対立
与えられた実験をすすめるためには、できれば避けたいカナに協力を願う必要がある。––––私にとって無理難題ともいえる課題に立ち向かうに際して、相談するにはとっておきの相手がいる。
「気まずい子とどうしても関与しなきゃいけない、かあ……」
長代先輩と話した翌日の火曜夜。アルバイトの授業を終えて、『うぐいす』で時雨さんに事を相談してみる。カナと何がきっかけで仲違いしているか、どうして今関与しなきゃなんないか、詳細を伏せていても時雨さんは話を聞いてくれた。
「時雨さんってそもそも他人に対してそういう感情抱くことあります?」
「そういう、っていうのは?」
「そのー、気まずいっていうか、この人嫌だな、みたいな」
「あるあるー! ちょーあるよ。それこそ大きな声で言えないけど保護者様でも該当者とかいるし……」
私は苦笑いするしかなかった。もう3杯目だし酔ってるんだろうなって思う。
「彼ら彼女らと会話するときどうしてます?」
「ふふ〜。そうだなあ」
ほんのり赤い顔で上方を見つめて、結論を出せたらしい時雨さんは「うん!」と手を叩いてから言う。
「自分の方からは敵意を見せないようにしてるかなっ! どれだけ敵対してても、『こっちは嫌ってないよ』って素振りを見せたら案外向こうは騙されるっていうか。逆に喧嘩する気全開で会話しちゃったら一生敵同士であることが確定しちゃうから。こっちは一切敵意を見せないで関わる。『剛』よりも『柔』だね」
「なるほど〜……。ありがとうございます」
「参考になるといいけどね〜」
時雨さんはちょっと梨琉っぽいところがあって、事を荒らげないようにすることに重きを置いて人と関わっている。梨琉は自分が嫌われてしまったらそれは自分にダメなところがあるっていう自責思考に近いけど、時雨さんは嫌われてもなお、相手に愛情を注いで関係が修復する可能性に賭ける。そんなことが私にできるかなあって不安になる。
「お〜い、不安になったらたくさん飲むといいんだぞ〜」
「アルハラですよ時雨さん。いや、お酒飲めるようにはなりたいですけどね」
「悩めば悩むほどお酒は旨くなる!」
時雨さんは自分で言ったことに声を出して笑った。何が面白いのか私には微塵も理解できなかったけど、言葉じゃなくて雰囲気で楽しくなっているんだろう。こんな人でも対人で苦手だと感じることがあるんだから、そこだけは自分も自信を持とうと思えた。
◆
翌々日。
「久しぶり……」
この気まずさをなんと形容しよう。いじめっ子といじめられっ子の再会とか? もしくは喧嘩別れした元カレ? それとも自分を捨てた親との対面? いずれにせよ、それ相応の重い空気を今私は味わっている。
「急に話があるっていうのは、マジで意味わからんっていうか」
「いやあ、カナ関係じゃないの?」
後期の木曜日は午後が全て空いている。私はカナが空いていることを直接確認して、食堂に呼んだ。そしたらミクもついてきた。2対1になる可能性は極めて不利だったし、未だに梨琉へ謝ってない2人に揃って会うのは気分が悪かったけど、断る勇気もない私はミクが来ることを了承した。3人で食堂に集まるのって、パフェを食べたとき以来だ。あのときより食堂の景色には見飽きていて、外は寒くなって、ミクとカナに抱く感情は変わってしまった。
「うん。……ミクが言うみたいに、カナに話があって」
「なに?」
ミクの尖った視線が私を捉える。怯まないように私は深呼吸する。梨琉と酒井の話をしなきゃなんない。そのために私はミクを呼んだんだ。
「えっと、酒井のことで」
「……ッ」
「詳細は知らないけど、酒井が梨琉に告白? したみたいで」
隣でミクが面白そうにカナを横目でみる。
「……知ってる」
「え?」
「知ってるよ。そんくらい。そもそもミナトってさ、絶対あいつに気あったし。あいつは誰にでも近づく男たらしだから騙されてんだろうけど、ミナト含め男って基本バカだからわかんないと思う」
「そ……っか」
私は真剣に頭を働かせた。梨琉や酒井を雑に貶めたことに対する感情は一度飲み込む。
時雨さんの言葉を思い出す。私は『柔』の精神をもって、カナに協力してもらわなきゃいけない。
けれども、私が感情の1つ1つを処理する間にカナの不満が膨らんでいった。
