第五話 正義はセイギ
桜の花が散り、若葉が映えた頃。人々は憂鬱な気分になり、無気力、不安感、焦り、等の症状が現れる。俗に言う五月病である。
新学期が始まってから一ヵ月経ち、学生の中にもそういう症状を訴える者は少なくない。しかしある学校だけは五月病の症状を訴える生徒がいなかった。
「ルシフェル君!調理実習でこれ作ったの!よかったらこれ貰って!」
「ちょっと抜け駆け禁止よ!私のも貰って!」
「じゃあ、私のも!」
金髪の身目麗しい少年の周りに数人の女子生徒が彼を囲んでした。
少年がこの学校に来てから一週間経ち、殆どの生徒が少年を知っていた。寧ろ知らない人間はいないであろう。
少年は天使の様な微笑みで、少女たちを魅了し虜にしていく。
「ルシフェル!これ教えてくれないか?」
「あ、俺も!今日当てられるんだよ」
男子生徒も少年の優しさや性格に惹かれて行く。
少年のお陰で五月病という症状が現れないのである。
只一人除いて。
「はぁ・・・」
いつもより重い溜め息を吐いた。ルシフェルの所為で心労が絶えない。寧ろ積み重なる一方だ。
俺は机に突っ伏した。もちろん耳は魔王達の会話を拾っている。
体が重くだるいし、やる気が無く憂鬱だ。ああ、これが五月病というのか。教室のざわめきがBGMになってきた頃、クラスメイトの翔太が話しかけてきた。
「最近元気無いね」
「だるいんだよ」
翔太は中学の時に一緒のクラスになり意気投合した。親友と言っても良い位だ。いや、俺の中では親友という位置づけになっているんだけど。
「これも全部あいつの所為だ」
「あいつってルシフェル君?」
翔太にも本当の事を話していない。いつか話そうと思うのだが、中中踏ん切りがつかないのだ。俺は女子に囲まれ、ワイワイと楽しそうに話しているルシフェルを見た。どんな時でも目が放せない。
「でも、ルシフェル君も大変だよね。今までアメリカに居たんだよね?それなのに親の都合で日本で暮らすなんてさ」
「・・・ああ」
俺はまた溜め息を吐いた。その様子を見て翔太がこう言った。
「正義もしかして五月病?」
そういう事にしといてくれ。
時間はあっという間に過ぎ昼休みになった。翔太と魔王と一緒に屋上に向かう。
昼は今まで翔太ともう一人、伊藤陽一と三人で一緒に食べていた。陽一も親友の一人で、性格は明るく、誰とでも仲良くなれる盛り上げ上手な奴だ。陽一は購買にパンを買いに行ったため先に三人で屋上に来たのだ。
屋上は余り人がいなくて俺たちにとって憩いの場であったが、魔王が来てから魔王見たさに屋上に人が来るようになった。その為俺達にも視線が向けられ、本人がいるにも関わらず、言いたい事を言ってくるので居心地が悪い。
今日も既に人がいた。殆どが女子で、魔王が姿を現すと皆こちらを見てくる。いつも通り屋上の隅に陣取り地べたに座った。母さんお手製のお弁当を広げ食べ始める。
「なあ、もう屋上で食うのやめないか?」
「うーん。そうしたいけど、何処か良い所ある?」
「実は良い場所見つけたんだ。西棟の非常階段」
こそっと小声で話した。
西棟は一階に家庭課室、二階に理科室、三階に図書室がる。図書室の近くには非常階段があり、そこは滅多に人が来ないと最近知った。
「あー、あったねそんな所」
「図書の司書さんからの情報だ」
「む、まさか脅して訊き出したんじゃないだろうな」
「するかアホ」
俺達の事を知った司書さんが教えてくれたんだと告げる。
大体俺と一緒に食べなくてもいいんだぞ?と魔王に言うと魔王はムッとした。
「余はまだ学校に慣れていないのだぞ。そんな余をセイギは放っておくのか」
魔王の「余」という一人称に翔太は何も反応を示さない。それもその筈。もう慣れてしまったからだ。最初は流石に皆驚いていだが、最近は誰も反応しなくなった。慣れって怖い。
