終焉
「紗葵ちゃんの知ってる人……だったんだね」
講義室を出て、どこに向かってるかも分からない状況でとぼとぼ歩く。そんな中で梨琉が言った。
「びっくりしちゃった。紗葵ちゃんいるかなと思って会いに行ったら、2人がいたから」
「先輩の知り合いらしくって」
「ずっと知ってたの?」
梨琉のその声は、憐れみを含んでいるみたいで、言えなかった私を追及するというより、言えなかった私に同情するような優しさが籠もっていて、私の心はぐちゃぐちゃになる。
「いや、初めからは知らなかったけど、食堂で出会った日の夜に先輩から紹介を受けて……」
「それは、桐華さんがわざと私たちに絡ませたってこと?」
「……違う。たまたま」
「ほんとに?」
私の嘘は見抜かれているかもしれない。もちろん本当は先輩の手によって起きた出来事だ。でも、梨琉には直接言えない。だって言ってしまったら、初めての出会いも実験頼みだったってことがバレて、私の気持ちが偽りみたいに思われるのが嫌だったから。
「教えるのは嫌?」
「えっと」
声色が穏やかでも、梨琉に問い詰められるが苦しくって、次第に声が枯れてくる。追い詰められるほど頭が白くなる。緊急への対処が私は苦手なんだ。
「私……すっごく怖かったの。あのとき。––––ママが連れてくる男の人みたいで、大学にもこんな人が居るんだと思って、でも、助けてくれた紗葵ちゃんはすっごくかっこよくて。……私、不器用ながらに私のことを考えてくれる紗葵ちゃんのことがすっごく好きだった」
私は梨琉の方を見れない。「好き」と言われたことよりも、それが過去形であることしか意識できなかった。
「わかんなくなってきちゃった。別に全部教えてくれなくたっていいんだよ? でも、今回のことは、あんまり信じられない。……紗葵ちゃんの目を見てたら、本当じゃないだなって分かる。私に言えないことがあるんだなって分かる。桐華さんと普段なにやってるかってことも聞いてない。いつから帰省するかなんて直前まで知らなかった。単発バイトの日だって、どうしてみんなとご飯に行きたがらないのか、結局わかんないまま」
「ごめん……」
「怒ってないよ。でも、ちょっと悲しいかな。私が紗葵ちゃんのこと好き過ぎるのかもしれない。なんでも知りたいって思って、一線超えちゃったのかも。私こそごめんね」
そんなことない。梨琉は何も悪くないんだ。私が歩み寄れてないだけ。
声が出ない。笑っていない梨琉の顔が見れない。
「だから聞かないようにしたのっ。その方が私幸せかな、と思って。望野さんとのお話は聞かないようにした。……遊びに行く予定だったんだね。日曜日、偶然見かけちゃった」
私が梨琉と酒井を見かけた日のことだ。向こうにも気づかれてたんだ。
「酒井くんとやり取りしてることも、酒井くんから直接聞いた。私たちのこと、応援してくれてたみたいだね、紗葵ちゃん。……男の子が苦手だって、伝えたかも知れないけど、覚えてないよね」
梨琉にまつわる色んなことが頭を渦巻いている。酒井にアドバイスしたのはどうしてだっけ。実験があったからだっけ。なんにも覚えてないや。ただ、梨琉の迷惑だってことだけ理解できた。
「私……怖くなってきちゃった。紗葵ちゃんのこと。……ごめんね。ミクちゃんとカナちゃんともお話したんだよね。酒井くんにはアドバイスしたけど、3人で話したときは私たちを別れさせようとしたって。2人が言ってたことだから鵜呑みにしないけど。……でも、紗葵ちゃんが3人で集まってどうして会話してるのかなっていうのは、不思議なまま」
なんだろう、この感覚。体はどうにかしなければならないと危険信号を送り続けているのに、心だけがぷつんと切れて、『もう全部、終わってしまうのかな』なんて冷静に考えてる。距離感を置いてれば関係が保たれるだなんて、全くの幻想じゃんか。
