第11話 ハロウィンの夜~炎を纏うかぼちゃ~
〝―――ウィル・ジオラ!〟
突然、その名が脳裏に響き、ジオラの自我を揺さぶった。
一瞬、冷や水を浴びたように意識が叩かれ、〝囁き〟が消え失せる。
(っ……?)
ゆらっと揺れる身体を立て直し、ジオラは意識をソイツへと向けた。
『ジオラ!』
(ああ……)
エプリの声に短く答えたジオラの足元に、黄色く輝く〝円〟が浮かび上がった。
幾何学的な模様が描かれた〝円〟は【召喚紋】――〝言霊〟を引き金にして〝特定のモノ〟を召喚するという〝魔女〟お手製の代物で、子どもに仕掛けた〝護り〟が発動した証だった。
「やぁーっと来たかぁ」
周囲に展開した炎が一際大きく点滅し、眼下へと放たれた。
(エプリ、ジェイルに言っとけよぉ)
『了解!』
ジオラは己を〝召喚〟しようとする力に逆らわず、引っ張られる流れに身を任せ――ふっとその場から姿を消した。
(おぉーとっ………)
〝召喚〟されると同時に前方から迫り来る敵意を感じ、ジオラは炎を放った。
敵意――〝布切れ〟は炎に呑み込まれ、一瞬で焼き尽くされる。
少し時間を稼ぐため、周囲を炎の壁で囲む。
「やれやれ。やぁーと、呼んだかぁ」
「えっ………?」
「全く。待ちくたびれたぜぇ、ランドル・コルフィッド」
間抜けな声に振り返ると、ぽかん、と口を開けて子ども――ランドルがジオラを見上げていた。
(んんー? 何で、仮面をしてないんだぁ?)
ランドルが持つ仮面は退魔師が使用する物ほどの効果はないが、多少は〝悪霊〟の目を誤魔化せる――意識を逸らす力があることは確認している。
ブロジェイルから「付けていろ」と助言はされているはずだが、何故か仮面をしていなかった。
「遅いって……ホントに……」
「あぁ? 気付いたら来るって言っただろう?」
呆然としたランドルの言葉に、やれやれ、とジオラは頭を左右に揺らした。
『嘘のように仕向けた癖にー』
(ま。初めから頼られてもなぁ……)
呆れたエプリの声に言い返していると、ランドルは「いや………その……」と口ごもりながらも、ほっと肩から力を抜く。
その様子に、ゆらり、と目の奥の炎を揺らし、ジオラは口を開いた。
「おーいおいおい。まだ、仕事はやり切ってないぜぇ?」
「………えっ?」
虚をつかれたような顔をして見上げて来るランドルに内心で、ニヤリ、と笑いながら、
「まだ、出てないだろうがよぉ」
「出て……っ!」
何がとは言う間でもなく察したようで、一瞬で顔色を変えた。
「でもっ……い、言われたのは……っ」
「アレは〝おびき出した〟とは言えねぇなぁ。まだ、隠れているぜぇ」
「っ?」
嘘だろ、と言いたげにランドルは頬を引きつらせる。
「さぁーてさて。ここからが正念場だぜぇ、ランドル・コルフィッド」
改めて名を呼べば、ランドルは身を震わせ、不安げな表情で縋る様に見つめて来る。
(楽しい楽しい、実技の時間だなぁ)
『えぇー……厳しいよー?』
(おーいおいおい、人聞きが悪いなぁ。サポートありの状況は滅多にないぜー)
『滅多にないんじゃなくて、させないからね!』
〝現〟側――退魔師と出会っていたのなら手厚く保護され、事が終わるまで護衛を付けて安全なところに身を潜めるだろう。
だが、生憎と助けたのは《退治屋》――〝闇〟側、弱肉強食の世界に住む者たちだ。
鍛えられる時に鍛えるのが常識だった。
一応、〝現〟の住人なので手厚くサポートはするが、止めることはない。
