動けば他の仲間たちにもその存在が知られてしまうので待つことにした。
あいつの立場は、色々と複雑で厄介なものだからだ。
(一体、何をしに来たのか――)
小さく息を吐いた時、森から一つの人影が出て来た。
まだ十代前半ぐらいの子どもで、赤みがかったオレンジ色の髪に小生意気そうな顔立ちをしていた。服装はパーカーにズボン、ブーツと言った軽装で、腰には煌々と輝く〝かぼちゃ〟のキーホルダーがある。
そして、その頭の上には黒紫色の髪と目を持つ小人――闇精霊を乗せていた。
子どもは、赤い目でさっと辺りを見渡し、男を見つけるとぴたりと視線を止めた。
にっ、と子どもらしからぬ笑みを口元に浮かべ、
「久しぶりだなぁ、ガド」
「ガドー!」
子どもの頭の上で、闇精霊が大きく手を振るう。
鋭敏な聴覚が、離れた場所にいる二人の声を難なく拾った。
「ああ。久しいな――ウィル、エプリ」
男――ガドは、口元に小さな笑みを浮かべた。
「《退治屋》を引退して以来だな。……二十数年ぶりか?」
ガドは二人を家に招き入れ、リビングのテーブルで向かい合ってイスに腰を下ろした。
自分にはコーヒーを甘党の二人にはミルクを――エプリは持参のコップだ――入れてテーブルに置く。
「それぐらいだな」
「かなぁ?」
子ども――ウィル・ジオラは片眉を上げて頷き、闇精霊のエプリはテーブルに置かれた小さなクッションの上で小首を傾げた。
互いに長い年月を過ごしているので時間は曖昧だが、全く顔を見ていなかったので〝久しい〟とは感じる。
(ここまでたどり着けるとはな)
ウィル・ジオラ――ウィルの本性は、悪霊の〝ジャック・オー・ランタン〟だ。
本来ならガドの下に辿り着く前に結界が反応するはずだが、森に入るために〝力〟を最低限にまで抑えているのだろう。
いつもは十代半ばから二十代前半の姿を取ることが多いにも関わらず、さらに若い姿なのがその証拠だ。
そして、真っ直ぐにガドの下を目指すことが出来たのは、闇精霊の手引きによるもの。
さすがに自然の一部である精霊に対しては、この場に満ちた霊力を使った結界の効果は薄くなる。
(少し、術式を見直すか)
〝契約〟の証である人型以外に〝黒の魔女〟がウィルに術を掛けた気配がないことを確認し、ガドは内心でため息をつく。
この森を守護する者として、少しでも侵入される可能性は排除しておきたかった。
「来客はほとんどないから、菓子はないぞ」
「大丈夫! 持参してるから!」
エプリはクッションの上で立ち上がり、小さな影が落ちたテーブルに前屈みになって両手をついた。
よいしょっ、と掛け声をして身を起こすと、影からクリーム色の突起が生える。
「ジオラ―」
「仕方ねぇな……」
エプリにため息をつき、ウィルは突起を掴んで一気に引っこ抜いた。
現れたのは、四角い缶だ。テーブルに置いてフタを開けると、綺麗に並んだクッキーが入っていた。
「ガドも食べていいよ!」
「ああ。ありがとう」
さっそく、一枚に手を伸ばしながら言うエプリに、ガドは小さく笑った。
サクサクサク、と軽快な音を聞きつつ、ガドはウィルに視線を戻す。
「俺がココにいることは言っていないはずだが……どうやってココにいることを知ったんだ?」
半ば予想はついているが、尋ねないわけにはいかなかった。
ウィルは肩を竦め、
「前に山奥に隠居したって噂は聞いてたぜ? 難なく来られたのはルネの〝鍵〟を使ったからだよ」
その答えに、やはりな、とガドは内心で頷いた。
コイツが仕事以外で――悪霊のこと以外で動くとなると、彼女の関与も十分考えられる。
(〝鍵〟となると、出口を何処かに作られたな……そんな気配はなかったが)
この森に仕掛けてある結界は四段階に分かれており、一番外側を一段階目とすると、ガドが住むこの場所は三段階目――結界の中心に最も近い場所だった。
外側―― 一段階目と二段階目――にもガドのように守護者がいる中を通って来たとは考えにくかったが、まさか〝鍵〟の出口を作られていたとは思わなかった。
(探すのは、容易ではないな……)
頭の片隅でウィルが来た方向――道のりを遡りつつ、
「そうか。わざわざ、森を通って俺のところに来たってことは、何か用事があるのか?」
可能性は低いが、偶々来たことも考えられる。
