噂
「接客、大丈夫でしたか?」
時雨さんがいなくなって、数人の接客を終えた辺りで望野さんと機戸は戻ってきた。
なにやら1人増えている。
「おっすー。元気か2人とも」
「酒井くんっ! おつかれさまっ!」
隣の梨琉ははにかんだ。はにかまれた酒井の顔は赤い……と思えば、どうもそれは感情に由来する赤らめじゃなくって飲酒に由来するものらしい。
「道中で酒井を拾ってきましたよ。暇だったみたいなんで」
「なーぁに言ってんだ機戸。俺はな、忙しいけどお前らを助けるために駆けつけてるんだぜ〜?」
「忙しい人間は昼からアルコールで気持ちよくなりませんよ」
「うるせー」
「酒井くん、もう少し、静かに、して……」
「酒井、そんなに酔ってて仕事できんの?」
「水めっちゃ飲んだからな! 無限に稼働してやるぞ! 一生生地焼いてればいいんだよな?」
「お客さんが来てからにしてください。––––こんな酔っぱらいが受け付けにいては困るでしょうから、理上さんと甘城さんと一緒に調理に回ってもらいましょう」
「こんなのが調理できんの?」
「ひどく酔ってはいませんよ。お二人のサポートくらいは仕事すると僕は見込んでいます」
「理上さんと、甘城さんの間に、酒井くんを……?」
望野さんはあからさまに表情を歪ませた。「何か問題でも……?」と機戸は不思議がる。
「なんだよー。酔っ払いが学部のアイドルと絡んじゃダメか?」
「やめてよ酒井くんっ」
酔った勢いか酒井は梨琉をいい加減に茶化した。梨琉は笑って彼に注意する。2人の関係性が、途端に気になりだす。やっぱりミクやカナの言うみたいに、梨琉が男の子苦手っていうのは嘘なのかな。
「では、甘城さんはそのまま、理上さんと望野さんだけ入れ替えて、望野さんと甘城さんで受付をしましょう。僕と酒井くんと理上さんの3人で調理です」
「受付は、前半と同じ、理上さん甘城さんじゃダメですか……?」
「なにを言ってるんですか望野さん。あなた『色んな人と会話できるようになりたい』って言ってたじゃないですか。この仕事を機に成長しましょうよ。いい社会経験ですよ」
「くっ……生物化学87点のくせに……」
「また僕の成績をバカにする!」
「いやめっちゃ高いじゃんそれ」
「機戸すげー!」
機戸の成績はさておき、仕事の分担は梨琉と望野さんが受付、私と機戸と酒井の3人が調理になる。今なら梨琉と会話できそうだったのに、こういうときに限って離されるのは残念。でも梨琉と今の望野さんが前に立てば客寄せとしては最高の組み合わせのように思う。
「甘城と望野が前にいるとかうちの店最強じゃね?」
酒井が私の思ったのと同じことを言って、望野さんがまた嫌な顔をした。こいつ酔ってたらなんでも言うな。
「ええ。恐らく僕らの世代でできる理論値でしょうね。小金井さんとかでも良かったですが」
「小金井? 機戸そういうのがタイプなのか。オタクに優しくないタイプのギャルだぞあいつは」
「別に具体例として出しただけじゃないですか……。ともかく受付に最強の人員を置けたので、残った時間で僕らも全力を尽くしましょう」
「理上、こいつが言うにはさっきまで最強じゃなかったみたいだぞ」
「あああすみません理上さんそういうつもりでは! 僕こういう人の動かし方や配置を考えるのが好きなだけでして……」
「まあまあ、冴えない3人で調理頑張ろうぜ!」
「2人に言われるとめっちゃ腹立つ」
「おいおい理上に殺されるぞ俺ら」
「僕まで巻き添え……!」
とまあ、こんな感じで午後のシフトが再開する。
◆
「甘城にフラれた」
仕事中、酒井が静かに言った。受付にいる梨琉に聞こえるか聞こえないかくらいの絶妙な声。
「ダメだったの?」
「おう。飯食いに行った日に、『大事な友達だけど、お付き合いはできない』って」
「ふぅん」
酒井は随分沈んでいた。話題が悲しいのに加えて、酔いが中途半端に覚めてきて、たぶんさっきまでのはっちゃけた自分が恥ずかしくなってきてるんだろう。