しかし別の意味で翔太は唖然としていた。
「正義・・・ルシフェル君が今セイギって言ったけど・・・」
「ん?ああ、やめろって言ったんだけど、全然やめようとしないから諦めた」
翔太は信じられないという顔をした。俺だって自分がセイギと呼ぶ事を許可したなんて信じられない。あんだけ嫌だったのに。
「じゃあ、俺もセイギって呼んでいい?」
翔太がニコニコと微笑みながら訊いてきた。俺は呆然として咄嗟に返事が出来なかった。
まあ、翔太ならいいかと思った。
「別にいいけど・・・」
「え、ずる!俺も呼ぶし!」
大量のパンを抱えた陽一が、いつの間にか後ろに立っていた。俺はニヤリと笑う。
「えー、どうしよっかなー」
「俺だけ除け者かよ!」
「じゃあそのパン一つくれ」
陽一は笑顔でパンを俺にくれた。これで夜食ゲットだぜ。
すると陽一はパンを食べながら喋り出した。
「なあなあ、きょーひは?ひははっはらあほぼーへ」
「日本語でお願いします」
「食べながら喋るなよ」
「行儀悪いぞ」
俺達にそう言われ、陽一はパンをのみこんでから喋った。
「悪い悪い。今日暇?暇だったら遊ばないかって言ったんだよ」
俺と翔太は別に用事はないからいいけど、と返事をする。え?魔王?アイツに用事なんてものは無い。むしろ暇を持て余している位だ。
「んじゃあ、久しぶりにセイギの家で遊ぼうぜ」
「はあ?俺ん家?別にいいけど・・・」
頭の中で部屋の状態を思い出す。確か昨日片付けたから綺麗だった筈。
「よし、じゃあ、学校終わったらそのまま直行な」
え、直行ですか?とう俺の意見はスルーされ、昼休みは終わった。
そして放課後になり、四人で一緒に家に向かっている。途中でお菓子を買い、どうするかと話しながら。
「で、何する?」
「四人で出来るゲームとかでいいんじゃねー?」
「いいね。で、何のゲーム?」
しかし、結局歩きながらじゃ決める事が出来ず、とうとう家に着いてしまった。
そういえば母さんは出かけるって言ってたな。一応ドアノブを掴んで開いているか確認したが、やっぱり鍵が掛かっていたので鞄から鍵を出した。その後ろから陽一が「あれ?おばさんいないんだー。じゃあ、少し騒いでもいいよな」と言ってきた。まあ、少し位ならいいだろう。
ドアを開けると、俺より先に陽一が中に入って行った。その後に翔太も続く。もちろん翔太が礼儀正しいので「お先に」と言いながら。
「おっじゃましまーす」
「おじゃまします」
二人とも何度も遊びに来ているので、勝手知ったる他人の家という事で、二階に上がって行った。魔王もその後を追い、俺はキッチンで飲み物を調達してから二階に上がった。
部屋に入ると三人はいつの間にかゲームを始めていた。何のゲームをしているかだって?ご想像にお任せします。
「お前ら部屋の主が許可してないのに・・・」
「余が許可したぞ」
「細かい事は気にするなって」
どこが細かいんだ?と陽一の頭を力よく掴んだ。勿論陽一は痛さに悲鳴を上げ、ゲームの結果は負け。ハハ、ざまぁ。
それからゲームをして盛り上がり、いつの間にか外は茜色に染まっていた。
「そうそう、セイギ何か悩みとかあるの?」
翔太がいきなり俺に訊いてきた。
「最近ため息ばかり吐いているから。昼にも言ったけど五月病かなって」
五月病・・・って?ああ、そういえば学校でそんな事言われたっけ。すると五月病という言葉に魔王が反応した。
「翔太、ごがつびょうとは何だ?」
「新入生や新入社員によく見られ、新しい環境に適応出来なくなる精神的な症状の事だよ」
「でもセイギは新入生ではないぞ?」
「確かに新入生じゃないけど、クラス替えとかあったから。一応環境は変わっているし。でも多分セイギの場合はストレスとかが原因じゃないかな?」