念のために確認すると、ああ、とウィルは頷いた。
「ちょっと、お前に頼みたいことがあってさ」
「頼み? 悪いが、俺もただ森に居るわけではないぞ?」
《退治屋》を引退したのは別の事情によるものだが、今はこの森の守護を任されている。
その事情を知らぬ者から見たら、引退して山奥で悠々自適に暮らしているように見えるかもしれないが。
「ああ、分かってるよ―――封じるには良い場所だ」
一瞬、ウィルの赤い目の奥に燃えるような炎がチラついた気がして、ガドは目を細めた。
すると、ウィルは口の端を上げて笑い、クッキーに手を伸ばした。
(この奥に何があるかは、知られていないはずだが――)
〝闇〟側だけでなく〝現〟でも〝とあるモノ〟が実在しており、ソレは何処かに封じられている、と噂が出回っているのは知っている。
だが、ガドたち守護者によって守られているため、実際に〝ソレ〟が何処にあるのかはごく一部の者にしか知られていないはずだった。
ウィルが森を訪れただけで〝ソレ〟があると察した――森の奥地に封じられていると気づいたのは、悪霊が故のことだろう。
(やはり、気付くか)
霊力に満ちているのも、結界を掛けてもなお悪霊が引き寄せられるのも、全て森の奥地に封じている〝ソレ〟が原因だ。
何かしら影響を受けていないか、と疑いの視線を向けるが、
(まだ影響はないのか、〝魔女〟が関係しているのか……)
ウィルは平然とミルクを飲んでいた。
「……それで、一体、俺に何の用だ?」
ガドが改めて問うと、ウィルはクッキーを摘んで、
「数カ月前、奇妙な新人の《退治屋》と会ったんだよ」
「……ああ?」
「それが、結構、面白いヤツでさー」
「………」
ウィルが〝面白い〟と称する相手に、珍しいな、と片眉を上げた。
(新人で、か?)
ウィルの性格は承知している。
新人で興味を惹かれた相手となると、かなりの実力者――或は、特殊な〝力〟を持っているかのどちらかだろう。
サクサクとクッキーを食べるウィルから、その相棒のエプリに視線を移した。
「ドエムさんだよね!」
「ドエム……?」
エプリの感想を聞き、ガドは困惑した。
その意味は知っているが、一体、どういうことかとウィルを見る。
「いや。アレは無視してくれ」
「………それで、そいつがどうかしたのか?」
呆れた様子で言うウィルに、先を促した。
ウィルはミルクで喉を潤し、
「散歩をしている時、偶々、新人が最初に受ける討伐中だったんだよ。そこで、サンゼたちと組んでいる奴がいたから見に行ったら――結構、面白い奴だったってわけさ」
「サンゼたちと……?」
そこで古い知り合い――同族であり、後継の名が出て来たので、ぴくり、と眉を動かした。
新人の《退治屋》が最初に討伐依頼を受ける時、先達たちが付き添うことは元《退治屋》のガドも知っている。
ただ、その依頼をサンゼたちが受けたことに引っかかった。
(何をやっているんだ? アイツらは――)
サンゼたち――サンゼとアミドの二人は、引退したガドの代わりに《退治屋》になった吸血鬼だ。
ガドたち吸血鬼一族に限らず、〝闇〟の住人たちは〝ティルナノーグ紹介所〟の存在意義を理解し、その所長である〝白き魔女〟に敬意を示して一定数の者を所属させていた。
そして、吸血鬼からは、一族の中でも上位の者たちから選抜され、所属している。
そうでもしなければ、他の吸血鬼たちが《退治屋》に属することが少ないからだ。
ことり、とウィルはコップをテーブルに置き、
「〝現〟から来た、〝混血〟の子どもなんだが――」
「………………ほぅ?」
「霊力に関することは、そこそこ、鍛えられていた。ただ、〝闇〟と〝現〟の違いに戸惑っていたな。しかも〝混血〟ってことが他の奴らに知られて………その上、サンゼたちが声を掛けたことから、何かと絡まれているみたいだったぜ」
「………」
話の流れから〝頼みたいこと〟を察したが、ガドは口を開かなかった。
「まぁ、〝血〟が使えないことも拍車を掛けているんだろうな」
「………」
ウィルはクッキーを数枚食べると、ぺろり、とクッキーを摘んでいた指先を舐めた。
