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4.駆ける

進展、です。

 鳩子はここ暫く、まともに家を出れなかった。外で雨が激しく降りしきっているからだ。後悔から鬱屈した精神を、外に出ることで紛らわせようとしていた鳩子は、唯一の逃げ場を無惨に断たれた気分だった。

 子供が家を出て行ってから、まもなくのことだ。雨雲がみるみる空を覆っていくのを、鳩子は呆然と見つめた。それから三日経ったいまも雨はまだ降り続けている。

 あれから止んでは降り、振っては止みの雨で、晴れの一日を迎えたことがない。カーテンをかきあげ窓から外を見れば、庭の水たまりが、池にまでなりかけていた。

 止んでは外に出ているが、数時間すれば雨が降るため、遠出ができない。家のなかでやることは限られている。本来外へ出て食糧を探していたはずの時間が、ぽっかりと空いていた。


(雨が日ごとに酷くなっていく)


 鳩子の心に重く冷たいものがのしかかっていた。

 今頃、あの子供は雨に濡れているのではないか。追い出した子供の姿が、いつまでも脳裏にしがみついて離れない。気付けば家にいる間中、ずっとあの子供のことを考えている。

 森に迷っていたなら、いまだここから出れていないのではないか。雨に濡れて、体を冷やしてはいないか。何故追い出してしまったのか。毒を持つ食材を聞いていれば、それだけ引き止められ、あの子供が雨に濡れることもなかったのではないか。

 ひっきりなしにあの子供の話題が脳裏を埋め尽くしてく。家は代わり映えがなく、より固まった考えがいつまでも渦巻く。


(倒れているのではないか)


 ふとよぎった考えに、鳩子は呆然とした。三日。もしこの森から出られずにいるのなら、倒れていてもおかしくない。外では変わらず雨が降り続いている。それどころか止む気配も見せない。

 鳩子は窓と椅子とを行ったり来たりしていた体を、家の扉へと一直線に向かわせた。

 そして勢いのままに扉を開けた瞬間だった。目の前が光った。空を見上げれば、雲はとぐろをまいて、空からゴロゴロといううなりが聞こえていた。


(ああ、まずい。これで外へ出ては死ぬ)


 では外に出ているあの子供は?

 鳩子はその疑問を必死に打ち消した。この森にいるとは、限らない。もうここから脱出し、家に帰っているのかもしれない。そう否定をしてみても、鳩子の心は納得しない。確証がない、と責め立てる。


(あの子供、死んでいるのかもしれない)


 頭から血の気が引いていくのを、鳩子は過敏に察知した。扉から勢いよく体を投げ出す。

 雷がいまだに活発なのを感じながらも、鳩子は駆け出した。夏とはいえ、日が暮れる間際の雨は冷たい。顔中が濡れるのを、邪魔に思いながら、鳩子は意に従うままに森を進んだ。


「聞こえるか!返事をしろ!」


 いまだかつてないほど、声を張り上げてあの子供の姿を捜すが、耳にはザーザー、と降り続く雨音しか入ってこない。土砂降りだ。もはや視界さえはっきりしない。

 そのなかで、あの子供を見つけたのは、奇跡だったのかもしれない。視界の端になにかが引っかかった気がして、一度通り過ぎた道を戻って、辺りをかき分けて捜索した。鳩子が通ってきた道を横道から逸れた茂みをかき分けて、人間の腕を見つけたときは、心底安心した。


「意識はあるか!大丈夫か!」


 だが、そんなのは一瞬の安堵だ。生きているか、死んでいるのか。それすら雨ではっきりしない。

 子供をかきあげて、肩に担ぐ。いま思えば、あれは火事場の馬鹿力という奴だった。鳩子の体躯を悠々と越す大の大人一人を担ぎ上げて、鳩子は雨で視界が悪い中、決して近場ではない家まで走ったのだ。


 ***


 子供は生きていた。だが目を覚まさない。この雨で随分と衰弱しているようだった。恐らく食事もしていない。腕は先日見たときよりもやせ細っていた。

 火にかけたやかんの口から、沸騰したお湯が、シュウ、シュウ、と音を立てながら蒸気になり、部屋へ溶けていく。

 先ほど子供を寝かせたベッドから取り出した湯たんぽが、机においてある。中のぬるま湯はあらかじめ抜いておいた。鳩子は火を止めてお湯を湯たんぽの中へと注ぎ込む。湯たんぽのタオルがはだけてしまわないように、鳩子はしっかりと包み込み、ベッドへ差し込んだ。

 鳩子は医者ではない。冷やした体を温めるということしか、子供にしてやることが出来なかった。


(飯はどうしようか)


