薔薇
キレイなキレイな薔薇の花。
貴方は何処へ行くの?
生きて行くの?
私は怖くてなかなか此処から動き出せないようです。
薔薇の花束を持って、まだ見た事のない貴方がドアの向こうに立っています。
だけどね、それは私には相応しくありません。
此処に居る私は、孤独故に醜く朽ち果ててしまった、悲しい姿をしているのです。
貴方は全く知りもしないのでしょう。
いっそドアを開けてみましょうか。
貴方は私を見てどう感じるでしょう。
そう思うと、ドアノブに伸ばしかけた指が震えて、涙さえ込み上げてきました。
貴方に愛されたい。
だけど本当に怖いのです。
怖くて怖くて仕方ないのです。
もう一度雪が積もって、全てを真っ白に戻してくれたらどんなにいいでしょう。
私の孤独や恐怖を。
息苦しさを。
人生とは儚い物です。
人と人との出会いはなんて儚い物なのでしょう。
貴方の抱えているその真っ赤な薔薇の花は、残念ですが捨てて下さい。
本当にごめんなさい。
私がもう少し、美しければ良かったのですが。
貴方の靴音が遠ざかって逝きます。
私はドアに耳を付けたまま、とても切なくなって泣きました。
私は未来を捨てたのです。
穏やかさを選んだのです。
輝かしい行く末を信じる事はとてもじゃないけど出来そうにありません。
どのくらいの時間玄関に立ち尽くして居たでしょうか。
向こう側の大きな窓から白い朝日が差し込んで、冷えた床を濡らしています。
貴方は影も形も無く。
その香りさえ感じられないままに。
私は睫毛を伏せて、泥に塗れた玄関と踵の折れたヒールを見つめました。
もう何処へも行けそうにありません。
貴方との他愛ないお喋りだって。
何気なく共有していた小さな温度だって。
今となってはもう全て私の抱く幻想の中で薄く、薄くなって逝きます。
貴方を失うぐらいなら、きっとこれで良かったのです。
ずっとずっと良いのです。
だって貴方を手に入れたところで何が満たされるでしょう。
きっと私は言い様の無い寂しさに、重い涙を流すだけですから。
貴方は何処へ行くの?
生きて行くの?
春が来たところで、桜が咲いたところで、貴方の抱いた薔薇の花には到底かなわないでしょう。
どんな素敵な人間に出会っても、貴方には到底かなわないでしょう。
まだ見ぬ春を想ってみても、そこに貴方の不在を知って、少しだけ悔いる私も居ます。
強く生きていく事など、私には一生出来そうにありません。
私は半ば諦めて、大きな窓に向かって歩いて行きました。
足取りは重いのですが、やはりどうしたって外の世界への憧れを捨てる事は出来ないのでしょう。
ゆっくりゆっくり。
足の裏に伝わる氷のような床が全身の血液を冷やしてゆきます。
何故にこんなにも、貴方の不在を悔やんでいるのでしょう。
居て欲しかった。
居て欲しかった。
やはり断ち切れないようなのです。
あまりに素敵な貴方に憧れてどうしようもないのです。
辿り着き触れた硝子は、思いの他温かく。
私は本当に久し振りに安堵しました。
何よりそこに広がる真っ青な空があまりに美しく、胸が焦がされたのです。
こんなにも空気は澄んで居たのですか。
ちゃんと息をしている。
ちゃんと空気を感じている。
また涙が溢れてきました。
雪など降らなくとも、ちゃんと満たされた自分を知りました。
真っ白い雪でなくとも、全てを隠す事が出来なくとも、向こう側にはこんなにも自由が広がっているのです。
貴方とのこれまでを想いました。
それは夜空に広がる星達が、必死に最後の輝きを放っているのに似ている気がします。
その光が消えぬよう、貴方はきっと此処まで来てくれたのですね。
暗闇はどうしたって怖いけれど、私は私の自由に縋ってみてもいいのでしょうか?
眼下に広がるコンクリートに、真っ赤な薔薇の花びらが道を作っています。
貴方の歩いた道なのでしょうか。
私は今からでもそこを、裸足で追いかけていいですか?
貴方は何処へ行くの?
今からそこへ行きます。