助けてくれる人
転生者の魂が宿る前のレイラって、どれほどの悪役だったのだろう。
彼女のことがどうしても知りたくなった。自分の欲望に勝てないで破滅するなんて、私みたいで、彼女を見ていれば自己の情けなさゆえに凹んだ自分を肯定できるかも知れないと思った。
「えらく真剣に見てるわね」
「……暇なんで」
金曜午後の授業を終えて、アルバイト前まで講義室で異世界のライブを見て過ごす。テレビのリモコンみたいに特定の対象を切り替えて映すことのできるハイテクには何の違和感も抱かないで、私は宮殿の生活へカメラを向けたままのんびり眺めていた。先輩曰く「ファンタジーを見るカメラなんだから性能もそりゃファンタジーでしょうよ」とのこと。
「理上さんも異世界に興味持ち始めた?」
長代先輩は穏やかな顔で私の隣に腰を下ろす。その凛々しさとは対照的に手元で猫ちゃんマグカップが笑っている。
「別にそんなんじゃないですけど」
「そう」
「……」
「人間、色んなことができるようになってくると、小さい失敗は避けられるようになるから」
悪役悪役に取り憑かれたみたいにレイラのことをずっと見ていた私に、長代先輩はそっと話しかけた。
「異世界の話ですか?」
「いいえ? 現実の誰かさんの話」
コーヒーの香りが近くなって、さすがにホットコーヒーの季節だなあなんてことをふと思う。
「強くなっていく過程で、自分の浅いレベルにある苦手なことはどんどん埋められていく。そしたら、次に壁にぶつかるときは、もっと自分の深層で苦手だとしていることのはずなの。だから、成長すればするほど、1失敗辺りに感じる辛さは強くなってくる」
「どうしていきなりそんな話」
「あなた、もう少し自分に自信もったら?」
私が今凹んでいるのは強くなった証拠と言わんばかりに、先輩は私のことを見る。よっぽど私がわかりやすくて落ち込んでいるのが見抜かれたか。にしても自分に自信がない辺りまで見抜かれるのは驚かざるを得ないというか。
「心を読んだりとかはしてないわよ。あれだけ大きな声で言い合いしてたら気づくでしょう」
「あの時の食堂にいたんですか!?」
思わず私は声をあげた。
「まぐれね。間食しようと思ったらたまたま。全部は聞いてないけれど、揉めてるのはあたしじゃなくても気づいたんじゃない?」
「なんか、情けないです。……人にあそこまで踏み込んだとこ見られちゃって」
「友達のために感情的になれるなんて可愛いじゃない。……そもそも、あの会話が生じたきっかけはあたしが実験投げたからでしょ。……無理そうだったら、あたしは別のことを立証するから言ってね」
「いいです。梨琉と酒井に協力して却って結ばれなくなるかもしれないって実験は、やってみたいんで」
彼女は黙ってコーヒーを啜る。軽く息を吐いて、「もし食堂での出来事を気にしているのなら、反省したあなたはもっと強くなってるはず。マルトくんのように強烈な失敗じゃないにしろ、経験に依存した成長が得られたんじゃない?」
「ありがとう、……ございます」
空気感と先輩の表情で、ようやく慰められてるんだなってわかった。センチメンタルは優しくされた方が加速する。辛いときは決してイジってこないのが、彼女の優しさに包まれている気がして、弱みを見せきれない私は立ち上がった。ここで悩みを打ち明けられたらもっと強い人間になれるのになあ。
「じゃ、じゃあそろそろバイトなんで、失礼します」
「いってらっしゃい」
出てく直前、長代先輩はいつもの凛々しい目で私に声をかけた。
「つぎ失敗するときはもっと辛いでしょうから、誰かに相談するのよ。あたしじゃなくてもいいから」
震えた「ありがとうございます」は声が小さすぎて、先輩に届いていないかもしれない。
『返信遅れてごめん(汗) ここにしよっか!』
塾での休憩時間、望野さんとの日曜に食事する場所をまだ決められていなかった私は、酒井にアドバイスを送る傍らで望野さんにようやく返信した。選んだ店は開放的な空気感漂うお洒落な洋風カフェで、先週梨琉と行った古風な喫茶店とはまた違った趣があった。
「楽しそうなもの見てるな〜?!」
ノートパソコンでカフェのホームページを閲覧していたら、優しい香りが漂った。時雨さんだ。
「日曜日に友達と行くんですよ」
「いいなあ〜」
「でもノンアルですよ。ランチだしカフェだし」
「昼呑み期待した訳じゃないぞ?!」
「そりゃあお昼のビールは最高だけども」と、生徒の居る方には届かない小さな声で時雨さんは呟く。
「お友達とお出かけするのが羨ましいなあ〜って話だよ〜」
「時雨さんの方が私より遊び経験してそう」
「ふふ〜、どう思う? 土日とか何してると思う?」
「バーベキューとかサーフィン」
「さーちゃん、私のことそんな目で見てるの……!?」
時雨さんは青ざめてわかりやすく悲しそうな顔をする。「バーベキューしてそう」は一切の悪口じゃないんだけど。
「冗談……ですけど。でも突発で女子会したり、塾の人らとラーメン食べにいったりしてそう。こっちは本気」
時雨さんは嬉しそうに笑った。この人の笑いのツボはどこにあるのかよくわからない。
