懐かしい声
「……。寒いね。今日」
私は梨琉のことが嫌いになったわけではない。今でも、彼女のことが好き。たとえかつて夢見たような関係性になれなくても、友達としてずっと一緒にいたい。だから勇気を振り絞ってみた。ずっと実験に頼らないと梨琉に話しかけられなかった私が、かつて彼女が私に声をかけてくれたみたいに、沈黙を破って声をかける。
「うんっ」
「ね、そだよね」
「後ろ……ホットプレートあって良かったっ。そうじゃないとか手とか冷えちゃってた」
「わかる! 温かい料理出す店最高って感じ」
案外、すんなりと言葉を交わせた。長くは続かなかったし、あまりにも他愛ないけど、それでも十分だ。ちなみに今日は11月下旬とは思えないほど暑かった。18度だった。私は話題の切り出しに失敗していた。
会話ができたとて、2人の物理的距離が縮まるわけではない。まあ逆に接近してしまったらおかしいというか、距離感保たれている方が衛生意識が高くていい屋台じゃないか。お客さんは一向に来ないけど。
せっかく2人きりなのに、ずーっと黙ったまんま。私は周りをキョロキョロして、梨琉はスマホを触り始める。なんでこんなことになっちゃったんだろな。私のせいだけど。
なんだか本当に肌寒くなってきた。雰囲気が重すぎて、私の周囲だけ本当に真冬級の高気圧なんじゃないかって錯覚する。
そんなとき、ようやく久しぶりのお客さんが店を訪れた。
「やっほ〜。こんにちわ」
見慣れた人間。それも私の知り合いだった。こんなに周囲の空気をふわふわさせる人間は私の知り合いで梨琉以外1人しかいない。
時雨さんだ。
「おつかれ……さまです。ここで会うとなんか変な気分」
「ね〜! だって真面目な理上先生が、今は可愛い可愛い1年生なんだも〜ん。遠くからでもすぐ分かってしまったよ私は」
「私もすぐ時雨さん分かりましたよ? 可愛いコート羽織ってるから」
「おお〜! さすが三女は私が言われて喜ぶことを分かっているなあ〜」
友達がたくさんいそうな時雨さんは1人だった。手元にはバッグ以外にマフラーも掲げていて、たぶんコーデとして巻いてきたけど暑かったんだろうな。
「お一人ですか?」
「ゼミの空き時間にさーちゃん探してたの」
「そんな貴重な時間に……」
「空き時間って言っても5時間くらいあるからね!」
時雨さんはしたり顔で言った。B4になった今学園祭をフルで楽しむ気はなくて、あくまで塾のいろんな後輩が頑張っている姿を探し回っているらしい。どうりで1人巡りになるわけだ。
「他の人も会いに行ったんですか」
「まずさーちゃんが1人目」
「それはありがとうございます」
「どうせなら大量のお客さんを捌いているさーちゃんが見たかったんだけどなあ。まさかの休憩中」
「休憩じゃないですよ」
「あれれ?」
私は客足のピークが途絶えて今この瞬間たまたま閑古鳥が鳴いてしまっていること、スタッフのうち2人は野菜が足りないので取りに行っていることを伝えた。
「あ〜そうだったんだ。じゃあ、活躍のタイミング逃しちゃって、お互い損だなあ〜。さーちゃんはカッコいいところを私に見せて、私は大活躍さーちゃんを撮影できたのに……」
「無断撮影禁止です」
「許可とります!」
「ど、どうぞ……」
時雨さんはスマホをかざして私に向けた。シャッター音が鳴って、ダルそうな服装にダルそうな表情をした私が彼女のアルバムに保存される。『オフさーちゃんだ』と時雨さんは笑ってから、メニュー一覧を見た。
「そしたら〜、何か注文してもいい〜?」
「はい。ぜひ」
「じゃあ、これで」
彼女はいちごホイップを注文する。形式的に私は交換用のチケットを渡して、受け取るなり彼女は私の耳元に顔を近づけた。
