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炎を纏ってかぼちゃは踊る  作者: かぼちゃ
第1夜 悪夢を視る少年
10/33

第9話 ハロウィンの夜~蠢動する悪夢~



―――ハロウィン当日




「はよーす……」


 ドアを開けて教室に入り、ランドルはのそのそと自席に向かった。

 机の上にカバンを置いてイスに腰を下ろし――そのまま、カバンに覆い被さるように倒れ込んだ。


「……はぁ」


 カバンの上でもぞもぞと動いて頭の位置を直していると、前の席が引かれる音がした。


「―――おはよう。朝からぐったりだね?」


 僅かに顔を上げれば、苦笑するコナーが見えた。


「どうしたの? ウキウキし過ぎて眠れなかった?」

「ウキウキって……ザズじゃあるまいし―――ぐぇっ!?」


 ランドルは上半身を起こすが、突然、何かが背中に乗って来たので押し潰され、口から変な声が漏れた。

 何だよと首だけで振り返れば、背に肘をついて見下ろして来るザズと目が合う。


「俺が、何だって?」

「重い……」


 さらに背骨の上で、グリグリ、と肘を動かして来るので地味に痛い。

 ザズの肘を押し返すように上半身を起こすと、ザズはひょいっと身を引いて右側の席に座った。


「で? 風邪でもひいたのか?」

「違ぇよ。ネットサーフィンしていたから、ちょっと寝不足なだけだ」


 そうザズに答えている間も、ふわっ、と欠伸が漏れる。

 昨日、遅くまで何かいい手がないかと探していたのだ。


(怪しいモノしかなかったけど……)


 結局、用意できたのはまじない程度のもので、本当に効果があるのかは分からない。

 あるだけマシ、と言ったところだろう。


「……なら、いけどさ」


 ザズはじっとこちらを見てきたが、肩を竦めるとそう言った。

 くすっ、とコナーは笑い、


「帰って寝ないでよ? 予定通り、公園に十六時半だから」

「………ああ。分かってるよ」


 寝れねぇよと思いつつ、ランドルはコナーに頷きを返した。











(―――と、思ってたんだけどなぁっ!)


 行ってきます、と叫んで、ランドルは家を飛び出した。

 帰宅して母親が作ったハロウィンの菓子――配布用の残り物――をつまみながらリビングでテレビを観ていたら、いつの間にか寝てしまったのだ。

 ふと、目が覚めて時計を見れば、十六時過ぎ。

 家から待ち合わせ場所の公園まではそこそこの距離があるので――着替えなどの時間も加えれば――約束の十六時半までに辿り着くことは不可能だった。


『悪い。ちょっと遅れる!』


 コナーにそうメッセージを送ると、笑いのスタンプと一緒に『やっぱり。了解!』と返事が来た。


「………」


 ランドルは眉を寄せるものの、事実なので言い返せなかった。

 ふんっ、と鼻を鳴らして携帯をウエストポーチにしまい、走る速度を上げた。

 仮面は側頭部の方へズラして被り、バサバサとはためくマントに右側のベルトにひっかけているある物(・・・)が太ももに当たって、少し走りにくかった。


(コレしか持ってこなかったけど……)


 ソレは長さ三十センチほどの、ナナカマドの木で作られた十字架だ。

 ネットで魔除けとして載っていたのを見て、倉庫に似たような物を見た気がしたので探してみれば、ホコリを被っていたのを見つけたのだ。

 母親によれば、昔はこの時期になると飾っていたらしい。

 役に立つか不安だったが、何もないよりはマシだろう。


(物理攻撃が効くのか分からねぇけど、一応、魔除けだしな……)