「いやいやさーちゃん。なかなか良い推理だよ。たしかに私はゼミの人間関係に恵まれてるし、この塾の人らとも仲良くさせてもらってるけれども……」
「けれども……」
「体力が、時間が、足りないんだよさーちゃん。B4にもなると、ふと遊びに出かけるほどの気力がなくなるんだ……。だからゼミの人と真っ昼間から遊ぼうとはならないし、ここでも夜に1軒飲み行くくらい」
「そ、そうなんですね。––––時雨さんって、今おいくつでしたっけ」
「あー、さーちゃん、女の子に年齢聞くなんてモテないよ?」
「それ私も言う側ですよ」
「あはは〜冗談冗談。いま21」
「21……!」
思わず変な声が出た。私は誕生日が早くて、しかも浪人しているからB1なのに20歳。時雨さんは現役合格で、まだ誕生日が来ていないから21歳。3つも学年が違って、お姉さんだと思っていた人が、年齢差1なのに軽いショックを受ける。
「なに、おばさんだと思った!?」
「違います違います。1歳差なので驚きました」
「あ〜ね。もう少しで22歳になるからぁ」
「いつなんですか?」
「12月1日! 秋から冬の変わり目に降る雨が時雨だから、時雨って名前なの。可愛いでしょ〜」
「え、めっちゃ可愛い。素敵なご両親ですね」
「でしょ〜。さーちゃんはどうして『紗葵』なの?」
「全く知らないです。5月中旬だから葵って漢字使いたかったのかなあって勝手に推測してますけど」
「すごい可愛い漢字だもんね」
「たまーに言われます。嬉しいです」
梨琉と初めて会った時も同じようなことを言われたのを思い出す。あれ以降、『紗葵』って名前が前より好きになった。
考えごとに意識を持っていかれそうになって、時計を見る。まだ休憩時間は続く。望野さんと遊ぶアドバイスが得られることを期待して私は話題を切り替えた。
「話戻るんですけど、B1とかB2のときは遊んでたんですか」
「あー」
「どっちですかその反応」
「どっちだと思う〜?」
「またクイズ始まった!?」
「正解は〜、『あんまり遊んでない』でした〜」
意外な答えだった。
「体力ある時期じゃないんですかまさに。……もしかして未成年でお酒飲めないから楽しくなかったとか」
「半分正解!」
「時雨さんの人生お酒から始まるんですね……」
「あと、普通にダラダラしてたなあ〜」
「そうなんですか?」
「うん。やることなさすぎて逆に暇じゃないかなあ?」
私は納得する。たぶん長代先輩と出会ってなければ一生怠惰な生活を送っていたように思う。ここに働きに来るときだけ人間的なスイッチが入って、時雨さんだけが私に構ってくれる世界線。
「なんか安心しました。時雨さんって色んなことを謳歌している人だと思ってたので、そんな人でもダラダラすることあるんだって」
「あるある〜。存分に安心してくれたまえ! さーちゃんの方がよっぽど学生生活エンジョイしてるよ!」
「時雨さんの分まで遊びます」
「お酒早く覚えるんだぞ! ––––でも、私も安心したなあ」
「……何にですか?」
「さーちゃん、来たとき暗い顔してたから、何か嫌なことあったんだと思った」
私ってそんなに顔に出てるんだろうか。長代先輩にも時雨さんにもお見通しらしい。
「友達と楽しそうなら良かった」
「たぶん、色々平和ですよ私の周りなんて」
私はちょっと強がる。
「この前の気まずい子と話さなくちゃいけないっていうのは、何とかなった?」
「ぁ……」
ミクとカナのことだ。時雨さんに相談して、それから2人との会話に挑んだ。実際のところは……時雨さんのアドバイスに最後まで従いきれないで、私の幼稚な精神が限界を迎えただけに終わった。
「まあ、大成功じゃなかったにしても、それでいいんだよ! そっから学べることはあると思うからね。さーちゃんはさ、色んな人との付き合いが丁寧で、自分の100をフルに見せようとするから……生徒との付き合い方もそうだけど。あっ、これは褒めてるんだよ? さーちゃんのすっごく素敵なところ。でもね」
時雨さんは優しい表情を作るのが上手い。本当に21歳かと疑いたくなる。
「その結果さーちゃんが辛くなっちゃうなら、それは本末転倒だから、良い意味で力抜いて他人と付き合ってみるのもいいと思う! 相手には相手なりの『理上紗葵』がいるはずだから……って、何だこの堅苦しい説教は!?」
「真剣に聞いてくれるからだる絡みしちゃったかも〜!?」と時雨さんは慌てる。「大丈夫ですよ」ととりあえず返事して、彼女の言葉を反芻する。この人の言葉は、責任感を負わない範囲で私を後押ししてくれるから従いやすい。
「ちょっと元気出てきました」
「やっぱり少し落ち込んでた〜?」
「……。元気でしたけど、さらに元気倍増しました。今は超元気です」
「素晴らしい! それでこそ優木家の三女!」
「まだ言ってる……」
望野さんの前で振る舞うための活力が私には不足しているように感じていたけど、心にかかっていた重りは全部外れて、随分と軽くなった。『日曜、楽しみにしてるね!』と望野さんとのチャットに書き込む。気遣いでも義務でもなくて、本心から。彼女が振る舞いやすいような状況を作ってあげたいし、自分も気楽な心で挑めばいいなと思って、メッセージを送信した。