「ねえねえ、それよりさ、隣の子はお友達?」
すごく小さな声で時雨さんは言う。
心の壁が即答させることにブレーキをかけるけど、返事に戸惑うと不仲だと思われかねないので、とりあえず「そうです」と返す。
「何か気になることでもありました?」
私が尋ねると、時雨さんはまた耳打ちした。
「えーだってだって、すっごく可愛い子〜」
喋ってもいい?! と時雨さんは口パクとジェスチャーで梨琉の方を指す。梨琉は少しだけこちらを見ている。「いいですけど」と適当な許可を出して、私は1人クレープを作る。
受付にいるとき、調理係の望野さん、機戸の会話は筒抜けだった。そして、その逆もしかり。聞くつもりがなくっても、2人の会話がクレープを作る私に聞こえてくる。
「やっほ〜」
初対面でもその挨拶なんだ時雨さん。
「こんにちはっ。……お会計、先に済ませますか?」
面倒な客をあしらうみたいに時雨さんへ梨琉は業務的な対応をした。
「じゃあそうしてもらおっかな〜」
時雨さんは財布を出してお金を梨琉に渡していく。ゆっくり渡しながら、嬉しそうに梨琉の顔を見た。
「うちのさーちゃんが、いつもお世話になってます!」
私は驚いて生地を溢しかけた。いや、友達とは言ったけど、どれくらい深い関係性なのかまでは伝えていないのに、微妙な関係性だったらどうするんだ。あまりにも博打だ。
「あはは……」
梨琉が困ってるじゃんか。この状況で私は間に入るべきか。それも分からないので、「クレープ作りに集中しろ」と、自分に言い聞かせる。
「さーちゃんって、大学ではどんな子なの?」
娘が小学校で何してるかみたいな雰囲気で聞く。ついに私は優木家の孫(?)になったか。
「紗葵ちゃんですか? んーっと」
梨琉がなんて答えるのか気になりすぎて調理に全く集中できない。あなたの振った話題のせいであなたのいちごホイップが大変なことになりそうですよと時雨さんに伝えてあげたい。
「……恥ずかしがり屋、だと思います」
回答を聞いて時雨さんは大笑いした。何笑ってるんだと思いつつ妙に核心をつくその回答は私の手を硬直させる。
「そうなんだ〜。学部では内気な子なのかなぁ?」
「でも、紗葵ちゃん友達はたくさんいますよっ。私にもたくさん声かけてくれるし」
「そっかそっかあ。それは安心だ! お姉さんも心配なくゼミに戻れるというものだ」
「えっとあなたは……」
「時雨、でいいよ〜。優木時雨。恥ずかしかったら優木でもおっけー」
「時雨さんは、紗葵ちゃんと高校の知り合いとかなんですか?」
「アルバイトの先輩だよ〜。塾でアルバイトしてて、私は紗葵ちゃんの先輩講師なのだよ」
「だからさっき『理上先生』って……」
「生徒の前ではそう呼ぶからね〜。裏ではさーちゃんだけど。……君のお名前は?」
「甘城梨琉、です」
「わ〜! 可愛い名前! そしたら、りるりるだ〜」
「!?」
「梨琉ちゃんだから、りるりるでしょ。みんなからそう呼ばれないの?」
「初めて呼ばれました……」
耳を傾けるうち、生地が焦げてしまう。私は時雨さんの後ろに人が並んでいないことを確認して、新しい生地を焼き直す。
「紗葵ちゃんは塾ではどういう感じですか?」
「あれれ〜、本人あんまり喋らない?」
「聞いたことなくって」
「恥ずかしがり屋さんだもんね〜」
自分のか弱いところを指摘されたみたいで私は勝手に罪の意識を覚える。
もっと自分のことを開示したほうが梨琉は嬉しかったのかな。
「真面目な先生だよ〜。生徒がぺちゃくちゃお喋りしてるとね、それに釣られて自分もお喋りしたまま授業時間を使っちゃう先生とかいて。さーちゃんは絶対に時間区切ってやることを終わらせるの。生徒に好かれるのはお喋りしてくれる先生だけど、お金貰ってること考えるとさーちゃんの価値観は偉いなあって思う」