 それ以前に、悪霊を見つけられるかどうかが問題だったが。


「はぁっ……はぁーっ……」


 前方にある交差点の信号が赤になったのを見て、ランドルは走る速度を弱めながら進み、横断歩道の手前で完全に足を止めた。

 荒くなった呼吸を整えながら周りに視線を向けると、チラホラと仮装をしている人たちがいた。

 ランドルのように仮面をしていたり、ほぼ成りきっていたり、一部だったりとその姿は様々だ。

 さらに視線を上に向けて、


(………なんか、いつもよりイルミネーションが凄いな)


 町を照らす仄かな輝きは、暖かさを感じさせるオレンジ色。

 ぼぉっとその光を見つめていると、


「―――ん?」


ブブブッと携帯が震え、着信を告げた。

 ウエストポーチから携帯を取り出して画面を確認すると、表示されている相手はコナーだった。


「―――もしもし? まだ着かねぇけど、」

『あ、うん。それは分かってるけど、今、どの辺りにいるの?』


 電話の向こうでワイワイと言い合う声が聞こえる中、コナーの声は少し困惑しているようだった。


「今は中央道の……コーヒーショップのある、交差点だけど……どうかしたのか?」

『そう。よかった――』

「?」


 ほっとした声にランドルは眉を寄せた。

 信号が青になったので横断歩道を渡りながら、コナーの声に耳をすませる。


『実は、ザズがまだ来てなくて……時間ぎりぎりだし、来ていてもいい頃なのに』

「――――ぇ?」


 掠れた声が漏れた。

 思わず、立ち止まってしまったランドルの背に、どんっと後ろから何かが当たった。

 慌てて振り返ると、すぐ後ろを歩いていた背広を着た男性に睨まれた。「すみませんっ!」と頭を下げ、小走りで横断歩道を渡り切ると、すぐ脇――街路樹の下に逸れた。


「ザズ、来てないのか……?」


 ザズの家から公園までは、距離的にはランドルと同じぐらいだ。

 ただ、ザズはイベント好きなので、遊びに行く時は待ち合わせ時間よりも早く来ることが常だった。

 それがまだと言う事は――。


(ま、さか……?)


『うん。電話しても繋がらないし………』


 さぁっと顔から血の気が引いていくのを感じながら、ランドルはコナーの声を聞いた。


『他の皆は集まっているんだけどね。……それで、悪いけどザズの家に行って呼んできてくれないかな?』

「えっ……!」


 話の流れからザズの迎えを頼まれるのは予想していたが、思わず、生唾を呑み込んでしまう。

 ぎゅっと携帯を握り締め、


「ザズの家に、か……?」

『うん。ショップのトコなら公園(ココ)から行くよりは近いでしょ?』

「あ、ああ。そうだな……」

『………どうしたの?』


 固い声が出ていたのか、コナーが訝しげな声をかけてきた。


「あ、いや……行ってくるよ。また、連絡する」


 コナーの返事を聞かずに一方的に言って通話を切ると、ランドルはウエストポーチに携帯をしまいながら踵を返した。


(三十一日……ザズが来ない……)


 ザズの家の方へ足を進めていくにつれて不安が増していき、段々と歩む速度が遅くなっていく。

 正直、あの視線を感じたザズの家に行きたくないが、何も知らないコナーたちを行かせるわけにもいかなかった。


(学校じゃ何もなかったのに……)


 一日中、ザズの様子を見ていたが、帰り際の様子もいつも通りで、とても取り憑かれているようには見えなかったのだ。

 ランドルは唇を噛みしめ、まだ見えぬザズの家を睨むように前を見据えた。











 ザズの家に着くと――気持ちの問題なのか――何となく嫌な感じがしたが、ランドルはドアの前に立った。

 一応、ザズに電話を掛けてみるも呼び出し音がするだけで、電話に出ることも留守番電話サービスに繋がることもなかった。


(寝てる、のか?……それとも――)