「周りの雑魚は、俺が相手をしてやるよぉ。なぁに、心配するな。宿主よりも浸食はそれほどじゃねぇから、あの変な布や仮面を燃やせば事足りるさー」
ジオラは、カランカラン、とランタンを揺らしながら笑いを含んだ声で言った。
「お前はその十字架で、宿主の仮面をブッ叩いて来ればいいだけさぁ。それで、出て来るはずだからなー」
「こ、これで……?」
ランドルは十字架に視線を落とし、ぎゅっと握り締めた。
「まぁ、ちょっと細工は必要だけどなー」
ランドルに掛けていた〝護り〟も消え、十字架自体は〝主役〟相手では気休め程度の魔除け――子どもが大人を叩く程度――にしかならない。
少し、手を加える必要があった。
貸せ、と手を差し出すと、ランドルは戸惑ったようにジオラの手と十字架を見比べた。
「……け、けど……」
恐らく、魔除けの品なので〝悪霊〟のジオラに渡すのを躊躇っているのだろうが、ジオラは〝魔女との契約〟によって守られている。
退魔師用に拵えられた代物なら、多少、話は変わるが、この十字架なら触れても問題はなかった。
「早くしろよー」
くいっくいっと手を動かして催促すると、ランドルは恐る恐る渡して来た。
さっと手に取って眼前に掲げ、表、裏、表とクルクルとひっくり返し――
「まぁ、何とかもつかー……?」
脳裏に〝円〟を思い浮かべた。
それは【召喚紋】とはまた違った効果を持つもので、退魔師が武器などに施して使用する物と似ていた。
ジオラには〝地獄の炎〟があるので不要なものだったが、《退治屋》として活動するなら必要になるだろうと――つまり、こういう時のために〝魔女〟から教えられていた。
(―――【浄化紋】)
十字架を持つに力を込めると触れている部分からオレンジ色の線が浮かび上がり、表面を撫でるように広がった。
それは数秒で十字架を覆い、輝きが消えた後も燃えた痕のように残った。
「コレは霊力を〝祓う力〟に変え、さらにその効果を増幅させる。力を込めれば、勝手に発動するぜー」
十字架をランドルの眼前に差し出すと、そっと両手で受け取った。刻まれた模様を指先で撫で、大きく目を見開く。
「そう言えば、お前、仮面はどうしたんだぁ? アイツ、付けとけって言ってなかったかー?」
「か、仮面……?」
ランドルは十字架から顔を上げ、「えっと……」と視線を泳がせてから背後を振り返った。
「………見つかったし、息が苦しくて周りも見にくかったから……あそこら辺に……」
ランドルの視線は、周囲を囲む炎の壁――その先に向けられていた。
「まぁた、変なところに……」
仕方ないか、とジオラは内心でため息をつき、
「エプリー。ちょっと取って来てくれ」
敢えて口に出し、頼んだ。
『はーい!』
「えっ……?」
何を、とこちらに顔を戻したランドルは、ぎょっとして目を見開く。
その視線はジオラの頭上、三角帽子から飛び立ったエプリ――コウモリに向けられていた。
ジオラのすぐ脇を黒い影が通り過ぎ、一直線に地面に落ちていく。
その先にあるのは、足元に出来た僅かな影だ。
まるで、穴が開いているかのように影に呑み込まれ、エプリは姿を消した。
その影を伝って仮面を取りに行ったのだ。
「―――なぁっ?」
「すぐ戻って来るから、大人しくしてろー」
「えっ……だ、誰が?」
ランドルは「まさか、コウモリが?」と目を白黒として、ジオラを見上げてきた。
「はい! 持ってきたよ!」
「っ??」
それほど時を置かずに明るい声が響き、ランドルは息を呑んで身を引いた。
何故なら、その眼前に仮面が出現したからだ。
