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5.起きる

難産です。

 鳩子は目が覚めて辺りを見渡した。子供の体調を見張っている間に寝てしまったらしい。屋根に打ち付ける雨音は小さく、どうやら雨はもう小降りになっている。これなら外へ出れるか、と鳩子はカーテンの隙間から垣間見える外を眺めた。

 鳩子の心中では、先日仕掛けておいた罠が、一番の気がかりだった。流されてはいないか、早めに確かめようと思いつつ、雨が降った後の川ではまだ危険だと、行けずにいた。連日の雨で川はまだ危うく近づくことはできないが、辺りで食糧を散策することはできる。

 鍋の中の食糧は未だ足りているが、やはり早めに食べれる食糧を把握しておかなければ不安だ。子供はもう体調は落ち着いているようだし、少し離れるくらいなら大丈夫だ。

 医者でもなんでもないので確証もないが、昨夜よりも子供の呼吸は安定していたのを見て、鳩子はそう判断した。


(一応、ベッドの湯たんぽを代えておくか)


 まだ体を冷やすのはまずい。ベッドへと鳩子が向かい、掛け布団の中に腕を突っ込んでも、子供は起きなかった。よほど体が疲弊しているのだ。昨夜と同じ体制でベッドに収まっている子供に、鳩子は眉を上げた。

 もしや寝返りも打っていないのか。そう思った瞬間に死んでいるかもしれないと鳩子は焦り、子供を凝視したが、息はしている。鳩子は小さく安心しながら、ふと思い当たり、子供の体を動かした。

 床ずれをしたらまずい。昔に、鳩子の母が父の介護をしている際に、気をつけていたことに思い当たり、子供の体制を変えて鳩子は掛け布団をかけ直した。この動作で、大分動かしたというのにピクリとも反応しない子供に、半ば鳩子は感心した。

 お湯を沸かしながら、すっかり冷めてしまっている湯たんぽのお湯を抜き出す。お湯が沸くまでの間、と林檎を取り出してきて、鳩子は包丁を手に取った。見栄えも味も食感も、林檎は皮付きのほうがいい。


(雨はまだ降り続くのか)


 切り分けたそれに齧り付けば、シャクリと軽やかな音がする。林檎の甘い果汁が舌に広がり体中に染み渡った。鳩子はそこで初めて自分が疲労していたことを知った。昨夜はずっと気の張っていて気付かなかったが、体中が重いのだ。

 小さくため息をつきながら、椅子から腰を上げる。籠のなかの林檎は入れ替わり、子供が家にいたときの林檎は、すっかり食べ終えた。どんな大雨でも欠かさなかった林檎の収穫により、籠には変わらず三つの林檎が収まっているが、いま食べた分を引けば二つになる。


(雨足が弱いうちに、林檎を収穫しておこう)


 残った林檎を保存して、鳩子は家の扉を開けて外に出る。思った通りに空には未だ分厚い雲が存在しているが、雨は弱かった。これではまだ降り続けるな、と心中で息を吐いて諦める。

 恐らく子供はしばらく起きない。鳩子は部屋を見つめて、扉を閉めた。林檎の実はまだ随分残っている。季節外れの林檎だが、不思議なことによく熟れている。一番熟れている実を見繕って、枝から切り落とした。

 机の上に、空いた隙間を埋めるように、林檎を置いて鳩子は布を被せた。白い布が被った林檎に眉根を寄せてため息をつく。しばらく起きないとは思うが、いつ起きるかもわからない。こうすることも仕方がないと、納得はすれど、やはり釈然としないものだ。

 雨が酷くなる前に出ようと、鳩子はそれに踵を返して小屋へ向かう。遠出をするわけでもない。縄は必要ない。第一そのような準備をしてる間に、酷くなられては堪らない。

 追い立てられるように、鳩子は家から外の森へと準備もままならぬままに、出ていった。


 ***


 周辺の木や草を捜索しながら、鳩子は眉間に皺を寄せた。何が食べれるものか、食べれないものか、全く判断がつかない。手頃な実や草を摘み取って、採取はしてみたものの、まだ青臭いものばかりで、食べれる気がしない。

 そうこうしてる間に雨足が強くなってきたのを感じて、鳩子は足早に家へと向かった。林檎の実は赤くて目立つ。家の外装は至って地味なものだが、赤い実はこの森の中では、格好の目印だ。

 家につき、多少濡れてしまった髪や服の水気を振り落として、鳩子は採取した実や草を机に置いた。棚からタオルを取り出して髪に被せる。濡れたままでは風邪を引く。若いときではない。こんな無茶が今の鳩子では、容易く体を蝕んでいく。


(そろそろ、子供の体を入れ替えたほうがいい頃合いか)


 家から出て一時間ほどか。時計のない家では、いまが何時かはわからない。こまめに寝返りをうたせたほうがいいというのは、確かなのだが、鳩子にそんな細かいことが分かるはずない。気がつく限りするつもりではいるが、床ずれは防げないかもしれない。