すると皆が俺を見てきた。ストレスな・・・心当たりは大いにある。
でもそれは言えない。言ったら面倒な事になる。
「そうだな。きっと魔お・・・ルシフェルが家に来るから俺も緊張してたんだよ。だって外国人だぜ?最初は言葉が通じるかなーとか不安になるじゃん。それにどう接していいか分からなかったからさ、気を使っちゃって。だからきっとそのせいだ」
俺が笑顔で言うと翔太と陽一は、そうだよな、と言って納得してくれた。思わず魔王と言いそうになったが、二人には気にならなかったみたいだ。
「そんなに気にするなって。もう大丈夫だからさ」
「そうだね。ルシフェル君も優しいし、それに日本語ペラペラだし。気を使うことはないよ」
「よかったな!ルシフェルで!」
するとおだてられた魔王が調子に乗り、鼻を高くした。
「そうだぞセイギ。余でよかったな」
「うん、黙れ」
すかさずその鼻を折っておいた。調子に乗らせないからな。
「そういえば、何でセイギって呼ばれるの嫌がってたんだ?俺が初めて会った時、セイギって呼んだらすっごい怒ってただろ?」
陽一がなんとなく訊いてきた事は分かる。でもそれには答えられない。
俺にとって今までセイギと呼ばれるのはタブーだったのだ。何故かと聞かれても答えられない。俺にもセイギと呼ばれるのが嫌な理由が分からないからだ。
「・・・別に。嫌だっただけさ。俺の名前はまさよしなんだからそっちで呼ばれたかったし」
「ふーん。そっか。でもよく許したな」
許した訳じゃない。セイギと呼ばれるのにまだ抵抗があった、でも何故か魔王に呼ばれてからは平気だった。よくわからないけど。
「何でだろうな。多分、踏ん切りがついたっていうか、どうでもよくなったんだよきっと」
まあ、気にすんなよ、と言ってゲームを続行した。
それからまたゲームで盛り上がり、夕飯時になったので二人は帰って行った。
すると入れ替わるように母さんが返ってきた。
「ただいまー。町内会の集まりで遅くなっちゃった。出来合わせでごめんね」
「いいよ。一応お米は炊いておいたから」
「さすが正義!頼りになるわ」
自分でも何故「セイギ」と呼ばれるのを嫌なのか分からない。しかし分からない事も分からない。どうして今まで気にならなかったんだろうか。
昔の事を全く思いだせないのは、きっと俺の記憶力がないからだろう。
今はそう自分に言い聞かせるだけ。何故ならそんな事を考えている暇などないからだ。
「のうセイギ、またさっきのゲームの続きをしようではないか」
「またかよ。お前あれ好きだな」
夕飯を食べながら俺達がそう会話していると、箸を休め母さんが呆然としていた。
「ルシフェル君、今・・・セイギって呼んだわよね?」
魔王はそうだが、と頷いた。母さんは俺を見て少し動揺しているみたいだ。
「そ、そう。正義は何ともないのね?それならいいの」
母さんの様子を不思議に思ったが、深くは考えなかった。
そして、次の日学校に行くと、クラスの全員からいつの間にかセイギと呼ばれていた。
陽一が大声で俺をセイギと呼んだせいだ。あれから皆は俺の事をセイギと言いだした。
さすがに最初は戸惑ったけど、数日後にはすっかり慣れていた。
それと、もちろん陽一はシメておいた。陽一だけな。
しかし、あれだけ嫌だったのに、何ともないとは不思議なものだと、俺は大して受け止めていなかった。
あ、これって、成長したって事か?すごいじゃん俺。
そう思い込み、自分を褒めたのだった。
ちなみに俺が五月病だという事も広まっていた。
誤解を解くのに苦労したけど、これも広めたのが陽一だったので、勿論ストレス解消にもう一度シメておきました。
やっと五話目です。
はたして母さんは何か知っているのか・・・怪しいです。
陽一とは高校一年の時に同じクラスになって仲良くなりました。
陽一はアホの子です。