足跡
生まれ育った街から離れず就職をした私は、しばらく経ってからあるサイトを眺めていた。
それは「事故物件」の検索サイトだった。地図に点在されているアイコンをクリックすれば、その場にあった事件や事故が掲載され、「その情報を参考に引っ越しや部屋選びを考えてください」と銘打っている。なんとなくの好奇心で、私は地元辺りの事故物件を探してみることにした。
地元である実在の事件を私は勿論知っている。私の地元は関東圏の郊外にある、まあまあ平和で辺鄙な街だ。自分の家に近づく毎にぽつぽつとアイコンが現れてくるようになる。クリックしてみると「ここの花見で喧嘩して人が死んだ」とか、「近所トラブルで住人が家主を殺した」とかがあった。
私は失笑した。それぞれ明治時代、幕末の事件だったからだ。かつての花見場所も桜の木はとうに切り倒され、私が生まれる前からガス臭い道路になっているし、家の方も跡形もなく新築のマンションが建っている。
「そんな昔の出来事を今更、事故物件と言われてもねぇ」
頬杖を突きつつ、地図と見慣れた光景を照らし合わせていくと、やがて微かな胸の高鳴りとともに一つのアイコンと目が合った。それは卒業した中学校の脇にあるコンビニにあった。
「そんなバカな、心当たりがないぞ」
すると、無機質な文字の羅列が目の前に浮かび上がってきた。
『200×年 事故死』
息を呑んだ。その瞬間に初めて思い出したのだ。
後輩にあたる小学生の女の子が当時、マンションの駐車場だったそこで車に撥ねられて亡くなったのだ。駐車場は曲がり角を直線距離で行ける抜け道になっており、子どもたちにとって恰好の遊び場にもなっていた。私も毎日通っていたし、車を影にして鬼ごっこやかくれんぼをしていたものだ。
中学校の集会で事故を聞いたとき、自分も僅かな手違いで死んだかもしれないと恐れ慄いたものだ。
駐車場が現場だ。猛スピードで撥ねられたわけではないだろう。私の脳裏には、死角に隠れた少女の裾を車のタイヤが引っかけて、ゆっくりと押し潰していく様が浮かぶ。
それなのに今まですっかり忘れていた。こんなところで自分の薄情を突き付けられる羽目になるとは。それから地元に散らばるアイコンに目が離せなくなっていく。秋風が漂って私は髪を耳にかけた。
いつから窓を開けたのかも知れずに。
次は、私の通った保育園に隣接していた団地の一角だった。
『飛び降り自殺』
確かに階数のある団地だ。老朽化が進んで陰湿な様子ではあったし、あの高さなら飛び降りればあっという間だったろう。けれど、数年前にリノベーションされて街灯の色は暖かくなり、外階段には柵が設けられて安全になったはずだ。思い馳せると同時に冷や汗が滲む。
まさか、飛び降りがあったからなのか。何度も見上げたかつての外階段の踊り場に、虚ろな顔して浮かぶ誰かの顔がぼんやりと浮かんだ。
『201×年〇×アパート 火事で40代男性が死亡 号室は不明』
私はヒッと声をあげた。大いに心当たりがあった。高校生のとき、遊びに行った同級生のアパートだ。女子が来るというのに部屋の中はぐちゃぐちゃで、エロ漫画やゴミが乱雑しているひどい部屋だった。そこにいた同級生のお父さんは薄墨のような刺青が首から見える怖い人だった。あまりにも居心地が悪かったので私は逃げるように立ち去り、その同級生とは疎遠になってしまった。
いつかの同窓会で彼の苗字が変わったと聞いていたが、まさか火事が起こっていたなんて。死亡した男性はきっとお父さんに違いない。そういえばあそこには、たばこの吸い殻がぎゅうぎゅうに詰まった灰皿があちこちに転がっていた。逃げたときもそれを蹴飛ばしたような気がする。
そして、号室は不明ではない。〇×アパート403号室だったはずなのだ。
今ではニュースにもネットにも残っていない、家族や友人もとうに忘れてしまった、私の頭の中だけに残っている事実。ここまでくると気味が悪くなってきて、思わず席を立っていた。