「その子どもとしては〝力〟を使いこなしたいみたいだが、〝血〟のことは一族しか分からねぇからな。サンゼたちに声を掛けてもらっているらしいが、その手を取って指導を受けるのは気が引けるみたいだったぜ」
「………何故、サンゼたちではダメなんだ?」
サンゼとアミドは、一族から選ばれて《退治屋》になったことからも分かるように、その実力は上層部の折り紙付きだ。
そして、ガドが知っている彼らの性格から考えると、例え〝混血〟であろうと丁寧に〝力〟の使い方を教えるだろう。
一族に伝手も何もない〝混血〟が指導を受けるには、最も適した相手――他にはいないだろう。
「さぁなぁ。悪目立ちしている上に、相手はトップクラスの実力者だ。さらに目立つのも嫌なんじゃないか?」
「………」
「だから、俺の知り合いでも紹介してやろうかなと思ってな」
にっと笑うウィル。
その目の奥に抱く感情が読めず、ガドは目を伏せた。
「既に《退治屋》を引退している身だ。それに半ば隠居状態だぞ?」
「そっちの方がいいんじゃないか? 実力的には問題ねぇだろ」
「……俺も暇ではないんだが」
「ちょうどいい場所だよなぁ。練習するには」
会話が噛み合わない。
ガドは目を開いて、じろり、とウィルを睨んだ。
「………」
「………」
無言で視線を交わす。
少しの間、サクサクとエプリがクッキーを食べる音だけが響いた。
「お前が、そこまで興味を持つのは珍しいな?」
先に視線を外したのはガドだった。小さく息を吐き、
「確かに、〝現〟からの〝混血〟は物珍しいかもしれないが――」
「ああ。珍しいよな、ホント」
楽しげな声に、ガドはウィルに視線を戻す。
赤い瞳に炎を灯らせながら、ウィルは言った。
「なんたって、ルネも興味を持つほどだからな」
「!………なるほど」
ウィルの庇護者である〝黒の魔女〟の名に、ガドは表情を消した。
内心で舌打ちをする。
(面白そうだから手を貸したのではなく、寄越したのか………! なら、既にウィルがココに来たことも〝白の魔女〟に――)
そうなると上層部――さらに吸血鬼一族にも伝わっているだろう。
「どうする?」
ガドが気付いたことと僅かな動揺を察し、ウィルは尋ねて来る。
まるで、追い打ちをかけるように――。
(一体、何をしようとしている――?)
ウィルとの出会いもそうだったが、〝黒の魔女〟の意図が読めなかった。
自らは動かず、ウィルを通じて遠回しに――ほんの僅かな関与から、大きな影響を与える存在。
その影響力は、あの時――ガドの運命を変えた出来事になった時――に嫌というほど分からされた。
「……………例え、紹介したとしても、あちらが指導を受けたいと思うとは限らないだろう?」
その言葉の意味――遠回しに了承したことに、ウィルはにやりと嗤った。
「一応、俺の知人の中でも〝とっておきの変人〟って言ってあるから、早々のことがない限りは大丈夫だぜ」
「………」
何だその紹介は、とガドは眉を寄せた。
ウィルは気にした様子もなく、言葉を続けた。
「あっちの方もな――」
「………」
それが何を指しているのか――ガドは正確に理解していた。
確かに、ウィルならば問題なくココに連れて来れるだろう。
「指導するかどうかは、話をしてから決める――いいな?」
「……へいへい」
「何だ?」
やれやれ、と言わんばかりの呟きに、ガドはじろりとウィルを睨み返した。
「いや。何でもねぇよ」
ウィルは肩を竦めると、ミルクを一気に飲み干した。
「エプリ、帰るぞ」
そして、もう用は済んだとばかりに立ち上がり、クッキーの缶のフタを閉める。
「はーい!」
クッキーの缶は、ずぶずぶとエプリの影に沈んでいく。
エプリは飛び上がって、ウィルの肩に座った。
「じゃあ、近々連れて来るぜ」
「………ああ。分かった」
またねー、と手を振るエプリに軽く手を挙げる。
ドアの向こうに二人が消えるのを見送って、ガドは背もたれに寄りかかって目を閉じた。
「〝現〟からの〝混血〟、か―――」
ぽつり、と呟いた言葉は、静かになった部屋によく響いた。
***
ジオラはガドの家の近くにある倉庫で〝白い鍵〟を使い、〝紹介所〟を訪れた。
『でも、近々って……あの子との約束は明日だよ? 色々と大丈夫なの?』
(大丈夫だろ。たぶん、ある程度は――)
ジオラがエントランスホールに出たところで、