「まさかわざわざそんなこと言いにきたの!? ミナトが好意を寄せてるのなんか、露骨に分かるじゃん。授業中もジロジロ見てるし、隙あらばあいつに話を振りたがるし。で、何? 今度は私がミナトのこと意識してたって誰かに吹かれたから、馬鹿にするために呼んだの? 『詳細は知らないけど』とか、しらこい顔して、死ぬほど腹立つんだけど。この前の仕返し?」
「カナ〜、紗葵はそこまで言ってないぞ〜」
ミクは野次馬みたいにそう呟いた。本当に面白がってついてきたみたい。2人は仲がいいのか悪いのか分からない。仲がいいからこそイジっているのかとも思ったけど、その割に今のカナは本気で怒ってる。ミクに諭されてカナは一旦落ち着いた。
「ごめん。カナ、聞いて。私は復讐する気も、カナを馬鹿にするもない。ただ」
「ただ、なに?」
「カナにとって酒井に近づくチャンスなんじゃないかと思って」
「だから馬鹿にすんなって!!」
カナの声が轟いて周囲の視線が私ら3人に強く刺さった。ミクは思わず吹き出して、「紗葵、攻撃する気しかないじゃん」とニヤける。事実を優先するあまり皮肉を帯びてしまったらしく、私は恥じると共に反省した。
相手の、カナの気持ちになって言葉を選ばないと。
「結論から言うね。私は梨琉と酒井は付き合わないとおもってる。梨琉は、酒井のことすきじゃないだろうから」
「ミナトかわいそ〜」
「そりゃそうでしょ。あいつは男たらしだもん。男っていうか、女もたらすんじゃない?」
カナは嘲け笑う。
「ちなみに紗葵はどうしてそう思うの?」
ミクの言葉に、私は真剣な想いで答えた。
「梨琉は、男の人が苦手だから」
それは本人がそう言っていたのと、母が連れてくる男の人に嫌な気持ちにさせられたことが多いから、という2つの根拠に基づいている。けれどもミクはまた笑いだして、カナは汚物を見るような目で私を睨んだ。
「梨琉の『男が苦手』トーク、信じてるのいたんだ」
「ほんとうだよ」
「紗葵、あんたもさ、あいつに騙されてるよ。ミナトとおんなじ」
「なんで……」
途端に思考が回らなくなった。泣きたいような気持ちに苛まれる。梨琉のことは信じてる。だから私は騙されたなんて思ってない。2対1になる構図も覚悟できていた。だから窮地に立たされて辛いわけでもない。それでも心が苦しくなった。
黙り込んだ私をじっと見つめて、ミクが会話を切り出す。
「まあ、根拠はなんでもいいや。……で、それがどうしてミナトとカナがくっつくキッカケになるの?」
「えっと、それは」
私は長代先輩の話を簡略化して伝えた。2人の仲を無理矢理引き裂こうとすれば、協力の意識が芽生えて付き合ってしまうかもしれないってこと。それよりは悪だと認識されている(これを言った時カナはまた私を睨んだ)カナがあえて恋仲を応援するような素振りをみせれば、それが酒井の心に響くかもしれないってこと。
「おお〜。シンプルだけど、理にかなってんじゃん。……どうよカナ」
ニヤニヤしながらミクが言う。
「私に、一時的とはいえ2人を応援しろって訳?」
「雑に演技すりゃあいいじゃんか〜。だってほっといても2人は別れるんでしょ?」
「そう……だけど、100%じゃないじゃん。協力したせいでくっついちゃったらどうすんの」
私はずっと黙っていた。どこかで、2人のデートが上手く行かないはずだと私は盲信している。
沈黙の隙でミクが喋りだす。
「ちなみに成功する場合だけどさ、紗葵はどうしてそんな話を持ちかけてきたわけ? これって得するのカナだけじゃん?」
梨琉にひどいことをした私らにどうして、とミクの瞳は語っている。それを明言しないのは、どこか逃げているようでもどかしい。しかしそこは指摘しないで私は質問に答える。
「梨琉の幸せにもなるかもしんないから」
「なんで?」
「さっきも言ったでしょ。梨琉はそういうの苦手なんだって。酒井を悪いやつとは思ってないけど、勢いで押されて、梨琉が気を遣うことになってしまったらお互いに不幸になるでしょ。だから私は、梨琉と酒井のために、全員がより良い道を歩める作戦を提案したの。それだけ」
「へえ〜」
ミクはずっと半笑いで私のことを見る。喋らないと思っていたカナはいつもみたいにスマホをイジっていた。こんな状況でも、そっちを優先するのか。
そんなことを考えていたとき、ミクは思ったより鋭い言葉を吐いた。
「たぶんさ、それ、紗葵のためだよね。紗葵は、梨琉に彼氏ができるのが嫌なんだ」
……いま、何を言った?