ジオラから見ると、仮面の上部の辺りを両手を挙げて支えているエプリ――人型の姿だ――が見えたが、ランドルからはユラユラと独りでに浮かんでいるように見えるのだろう。
「じゃあ、それをしてアイツの仮面を叩けに行け。周囲の目はからはお前の姿は見えなくしてやるからなぁ」
「隠すのは、僕だよ!」
エプリは、ひょこっ、と仮面ごしにランドルを覗き込んだ。
「っ……えっ、こ、小人?」
「違うよっ、精霊だもん!」
エプリに即答で否定され、ランドルは、ぱくぱく、と口を動かすが言葉が出てこないようだ。
(間違うのは無理ねぇと思うけどなぁ……)
『えぇー! 酷いっ!』
羽ねぇし、と暇つぶしに見たファンタジー映画の精霊を思い出しながら、ジオラは話を進めた。
「おいおーい。のんびりしている暇はねぇぞぉ、さっさと倒さねぇとなぁ」
「っ! あ、ああ……」
はっと我に返ったランドルは頭を左右に振り、ごくり、と生唾を呑み込む。
その表情から、そろそろ頭の中がパンクしそうな雰囲気が窺えたが、これ以上時間を取る暇はないので気付かない振りをした。
「仕方ないなぁ」とぶつくさと言うエプリをランタンで示し、
「こっちは俺の相棒のエプリ。コイツの〝力〟でお前の姿を隠すから、こっそり近づいて仮面を叩いてこーい。それで、お前の役目は終わりだぜぇ」
「隠すって……」
「うん、任せて! ばっちり隠すからね!」
ランドルは戸惑ったようにジオラとエプリを見比べるが、元気なエプリの声に何も言えないようだ。
(頼んだぜぇ、エプリ)
『りょーかい! 了解!』
エプリは「よいしょっと!」と仮面を上に持ち上げ、その内側に潜る様にしてその中に入り込む。
仮面は、ふわり、と一瞬浮かび上がると、ゆっくりとランドルの手元に降りていった。
「消え、た?……この、模様……」
十字架を持ったままの左手の上に仮面を置き、右手でそっと表面を撫でる。
そこには狼が描かれていたが、さらに黒い模様が入っていた。
「エプリが宿っているからなぁ。被って見ろ」
ランドルは、ちらりとジオラに視線を向けてから十字架を膝に置き、仮面を被った。
『聞こえるー?』
「うわっ!!」
エプリの声が脳裏に響いたのだろう。ランドルは、びくりっ、と肩を震わせて、キョロキョロと辺りを見渡した。
『いないって! 仮面の中にいるからねー』
「か、仮面の中っ?」
信じがたいのか、そっと右手で仮面の表面を撫でる。
「それをしていれば、見つからねぇよ。お前の役目は静かに近づいて、十字架で仮面を叩き壊して〝悪霊〟を出すことだぜぇ。その後は、助けた奴とじっとしていろよー?」
「わ、分かった……」
ランドルはこくこくと頷いて、十字架を手に立ち上がった。
少しよろめくも、しっかりと地に足を付けて立つ。
(エプリ、一応、影武者作っておいてくれよー)
『精霊使い、荒いなぁ』
エプリはジオラだけに聞こえるようにぼやく。
ずずっ、とランドルの足元――その影が蠢いた。
「えっ――わっ!!」
ぎょっとしてその場を飛び退くが、蠢く影は水たまりのように留まり、ぬぅっと盛り上がった。
息を呑みながらこちらの方へと後退るランドルを横目に、ジオラは平然とその光景を見ていた。
その影は、ランドルの背と同じ高さぐらいに伸び上がると、左右に二本の棒を生やして上部が丸くなり――ほんの数秒で、黒く塗られたマネキンと化した。
「な、何だ……コレ?」
「んんー? お前の身代わりに決まってるだろーが」
何言ってんだ、と顔を向けるとランドルは「え゛っ?!」と勢いよくジオラの方に振り返った。
