陰口
翌日。
月曜からエネルギーを放出しすぎた私は、とんでもない寝坊をしでかしてしまった。起きたら14時、4限開始まで1時間を切っていた。これではまた『社会貢献ポテンシャル』が溜まってしまう。今週は放出して社会貢献をしなければならないのに。
学業と真面目に向き合う、という目標を達成するため4限には必ず間に合わなければならない。支度を済ませて、昼食は諦めて昨日もらったチョコを授業前に食べることにして即座に出発した。
「あれ、紗葵ちゃんチョコ苦手じゃなかったっけ?」
あわてて講義室に着くとミクとカナと梨琉はいつも通り楽しそうに会話していた。到着して私が定位置(梨琉の隣)へ座ったときに彼女がそう言った。悪いことをしたつもりはないのに、一瞬だけ血の気が引いた。
「いや、ご飯食べる時間がなくて」
「それでチョコを買ったの?」
「ううん。昨日もらったんだ」
「そうなんだ」
もらった経緯(ノートを見せたこと)を話すと梨琉は「紗葵ちゃん凄いねっ!」と笑ってくれた。梨琉と喋っていたら、チョコは甘くて美味しい。
「紗葵、パフェ食い行こ!」
ドイツ後の授業を終えて、ミクがそう言った。梨琉が「あれ、紗葵ちゃん2人とも仲良かったんだ!?」と目を見開く。「昨日初めて喋って」と説明する。
私らの会話を遮るように「梨琉も来るー?」とカナが身を乗り出した。梨琉は軽く迷ったような顔をする。
「途中まででもいいんじゃない。私も毎週火曜は梨琉と同じでバイトあるから、早く食べ終わるなら私も合わせるし」
「それなら……」と梨琉は帰る準備をして、教室を出ようとしたタイミングで突然停止した。
「あーーーっ!!」
「?」
「どしたん、梨琉?」
「私、大事な予定あるんだった! ごめんねっ!」
梨琉は突然慌てたように部屋を出る。大きめのトートバッグを大事そうに抱えながら、「ばいばいっ」と私らの元から去っていった。
「あら、行っちゃった」
「そしたら3人だけでたべいこー」
「梨琉、忙しいのかな」
「紗葵、気になんの?」
なんだか恥ずかしくて、「予定が気になっただけ」と即答した。「男とかでしょ」と低い声でミクが言って、「てか、『ごめんねっ』って、何あれ」と過度に高い声真似をしてからカナが鼻で笑った。
食堂。梨琉と来るよりも先にミクとカナと食事することになる。
「2人は、梨琉のことをどう思ってるの」
着いてから他愛もない話をいくつか交わして、沈黙が訪れたタイミングで私は聞く。ミクもカナもノリが良くて話も上手いから、盛り上がってるところで水を差すような話題は避けたかったけれど、私は昨日酒呑みに言われた「つまんねーなら指摘しろ」という言葉が引っかかって仕方なかった。今週はエネルギーを放出するのが私の仕事で、梨琉と2人の関係に切り込むことは学部内の人間関係に変化を与える良い対象のように思えたのもある。
「なにって、友達だよ?」
「うんうん」
「紗葵、何か疑ってんの〜?」とカナが目を細める。
「や、なんか悪口っぽいこと? 私の前で言ってるような気したから。……もちろん、勘違いだったら悪いんだけど」
「あ〜」
「ウチら、そういうノリよ。本人の前でも」
「そうなの?」
「うん」
「梨琉、モノマネとか彼氏イジりしたら喜ぶから」
「ほんとに?」
「マジマジ」
「もしかして、紗葵にはあんまウケなかった?」
向こうから「つまらなかったか」と聞かれたので私は素直に首を縦に振った。「そしたらこれから控えるね〜」と返ってきた。割と分別があるようで私は安心する。
「それよかさ」
さっきまでパフェの入っていた空のグラスを突きながらミクが言う。
「梨琉、裏で紗葵のこと結構キツく言ってるけど」
……え?
