第八話 魔王VS退魔師 その2
空はとっくに茜色に染まっており、どこからか5時を告げる鐘の音が聞こえてきた。遠くから野球部の掛け声が聞こえてくる。
転校生は左手に分厚い本と右手に細長い棒状の物を持っている。良く見ると木で出来た身丈ほどの長さの杖だ。
「さすが悪魔です。約束も守らないなんて」
「約束した覚えはないのだが」
転校生はキッと鋭い目で魔王を睨んだ。
「黙りなさい!インキュバス!」
インキュバス?俺はどこかで聞いた事のある言葉に頭を捻った。
「どうせ学校中の女子生徒を虜にしようと企んでいるんでしょうけど、そうはさせません。私が退治いたします!」
転校生は杖の柄頭を魔王に向けた。左手の分厚い本が淡く光り出し、それに呼応するように杖も光り出した。
「・・・やめておけ。お前では余に敵わない」
「軽口を叩けるのも今の内です!」
転校生は何かの呪文を唱えだした。呪文かどうかは分からないが、本を見ながら長ったらしい文を読み上げていく。
「炎の壁」
転校生が最後にそう言うと杖の先から赤い光の球体が現れた瞬間、魔王を囲むように周りに炎の壁が出来た。炎の壁は魔王に迫り始める。しかし魔王はそれを手で振り払う動作をし、炎の壁は一瞬で消えてしまった。
「なっ!」
「校舎に燃え移ったらどうするつもりだ」
「っ悪魔のくせにっ!」
転校生が今度は水の壁を出現させた。しかしそれも一瞬で魔王に消されてしまった。転校生はそれを呆然と見つめた。
「大した力もないのに挑んでくるのは愚か者のする事だ」
魔王が右手を掲げると黒い球体が現れた。球体は徐々に大きさを増し、等身大の大きさになった。
「安心しろ。一瞬だ」
そう言って魔王がその球体を転校生に放とうとした瞬間、考えるよりも体が動いた。二人の間に飛び出してきた俺に気付いた魔王が目を見開き、転校生が驚きの声を上げる。
全てがスローモーションのように感じ、そして自分の体が重く感じた。魔王の手から黒い球体が俺に向かって放たれ、魔王が青い顔をしながら球体を追いかけるように足を踏み出す。
ぶつかる、と思った瞬間。俺の両脇から生えるように二つの腕が出てきて、俺の前に透明な膜を作った。そしてその膜に黒い球体がぶつかり、その後激しい爆音と爆風に俺は吹き飛ばされた。
その勢いで何度か地面に激しくぶつかり、余りの激痛にどこか骨折しているんじゃないかという不安に襲われた。痛みに悲鳴を上げる体に鞭を打ち、無理やり体を起こし辺りを見回す。土煙のせいで視界がまったく利かず、周りの状況が全く掴めない。俺は二人が無事かどうか名前を呼んでみた。
「ルシフェル!転校生!」
すると土煙の向こうからルシフェルの声が聞こえた。どうやら無事のようだ。
安堵した後、転校生から返事が無い事に気付いた。きっと俺の両脇から出てきたあの腕は転校生だ。転校生が多分バリアのようなもので俺を守ってくれたんだと思う。
俺は転校生の名前を呼んだ。いや、呼ぼうとしたが転校生の名前を度忘れした。やば、今ので頭打ったか?!え、え~っと、確か・・・い、一条、あ、そうだ!一条だ!
「一条さん!?大丈夫ですか!?」
俺が叫ぶと俺の後ろの方から声が聞こえた。後ろを振り向くと、少し離れた所に土煙でよく見えないが手が見える。俺は力を振り絞り何とか立ち上がり、その手の主の所に急いだ。
「一条さん!しっかり!」
そこには一条さんが頭から血を流して倒れていた。気を失っているらしく、目蓋もしっかり閉じられて目を明けそうもない。
「セイギ・・・っ!」
気がつくと背後に魔王がいた。魔王は顔から血の気が失せ、今にも泣きそうな顔をしている。魔王を見た瞬間、腹の底から怒りが込み上げてきた。怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、駄目だと気持ちを鎮める。
今は一条さんを助けなくては。
「・・・お前回復魔法とか使えんだろ。転校生が怪我したみたいなんだ」
「わ、分かった」
魔王は俺の言う事を大人しく聞き、一条さんに手をかざした。魔王の手と一条さんの体が淡く光り、頭の傷も消えていった。俺は安堵の溜め息を吐き、気持ちを落ち着かせた。
「セイギ怪我は?」
「折れてはいないみたいだ。打撲とかはしてんだろうけど」
魔王は何も告げず、俺にも回復魔法をさせた。あ、魔術だったか。
すると土煙の向こうから、きっと爆発に気付いたんであろう人達の声が聞こえてきた。
「ここにいるとマズイな。お前どうせ転送魔法使えんだろ。一先ず家に帰るぞ」