「けど……何か、黒い人形だけど……?」
「炎で見た目は隠すから問題ねぇよ」
ジオラは肩を竦め、
「準備はいいなぁ?」
「………あ、ああっ」
ランドルはごくりと生唾を呑み込み、力強く頷いた。
ぎゅっと握られた十字架が黄色い輝きに包まれるのを見て、
「おいおい。まだ、気が早いぜぇー」
「えっ?――あっ……」
ジオラの視線を追って手元を見たランドルは、ぎょっとして目を見開いた。慌てて手を振り、ふっと炎が消えたことに安堵のため息を漏らす。
「多少の音は消せるが、出来るだけ声は出すなよー。エプリには内心で呟けば聞こえるからなぁ」
「わ、分かった……」
別段、声を潜める程度なら問題はないが、今は制御不能のランドルの霊力を隠している状態だ。
夜とはいえ、事後処理のことも考えると少しでも消耗は抑えたい。
「じゃあ、作戦開始だぜぇ」
ユラユラ、と頭を揺らしてジオラは言った。
(エプリ、頼んだぞー)
『分かってるよ! ―――じゃあ、目閉じてー』
エプリに促され、目を閉じたランドルは、地面の影に呑み込まれるように姿を消した。
(やれやれ、やぁーとかぁ)
周囲を囲む炎の壁に視線を向け、ランタンを持たない左手を掲げてそっと握り締めた。
それに呼応するように炎の壁が迫り、人一人分が居られるスペースまで縮んだ。
(〝お預け〟はキツイぜー)
ジオラはエプリが作った影人形をその場に残し、上空に飛び上がった。
炎の壁よりもやや高い位置で留まり、前方に視線を向けると、街頭の上に立つ〝悪霊〟が憑依した子どもが見えた。
「オ前ハ――ッ!」
「よーぉ、運よく逃げ出せたらしいじゃねぇか。しかも、その先で〝主役〟になるなんてなぁ」
「裏切リ者ガッ。獲物ヲ横取リスル気カ!」
「横取りって、子どもを食う気はねぇぜー」
さらに〝布切れ〟を周囲にまき散らす〝主役〟に頭を傾げ、やれやれ、と呆れた声を出す。
ゆらり、と眼孔の中の炎が揺らぎ、
「俺が食うのはお前だからなぁ……っ!」
笑いを含んだ声を上げ、周囲に炎を展開させた。
(ひとまず――引きずり下ろすかぁ……)
歓喜に震える〝囁き〟に導かれるままに、ジオラは周囲に向かって炎を放った。
***
「じゃあ、作戦開始だぜぇ」
間一髪のところを〝かぼちゃ〟――〝ウィル・ジオラ〟に助けられたランドルは、問答無用でザズから〝悪霊〟を叩き出して来いと言われた。
持ってきた十字架に不思議な模様を描かれ、それで叩けばいいと。
『じゃあ、目を閉じてー』
そして、精霊だと言う小人――エプリが宿った仮面を付け、ランドルはその明るい声に言われるままに目を閉じた。
次の瞬間、ふっと足元の地面が消えた。
「っ?」
ランドルは驚いて息を呑み、バランスを崩したが、すぐに固い地面が触れたのでよろめくだけに終わった。
『目を開けていいよ』
恐る恐る目を開くと、いつの間にか広場の中に突っ立っていた。
すぐ隣にハロウィンのモニュメントがある。
「こ、ここは――」
キョロキョロと辺りを見渡すと、前方――数十メートルほど離れた場所に火柱があり、それを数十近い人影が囲んでいるのが見えた。
『さっきいた場所のすぐ近くだよ。声は出さないでね。頭の中で呟けば聞こえるから』
「ぁ……っ」
エプリの声に頷きかけて、慌てて、口を閉ざした。
(ほ、ホントに聞こえてるのか?)
『聞こえてるよー』
(マジか……)
『マジマジ』
呆然とした呟きにも返答があったので、ランドルは眉を寄せた。
『霊力の制御、ちょっと手伝っているからね。仕方ないよ』
(えっ……?)