 それ以上考えるのを止めて、ランドルは一度だけ深呼吸をしてからインターフォンを押した。

 ジリリリッ、と音が鳴る。


『はーい』


 微かに、ドアの向こうからザズの母親の声が聞こえてきた。

 ガチャリ、と音を立てながらドアノブが回り、こちらに向かって開かれる。


「―――すみません。ザズは、」


 ランドルはドアの向こうを覗きこみながら口を開き、


「っ?!」


現れたザズの母親――その顔にあの(・・)仮面があるのを見て、大きく目を見開いた。




「―――待ッテタワョ?」




 ザズの母親から聞こえた声は掠れ、雑音が混じったように聞き取りにくいもので、とても、本人が話しているようには思えなかった。

 ランドルが驚いて固まっている隙に〝ソレ〟は手を伸ばし、がしりっ、とランドルの左手首を掴んで来た。


「えっ―――い゛い゛ぃぃっっ!?」


 握り潰されそうなほどの握力で上に捻り上げられ、左腕に激痛が走る。体勢が崩れて踵が浮いた。


「遅カッタワァ――ホントウ二、待チクタビレタァ」


 ギリギリと締め付けられる痛みに歯を食いしばるが、その隙間からうめき声が漏れる。

 大人の女性とはいえ、軽々と家の中に引きずられていく異常さに恐怖が沸き起こり、足が上手く動かないので踏ん張ることが出来ない。自由な右手を腰の十字架に伸ばしても、なかなか、見つけられなかった。


「―――なぁっ?!」


 そして、揺れ動く視線が家の中に向き、ランドルは大きく目を見開いた。




 何故なら、玄関先を埋めるように十数人ほどの大人たちが立っていたからだ。




 その背格好は様々だったが、どう見てもザズの家族ではなかった。

 そして、何よりも驚いたのは、全員があの仮面をつけていることだった。

 異様な光景に頬を引きつらせたその時、右手が固い棒に触れた。


「っく!」


 ランドルは慌てて触れた物――十字架を握り締め、勢いよくベルトから引き抜く。

 牽制するように前に向かって十字架を振り回すが、ザズの母親は怯む素振りを一切見せず――煩わしいと言わんばかりに、ランドルの腕をさらに捻り上げた。


「い゛ぃっ――!!」


 さらに増した痛みに、ランドルは動きを止めた。

 ふわり、と完全に足が浮き上がるのを感じ、痛みで閉じていた目を開けると、ザズの母親――その仮面の隙間から窺える目と目が合った。

 空虚で、暗い井戸の底のような目と――。


「―――ひっ……」


 ぞくっと背筋が震え、ランドルは息を呑んだ。

 ザズの母親の周りから生えたように――その後ろからランドルへと伸びて来る幾つもの手も見えてしまい、とうとう、ランドルの恐怖が限界に達した。


「っう、ああああぁぁぁぁっ!!」


 ランドルは目を強く瞑ると、捻り上げられる痛みに構わずに足をバタつかせ、十字架を振り回した。

 あの手に(家の中に)捕らわれては(入っては)いけない――その直感に従って。




―――カァァーンッ、




と。偶然、その先が仮面に当たった。


「グアァァ、ッ―――!」


 苦しむような声と共に、ランドルの身体が大きく揺れる。

 ぎょっとして目を開き、ザズの母親に振り返った。


「――っ……?」


 ザズの母親の仮面から、妙なモノが――黒い煙のようなものが噴出していた。

 それはまるで、閉じ込められていた煙が漏れ出ているようで――。


(え、あ……っ?)