 一番いいのは、自分で寝返りをうってくれることなのだが、それはまだ無理だ。ここまで疲労している。だが一度は起こさなければならない。栄養を取らなければ、ゆるやかに死んでいくだけだ。

 だが、こうも熟睡していると起こすのは忍びない。点滴なんてものが、一般家庭にあるはずもないため栄養を取らせるためには、嫌でも起こさなければならないのだが、気が重い。

 鳩子は重い息をかみ殺しながら、子供の体の向きを変えた。人の世話をしたのは何年ぶりか。何かむず痒いものを感じて、鳩子は顔をしかめた。


(いつまともに起きるのか)


 はやく目覚めてもらいたいものだ。そう思いながら、鳩子は台所へと移動した。子供に飯を食べさせなければならない。その為に、まず鍋を温めなければならない。ついでに湯たんぽのお湯を変えようと、ベッドから取り出して、鳩子はお湯を沸かした。

 まだ顔色は青いが息は落ち着いている。少しは良くなっているのか。そう考えると、少しは安心できるようで、鳩子はいくらか落ち着いた心持ちで、濡れた服を乾かすように、火のついた台所で濡れた体を温めるように、暫く立ち止まった。

 お湯が沸騰したと同時に火を止めて、鳩子は湯たんぽにお湯を入れて、ベッドの中に入れた。鍋から具材を取り出して、皿へと盛りつける。ベッドの頭の棚に皿をおいて、子供の肩を揺らす。


「起きれるか。飯だ」


 微かに顔を歪ませた子供の背に腕を敷いて、ゆっくりと上体を起こす。まだ眠くて意識が朦朧としつつも、息を吹きかけて冷ました食事を、目の前で匙を乗せて差し出せば、ゆるゆると口を開いて、食べ始めた。

 食べ物を飲み込むのを見届けて、小さく安堵する。飲み込めなければ、どうしていいかわからなかった。これなら、なんとか看病を続けられる。鳩子は安心しながら、また部屋のなかで、雨が降り続ける外を眺めた。


 ***


 子供の世話をし続けてから、二日経つ。子供を起こすのも食事を与えるのも、鳩子はもう慣れていた。まだ声は出せず、起き上がることも出来ないが、目を覚ますことは自分の意志で出来るようになったらしい。

 床ずれにならないように体を向き直すのは、昨日のうちに自分で寝返りをしているのを見て、今日はやっていない。

 鳩子はいつも通りに林檎を食べて、家の脇から林檎を収穫してきた。子供はまだ眠っている。目を覚ます感覚は縮まってはきたが、やはりまだ起きれないようだ。林檎を籠に入れて布を被せて鳩子は外へ向かう。

 あれだけ厚かった雲は、所々から空が霞み見えるほどになった。およそ一週間近く降り続ければ当然だが、晴れ間が増えてきていて、森の捜索も自由が利くようになった。

 ここ何日かで慣れてきたのか、森の道もよくわかるようになり、家へも迷い無く帰ることができる。だが、依然として食べられるものが見当たらないために、鳩子は辟易していた。


(このままでは飢え死にする)


 雨に濡れながら、手当たり次第に草や実を見るが、やはり知っているものは見当たらない。試しに食べて毒であったら、たまったものじゃない。そうは思いながらも収穫しては家に持ち帰るために、家には訳の分からない草や実が貯まってしまっている。

 さすが諦めようか。飢え死にするならするで、さすがに勇気はいるが最後の足掻きに、これらを食べてみてもいいかもしれない。栄養が足りなくなるが、林檎でも空腹はしのげる。

 子供がいつ起き上がれるかわからないために、そんな無謀な行動は当分できそうにはないが、自分でなんとかなる程度まで回復したなら、そういうこともできる。

 鳩子は草を捜索していた腕を止めて、籠に貯まった草や実を見下ろした。今日はもうやめておこうか。そう思いながら鳩子は籠を掴んで、家への方向へと歩いた。


(また降り始めたな)


 家まで近くなったというのに、強さが増した雨が体に打ち付ける。鳩子は早足で家へと向かった。林檎の赤みが視界に入り、鳩子は足を速めた。

 髪が水滴を落とすのを、首を振って水気を飛ばす。家に入ろうと扉を開けて、鳩子は籠を机に置いた。


「……よう」


 掠れた声が鳩子の耳に届いた。見れば起き上がれないながらも、目はすっかり覚めている子供が、こちらを向いていた。口がきけるまでにはなったらしい。鳩子は驚きに目を開いたが、直ぐに落ち着いた。

 籠を置いた机から手を下ろして、顔を伏せる。


「……ああ」


 安心に小さく吐息を漏らしながら、鳩子は目を伏せた。謝れる。これでようやく謝れる。

 鳩子は顔を上げて子供を見つけた。寝たきりのせいか、食事が足りないせいか、その顔に活気はない。だがどうやらもう、容態の悪化はなさそうだ。

 外から打ち付ける雨が、まるで祝福しているように思えた。


起きました。

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