「理上はアドバイスまでしてくれたからな。結果伝えとこうと思って。好きな子の友人が手伝ってくれるなんてこれ以上ない追い風だっただろ。……はあ」
改めて私が酒井の後押しをしたのは変な状況だったなと思いつつ、私は彼を励ます。
「元気だしなよ」
「そうだな、無理に固執しても仕方ない! だからこそ切り替えたつもりだったんだが……。喋ってると凹むぜ……」
それでも健気に振る舞える酒井は偉い。私はどれだけメンタル回復に時間を要したことか。ここで「私も梨琉にフラれたよ」って言ったらどういう反応するんだろ。
「機戸は彼女いねーの?」
「いません」
「興味なさそうだよね機戸」
「はい。他にやることがたくさんありますから」
「つまんねーやつだ」とからかい気味に酒井が言う。「まあ価値観は人それぞれだよね」と私は機戸をフォローしたけど、多分その言葉は自分にも言い聞かせている。
「他にやることって、機戸は何に興味があるんだ?」
「いいんですか? 僕の興味ある話をして」
「おうよ。どんと来い」
「ふふ。実は面白い大学の都市伝説がありまして……」
機戸の話す抑揚が明らかに変わる。マスクをしているからわかんないけど、その向こう側はたぶんニヤけてるんだろな。
「講義棟に、使われてない講義室ってたくさんあるじゃないですか」
私は思わず顔を上げた。長代先輩が使っている部屋もそれに該当するから。
「あるな。自習室とかに使うやつな。もっと有効活用しろよって思うが」
「講義棟Cの204講義室に行ったことあります?」
「え……」
今度は声を出してしまう。先輩のいる部屋じゃんそれ。
「もしかして理上さん行ったことあります?」
「あ、いや、ない……」
「それは残念です。声をあげたのでもしかしたらと思って」
「怖い話だったら嫌だなと思って」
「それならご安心ください。ホラー要素はないですから。––––どうやら、その講義室は特定のサークルが占拠しているらしいんですよね。」
目を見るだけでも彼が興奮気味なのがわかる。「それくらいよくあることじゃねーか?」と酒井が茶々を入れる。
「もちろん、それだけなら大学にたくさんいる『変な人』止まりですが、そのサークルの内容が極めて興味深くて、たしか、名前が……」
機戸の発するだろうサークル名が私にははっきりと分かる。そして、彼の発する言葉は私の脳内予測と完全に一致する。
「『異世界研究会』」
さして興味なさそうな酒井とは対照的に、私は底しれない不安を覚え始める。機戸の話はまだ終わる気配がない。つまり、ここから先は、––––それが事実であるか否かを問わず––––私の知らない『異世界研究会』に関する、長代先輩に関する噂が機戸の口から話される訳だ。
「異世界ってなんだ? エイリアンとかいるのか?」
一刻も早く続きを知りたい私の気持ちなんて知るはずもなく、酒井はとぼけたことを言う。「アニメとか漫画に出てくるあの異世界じゃないの?」と知らないフリして私は補足する。
「その通りです。理上さんが日本文化への造詣深くて感銘を受けました」
「どういうことだよ? アニメの世界を研究するってことか?」
「違います。そういったジャンルの作品があるのです。私らと同じ世界を描いているけれど、主人公だけ死んでしまってファンタジーの世界に転生するんです。その転生先が異世界と呼ばれるんですよ。『異世界転生』とか聞いたことありませんか」
「ないけど、理解できた。……てことは『異世界研究会』は特定ジャンルのアニメ研究サークルか?」
そうか、初めに聞いて浮かぶのはそういう印象だよな。異世界系の作品を語り合う会か何かだと思うのが普通。私だってそうだった。
「そうだと思いますよね? ……それが、本物の『異世界』を見ているらしくて」
それから機戸は半信半疑な酒井に『異世界研究会』で行われている内容を熱弁した。全部知っている私も、ときおり大きなリアクションをして驚いてみせた。