 体調の変化を見逃さないように、ベッドの脇に添えてある椅子に、鳩子は腰掛けながら考えた。意識のない子供に飯を食べさせることなど、鳩子には出来やしない。

 小屋の食糧は雨が降った時点で、全て鍋に突っ込み、煮込んでしまった。湿気が怖かったのだ。カビが生えないように、常に火を通している。もう随分と柔らかくなった頃だと思う。

 病人でも食べれるほどだと思うが、いかんせん、子供には意識がない。だが、ここまでやせているのなら、食事はしたほうがいいとも思う。栄養は取っておいたほうがいいと思いつつも、結局は意識が戻るのを待つしか無い。

 だが、このまま意識を戻らずに、死んでしまったら……。鳩子はふと沸き上がってきた恐怖に、指を震わせた。


(あのとき、追い出さなければ、こんなことにはならなかったのか)


 後悔が重くのしかかる。頭を抱えて、鳩子は口端を引き締めた。祈るように瞼をきつく閉じる。否、鳩子は祈っていた。


(謝ろう、今度こそ。心から、反省している)


 きっと謝れる。鳩子は子供の目が覚めることを、心から望んだ。

 外では雨が降っている。あれから雷雨は激しくなっていた。家をガタガタと揺らすほどに強い風も吹き付けていた。外から地を震わせるほどの轟音が響いてくる。度々家に差し込む稲光が、部屋を照らしていた。

 机の上には林檎が三つ、変わらずに置かれている。それはまさしく鳩子の家の象徴だったが、鳩子は立ち上がってその上に布を被せた。これを捨てることは出来ない。けれど隠すまでなら、譲歩することができる。

 誠意は伝わるのか。鳩子の好きな果物。否定されるのは、身が裂かれるほどに辛かった。


「……ぅ、ぁ」


 机の林檎を布の上からなぞっているときに、そのうめき声は聞こえた。耳に入ったその声に、鳩子はベッドのほうを見た。


「起きたのか」


 起きれたのか。鳩子は安堵に息をしながら、ベッドの方へと足を進めた。焦点の合っていない子供の目が、鳩子の輪郭を捉えたのか、言葉を発しようと唇が動いたのを、鳩子は静かに見つめた。

 ベッドの頭にある棚の上のコップを手に取る。水だけは与えたほうがいいと、常に置いておいた。


「水だ、呑め」


 水を差し出してから、子供がベッドに横たわり、水が呑めないことに気付き、腕を引っ張りベッドから上体を起こさせた。そのまま口元にコップを持っていけば、抵抗もせずに飲み下した。それを見届けて、鳩子は子供をベッドへと戻した。

 煮詰めている鍋はいつでも食べられる。台所へ移動して鳩子は鍋から器に盛り分けた。湯気が立ち上がるそれに、食器を添えて、ベッドの脇に起き、子供の上体を起こした。


「食べれるか」


 目の前に食器を持っていき問いかければ、頷くでも首を振るでもなく、言葉を発しようと唇を震わせた子供は、何も発することが出来ず、沈黙した。鳩子は一つ瞬きした。


「すまない。……言い過ぎた。毒など入れていない。食べろ」


 先ほどよりもはっきりと光を宿した子供の目は、それでも熱に浮かされていたが、鳩子の言葉に差し出した飯を、抵抗せず口にした。子供は器が空になるまで、食べ続けた。

 倒れていた子供に、体力など残っているはずもない。飯を腹に入れ終わった後に、ベッドへ入れば、そのまま意識を沈ませた。いびきも寝返りも打たずに、ただ泥のように眠った姿を、鳩子は暫く眺めた。


(あの様子では、謝罪など欠片も頭に入っていないのではないか)


 鳩子はなけなしの勇気をかき集めて謝罪した行為を反省した。熱に浮かされている子供の前で言う言葉ではなかった。ただ、体力も思考も極限まで削り取られているような状態で、その目だけは理性を失っていないようで、鳩子はつい謝罪をしてしまったのだ。

 子供が食べ終わった食器を片付けながら、鳩子は机の上にある筈の林檎を盗み見た。布が被せてあって見えないその姿を、容易に思い浮かべて、鳩子は深い息を吐いた。


「謝り直さなければな」


 今度は子供の意識がはっきりしたときに、謝ろう。そう心を改めて、鳩子は鍋から自分の食事を取り出した。子供の世話をしている間、うっかり自分の飯を食べ損ねた。

 子供の目が覚めて、食事を終えた途端に、鳩子に空腹が襲ってきたのだ。机の上に食器を並べながら、鳩子はベッドを占領している子供を見る。

 無事に起きてよかった。このまま何事もなく回復に向かうのだ。鳩子と違って、若い子供は体調の回復が早い。

 ふと外を見た。雨は変わらず激しく壁を打ち付けたが、雷雲は通り過ぎたようで、稲光も地を震わせるような轟音も、鳩子の家にはもう届かなかった。


進展、です。

鳩子おばあさん、謝りました。

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