 呆然とその光景を見つめていたランドルだったが、左手の痛みで我に返った。

 そして、すみませんと心の中で叫びながら、勢いよく十字架の先を仮面に叩きつける。

 先ほどよりも鈍い音が、辺りに響いた。


「ガァァアアアアアッ!!」


 その衝撃にザズの母親はのけ反り、掴まれていた左手がぱっと離された。

 どすんっと腰から落ちた衝撃と痛みに「い゛ぃっ?!」と悲鳴が上がり、涙目になる。


「アアアッ、アアッ!!」


 だが、頭上から聞こえてくる苦痛の声に呻いて固まっているわけにもいかず、ランドルは顔を上げた。

 ザズの母親は前屈みになり、仮面から漏れる黒煙を抑えるように両手で覆っていた。


「オ前ェ、小賢シイ物ヲォ――ッ?!」


 ザスの母親が顔を上げれば、仮面に大きく罅が入っているのが見えた。

 その罅の隙間から漏れ出ている黒い煙は勢いを増していて――さらに、その向こうにいる〝何か〟と目が合った気がした。


「―――っ?!」


 ひゅっ、と息を呑んで、ランドルは身を強張らせた。

 何故か、ソレ(・・)から目を離すことが出来ない。


「オォォォォォォ――ッ!」


 その〝何か〟は上から覆い被さる様にランドルに襲い掛かって来た。

 ランドルはぎゅっと目を閉じて顔を逸らし、阻むように左手を突き出す。




―――とんっ、




と。左右から迫る手がランドルに届くよりも早く、伸ばした左手が――指先が仮面に触れた。

 その瞬間、腕から指先にかけて〝冷たい何か〟が流れるのを感じた。


「ギッ、ィイヤアアアアアアァァァァァ——ッッ!!!」


 ザズの母親から断末魔のような悲鳴が上がった。

 突然の悲鳴に目を開き、ランドルは声の主――ザズの母親を振り仰ぐ。


「なん――えっ?」


 そして、見えた光景に絶句した。

 何故なら、仮面の表面を舐めるように――燃やし尽そうと、炎が勢いよく燃え上がっていたからだ。

 一瞬、襲撃された時(あの時)の炎かと思ったが、すぐに違うと分かった。



 あの時(・・・)は〝鮮やかな赤色〟だったのに対し、今回は〝黄色〟――それも〝日の光のように明るい黄色〟をしているからだ。



 ザズの母親は仮面を両手で押さえて狂ったように頭を振り回すが、その〝黄色の炎〟が消える様子はなく――むしろ、炎の勢いは増している気がした。

 黒煙もその炎に呑み込まれ――黒煙も(・・・)燃えているようだ。


「アアァ、アアッ……アァ!」


 悲鳴が小さくなっていくにつれてザズの母親はその動きを弱め、反対にガクガクと身を震わせ始めた。

 だらり、と落ちるように腕が下がれば、燃やし尽くされて白く染まり、ひび割れた仮面が姿を現した。


(―――終わっ、た?)


 その仮面からは、もう嫌な感じはしなかった。

 あっ、とランドルが僅かに身を前に動かしたその時、




「おいっ! 受け止めろよ!」




背後から男性の声が聞こえてきた。

 誰だと振り返る間もなく銃声が聞こえ、首を竦めて固まったランドルの目の前で仮面が粉々に砕け散った。


「なっ?!」


 砕かれた仮面の下から、目を閉じたザズの母親の顔が現れる。

 少し遅れて、ランドルは後ろにいる誰かが――家の外から撃たれた銃弾が仮面を射抜いたのだと気づいた。


「お、おばさんっ!!」


 ぐらり、と大きく身体を揺らし、崩れ落ちるザズの母親に手を伸ばす。力なく揺れる腕を掴み、こちらにその身体を引き寄せつつ、床との間に自分の身体を滑り込ませた。


「い゛ぃっ――?!」


 右肘を強かに打ち付けたが、何とかザズの母親を床に激突させずに済んだ。そのことにほっとしつつ、ランドルは腕の中にいるザズの母親に視線を向けた。


「お、おばさんっ? おばさん!」


 少し眉を寄せているものの、呼吸は落ち着いているので、ただ気絶しているようだ。


(怪我は、ないよな――)


 ランドルは顔に怪我がないことを確認し、ほっと息をついていると視界に幾つもの足が見えた。

 まだ家の中に人がいたことを思い出して顔を上げれば、仮面をつけた見知らぬ人たちがこちらに手を伸ばしている姿が目に入る。


「!?」


 ランドルはザズの母親に覆い被さり、そのまま、後ろに身を捻った。


『――――』


 再び、銃声が――それも連続して響いた。

 その音に身を震わせながらそっと視線を向けて様子を窺うと、自分たちに迫る人たちの仮面が次々と粉砕され、隠れた顔が露わになった途端にバタバタと力なく倒れていくのが見えた。


(何が……)


 その光景は、玄関先にいる全員の仮面が粉砕するまで続いた。











(たす、かった……?)