『――あ。出て来たよ』
ランドルは額の辺りに違和感を覚え、前方に意識を向けた。
すると、火柱の中から〝かぼちゃ〟――〝ウィル・ジオラ〟が飛び出して、虚空に留まった。
『ちょっと、言い合ってるね』
〝ウィル・ジオラ〟は正面――街頭の上にいるザズと向かいあっている。
ザズのマントがはためき、あの嫌な感じがする〝布切れ〟が浮かび上がった。
少し遅れて、〝ウィル・ジオラ〟の周囲にも幾つもの炎の玉が浮かび上がる。
〝布切れ〟が一直線に〝ウィル・ジオラ〟を狙い、炎の玉は、まるで花火のように四方八方に放たれた。
〝ギィ——ヤアアアッ!!〟
〝ガァ、ゴォアアッ!〟
炎の玉は襲い掛かる〝布切れ〟を燃やし、眼下の人ごみの中に向かい――幾つもの悲鳴が上がった。
バタバタと倒れていく人影に頬を引きつらせ、ランドルは尋ねた。
(だ、大丈夫なのかっ?)
『大丈夫だよ。あれだけ近いなら、燃やし分けは出来るから』
(も、燃やし分け……)
軽く言うエプリに言葉を失う。
『見てる暇はないよ! 街頭から下ろすから、近くで待っていないと』
(ああ――って、下ろすって攻撃するのかっ?)
促されて踏み出しかけた足を止め、ランドルは慌てて尋ねた。
そだよ、と軽い声が返って来た。
『でも、相手も子どもに怪我を負わせることはないよ。怪我させちゃうと憑依に支障が出るから』
(そう、なのか……)
『だから、それとなーく下ろすと思うけど……あっちに気を向けているうちに行こ。機会を逃すと危険が増すよ』
(あ、ああ。分かった……)
姿を消してくれているとはいえ、ランドルは息を潜めて足を進めた。
火柱とそれを囲む人たちを大きく迂回するようにザズに近づいていく。
(………す、げぇ……)
その間、視線はザズに釘づけになり――そして、その光景に目を見開いた。
〝ウィル・ジオラ〟とザズの、炎と〝布切れ〟が舞う攻防に。
二人の立ち位置は変わっていない。
〝ウィル・ジオラ〟は火柱の真上、ザズは街頭の上に立ち、その周囲に炎と〝布切れ〟が舞う。
炎は光の筋を描きながら〝ウィル・ジオラ〟の周囲を動き回り、時に眼下の人たちに向かって断末魔を呼び起こし、時に〝布切れ〟を呑み込むと一瞬で燃やし尽くして消えていく。
だが、消えた炎の残滓が夜の下で煌めき、周囲一体を淡く照らしていた。
(………何だ?)
その光景から目を逸らせずに足を進めていたランドルは、ふと、その光を引き裂くように舞う〝布切れ〟に何かを感じ、足を止めて目を凝らした。
攻防は激しさを増し、〝ウィル・ジオラ〟を襲う〝布切れ〟はほとんど線にしか見えなかったが、炎の残滓が何かを照らしているのだ。
(黒い……靄?)
ザズの方へと視線を移し、出現してから襲い掛かるまでの数秒の中で、〝布切れ〟に染みのように黒い靄が付いているのが見えた。
『アレは〝悪霊〟の霊力だよ』
(〝悪霊〟の、霊力……?)
『足、止まってるよ。歩いて歩いて』
エプリに促され、ランドルはザズの周囲から視線を外し、また戻しつつも歩みを再開する。
『霊力って、〝現〟――えっと、君たちと他の種族とは見え方とか違うの。今は、僕が力を貸していることもあって、僕たち精霊の見え方に近い感じで見えていると思うよ』
(〝現〟?……種族?)
『そ。でもまぁ、一応、人も僕らと似た感じじゃないかな?』
(へ、へぇ……)
何となく頷きを返し、そろそろと足を動かす。周りに身を隠すものがないため、姿が見えないとはいえへっぴり腰になるのは仕方がない。
落ち着け落ち着け、と深呼吸を繰り返しながら足を進めていると、
『あ。屈んで!』
「っ?」
突然、そう言われ、ランドルは慌ててその場にしゃがみこんだ。
地面に右手をつき、息を詰めた次の瞬間、
――――ドンッ!!
