陽キャとの会合
翌日。
メモを見ながら異世界研究会代表もとい長代桐華に指令された内容を確認する。
実験として確かめる内容は以下である。
私は今日のドイツ語の授業で甘城梨琉の隣に座る。そうして、できれば円滑に授業のやり取りをする。さらに上を目指すなら私は彼女と雑談を交わす。極地に至りたいなら連絡先を交換する。
尋常の私であればそんなこと実行不可能に思える。しかし拉致され変人と会話するという恐怖を得た今の私ならその程度乗り切れるだろう、というのが長代先輩の主張だ。そしてその成長は『異世界転生によるチートスキルの獲得』と同じモデルであり、『死』を経た急激な成長の証明である、と彼女は言う。
ぼんやりとその論理の正しさについて考えるうち、目的の教室に到着した。授業開始10分前というのに甘城さんはもう席に着いて、後ろの友達2人と談笑していた。可愛くて友達もたくさんいるのに真面目だなんて、そこまで携えていたら私の立つ瀬はなくなる。
授業は自由席だ。彼女の横は空いていた。1度固定された席は滅多に変わらないので、みな先週と同じ配置で座っているのだろう。私は平然と彼女の横に座る。
一瞬、甘城とその友人が揃ってこちらを見た。
座ってから私は違和感に気づく。ああ、そうか。今は授業開始まで余裕があるから空席はいくらでもある。にも関わらず私は彼女の隣にわざわざ座った。同じ長机を共有する隣を選んだ。有機化合物上の原子団がそうであるように、ある程度の距離感を保った方が落ち着くのに、私は彼女と接近する道を選んだ。よくわからない根暗女が隣に座ってきて、彼女らはたいそう困惑したことだろう。驚くなかれ、私がこれから見せるコミュ力は常軌を逸したチートスキル相当だ。
私は黙ったまま授業の開始を待ち続けた。
その待機も突如打ち破られる。
「教室来るの早いねっ!」
声が耳に届いて、本能が焦燥感を発した。送られてきたシグナルを冷静に処理する。これは私に向けられた発言、そしてこの声の主は甘城梨琉。
隣を見る。あまりにも無垢で眩しい笑顔がこちらを見ている。
甘城さんが、私に話しかけている。
「3限は一般教養科目とってないの?」
彼女の発言は、間違いなくコミュニケーションの序盤に行われる探り––––ジャブであり、授業開始までの数分を満たすための形式的な交流にすぎなかったと思う。会話なんてそういうもんだ。だから私の返しだって本質的な発言じゃなくて良いはず。分かっていても私は狼狽えた。あまりにも不意打ちであり、しかも相手が甘城さんだったから。
「あわ。ぁ。えと」
「理上さん……だっけ? 学部のグループでフルネームみたんだけど、下の名前なんて読むの?」
「さ、さき……」
怒涛の情報が流れ込んでくる。最後の攻撃だけなんとか凌ぐ。
「へえぇ、紗葵ちゃん! あれで紗葵って読むんだ。すっごく素敵だね」
「ささ、さきちゃ……」
講義室に射し込む太陽は眩しすぎてクラっとしてしまいそうになる。この部屋は暑い。梅雨前線の到来より先に、今年は夏を迎えたみたいだ。
会話を続けてくれる可愛い甘城さんへ、私は小刻みな相槌を送るので精一杯。
ああ、長代先輩。どうやらあなたの仮説は立証できずに終わってしまいそうです。
◆
今日のドイツ語は疑問文に関する内容だった。初めに講師の簡単な文法解説が行われる。隣の甘城さんは真剣にノートテイクをしていた。
「それじゃ、簡単なやり取りを行ってみましょう。片方が聞いて、もう片方が答える」
講師が指示をする。ドイツ語のスピーキングと聞くと難しそうだが、その実は教科書に書いてあること読み上げてもう片方も教科書に書いてある選択肢から選べばよいだけなので簡単である。あくまで簡単なのは勉強の方であって、今回はパートナーが甘城さんなので難易度10倍増しであるが。
「どっちからやる?」
近い人と練習するように言われているから甘城さんが私に話しかけるのは当たり前なんだけど、また私を緊張感が包む。落ち着け、私。相手は話せば確実にレスポンスを返してくれる。よくわからない回答をする長代先輩よりはよっぽどマシじゃないか。
深呼吸をしてから答えた。日本語の疑問文会話すら困難している。
「じゃあ、甘城さんから質問してみて」