 ランドルは、何人もの人が目の前に折り重なって倒れているのを呆然と見つめていたが、ざっ、と誰かが地を踏む音が聞こえて肩を震わせた。


(だ、誰だ……?)


 助けてくれたのは確かだったが、その武器は〝炎〟ではなく〝銃〟だ。

 そのことから、相手が〝かぼちゃ〟ではないのは明らかで、他に助けてくれる心当たりはなかった。

 ごくり、と生唾を呑み込んで、落とした十字架を探すためにそっと右手を動かす。


「おい、大丈夫か? ボケっとしている暇はないぞ」

「っ……?」


 ランドルは気遣うような声に恐る恐る振り返ると、そこには三十代半ばほどの男性が立っていた。

 長い銅色の髪を首元で無造作にひとくくりにし、十月末と言うのに袖なしのハイネックにベスト姿でブーツをはいていた。

 見下ろしてくる赤い瞳を真っ直ぐに見上げ、口を開くと「えっ、と……?」と掠れた声が漏れた。


(警察……いや、軍人?)


 鍛え抜かれたがっしりとした体格に威圧するような気配は、どちらかと言えば軍人に見えた。その右手には大型の拳銃が握られているので、恐らく、助けてくれたのはこの人だとは思う。


「もう幕は上がっているぞ。さっさと探しに行け」


 〝幕〟と言う単語に、ランドルの脳裏に〝かぼちゃ〟の姿が浮かぶ。

 男が伸ばした手に右腕を掴まれ、ぐいっと力任せに引き起こされた。


「あっ……え?」


 ランドルは驚きながらも、なるべく、そっと床に寝かせるようにザズの母親から手を離す。

 立ち上がると男が腕を離してきたので少しよろめくが、足元には何人も倒れているため、ランドルは何とかその場に踏み留まった。


「――――あ、あの」

「怪我は………ソレだけか?」


 ランドルが疑問を投げかけるより先に男に問われ、その視線を追うと、掴まれていた左手首にいきついた。

 左手の服の袖を上げれば、くっきりと手の痕が現れ――赤紫色に変わって痣となっていた。

 思わず、うっと呻き声が漏れる。

 改めて怪我を認識したことで――襲われる恐怖が消えたからか――ズキズキとした痛みを訴えて来た。

 また、掴み上げられた時に捻ったのか、肩の筋も痛い。


当てられたか(・・・・・・)……手は動くか?」

「えっ?……あっ、はい」


 ゆっくりと左手を動かしてみると、少し痛みが増したものの軽い握り拳は出来た。


「なら、骨は大丈夫だな。………ちょっと痛いだろうが、拳を作ってくれ」

「は、はい……」


 やんわりと拳を握れば、そっと手の痕の上に男の左手が置かれた。

 軽く触れただけにも関わらず痛みが増し、ランドルは漏れそうになる悲鳴を噛み殺した。


「【K*ER&#】」


 聞きなれない単語が聞こえた次の瞬間、手の痕の辺りに冷たい空気が流れた気がした。

 えっと驚く間もなく、突然、痕の辺りに〝黄色い炎〟が燃え上がった。


「―――ひっ!?」


 ぎょっとして炎を振り払おうと腕を動かすが、それよりも早く男に掴まれてしまい、動きを封じられた。


「な、何をっ?!」


 慌てて男を見上げると、少し眉をひそめてランドルの手を見ていた。


「落ち着け。祓っておかないと後で面倒だぞ」

「祓っ……?」


 困惑して男を見ていたのは、数秒ほど。男の手が離れたので左手に視線を戻すと、赤紫色だった肌の色は少し赤く腫れている程度になり、痛みも治まっていた。


「えっ………な、何で?」


 ランドルは目を見開き、右手で左手首に触れた。

 僅かに鈍痛と熱さを感じるものの、ほとんど治り掛けに近いだろう。

 ゆっくりと腕を動かすと、肩の方は何の痛みも感じなかった。