と。頭上で衝撃音が響き、熱風が襲い掛かって来た。
ランドルは首を竦め、慌てて頭上を振り仰ぐ。
「ザ―――ッ?!」
街頭の上から、後ろ向きに落ちるザズの姿が見えた。
その周囲には火の粉が散り、何かが燃えている。恐らく、〝布切れ〟だろう。
頭から地面へと落ちる姿に声を上げかけるが、くるり、とその身体が回り、危なげなく足から着地した。足を曲げて衝撃を殺し、平然と立ち上がると周囲に〝布切れ〟を浮かび上がらせた。
「ガァァアア―――ッ!!」
怒声を上げれば、その足元から黒い靄が噴出してザズを覆ってしまった。
(お、おいっ! 大丈夫なのか?!)
『大丈夫だよ。〝劇場〟から力を出しているだけだから』
ランドルが内心で叫ぶと、エプリは全く動揺していない声を返して来る。
〝劇場〟って何だよ、と疑問を投げかける余裕はなく、ランドルは食い入るようにザズの姿を見つめた。
ザズを覆う黒い靄は数十近い黒い塊に分かれ、粘土をこねるように形を変えている。
手の平サイズの丸い形になり、一部が左右に薄く伸びて一対の羽と化した。丸い身体の部分に、ぱかり、と赤い何かが浮かび上がり、びっしりと鋭い歯が生えていた。口だ。開閉を繰り返し、ガチガチ、と威嚇するように音を立てる。
羽を動かしてユラユラと揺れ、一声、耳障りな声を上げると〝ウィル・ジオラ〟に襲いかかった。
〝ウィル・ジオラ〟は、ふわり、と後ろに飛び退きつつ、ランタンを振るって幾つもの炎を浮かび上がらせ、コウモリを迎え撃つ。
激突と共に爆炎が黒いコウモリを呑み込み、衝撃で散った火の粉が辺りを照らした。
ランドルは轟音に身を竦めつつ、頭上の攻防を見つめていると、夜空を漂う煌めきがランタンに吸い込まれていることに気が付いた。
(な、何かランタンに吸い込まれていくけど……っ?)
『え? ………ああ、うん。そだね』
驚くランドルに対し、エプリは何処か誤魔化すように呟いた。
『——とっ。そろそろ心の準備して』
準備ってと眉を寄せるが、視線をザズの方へ戻す。
以前として、黒い靄はその足元から噴き出し、黒いコウモリも出現し続けているが、その噴き出す勢いは最初に比べて落ち着いている気がした。
(エプリ、あれって……?)
『さっきより勢いがないのは、初めて引き出したから勢いがあったってことも理由の一つだよ。あとは、本体ならまだしも憑依している状態だからね……そう長い間、引き出していることは出来ないんだ』
(そ、そうなのか……)
それは安心していいことなのかどうか分からず、ランドルは困惑気味に相槌を打つ。
『落ち着いたら行くよ。合図はするから』
エプリの言葉に息を詰め、ランドルはそろりと体勢を変えた。
どくどくと耳の奥で心臓の音が煩い。
深呼吸を繰り返して緊張で震えそうになる身体を抑え、十字架を眼前に掲げた。
そこに刻まれた模様を見つめると、僅かな光源に反射してチカチカと焼き跡が光った。
その煌めきを見つめているうちに自然と心が落ち着き、ふっと肩から力が抜けた。
『今、霊力が身体を覆うようにしているから、あの靄に触っても大丈夫。体勢を崩させて〝仮面〟を叩けば、あとはジオラが燃やしちゃうから』
分かった、とエプリに了承の声を返し、両手を地面に付いて少し腰を上げる。
〝仮面〟で篭る息の熱を感じながら、正面を見据えた。
ランドルがいる場所は、時計塔に続く道の中央付近――ザズの左斜め後ろの位置。
走れば、たった数秒で駆け抜けられるだろう。
『―――今だよ!』
一際、頭上で轟音と共に強い熱気を感じたその時、エプリが叫んだ。