「さ、紗葵ちゃんすごい……!」
いつの日かぶりに梨琉が褒めてくれて嬉しくなる。でも彼女の視線は時雨さんの方を向いている。
「もちろん生徒のメンタルケアも必要だから、一様にお喋りすることがダメって訳じゃないのだよ。さーちゃんはそこの融通が効けば生徒ウケも保護者ウケも抜群の先生になれるのに……照れ屋さんだから『先生』を演じないと子供とお話できないんじゃないかなあ」
「やっぱり恥ずかしがり屋さんなんですねっ!」
「うむ! ほんとは人間大好きなのにクールぶった恥ずかしがり屋のさーちゃん」
梨琉はそれを聞いて笑った。私に聞こえそうな声で、確実に私のことからかってる。からかわれることはいいんだ。彼女なりの愛情表現だから。ただそれを聞く梨琉が何考えているのか気になりすぎて、……さすがに2枚目の生地は焦がさなかったけど、トッピングの1つ1つで手が震えているのを自覚する。
「りるりる、さーちゃんと仲良くしてあげてね」
「え? ……あっ、はい。もちろんです!」
「同期の子としか、共有できない話題もあるだろうから。……さーちゃん、たまーにしんどそうにぼーっとしてるから」
「最近……ですか?」
「特に最近だね〜。初めは周期的な体調不良かなあと思ったけど、ずっとだから! もしかしてテストが連続してあったりするのかなあ?」
「あ、あはは……」
ホットプレートの前でこの会話を聞かされるのは苦痛極まりない。全身から変な汗が吹き出してくる。蒸し焼きにされそうなほど体が発熱している。十数分前の私はよく「寒いね」なんて会話を切り出せたな。
「りるりるは、さーちゃんのこと好き?」
なに聞いてるんだこの人は!? いちご全部抜いて提供してやろうか。
「紗葵ちゃんは……」
クレープはもう完成して、巻けば時雨さんに渡すだけになる。私の手は動かない。本能でこの続きを聞きたいと思っている。
「紗葵ちゃんは、時雨さんの言うみたいに取り繕っちゃうところがあるんですけど、実際はとっても他人想いの子で、言葉では伝えてくれないけど、絶対に味方してくれるし、私は、紗葵ちゃんと友達で良かったなって思っています。だから紗葵ちゃんのことは好きだし、紗葵ちゃんが悩み抱えているなら助けてやりたいです」
私だって、梨琉に出会えて良かったと思っている。助けられているのは私の方だ。私だって梨琉のことが好きだ。これが時雨さんに向けた表面上の言葉だとしても、私は心から救われる。もっと梨琉へと踏み出してみようと思える。
「おまたせしました、時雨さん。いちごホイップです」
「さーちゃん、いい友達持ったねえ〜」
「どうも……」
恥ずかしくて私はどちらとも目を合わせられない。
「おお〜。てかすごいねこのクレープは。こんなにいちご乗せてくれるの」
そう言った梨琉が時雨さんの手元を見る。決められた量よりも多くいちごが乗っているのは、店員側から見れば明らかだった。
「サービス……です」
「私に!?」
「はい、いつもお世話になってるんで」
本当は、梨琉の気持ちを聞き出してくれたからだけど。
「やっぱり可愛い後輩、いや妹だなあさーちゃんは」
「えええちょっといちご溢れますって!」
時雨さんはカウンター越しに私へハグしようとする。そんな馬鹿やってる様子を困ったような笑顔で見つめる梨琉。私の知っている梨琉の表情に近くて、私は安堵する。時雨さんの腕に抱かれて梨琉と目があったとき、初めてあったときみたいに、花火大会のときみたいに、ネイルを褒めたときみたいに、彼女は私に微笑んでくれて、その視線だけのやり取りは私に確かな幸せを感じさせた。