––––現代の化学を超越した技術で異世界を映し出す『何か』がその部屋にはある。そこに在籍する学生は本物の異世界で起こる現象を研究している。かつて興味本位で訪れようとしたこともあった。しかし部屋の中には怖そうな男子学生が2人いて部屋に入るのが憚られた。
機戸は淡々とそんなことを述べた。すべて私にとっては既知で、いわゆる活動内容を述べているだけであった。それが噂じゃなくて事実だってことも私にはわかる。最後の厳つい学生とは例の舎弟みたいな2人のことだろう。これらの内容を都市伝説として歓喜しているだけであれば、私にとって特に脅威となる噂ではない。
そうして私が安堵しきったとき、機戸は想定外の言葉を口にする。
「恐ろしいことに、観察されている転生者と異世界研究会のメンバーは元々面識があったそうなんです。噂によると、研究会の人間が転生者それ自体の死に関わっていて、だから研究会のメンバーは彼を観察していると……」
「どういうこと!?」
他人事じゃないみたいに私は声を上げて驚いた。実際他人事じゃないんだけど。
機戸は私の反応に一瞬面食らったような顔をしてから、自分の持ってきた噂がウケたことに満足したのか、嬉しそうな表情をする。
「さすがの理上さんでも驚きを隠せませんか」
「お、俺ついていけてるかわかんねえんだけど、つまり異世界研究会とやらのメンバーは誰かを殺して、そいつが転生した姿を見届けているってことか?」
「概ねそういうことです」
「ありえないでしょ……そんなこと」
私が自分が関係者だって悟られないように、しかし噂を否定するためある程度の真剣さを保って彼らに語りかける。
「彼らは堂々と被害者をモニタリングしてるってことでしょ? 何かの間違いで事件を知っている人がその講義室に入ったらどうするの? モニターの中にいる被害者を見て、事件について問い詰められない? そしたら異世界研究会の人らは自身が捕まって不利になると思うんだけど」
ぽかんとした顔で2人が私を見る。「……あくまで噂ですからね」と機戸が冷静に言う。
熱くなりすぎたみたいだ。
「ま、まあそうだけどさ……」
「おーい。理上は映画の設定とか細かいところまで気にしちゃうタイプかよ」
「だって異世界研究会の件は本当の噂かもしれないでしょ……」
「いや〜、異世界なんてあったら、俺らが勉強している科学ってなんだよ! ってなるわ」
「僕は存在してくれていると嬉しいです。また講義室に凸する機会があればいいですけど……」
「やめなよ。悪趣味だよ」
機戸に来られて、話が拗れると困る。私は真っ当な理由をつけて彼を諌めた。
……にしても、どうして私はここまで真剣になっているんだ。
噂は、『異世界研究会』の存在を示唆しているところ、その活動内容の記述まではすべて事実だ。ただ、長代先輩はビラを配っていたし、あの講義室には誰でも入れるから、サークルの存在が知られることは全くおかしくないように思う。私以外に実験させられたことのある人間がいれば活動内容なんて一瞬で知られてしまう。
人間、隠されているものは良くも悪くも過大評価したがるというか、『何をしているかわからない異世界研究会』という存在がオカルトとして尾ひれをつけて噂されるにつれて、『人を殺してそれを監視している』ということになったのだろう。異世界に行くには死を経由しなきゃなんないから、それと結びつけて人殺しってことにしたくなる気持ちもわかる。性格の悪い噂だと思う。
私はそんな理屈をこねて、つまらない噂だなと結論付ける。梨琉が私の悪口を言ってるかもしれないとミクやカナに言われたときだってそうだ。大体、こういうのは偽りであることが多い。私が周りに流されやすいから、つい信じそうになってしまうだけ。
それでも、私の胸がざわつき続けているのは。
『先輩の元に行くのは真っ当っすよ。だってカオルと先輩は……』
『カオル?』
『あっ」
かつて転生者の本名をバラした2人の焦った顔が、私の脳裏に強くこびりついているからに違いない。