気晴らしに風に当たってコンビニに行こうと外に出る。手に触れたインターホンに変なマークが書いてあるのをついでに掻き消しながら、財布を持って着の身着のまま慣れた夜道を歩いていく。
それでもどうしても頭から離れなくなり、スマホを取り出し再びサイトを見る。まさかと思っていたが、自分の目印は徐々に別のアイコンにまで近づいてくる。行こうとする馴染みのコンビニさえあるというのか。もう止められない、今度は自分の指でマークを押した。
『198×年△〇ビル3F 法律事務所の女性がストーカーに刺されて死亡』
不謹慎ながらちょっとホッとしてしまった。見上げたそのビルの3Fは、生まれたときからフィットネスクラブの看板が貼られている。生まれる前の事件なら少しは遠い出来事。事件が起きたのは3Fでコンビニは1F、だから私の立つところは関係ない。しかし、その項目だけに別のリンクが貼られていた。ごくりと唾を飲んで青いURLを押す。既に背筋が寒くなった私は、明るい照明を目指してコンビニの中に入る。店内を巡りながらリンク先を見ると、それはデータ打ちされた新聞記事の切り抜きだった。
『法律事務所の職員だったAさん(28)は以前からストーカー被害を受けていた。警察に相談して対応を受けていた矢先、8日の午後一時頃、仕事先に突然現れた加害者の男に襲われて包丁で刺された』
天井を見上げつつ、記事はまだ無情に続く。
『Aさんは始め首を刺されたが、犯人に抵抗して逃げた。そして、階段を駆け降りて外に出て助けを求めた』
突然舞台が変わったことに、驚きの声をあげる。さっき通り過ぎたほの暗く薄汚れた外階段が、真っ赤な血の海に滴る様子が頭に入る。外に助けをということはやはり、人通りの多い近くの駅に行ったのだろうかと、駅が見える向いの外壁ガラスを見上げると外の人影が避け、無機質な白い街灯に照らされた駅のホームが遠目に見える。しかし、記事には全く違うことが書かれていた。
『Aさんはそのまま1Fのコンビニに飛び込んだ』
「えっ」
『そこでレジの店員に助けを求めた』
「は?」
人目も憚らず声をあげ、無意識にレジに顔を向けてしまう。その瞬間、私は目の前で血だらけになった女性が必死の形相で店員へと声を荒げていた。
『しかし、そこから追いかけてきた犯人が後からコンビニに侵入し』
遂に自分は事故物件に立ってしまったのではないか。恐怖のあまり出口へと駆け、血まみれに膝をつく女性の幻影を蹴って掻き消す。その瞬間、目の前にある自動ドアが開かれた。
『犯人はレジで助けを求める女性に、その場で包丁を振り上げて』
生ぬるい秋風は、目の前に立つ黒いジャケットの裾を靡かせる。隙間から見えたのは私を睨む鋭い眼差し。私は無意識に「旧姓」の名で呼んだ。
「Kさん……!?」
彼の胸元から取り出された銀色の瞬きに、全ての記憶と意思が真っ白になる。次のときに真っ黒になり、「お前のせいで父さんは」と叫ぶ男の声に馬乗りにされながら、私は泥靴に穢れた床の上に倒れ、真っ赤な鮮血に浸り何度も胸を刺されていた。
***
26年後。久しぶりに実家に帰ったある女性が、母親と一緒に駅からコンビニの横を通り過ぎる。
「このコンビニ懐かしいなー。変わってないんだね」
「あら、変わったよ。確か20年数年前は別のコンビニだったもの」
「それ、私が生まれる前の話じゃん」
お互いに笑いつつ、女性は首を傾げる。
「でも、変な話ね。同じコンビニなのにどうして入れ替わったんだろう」
「確かに言われてみれば……」
母親は考えつつも心当たりはないようだった。女性の方は通り過ぎ際に、スマホを取り出し老舗の事故物件サイトを開く。やがて女性は飄々として答えた。
「あー、お母さん。ここって事故物件だったみたいだよ」
女性は母親に画面を見せる。そこにはビルの真ん中にもつれるように絡み合う、二つのアイコンが蠢いていた。
終