「―――ウィル・ジオラ様」
すぐ近くに座る受付嬢に声を掛けられた。
そちらに視線を向けると静かに一礼され、
「今、お時間をいただいてよろしいでしょうか? 副所長からお話ししたいことがあるのですが」
「ああ、いいぜ」
ざわり、と待合場の方から騒めきが聞こえる中、ジオラは頷いた。
(さすがは〝魔女〟、手回しが早いなぁ)
内心で笑みを浮かべ、「こちらへどうぞ」と受付嬢に促されてジオラは二階に向かった。
「―――来たか」
受付嬢が〝白い鍵〟を使って開けたドアをくぐると、そこには男が一人いた。
正面の執務机に座る男は、手に持つ書類を横に退けながら言った。
黄金色の髪に赤い目を持ち、彫の深い顔立ちの男はフォルス・ワンダフィルア――〝ティルナノーグ紹介所〟の副所長だ。
部屋には左右にドアが二つあり、家具は来客用のテーブルとソファ、本棚だけしかない。
副所長がいるのは――この部屋の場所は――〝紹介所〟の本部だったが、〝鍵〟を使って移動したのだ。
「こんにちは!」
ひょこっと姿を見せたエプリが、明るい声を掛けた。
副所長は、ちらり、とエプリの方を見て会釈を返すと「座ってくれ」とソファを勧めて来た。
ジオラは遠慮なくソファに座り、
「で? 何の用なんだ?」
ニヤニヤと笑いながら問うと「分かっているだろう」と副所長は前のソファに座りながら、少し眉をひそめた。
「先日、新人のティトン・クラコーンに会いに行ったそうだな」
「ああ。行ったぜ」
事実であり隠すこともないので、ジオラは軽く頷いた。
「わざわざ、接触したのは何故だ?」
「ちょっとした詫びに奢っただけだ」
「詫び、な………」
副所長はつと目を細めた。
「討伐の時、会ったことはサンゼたちから報告は挙がっているだろ?」
「話は聞いている。だが、お前が再度接触するとは思わなかっただけだ」
副所長はこちらを探るような視線を投げながら、尋ねて来た。
大よその予想は付いているだろうに。
「お前も気づいていると思うが、彼は少し特殊な生い立ちだ。こちらから、何かしらの手を打とうと考えていたのだが――」
「その割には、結構、先輩方に揉まれていたようだけどな?」
「過干渉にならない程度で、だ」
副所長の言葉を遮ると、今度はばっさりと切り捨てられた。
そこで、沈黙が落ちる。
互いに腹の内を探る様に視線を交わした。
(過干渉、なぁ……?)
『のんびり屋さんだね?』
(ま。色々とあるんだろ―― 一足遅かったみたいだけどな)
さすがに、あちらの内情は詳しく分からない。
ただ、ゴタゴタともたついているうちに――或は、ティトンの意思を尊重していたのかもしれないが――こちらが接触を図って、成功しただけのことだ。
「で? 所長の判断は?」
易々とガドのいた森に行くことは出来ないため、〝黒の魔女〟の意向があったことは気づいているだろう。
さっさと話を終わらせるため、ジオラは呼ばれた理由を尋ねた。
数秒ほど、感情の窺えない赤い目がジオラを射抜いていたが、
「――コレを預かっている」
差し出されたのは、よく知っている〝白い鍵〟だった。
ただ、《退治屋》の証である〝鍵〟とは僅かにデザインが違うものだったが。
「―――」
それを見て、思わず、口の端が上がった。
その〝鍵〟が一体、何処に繋がっているのか――考えずとも分かる。
ジオラはさっと左手で〝白い鍵〟を取ると、立ち上がった。
「―――悪いようにはしねぇよ」
副所長の視線を振り払うように背を向け、入って来たドアに向かった。
鍵束を取り出し、〝紹介所〟に繋がる〝白い鍵〟を摘む。
(何の問題もなかっただろ?)
傍観者である〝魔女〟。
彼女たちの間で、どのように情報交換が行われているかは分からないが、今までの経験上、互いの動向は早い段階で把握し合っていることは知っていた。
また、余程のことがない限り、それを止めることはない――意図を汲んで手を貸すこともあるため、副所長に呼ばれたことも〝白い鍵〟が作られていたことも驚きはなかった。
ただ、エプリが心配していたことも対処してあるのは、正直、有難かったが。
『そうだね! ルネの予定通りかな?』
(……………それは言うな)
コロコロとルネの手の平で転がる〝かぼちゃ〟が脳裏に浮かび、ジオラはため息をついた。