俺は一条さんを背負い、魔王と向き合った。魔王が指で弧を描いた瞬間、景色が一瞬で変わり、いつの間にか家の前にいた。俺は何も言わずに玄関を開け、リビングのソファーに一条さんを寝かせた。鍵が掛かっていたから母さんは出かけているようだ。
リビングの隣にある和室に魔王を呼び、テーブルを挟んだ正面に座るように促すと魔王は大人しく正座した。
「・・・お前自分がした事分かってんの?」
「あれは仕方がない。彼女は退魔師だ。殺らなければ殺られる」
「・・・殺らなければ殺られる?だからって殺し返す必要はないだろ」
「だがそれが普通だ」
「は?普通?馬鹿言ってんじゃねーよ。そんなのが普通であって堪るか。そんなのが普通だったらこの世は終わりだ」
「悪魔と退魔師との間では普通なのだ。狩られる側と狩る側。狩る側と狩られる側。要は命の奪い合いだ」
「じゃあ、俺がお前を殺そうとしたら俺を殺すのか?」
俺の問いかけに魔王はキッと睨んできた。
「それは!・・・出来ない。セイギは余の友達だから」
「・・・俺だって出来ない。もしお前に殺されそうになったらお前を止める。例え傷つき傷つけられても」
俺は真っすぐ魔王を見た。魔王も俺をジッと見ている。
「お前は覆したいんだろうが・・・魔王が悪だと言う事を」
その為にここにいるんだろ。俺がそう言うと魔王は頷いた。
「そうであったな。余とした事が・・・今まで殺らなければ殺られると言う事しか知らなかったから・・・。そうか、殺さなくていいのか・・・」
魔王が苦しそうに笑いながら言った「殺さなくていい」という言葉が重く圧し掛かった。こいつは魔王で魔界の頂点にいるからあまり身の危険とか関係ないんじゃ?
「お前魔王なのに何で殺すとか殺さないとか」
「魔王だからだ。魔王になる為には余計な物、邪魔な物は全て切り捨てなければならない。心も感情も肉親や兄弟まで。魔王は完全な存在で絶対でなければならないのだ」
俺は言葉を失った。
魔王は誰よりも強く気高く、誰よりも孤高でなくてはならない。弱みや弱点があってはならない。それが理由でいつ殺されるか分からないから。もし殺されそうになったら殺し返す。それが普通。それが魔界の掟。
魔王はそう語った。
こいつは知らなかった。無知は罪という。じゃあ、
「今から知ればいい。弱み弱点があってもいいって。逆にそれが強みになる場合もある」
「強みに?」
「ああ。きっといつか分かる日が来る筈だ」
俺がニコリと笑うと魔王もつられて笑った。こいつは知らないんだ。だったら教えてやればいい。簡単な事だ。
すると、めでたしめでたしと締め括りたいような和やかな雰囲気を壊すように第三者の声が聞こえた。
「魔王・・・どうりで魔力が桁外れだと思いました」
気付くと一条さんがそこにいた。一条さんも正座し、自己紹介をしてきた。
「改めまして、一条環です。退魔師をしております」
「あ、呉羽正義です。そんでもってこいつは魔王でルシフェル。学校では俺の従兄弟として通しているけど」
ルシフェルは一条さんを見据えた。一条さんもルシフェルを睨みつける。
「まさか悪魔に回復されるなんて夢にも思いませんでした」
「それは嫌味か小娘」
魔王がそう訊くと一条さんはフンと鼻先であしらいこちらを向いてきた。
「呉羽さんは何故魔王と一緒にいるんですか?」
い、痛い所を突かれた。彼女は退魔師だから嘘をつくわけにはいかないし。正直に答えた方がいいだろう。
「えーと、俺が召喚しちゃったんだ」
「は?」
一条さんが口をぽかんと開け唖然としている。そして姿に魔王は呑気に吹きだしていた。お嬢様が呆気にとられている姿が面白かったのだろう。
「魔王を召喚?貴方が・・・?」
「は、はい」
居た堪れない雰囲気に冷や汗が出てきた。一条さんはコホンと咳払いをし、「そうですか」と言った。
「普通、魔王位の存在を召喚するのには、対等の力を持つ者にしか召喚出来ないと聞いていたのですが・・・。ま、まあいいでしょう。話を変えます」
一条さんは真剣な表情で俺に訊いてきた。
「単刀直入に言います。何故ここに魔王がいるのですか?」
「こいつが人間界で暮らしたいっていうから・・・」
「そ、それだけ・・・?」
「それだけ。あ、あとは魔王が悪ではないって覆したいらしい」
一条さんは魔王を見た。魔王は腕を組んでうんうんと頷いている。
「魔王が悪ではないと・・・覆したい・・・?そんな馬鹿な・・・ななな」
「い、一条さん落ち着いて!」
言動がおかしくなった一条さんを何とか落ち着かせ話に戻った。
