文化祭
気まずい。気まずい。最高に気まずい。
私はコミュニケーションに大して卓越していないから、他人と一緒にいて『気まずい』と感じることは稀ではない。
にしても今回は最高に気まずい。過去一気まずい。
どうしてこうなった。
––––。
梨琉に今までの行為を非難されて、ベッドで子供みたいに泣いた後のこと。
これを失恋と呼んでよいのかは分からないけれど、梨琉に距離を置かれてしまった私は、無気力に過ごす日々が続いた。先輩に言わせれば、「社会貢献ポテンシャル」蓄積中とでもいったところだろうか。いつ発散できることやら。前期の梅雨だったときみたいに、優先度の授業は出ないで、家でぼうっとしていた。
といっても家に引きこもっているいる訳にも行かなくて、細かいテストがあったり、当然塾のバイトはあるし、さらに学園祭の屋台のためにクレープを作る練習もしなくちゃなんないし、その度に私は無理矢理体を起こして外面を作った。そこで他人と繋がれることで私の脆い心は保たれた。
梨琉と喋らない日がどれだけ続いただろう。気づけば学園祭が翌日に迫っていた。
「いよいよ、明日ですね」
専門科目終わり、近くに座っていた望野さんが私に声をかける。私が胸を張って面識のある友人と呼べるのは学部内に彼女と、ギリ酒井くらいのもんだ。
「楽しみだよね。大学の学園祭ってどんな感じなんだろう」
「その未知の感じが、より好奇心をかきたてます……。理上さんは、こういうイベントを、全力で謳歌するタイプですか……?」
「うーん」
ざっと過去6年を思い返す。まあつまらなくはなかった。けど授業がなくて嬉しいって感情が大半で、別にあの催し自体に喜びは見出していなかった気がする。むしろ友達多い人間やカップルの楽しさが特に輝いて見える日だから、自分のつまらなさが露わになって萎えるというか。思い出すだけで微妙な立ち位置の自分を思い出して心が抉れる。
「結構楽しんでたかも」
私は話を盛った。
「さすが理上さんです……! 文武両道で、遊びも全力なのが、とっても素敵です」
望野さんの前で『武』は見せたことないけど、褒めてくれたので素直に喜んでおいた。
「望野さんはどうなの?」
「私は……休んで、受験勉強していました」
「え、えらい……のかな?」
「その過ごし方を、後悔していて。だから今年こそは、しっかり、満喫したいと思っていて!」
今日も目元のラメが綺麗な望野さんは口をしっかりと結んで頑張りますと意気込んだ。「だから、もしいい店があったら教えて下さいね」という。
「全然、全部教えてあげる」
「ありがとうございます……! 出店も頑張りましょうね」
微笑んですぐ、望野さんは恥ずかしそうな顔をする。私は望野さんと同じ日に出店のシフトが入っていた。私と望野さんと計4人。ちょうどそこに3人目の人間も割り込んでくる。
「望野さん、いいですか」
「あら、機戸くん……」
彼のずっと真面目な顔が私らを一瞥する。機戸、というのは、私が心の中で勝手にソシャゲ君と呼んでいる、真面目そうな見た目の割にいつも授業中スマホでゲームをしている彼のことだ。私にとっては、前期授業のグループワークと、勉強会で会話しただけの関係性。
「ちょうどいいところにいました。明日の打ち合わせをしましょう」
「何か、ありますか……? 話すことなんて」
「ありますよ。段取りとか、列ができた場合の回し方とか。受付・調理それぞれで無駄が起きないようにしないと」
機戸も私と望野さんと同じ1日目の午後前半担当だった。この時間帯は人手が足らなくって、計4人で受付と調理を回すことになっていた。何人ずつで誰がどうすべき等は指定されていないのだけど、機戸が望野さんにうだうだ喋っているのを聞く限り、機戸は180分のシフトを90分交代で受付・調理2人ずつに分かれて行いたいらしい。
「それで、私が機戸くんと……?」
「当たり前じゃないですか。他に誰と組むんですか」
「むー。私、理上さんとがいいです」
望野さんは嫌そうな反応をした。といっても冗談めいた嫌悪反応だけど。2人はよく授業の内容のことで議論している姿を見かける。だから望野さんも雑な対応をし慣れているんだと思う。機戸は呆れたといった顔で、望野さんを見ながらいった。