「あの手の痕は、仮面――悪霊の邪気に当てられ、浸食されて出来たものだ」

「!」

「俺の霊力でアイツ(・・・)がかけていた保険を使って、邪気を祓っておいた。ついでに治癒もされているから、だいぶマシになっただろう?」

「マシって……」


 この程度なら、あと数日ほど湿布を貼って置けば治るだろう。

 ただ、幾つか聞き逃せない言葉もあったので、ランドルは戸惑いながらも口を開いた。


「保険? 俺の霊力? それに、アイツ(・・・)って……?」


 その問いに、男は「時間はないが……」と周囲に視線を巡らせながら、


「手短に話すと、あの仮面がお前の前に姿を見せたのは、お前が美味そう――お前が持っている霊力が目的だ」

「!!」

「まぁ、見つけられたのは偶々だろう――で。さっきの〝黄色い炎〟は、お前を護るためにアイツ(・・・)が掛けていた〝お守り〟みたいなもんだよ」

「そ、そんなの、一体いつ――」


 さらに詳しく話を聞こうとランドルは男に詰め寄るが、


「――待て。時間がねぇって言っただろ」


 男は視線だけでランドルを制し、アゴでザズの家の外を指した。


「―――?」


 ランドルは口を閉ざして外に視線を向けると、ザズの家を囲うようにして仮面を付けた者たちが十数人ほど立っているのが見えた。


「なん―――っ?」


 さらに、その足元には〝人の形をした黒い物体〟が幾つもあった。それらは端々から崩れるように黒い煙となり、もくもくと空へ立ち上っている。


「安心しろ、アレは〝人形〟だ。夜も近くなって来たからな……お前を捕まえるために手当たり次第に作っているんだろ」

「お、俺を……?」

「悪霊にとって、霊力は御馳走だからな」

「っ……!」


 その意味を悟り、ランドルは顔を引きつらせた。


「やっと〝幕〟が上がったから、手に入れようと動きだしたってことだ。今、この町にはお前を狙う悪霊とは別に雑魚も多いが、ソレはこっちで対処する。お前は、お前を狙っている悪霊を探しに行け」

「―――えっ?」


 思わぬ言葉に、ランドルはぎょっとして男を見た。

 男は鋭い光を放つ目を周囲に向けたまま、


「雑魚は俺たち(・・・)で片付ける。お前は隠れている元凶を探し出せ。例え隠れていたとしても、お前が行けば姿を見せるだろう」

「そ、それって……」


 囮かよ、とは口に出さず、呑み込んだ。

 ソレを口に出してしまうと、事実になってしまうようだったからだ。

 例え、遠回しにそう言われていたとしても――。


「………まぁ、その気持ちは分からなくもないが――いいのか?」


 思ったことが顔に出ていたのか、男は片眉を上げるとそう言って来た。

 何を、とランドルは眉を寄せて男を見た。


「気付いているかは知らないが、相手は憑依して隠れているんだぞ? で、俺たちの力は強い――」


 軽く拳銃を挙げながらそう言い、「それに――」と少し遠くを見るような目をしてから、


「特にアイツの力は炎だからな……」

「………」


 その言葉に仮面を焼き尽くした業火を思い出し――そこで、やっと男が言っている意味を悟り、さっと顔色を変えた。


「そ、それは――っ!」

「相手も姿を見せるのはマズいってことは、本能的に知っているさ」


 慌てるランドルを落ち着かせるように、男は早口に言った。


「正直、今なら(・・・)探し出すのは問題ないが……それ(・・)はお前も困るだろ? 俺たちも祓いに来てそう(・・)なることは困る。だから、狙われているお前が会いに行くのがいいんだよ。もちろん、サポートはするさ」


