ご主人様とお人形
この短編は作者のHP『飛空図書館』で掲載されている作品と同一のものです。
「あら、大変!」
彼女が時計に目をやると、帰宅予定時間がすぐそこまで迫っていた。
今日は日用品の買出しを申し付かっていたのだが、久々の外出が嬉しくてついつい時間を費やしすぎてしまったようだ。
「あんまり遅くなるとご主人様に怒られてしまうかも知れません」
彼女は慌てて帰路をたどる。
予定はきっちり完璧にこなさなくてはいけない。
それが自分に求められていること、存在意義だ。
彼女は呟く。
「だってわたくしは優秀なメイドロボットですから――、」
21××年。ロボット産業は大幅に発展して、人々の生活にロボットは欠かせないものとなっていた。
信頼できる仕事のパートナーとして、家の細々とした雑務を片付けてくれる家政婦として、あるいは趣味や娯楽の対象として。ロボットは様々な分野で活躍を果たしていた。
始めはそれこそぎこちなく動き、決まったパターンの言葉を耳障りな合成音で喋るだけのロボットが主流だった。しかし人はもっとも身近な道具が、味気のない機械のままであることを長く許しはしなかった。
すぐに人間そっくりな外見と、人間以上に細やかな感情、もちろん自立思考さえ可能な、人類が夢にまで見た完璧なヒューマノイドが誕生したのである。
人類の友と称賛され、また見かけは人とまったく区別がつかずとも、同時にロボットは人間に忠実な下僕でもある。
複雑で精巧な電子頭脳の中に個性豊かな思考回路と独自のアイデンティティを形成しつつも、その存在理由と幸せは常に人と共にあった。
すなわち「すべてはご主人様のために」である。
「遅くなって申し訳ございません、ご主人様」
華やかなメイド服の裾をひらめかせ、彼女は高級アパートの一室に帰ってきた。
実際には帰宅予定時刻より二十五秒ばかし余裕がある。だがとりあえずこうして謝っておくのが人間社会での礼儀である。
もっとも本当に遅れて帰ってきても、彼女の主はけして怒ったりはしないだろう。
身体が労働に向かないため外出することも滅多にないが、いたって温厚で物静かで、メイドである自分に対してもとても優しく接してくれる。ロボットにはあまり意味の無いことだが、顔立ちだって優れている。
どこへ出しても恥ずかしくない完璧な主人だ。彼女はそれを秘かに誇りに思っていた。
「わたくしが不在の間、何か変わったことなどはございませんでしたか?」
買い物袋の中身を整理しながら彼女は尋ねる。主はリビングの揺り椅子に座り、窓の外を眺めながらのんびりと答えた。
「いいえ、特になかったですよ。ああ、二時過ぎ頃にセールスマンがひとり勧誘に来ましたけれど、三日前に来たのと同じ人でしたね。あまり重要な用事というわけでもなさそうでしたよ」
「まぁ、しつこい方ですわね。ご主人様は水でも掛けて追い返してしまえばよかったのですよ」
「まさか、そんな訳にはいきませんよ」
どこかおっとりしていて世間離れした雰囲気を持つ主は、くすくすとおかしそうに笑う。
ウィットに富んだジョークを操る事もできる彼女は、そんな主人の様子に嬉しそうに目を細めた。
「それよりも、君の方こそ何かあったのですか。珍しく帰宅時間がぎりぎりでしたね」
「ええ、買出しに少し張り切りすぎてしまいましたの。本当に申し訳ございませんわ」
頭を下げてしおらしく謝る。しかし主人は彼女に優しく微笑み、逆にねぎらいの言葉をかけた。
「謝る必要はどこにもないですよ。むしろどうせなんだから、もっとゆっくりして来ればよかったのに」
「とんでもございませんわ。わたくしがいなければ、その間はずっとご主人様に不自由な思いをさせてしまうじゃないですか。ご主人様の幸せはわたくしの幸せ。他に望むことなど何一つありませんわ」
「嬉しいな。君は頼りになるメイドさんだね」
「恐れ入りますわ」
心のこもった言葉に、彼女はさっと頬を赤くして俯いた。最近のロボットは言葉も感情も本当に人にそっくりなのだ。
しかし彼女は一礼すると、さっそくきびきびと夕食の仕度に取り掛かる。そんな風に評価してもらえたのだから、期待に応えないわけにはいくまい。