「理上さんとペアになれるわけないでしょう」
「どうして、ですか?」
「だって、我々のシフトは、僕、望野さん、理上さん、甘城さんなんですよ」
「あー……。ほんとだ」
望野さんは嬉しそうに私を見る。分かっててこのくだりしたんだろう。わざとらしいなあと思いつつ、今のメンタルでその話題はあまり触れたくない。
「2人ずつで分けるに際して、理上さんと甘城さんが当然ペアです。そもそも、あなたと理上さんが組んだら僕と甘城さんですよ? お互い居心地が悪すぎるでしょう」
梨琉はそんな子じゃないんだけど、まあ機戸みたいな男子にとってはそういう印象が強いんだろうなあと思う。
「おっしゃる通りですね。では、私は不服ですけど、機戸くんとお仕事を」
「不服とは失礼な!?」
不満げな機戸はほっといて、私はじわじわと憂いに侵食される。完全に忘れてた、というより思い出さないようにしていた。
先輩のプレゼントを買いに行った日の約束で、私と梨琉はおんなじ日にシフト入れてたんだった。
––––と、いう経緯があって学園祭当日の昼。
「望野さん! カスタードクリーム2つとチョコバナナ2つお願い」
薬学部1年生としての屋台は案外繁盛した。うちだけが栄えているというより、私の想像以上に学園祭には参加者がいて、全体的に人が多いのでうちも当然大忙しになる。特にお昼すぎから始まる私たちのシフトは、昼食どきでお腹を空かせて雑に糖分を求める人間で大量の列ができる。
「この時間に4人だけって代表は何を考えているんですかねほんと」
「機戸くん。文句ばかり言わないで、手を動かしましょう」
「僕は仕事してますよ!?」
ほどよく学園祭の仕事による忙しさを楽しんでいる望野さんと機戸の会話が後ろから聞こえる。いや、聞こえるというよりはそこしか会話していない。
機戸と望野さんは屋台の奥で調理担当。店の前に私と梨琉が立って、注文取りと会計をする。話し合うまでもなく、自然と私がお客さんの注文を聞いてしまったので、以降私が注文をとって梨琉が会計をするという図式が成り立った。
2人だけの空間に会話はない。
それが最高に『気まずい』仕事であった。
「ありがとうございましたーっ!」
隣で元気な挨拶をする。私が春に抱いていた印象通りの『甘城梨琉』。彼女からお金を受け取った人間は、照れながら彼女の目を見たり、わざと聞こえるような声で「店員めっちゃかわいい」なんて噂したり、写真を撮ってくださいとお願いしたり。まあ、祭りなんてそんなものだろう。だから存分にはしゃいでくれていいし、全く嫌な感情にはならないんだけど。
「えっと、聞こえますか?」
「あっ……はい! ごめんなさい。アーモンドチョコショコラ5つでしたっけ?」
「違います。ポテサラツナコーン1つです」
「すみません」
嫌な感情にはならないけど、ひたすら隣が気になって仕方ない。ただでさえレジだなんて苦手な部類なのに、意識の7割が極性分子上の電子みたいに梨琉の方へ偏っていた。ゆえにこうしてたまに注文を聞き逃す。隣の梨琉に確認する勇気なんて私にはない。
「機戸くん。ポテサラ1つ」
「了解。……野菜が思ったより足らなそうですね」
「代表の家まで取りに行こうか?」
「ピークの今に回転率は落としたくありません。もう少し待ちましょう」
「減るかなあ」
「減りますよ。参加者の多数が次第に腹を満たし始めるでしょうし、遅れてくる人の割合なんてしれています。あと20分もすれば、1度帰ったりお酒で潰れる人も出るでしょうし」
「まだ14時なのに潰れるって……」
「僕の調べたところだと、ライブを行っている音楽系サークルの数が最も多い時間もそろそろ訪れる。この時間帯は創作サークルも売り子を切り替えるらしい。そうなるとみな講義棟の方へ流れるだろうから、屋台はしばらく暇になるはずですよ」
「機戸、すごいね」
「理上さん。この人の分析は、あまり、信用してはいけません……」
「なんてことを言うんだ君は」
「機戸くん嘘つきなの?」
「違い、ます……けど。––––この人、前期の成績中途半端だから」
「なっ……! またそうやって成績マウントを……!」