 アイツ(・・・)も言っていただろ、と言われて、ランドルは息を詰めた。




―――「気付いたら、助けてやるよ」




 気のない――冗談のように告げられた〝かぼちゃ〟の言葉。

 実際は冗談(そう)ではなかった、と言うことだろうか。


(この、人は……)


 男の口ぶりは〝かぼちゃ〟のことを――〝かぼちゃ〟がしたことを知っているようだ。

 さらに〝俺たち〟と言っていたので、もしかしたら知り合い――仲間である可能性が高かった。

 ただ、生きている人と悪霊が知り合い、もしくは、仲間だと言うことに疑問が沸くが、助けてくれたことや話の内容から、そうとしか考えられない。


(〝かぼちゃ(アイツ)〟もだけど……味方、だよな……?)


 襲われた時に颯爽と現れ、助けてくれた男は「サポートはする」と言った。

 また、〝かぼちゃ〟の真意はよく分からなかったが、悪霊の影響を祓った上に〝守り()〟を掛けて助けてくれたのだ。



 それだけで信用は出来る――彼らしか、頼れる人たちがいないのは事実。



 もし、あのまま、ザズの母親に取り憑いた悪霊に捕まっていたら、一体、どうなっていたのか――。


「わ、分かりました……」


 ぞくりっ、と背筋が震え、ランドルは大きく息を吸ってから男の提案を受け入れた。

 それを聞いて男は、一瞬、目を細めたが、


「………なら、まずは仮面で顔を隠していけ。霊力を持つお前が手を加えたものなら、雑魚を誤魔化すことぐらいは出来る。あとはソレだ――」


 ちょいちょい、と男は左手で下――床を指した。

 そちらに視線を向けると、ランドルが手放したナナカマドの十字架が落ちていた。


「何もないよりはマシだ、持って行け。アイツ(・・・)は左手に〝護り〟を掛けているから、左手がいい」

「は、はい……っ」


 ナナカマドの十字架を拾って、言われた通りに左手で持った。何となく、なるべく距離を稼ごうと十字架の短い方を握る。


「あ、あのっ! さっきの炎はどうやれば……っ?」


 悪霊(仮面)に牽制として役立った〝黄色い炎〟―― 一体、どうやれば出すことが出来るのだろう。

 男はぴくりと眉を動かし、


「気合いで出るはずだ―――多分」

「き、気合い……?」


 仮面を被りながら、冗談ですよね、と視線で問いかけると、ふいっ、と顔を背けられた。

 えっ、と声を上げて、


「でも、さっきは――っ」

「何も訓練していないお前には使えない方法だ」


 難なく扱えていたのにも関わらず、にべもなくそう返されたので、思わず「えぇっ!!」と大きく声を上げてしまった。


「そ、それじゃあ、どうすれば――!?」

「だから、気持ちの問題だよ。出来としたら気持ちと強いイメージからの発動になるだろう。まぁ、アイツ(・・・)は無駄なことはしない奴だ。いざとなれば自動的に発動………するかもしれないな」

「………」


 あまりにも投げやりな答えに、ランドルは呆然と男を見つめた。


「お前の役目は元凶を見つけておびき出すことだ。ソレはあくまでも護身用だからな!」


 男は背を向けて――まるで、ランドルの視線を振り払うように――家から出ていく。


「は、はいっ」


 有無を言わせない言葉に、びくっ、と肩を震わせ、ランドルは頷いた。


「道を開けるから全力で走れ! お前と大元とのパスは出来ている。直感で進んでも自然と引き寄せられるはずだ」

「――はい!」


 男が前方に拳銃を向けると、レーザーのような光線が正面にいる人たちを呑み込んだ。

 銃じゃ、とその光景に驚いて目を丸くしていると「行け!」と男に促され、ランドルは走り出した。

 仮面を付けた人たちが横を通り抜けるランドルの方へ身体を向けるが、それを阻むようにレーザーが発射される。


(―――ザズッ!)