「……、あ〜、たしかに! 言ってるわ。『なんか絡みづらい』とか。今日もだから来なかったのかな?」
「ウチらが紗葵と仲良くしてるのに嫉妬してるのかも」
内蔵が握りつぶされたみたいに気分が悪くなって、残ったパフェは一切味がしなかった。870円もしたのに、授業前のチョコの方がよっぽど甘い。
◆
『相性良くないとかも言ってたかも』『てか、なんでドイツ語隣なの? って怒ってたし』
2人の発した言葉が頭の中でループして、その日のバイトは半ば上の空だった。小学生に算数のプリントを印刷しようとして、間違えて新規入塾生の個人情報を配布しそうになったくらいにはボケていた。バイト先の仲が良いふわふわした先輩に「さーちゃん寝不足かなあ?」と笑われた。
そんな感じで火曜日は終わる。授業に間に合ったこと、ミク・カナと仲を深めたこと以外は、エネルギーを放出できていないなあと反省した。
翌日。
「友達と思ってた子が自分の悪口、ねえ……」
午前に、先輩の独占する講義室へ私は向かう。長代先輩から「やりたいことがある」と連絡が来たからだ。来るなり彼女は私の髪型をイジり始めた。その状態で私は梨琉のことを相談してみる。
「言われてたら言われてたで仕方ないと思うんですけど、先輩はそういう経験ありますか」
「そもそも、悪口言われてたっていうソースは?」
私の髪を梳きながら、彼女が言う。ネットの人間みたいなことを突然言い出したので驚いた。
「いや、ネットに影響されたとかじゃなくてね。情報を信じるにあたって誰発信かは大切よ。SNSの書き込みと教授の発言を同程度で信用しないでしょ」
「ま、まあ確かに……」
「で、その悪口を言ってたのは誰発信なのよ。……あ、軽くメイク落としていい?」
「梨琉と仲の良い友達です。……いいですけど、お昼ごはんと3限間に合いますか」
「お昼ごはんは間に合わないかもねえ」と彼女の返事が聞こえて、顔がひんやりする。長代先輩はどうやら私がより社会貢献のエネルギーを放出するために私を可愛くしたいらしいのだが、私は長代先輩のつかう化粧水やファンデーションが肌に合わなかったらどうしようという不安しかなかった。
「本人じゃなくて周りが言ってたんなら、本人が言うまで信用するのは危なくないかしら」
「本人が自白するなんてありえなくないですか」
梨琉が私の悪口を言っていたとして、「あなたの悪口を言ってました」なんて本人の口から出てくるわけがない。陰口とはそういうものだからである。
「おかしな話だと思わない? 彼女––––甘城さんは、今の仮説に基づけばあなたのことを嫌っていて、裏で陰口を言っている。なのにあなたの前では明るく振る舞って、悪口を言っていたことを隠す。あなたと対立したいのか、好かれたいのかよく分からないじゃない」
「そういう人もいると思います。上っ面だけよくて、真に信頼している人の前でだけ悪い一面を見せる人」
「甘城さんはそういう人なの?」
私は言葉に詰まった。鈍器で頭を叩かれたような心地。……現実の感覚はチークを塗られているだけだけど。
「裏で悪口を言っているって言ったけど、あなたにそれを教えた2人は、甘城さんにとって真に信頼できる人なのかしら? そもそも、『悪口を言ってた』という情報をあなたに流すことは優しさなのかしらね。理上さんが嫌な思いをするのは確定しているのに、わざわざ伝えるなんて。あなたと友好関係を結びたいなら、彼女らの行動は非論理的だと思うけど」
人間関係は論理だけではない、と反論できるほど今の私は人間を理解できていない。混乱している。というより、自分がどうしたいのか分からなくなってきた。
それからしばらく長代先輩は私の顔に理想を描いて、終わったと同時に私の肩を叩いた。
「まあ、残り3日、思いっきりエネルギーを放出して、色んな人と話しなさいな」
最後に、これに着替えてもらったら、出ていっていいわよ、と彼女に服を渡される。
たまたま目に入ったモニターの中の世界。剣と魔法の世界には、こういった人間関係のしがらみはないのかなあ、とかをふと考えた。