ランドルは地を蹴り、ザズに向かって駆けだした。
ザズは足元から噴き出す黒い靄を前方へ――〝ウィル・ジオラ〟から身を隠すように広げていた。
その視線は〝ウィル・ジオラ〟に釘づけで、ランドルに気付いた様子はない。
ランドルは息を詰めたままザズとの距離を詰め、右手でそのマントを握り締めた。
ザズに触れたことで、一瞬、手が強張ったが痛みも何も感じなかった。
「――――っ、ぉぉぉぉおおおお!!」
ランドルは叫び声を上げながら、地面に向かって強くマントを引っ張った。
「ナ―――ッ!」
ぐるり、と回る様にこちらに向けられた顔――〝仮面〟をやや下の位置から睨み上げ、左手に力を込める。
仮面に開いた二つの穴の向こうで、ぎょろり、と目玉が動くもランドルを捉えることはない。
「ッ―――」
何かを言おうとしたザズに向かって、ランドルは左手を――十字架を突き出した。
〝黄色い炎〟に包まれた十字架は模様を輝かせ、〝仮面〟に吸い込まれるように向かう。
打撃音と共に左手に衝撃が走り、
―――ビシィィッ、
と。〝仮面〟に大きく罅が入った次の瞬間、〝黄色い炎〟が舐めるように広がった。
(よ、しっ!!)
ザズはこちらに向かって身体を傾けたが、びくんっ、と後ろに引っ張られたかのようにのけ反った。
「ギィァアアアアアアアアアアア――――ッ!!」
そして、仮面の罅を抑えるように両手で覆うと、絶叫を上げた。その足元から黒い靄が迸り、ザズの姿が黒い靄の中に消える。
「ひっ……?!」
そのあまりの勢いに、ランドルは身を引いた。
『害はないからっ、留まって!!』
「っ?」
エプリの叱咤に、さらに下がり掛けた足がその場に縫い止められたかのように止まった。
ランドルは離しかけたマントを掴み直し、左手を構える。吹き荒れる風に目を細めながら、黒い靄の向こうにいるザズを睨む。
『あそこから引っ張り出して、もう一撃だよっ!』
(く、そ――っ!!)
ランドルは、もう一度、強くマントを引っ張った。
間欠泉のように噴き出る黒い靄から、ザズの肩から上だけが現れる。
間近で聞こえる絶叫に顔をしかめつつ、〝仮面〟に向かってもう一撃を放った。
追撃を受けた〝仮面〟は、ばきんっ、と音を立てて粉々に砕け散った。
その下から、少し眉を寄せているが目を閉じたザズの顔が現れ、ランドルはほっと息を吐いた。
だが、次の瞬間、ザズの全身から黒い靄が噴出すのが見え、頬を引きつらせた。
『大丈夫! ちゃんと出来たよ、しっかり捕まえてて!』
エプリの声に従ってザズの身体を引き寄せて受け止め――ようとしたが、体格差や引き寄せた勢いが予想よりもあり、そのまま、地面に倒れ込んだ。
「――ぅわっ?!」
来るであろう衝撃と痛みに目を閉じて身を固くし、ザズの身体を抱きしめた。
とさっ、と背中が〝何か〟に当たった。
衝撃はそれだけで、痛みが来ない。
「ぇ……?」
『危ないよ。もうー』
薄く目を開けたランドルの耳に、そう呆れたエプリの声が聞こえた。
〝何か〟に支えられたまま、ゆっくりと身体が下に下がり、地面に下ろされる。
その口ぶりから、エプリが助けてくれたのだと思ったが――
(お前が……いや、まぁ……ありがとう)
引っ張りだせと言われたが、受け止められなかったのだ。
言い返しそうになる言葉は、礼を言うことで呑み込んだ。
ランドルは腕の中にいるザズに視線を下ろし、〝黄色い炎〟がザズの身体を覆っている光景に目を見開いた。
(な、何でザズにっ? 大丈夫なのかっ?)