身を乗り出し気味に発したミクの言葉は、私の見えない部分を突き刺した。小学生のときに意図せず花瓶を割ってしまって、それを黙っていたままだったのが先生にバレてしまったときみたいな変な汗が、秋冬用のニットへ染み込んでゆく。
「どういうこと? それ?」
私は自然とミクを凝視していたように思う。本気で、そう思った根拠が知りたかったから。
「どういうことも何も、紗葵の話聞いてたら、梨琉に彼氏できて欲しくなんだろうなっていうのが伝わってきた」
理由になってなくて私は困った。ミクのその話を聞いて、今度はカナが口を開く。
「結局あんたも嫉妬してんじゃん」
血がまとめて頭に昇ってくる感覚。
「違う、私はそんなつもり」
「あるでしょ。紗葵意外と嫉妬深いね」
「やめて」
「あいつに彼氏できるのを阻止してほしくて呼び出したとかウケる」
「違う」
「紗葵も悪だな〜」
「やっぱあいつって、誰にでも嫌われるんだね」
「そんなつもりないからッ!!」
叫んで、立ち上がって、そのとき初めて自分を客観視。
私は2人を睨んだ。これでは周囲から女同士ギスギスしていると察せられて仕方ないと思いながら。
どうしてこんな状況になった。感情の波の中で過去を振り返る。私の中にある時雨さんのアドバイスはどこへ行った。自身をどれだけ分析しても、理性だけは帰ってきてくれない。
「私はただ、カナが酒井と近づけたらいいなって、その過程で梨琉が嫌な思いしなければいいなって、そう思って話してるだけ。なんで、どうして、一々細かいところで馬鹿にされて、梨琉へ碌な謝罪もできないようなあんたら2人に侮辱されなきゃいけないの? 理解できないし、本当に……腹が立つ」
駄目だ。これじゃカナと態度が何も変わらない。分かってるのに、必死に歩み寄ろうとする私を避け続けて、議論を無駄にしようとする2人が許せなかった。次いで、感情のまま支離滅裂な言葉を紡ぐ自分にもイライラして、渦巻いた憤りが全く収まらない。
「手伝う気ないんだったらいいよ。カナは、そんなんだから梨琉に酒井を取られちゃうんだ。ミクに笑われていることも気づいたら? ……わかんないか、そんなこと。ミクも、呼んでないのについてきて、外野の安全なところからずっとつまらないことばかり挟んで。まあ、そういう立場が生きがいの人もいるんだろうけど、大学生にもなってそれだったら、救えないね」
大きく吐いた自分の息が小刻みに震えてる。それを自覚したとき、カナは軽く涙目になっていた。「紗葵キレちゃってんじゃん」とミクは呟く。もう怒りは湧いてこなかった。残ったのは、虚しさだけ。
「帰っていいよ。ていうか、消えて」と私が伝えたっきり2人はいなくなった。小学生みたいに感情だけで騒いで、時雨さんや長代先輩には遠く及ばない自身の幼稚さを自覚して、最後の砦として食堂では泣くまいと、限界のところでこらえて。私は自分自身を落ち着かせるまでずっと食堂で1人過ごした。
スマホを開く。食堂のランチタイム終了10分前。
出ていかねばならない。
酒井に軽く連絡を取った。カナが手伝わないなら、私が梨琉とのデートを成功させるコツを教えてあげないと。
––––どうして2人のデートを手伝わなきゃいけないんだっけ。
茹でたみたいにぼけーっとする頭でやんわり思い出す。ああ、たしか先輩の『悪役令嬢仮説』。本来邪魔するはずの悪役令嬢が優しくしてやれば、却って2人は結ばれなくなるかもしれないという仮説。
私が手伝うってことは、仮説上私が本来悪役令嬢のような存在ってことになるのか? 先輩に指示されなければ、酒井と梨琉を引き離そうとしていたような悪役ってことになるのか? 何にも分からない。何だか、手伝っても邪魔しても物事が悪い方向に転ぶ気しかしらない。だったら邪魔した方が自分のためなんじゃないか。
心の奥で自分の邪悪が芽生えてくるのを感じて、私は自嘲するので限界だった。