 ランドルは襲って来た悪霊の大元と一緒にいる――取り憑かれているであろうザズのことを思い、走り出した。











「はぁっ………はっ」


 ザズの家を飛び出したものの行く宛てはなく、ランドルはがむしゃらに通りを走っていた。

 仮面をしているので呼吸がままならないため、それほど距離は走っていないにも関わらず、すでに息は荒い。


(何処だ? 一体、何処にいるんだよ……ザズっ)


 男に探せと頼まれた時は「やるしかない」と思ったが、時間が経って気持ちが落ち着いて来るに従って、次第に不安が膨れ上がって来た。


(……本当に、俺に見つけることが―――)


 弱音が漏れそうになるが、燃やし尽くされた仮面が脳裏に浮かび――ソレを振り払うように軽く頭を左右に振った。

 今は、探せる、と言った男の言葉を信じるしかない。


「……っ?」


 ランドルは周囲に忙しなく視線を向け、ザズの姿を探していたが、ふと黒い影が目に付いた。




―――ぞくっ、




と。それを見た瞬間、背筋が震え、ランドルは走る速度を落とした。

 人ごみを避けるために街路樹の下に行き、左手に十字架を持ったまま木の幹に手をつく。

 肩を大きく上下に揺らし、息を吸いやすいように僅かに仮面を上に上げた。

 男に「仮面をして行け」と言われので、完全に外すことは躊躇われた。


(さっきのは―――)


 ランドルは街路樹に身を寄せ、黒い影が見えた方へと視線を向けた。

 黒い影(ソレ)に目を凝らせば、淡いオレンジ色の光に包まれていることに気付く。


(何だ、アレ……?)


 そして、その光は霧のように辺りを覆っている――漂っていることに気付いた。

 公園やザズの家に向かう時にも気づいたものの、それほど気にしなかったが、何故か、今はその光に引き寄せられた。



 それはオレンジ色に淡く輝く、暖かな光――。



 霧と言うほど濃くはなく、どちらかと言えば靄のようなモノ。

 町中を漂ってイルミネーションの光を拡散させているため、まるで、町全体がオレンジ色に輝いているように見えるのだ。


(………いや、コレは靄じゃない?)


 そう思ったその時、夜空から一筋の光が落ちてきて黒い影(ソレ)を射抜いた。


「!」


 黒い影は内側から膨れ上がり――爆発することなく、周囲を取り巻くオレンジ色の光に呑まれて消えた(・・・・・・・)

 まるで、オレンジ色の光が喰らい尽くしたかのように――。


オレンジ色の光(コレ)って………もしかして、〝かぼちゃ〟の……?)


 ランドルは夜空を見上げながら、よろよろと足を進めた。

 まるで、流星のように町に降り注ぐ光は、オレンジ色の煌めきとなって町を包んでいく。

 その幻想的な光景に目を奪われ、


「――――ぁ………」


足元から〝何か〟が這い上がってきて、ぶるり、と身体を震わせた。

 その脳裏に、最初に見た〝悪夢〟の光景が浮かぶ。

 黒い通路に踊る炎の影。追いかけて来る〝何か〟。金属が触れ合う音。

 そして、通路の壁に並ぶのは――。


「………」


 ランドルはどこか茫洋とした目を下ろして顔を前に向けると、〝そこ〟に向かって走り出した。








―――〝悪夢(それ)〟が退魔師(エクソシスト)が稀に持つ能力の一つである〝予知夢〟だとランドルが知ったのは、全てが終わり、その門(・・・)を叩いた後のことだった。



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