〝黄色い炎〟を厭うように、ザズから噴出する黒い靄の勢いが増している気がする。
『大丈夫。最後の一押しだから、その子には害はないよ』
エプリの言葉を肯定するかのように、ザズの顔は苦痛で歪んではいない。
それでも固唾を呑んで見守っていると、黒い靄よりも〝黄色い炎〟の方が割合が大きくなっていき、完全に黒い靄が出なくなったところで〝黄色い炎〟も消えてしまう。
そして、それを待っていたかのように、その音が辺りに響いた。
―――カラァ――ンッ、
と。重低音の、ランタンの音が。
「っ?」
ぞくりっ、と悪寒が走り、ランドルは音がした方向へ――頭上を振り仰ぎ、見えた光景に目を丸くした。
音の発生源は、ランタンだ。
だが、その視線の先にいる〝ウィル・ジオラ〟は炎に包まれていた。
とても澄んだ、煌々とした光を放つ紅蓮の炎に――。
それは〝ウィル・ジオラ〟の周囲に浮かんでいるわけではなかった。
まるで、その身を燃やし尽くそうとするかのように身に纏っているのだ。
その眼孔の奥にある炎は――どうやって燃えているのか分からないが――閃光のような強い輝きを放っていた。
そして、それはランタンに灯る炎の光も同じだった。
(な、んだ……アレ……)
その光の強さに目を細め、瞬きをする度に白い点が視界をチラつく。
太陽を直視したような眩しさにも関わらず、何故か、視線を逸らすことが出来なかった。
カラーン、と音を立てながらランタンが前へと――ランドルたちの頭上へと突き出された。
その先にあるのは――〝ウィル・ジオラ〟と向かい合うのは、ザズの身体から出た黒い靄。
ザズから噴出した黒い靄は、直径約一メートルほどの球体となって浮かんでいた。
時々、唸り声のような物が聞こえると共に、所々に色鮮やかな何かが――〝布切れ〟がチラリと見えては消えていくため、蠢いているのだと分かった。
そして、周囲から引き寄せられるように黒い靄が現れて、吸収されていく。
『アレが悪霊の本体だよ』
黒い靄で出来た球体は、周囲から集めた黒い靄をも取り込んで、段々と大きくなっていく。
(だ、大丈夫なのかっ?)
『大丈夫。ほら――』
エプリに促されて〝ウィル・ジオラ〟に視線を戻すと、突き出されたランタンは、カラーンカラーン、と独りでに左右に揺れ、その音が響く度に光の強さが増していた。
それに合わせて、紅蓮の炎もその色を鮮やかに――より澄んだ色へと変化していく。
〝ウィル・ジオラ〟のぽっかりと開いた眼孔の奥で、ゆらり、と炎が揺れた――。
「食らい尽くせッ!」
その足元に紅蓮の炎で作られた巨大な円――中には幾何学的な模様が描かれていた――が浮かび上がった。
そこから飛び出してきたのは、無数の紅蓮の〝鎖〟。
悪霊に覆い被さる様に、大きく広がりながら襲いかかった。
悪霊は迎撃しようとコウモリを放つが、〝炎の鎖〟に触れた瞬間、その全てが焼き尽くされて消えていく。
『―――――ッ!!』
〝炎の鎖〟で雁字搦めになった悪霊は紅蓮の炎に包まれ、断末魔を上げた。
漏れ出る黒い靄もさらに巻き付いた〝炎の鎖〟に呑まれてしまう。
その声が最高潮に達したその時、ぎゅるりっ、と〝炎の鎖〟が絞られ、拳大ほどの大きさに圧縮――ぱんっ、と破裂音とともに光の粒となって辺りに降り注いだ。
まるで、間近で花火が爆発したかのような〝光の雨〟。
そこに悪霊の姿はなく、完全に燃やし尽くされていた。
―――カラァーン、カラァーン、
その音に導かれるように、〝光の粒〟はランタンが灯す炎に吸い込まれていく。
そして、全てを吸い込んだ時、ぽわりっ、と一瞬、暖かな光を灯した。
「………」
ランドルは呆然とその光景を見つめていた。
それが、ランドルが知る事件の――退魔師として覚醒した時の顛末。
あまりにも呆気ない、最後だった。