「私に駄目なことがあるなら教えてよ。紗葵ちゃん。おねがい。私、嫌だ。もう裏切られたくない。どうして誰も教えてくれないの? 欠点があれば直すのに、一緒にいて楽しくないなら私は無理に参加しないのに、ずっと楽しいフリをして、急に敵になるの。……どうして? 教えてほしい、私のヤなところ」
違う。––––私は、梨琉が好き。幸せにしてやりたいし、大事だから伝えるエピソードは選別してたんだ。嫌なところなんてない。裏切るつもりなんてない。何をすれば伝えられる? 私の今までの行いは全部梨琉を傷つけているのに。
「どうして、黙ってるの?」
今声を出せば、感情も全部吐き出してしまって、私は恥ずかしいところを梨琉に見せてしまう。こらえるので一杯だった。頼むから、いつもみたいな優しさで、会話を丸く収めてほしい。この瞬間を乗り切ってくれれば、落ち着いた私は全部を正直に話すことができる。勘違いを正すことができる。傷つけたことに対する懺悔ができる。だから、一瞬だけ、見逃してほしい。私はまだ梨琉に甘えたい。
「そう……だよね。紗葵ちゃんは優しいから、私の悪口言えるわけないよね。……ううん。大丈夫だよ。責め立ててしまって、ごめん」
「私は……」
これ以上梨琉に謝らせるのも限界だった。声にならない声を振り絞って、極力短く、誤解を生まない言葉を探す。
「私は……梨琉のこと、大切に思ってるよ。勘違いさせてたら、ごめん……」
吐きそうになる。この状況でこれ以上理性を必要とするやり取りを私はできない。
遠くを見ていた梨琉は、久しぶりに表情を働かせた。目を大きく開いている。
「その言葉……」
立ち止まって言った梨琉と私の間には大きな隔たりがある。手を伸ばしても彼女には届かないような気がする。初めから、理上紗葵と甘城梨琉なんて出会うべき存在じゃなかったんだなって、思い知らされるみたいに。
「その言葉はね、ママも、全くおんなじこと言ってた。都合の良いときだけそう言って、味方してくれたことなんてなかった。……紗葵ちゃん、ごめんね」
一歩、一歩、彼女が遠ざかっていく。目に光はない。
「落ち着くまで、しばらく距離置こっか。もしどちらかが会いたいと思ったら、また連絡する形で」
待って。
「紗葵ちゃんにも裏切られちゃったら、私ほんとうにおかしくなっちゃう」
梨琉が視界から消えるまで、私は遠ざかる彼女を永遠に見つめて、心の中で狂ったように叫び続けた。心の何かが欠けたんじゃなくて、支えを失って、私の心は全て地に堕ちる。
どうやって帰路についたのか覚えてないけれど、知らぬ間に外は暗くなっていて、思考ができるようになった頃にベッドで私の体は硬直していた。
梨琉を、たくさん傷つけていたんだなと、ようやく自覚する。好きだなんて言って、交流は全部先輩任せで、自分から何か梨琉にしてやれたことがあったっけ。わかんないや。思い出したら頭が痛くなる。
感情を露わにしないせいで、梨琉は私が嬉しいのか悲しいのかも判断し兼ねていたのだろう。積極的に付き合えば嫌われるかもしれないと恐れた私の弱さが、梨琉の前で全部暴かれてしまう。素直に気持ちを伝える酒井や望野さんのほうが、よっぽど偉い。
全ての行動に理由があったなんて言って、梨琉は信用してくれるかなあ。ダメだろうな。異世界を暴くためだとか、頓珍漢で理解してもらえる訳がない。
甘えてたと思う。途端に梨琉を意識するようになったのは、きっと私が自分の気持ちに気づいただけじゃなくて、『梨琉も私が好きかもしれない』なんて自惚れてたんだろう。心の根っこで、梨琉は離れないなんて安心があった。彼女だって1人の人間なのに、私は自分のことばっか考えて、一切梨琉の立場になって考えることができなかった。
自分の無力が理性を超えて恥となって襲いかかったとき、その失敗がもう取り返しのつかないところまで来てしまったと認めたとき、悔しくて、情けなくて、負の感情と化した最近の色んな出来事に心をかき乱されて、私はベッドでありえないくらい泣いた。子供みたいな声を出して、子供の頃よりも泣いた。ペパーミントの香りは、もうしない。