「おっけ! えーっとね。……Was machen Sie gern?(何をするのが好きですか?)」
趣味は何か、と尋ねる疑問文とそれについて回答するやり取りの練習。回答として、楽器演奏やスポーツ、音楽鑑賞の単語が教科書に書いてある。好きなのを選んで文法に当てはめるだけ。簡単。自分で考えなくちゃいけない日本語の雑談より簡単。
「Ich lese gerne Bücher.(本を読むのが好きです)」
私は発音しやすい読書を選んだ。次いで私は彼女に「Was machen Sie gern?」と問いかける。
「うーんと、Ich gehe gerne einkaufen! (買い物をするのが好きです)」
“einkaufen gehen”はショッピング。確かに甘城さんのような人は好きそうである。
「へえ、甘城さん、ショッピング好きなんだ」
気づけば口走っていた。しどろもどろになるより、ボールを投げた方が会話のキャッチボールは続く、と先週会話に失敗し反省した脳が訴えている。
「えっ? あっ、そうだね! たしかに好きかも!」
気づいたように甘城は笑って、「でもなんとなく言いやすそうだから選んだだけかなあ」と補足した。
私はまた熱くなる。
自分自身発音しやすいかで選んでんだから、甘城さんだってそうに決まってんじゃん! 授業のやり取りで一々本音いうわけないじゃん! ……なに聞いてるんだ私は。
「紗葵ちゃんは本とか結構読むの?」
「あ、いや……」
「私も言いやすいの選んだだけ」と声になっていたかもわからない返事をする。穴があったら入りたいとはこのことか。この部屋は2階だから穴を掘っても下に落ちるだけだが。
「そしたら私たちお揃いの理由で選んでるねっ!」
彼女の優しさで私の恥は包まれた。細胞内のゴミが小胞に包まれて排出される感じ。
周りはまだドイツ語でやり取りをしている。それは進行が遅れているからとかではなくて、複数の答え方を練習するために何度も質疑応答することが求められているからだ。会話が一区切りついて、私たちの間にも「もっかい練習しよっか」なんて空気が流れ始めた。
「……お腹空いたねー」
そんな空気を感じていたのは私だけみたいで、甘城さんは時計を見ながらふと呟いた。今は15時。おやつの時間だ。
なんとなく、雑談が続くのは心地よかった私は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「わかる。この時間お腹すくよね」
「そう! 授業連続だから集中力使うし……」
「甘城さんは3限とってるんだ」
「うん! 歴史地理学? みたいな一般教養だよ! 全然なに言ってるか分かんないけど……。紗葵ちゃんは?」
「私は空きコマ」
「いいなあ。ご飯ゆっくり食べられそう〜」
「そうなんだけど、ゆっくりしすぎちゃうから寝ちゃったりして、逆に4限前にやる気入れるの大変、みたいな」
「うわ〜、スイッチの切り替え辛そうだなあ」
「空きコマって半端な時間だから意外に疲れたりして」
「後期から私も気をつけなくちゃ。……この後は授業あるの?」
「ううん。火曜はバイト入れているから」
「おんなじだ〜! 私もバイトあるの。紗葵ちゃんなんのバイト?」
「塾講。甘城さんは?」
「私は薬局! 塾講給料いいから悩んだけど、大変そうだったからやめたぁ」
「いやいや、接客の方が絶対大変。それ以外にも品出しとかこなさなきゃいけないし。飲食やってる人とか尊敬する」
「分かる! 飲食は絶対しんどいよっ。……てかさてかさ、紗葵ちゃん」
「ん?」
「梨琉、でいいよっ。みんな梨琉って呼んでるから。甘城さんだとくすぐったいかな、えへへ」
「あっ、呼び方のこと……」
「うんっ」
「じゃ、じゃあ梨琉……」
「なーに?」
「あ、いや、呼んだだけ」
また恥ずかしくなっていると、講師が練習終わりの合図をした。この時間が終わってしまうのは名残惜しい。
「ねえねえ、紗葵ちゃん」
抑えた声で梨琉が顔を近づける。前では講師が疑問文の応用を話している。私ら以外はみなノートを取っている。
「バイトまで時間ある? 授業終わったら食堂行こうよっ」
至近距離で微笑む彼女に、私は圧倒された。
どういう環境で育てばここまで『コミュ力』を携えた人間になれるのだろう。