「そ、そうなんだ……」
望野さんは嬉しそうに笑う。望野さんも機戸も学部内では明らかに大人しい側の人間だけど、彼らのような人間と会話している方が私は落ち着く。
「というより、理上さん。注文の方取ってください。……甘城さんがやってくれてるじゃないですか」
「うわ。ごめん」
「喋ってると料理の方に集中できないですし。受付の理上さんが衛生を守る範囲内で会話するのはいいですけど、受付同士で会話したほうが我々の手を止めずに済みますよ」
「そ、そうだよね〜」
機戸くんは普段からこういう物言いで喋るから本気で怒っているつもりはないだろうけど、梨琉と喋れば、と言われたことに私はダメージを受けた。私が機戸と望野さんと喋りたいのは、心の奥にある寂しさを紛らわせたいから。2人としか会話しない私の様子は客観視してみると、梨琉に対する当てつけみたいで、そんなことをしている自分が怖い。
受付に戻って、隣に「ありがとう」と伝えるだけでいいのに、目の前にはたくさんのお客さんがいて、私は先に注文を取ることを猶予として、その合間も隣では会計が行われているからタイミングがなくて、次第にお礼をいうチャンスが失われていく。一瞬、久しぶりにつぶらな瞳が私を捉えてくれたときがあったけど、そのときの私は怯えきった小鹿みたいに硬直することしかできなくて、軽い会釈をするので限界だった。その会釈がお礼として梨琉に伝わったのかどうかは分からない。彼女が示す表情を私が汲み取るより先に、彼女はまた会計の仕事をする。今までの6ヶ月間がなんだったんだろうってくらいに、2人の中には言葉が交わされない。
◆
機戸の言う通り、14時すぎくらいから本当に客足が減ってきた。まぐれか、もしくは望野さんが機戸を過小評価していただけで本当に予想が的中したか。
「暇に、なっちゃいましたね」
マスクを外した望野さんが私と梨琉の間に入って呟く。空いている今の方が並ばなくていい分狙い目なのに、一度減った客足はずっとそのままで、むしろ行列ができていた頃はその列に万有引力が働いているみたいに列が伸び続けていた。
「今のうちに野菜とってきたら?」
私は望野さんにそう伝える。食材は学部代表学生の家に学園祭4日分を分けて保存している。予想より足りていないなら、その子の家から取ってくればよい。せいぜい往復7~8分くらいだ。
「そうしましょうか。ちょうどいいタイミングですよ」
望野さんじゃなくて機戸が答えた。「戻ってきたら調理と受付も交代しましょう。僕がバリバリの宣伝で客足を回復させますよ」と彼は意気込む。「理上さんが居るほうが、みんな来たくなりますよ。……ええ本当に」と望野さんはまた嫌味を言った。
「まあ事実でしょうけど、僕だって頑張るから許してくださいよ。……それはさておき、野菜は僕と望野さんで取ってきていいですか?」
「2人で?」
私は即座に反応した。梨琉と2人で残されるのか。しかもお店が暇なときに。これならまだ忙しい方がいい。
「ええ。力仕事なので、僕が行くのは当然として、量が多いのでもうひとりも連れて行きたいですね。甘城さんは1人でも受付の対応が抜群でしたし、受付は絶対。となると、甘城さんと円滑なコミュニケーションのとれる理上さんが調理係として残った方が、仕事が回りやすいんではないでしょうか」
「えっと……」
「私は、別にいいですよ、それで」
望野さんは機戸じゃなくて私に言った。実際、仕事を回すことは問題ない。機戸も色々理屈こねてるけど、望野さん以外と会話を繋げるのが難しいんだろうなと思う。望野さんは私と梨琉が残される状況に期待しているし……。屋台も、機戸も、望野さんもそれで幸せになる。困るのは私だけ。梨琉が何を考えているかはわかんない。
「ではでは、さっさと取りに行きましょう望野さん。2人だけに仕事させているのは僕も男として情けないですからね」
「はあ。ほんとは理上さんと、2人で行きたかったのに」
とはいえそこまで不満げでもなさそうな望野さんは、機戸とともに屋台から出ていく。緩衝材だった望野さんも機戸も消えて、私と梨琉が狭い屋台の下に残される。客は一向に来る気配がない。
今世紀最大の重い空気。