「つまり、貴方は魔王が気の済むまで人間界に暮らせると」
「まあ、そう言う事になります」
「魔王ですよ?」
「魔王だけど」
一条さんは納得していないらしく身を乗り出して俺の説得に試みだした。
「相手は魔王ですよ?怖いと恐ろしいかそういう気持ちは無いんですか?」
「ま、まあ最初は思ったけど今は別に」
「相手は悪魔なんですよ!いつ寝首を掻かれるか分かりません!」
「こいつはそんな事をする奴じゃないし、もしそれが目的なら今までチャンスが沢山あったのに実行しなかったのが不思議だよ」
俺が笑いながら言うと一条さんは力なくヘタリと座り込んだ。
「そんな、まさか。魔王と友情を育んだとでも言うんですか・・・?」
「そうなんじゃないか・・・?」
あれ?今思うと常識的に考えて魔王と友達になるなんてあり得ないよな。いや、そもそもこいつが魔王とかあり得ないんだ。
「そうですか・・・なら」
一条さんが行き成り立ち上がり、魔王を指差した。
「貴方が魔王を悪だと覆したいというのなら、私が貴方を監視します!もし皆に危害を負わせたら私が貴方を成敗いたします!」
一条さんの宣言に今度は俺がぽかんと口を開けた。魔王はニッと笑うと立ち上がった。
「ほう。余を監視するだと?大した実力もないのにいい度胸だ」
「ちょっ?ルシフェル?」
「あ、あれは少し油断しただけです!それに約束出来ないと言うつもりですか?なら今すぐ私が「なら頼もう。余が間違った事をしないように見張っていてくれ」
魔王が一条さんを遮り握手を求めるように手を差し出した。一条さんは一瞬驚いた顔をしたが、その手を取り握手をした。
「・・・望む所です!」
二人は互いを見つめた。何も知らない人が見たら、美男美女の恋人同士が仲良く握手しあっている様に見える。
いや、でもさ・・・。
「一条さん?君は退魔師なんだろ?そんな事言っていいのか?」
「そうですね。こんな事、普通はあり得ません。ですが、この者からは悪意を感じられないのです。ですから・・・」
――信じてみようと思いました。
一条さんの言葉に俺はホッとした。話が分かる人でよかったよ。もし行き成り殺し合いが始まったらどうしようと思った。
それから俺は一条さんに言いたかった事を言う事にした。
「一条さん。さっきはありがとう」
「え?」
「さっき俺を守ってくれただろ?」
「あ、結界のことですね。行き成り飛び出してきたのでビックリしましたけど、市民を助けるのは義務ですから」
「でも助かったよ。ありがとう。その結界がなかったら俺どうなっていたが分からないし。本当にありがとう」
一条さんは顔を赤らめて俯いた。どうやら照れたようだ。
「い、いえいえ。私はあたり前の事をしたまでで」
「うん」
あ、何かいい雰囲気だなと思った瞬間、魔王がぶち壊した。
「それよりセイギ。腹が減った」
「お、お前少しは空気読めよ」
「空気を読む?空気ぐらい読める。今だって読んだではないか」
「・・・はぁ」
すると俺達の会話を聞いていた一条さんがフフっと小さく笑いを零した。
「い、一条さん?」
「あ、すいません。あまりにも魔王に見えなくて」
やっぱり誰から見てもこいつは魔王には見えないよな。と俺もつられて笑った。魔王は俺達を見て不思議そうな顔をしている。
「何だ二人とも。余を見ながら笑って・・・失礼だぞ!」
魔王が頬を膨らませムッとした。きっと自分だけ蚊帳の外だと思ったのだろう。
だけど俺もこいつが魔王に見えなくなってきた。むしろこいつが魔王である事がおかしいような気がしてきたのだ。
「では、魔王ルシフェルと・・・えーと・・・」
「呉羽です・・・」
「す、すいません!まだ覚えきれなくて。ええと、呉羽さん。これから宜しくお願いします」
一条さんは深くお辞儀をしてきた。俺達もお辞儀をした。いや、お辞儀を知らない魔王の頭を掴みお辞儀させた。魔王は「何をする!」と言って怒ったが、これが挨拶だと教えると納得したようだ。
ルシフェルが魔王である事を知る人間が増える事で少しは楽出来ると思っていたが、逆に苦労が増えた様な気がしたのは気のせいではないだろう。
「そいえばインキュバスって何だ?」
「淫魔だ」
「い、淫魔?」
「夢魔ともいいます。男性型女性型に別れ、男性型は女性に子を産ませ、女性型は男性を誘惑して精を奪うんです」
「へ、へぇ・・・」
淡々と言う一条さんが少し怖いと思ったのは俺だけではあるまい。
やっと女の子が出てきた。やっぱり女の子がいた方が華やかでいいですね。
というか今回も急展開で詰め込みすぎましたでしょうか・・・。