「本日のディナーはミルクシチューにミートパイ。アプリコットのシャーベットもありますのよ」
そうして野菜を切り分けていた彼女だが、背後から聞こえたがたんという大きな物音に振り返る。慌ててリビングに向かうと、彼女の主は壊れた人形のように床に倒れていた。
彼女は青ざめた顔で、大きな悲鳴を上げた。
「大丈夫ですよ、何の心配もありませんって」
穏やかに優しげな声がかけられる。
しかしそんな言葉も耳に入らぬ様子で、彼女は不安げな顔付きでソファーに座っていた。
視線はひたすらに寝室のドアに向けられている。そこで彼女の主は検査を受けているのである。
あの後すぐに彼女は緊急ダイヤルに連絡をした。主を寝室のベッドに寝かせ、待つこと十数分。ロボット購入時の取り決めに従って、すぐに彼ら担当職員が駆けつけてきた。
「うちの先生はすごく優秀な方ですからね。きっとすぐになおしてくれますよ。安心してください」
隣にはその助手が残り、彼女を落ち着かせようと懸命に話しかけてくる。
「僕が助手になってからだいぶ経ちますけど、あの人は本当に立派な――、」
「終わりましたよ」
ぎぎぃっと寝室の扉が開き、初老の男性がゆっくりと出てきた。
「どうなんですか、先生っ」
彼女は急いで男性に駆け寄る。
「とりあえず、処置は済ませました」
彼はふうとため息をつく。
「神経回路に負荷が生じていたようですね。しばらく無理はさせないでください」
「分かりましたわ」
「それからあなたには辛い話かもしれませんが、記憶領域に代わる役目を果たしていたメモリーチップにも負荷の影響が及んでいます。今回の衝撃でこれまでのデータが失われてしまった可能性があります」
その言葉に彼女は息を呑む。彼女は長らく蒼白な顔にショックを隠しきれないという表情を浮かべていたが、それでもやがてゆっくりとうなずいた。
「そうですか。悲しいですけれど、仕方がありませんわね。忘れてしまったものは、もう一度覚えなおせばいいだけですもの」
「どうもありがとうございました」と、彼女は二人に礼を述べ今回の代金を払うと、急いで寝室へ向かった。
「管理者登録をお願いします。マスター」
寝室からはそんな言葉が聞こえてきた。
「いやあ、きれいな人でしたね。先生」
「ああ、そうだね……」
帰り道、すでに暗くなった街角を歩きつつ助手は男性に話しかける。
「最近は人間とロボットは本当に見分けがつかなくなりましたからね。僕はどちらがヒューマノイドなのだかすぐには判別できなかったですよ」
助手は笑って肩をすくめる。しかし男性はうかない顔のままだった。
「どうしたんですか、先生。もしかするとご気分でも悪いんですか?」
助手は心配そうに男性を覗き込むが、彼は小さく首を振った。
「いいや、大丈夫だよ。私は長年技術者をやってきたが、こんな時代が来るとは想像もできなかったと思ってね」
本当にやりきれん世の中になったものだよ、と彼はため息をつく。
「まさかメイドロボットならぬ、主人ロボットが求められるような時代が来るとはね」
人間にそっくりなヒューマノイドが作られ始めた当初、人々は自分の意のままに動かせることができる召使ロボットの類いを競うようにして求めていた。
しかし時が経つにつれ、人々の中には命令するよりも命令をされていたい。誰よりも立派な主人を持って、その言うことに従っている方が心地よいと感じる人間が増えていった。
そしてその需要に応えるべく、人にとって理想的な主人を演じる主人ロボットが爆発的に売れ始めたのだ。
最近に至っては今回の依頼人のように、自らをロボットに見立て機械の振りをする人間さえ現れ始めている。
「倒錯的な時代だよ。本当に訳がわからん」
彼は深々とため息をつき、自らの助手に力なく微笑みかける。
「私にはお前のような助手ロボットがいれば充分なんだがね」
「恐れ入りますよ、先生」
人間そっくりの助手ロボットは屈託のない笑顔で自らの主人にこたえた。
ロボットの存在理由はすべて人間に依存する。
しかし人間の存在意義とはいかなるものか。
どれほど科学が発展を遂げても、人々はすぐにそれを見失い迷走する。
21××年。
世は「ロボット狂時代」の幕開けであった。
【終】